運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
1716件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1959-01-27 第31回国会 衆議院 本会議 第9号

また、米ソ両国間においても緊張緩和の努力が払われていることも見のがせないことであって、核実験中止に関する協定違反を検討する専門家会議がまとまり、奇襲防止会議核実験停止の問題の形で再開されたのであります。また、ミコヤン氏の訪米を契機として、ベルリン問題及びドイツ統一問題などを議題とした四カ国外相会議、さらに、対独平和条約提案を通じて、やがて頂上会談の行われる可能性考えられて参ったのであります。

鈴木茂三郎

1958-10-23 第30回国会 衆議院 内閣委員会 第5号

最近の情勢から見ますると、あるいはジュネーヴ会議における探知機構の問題に関する専門家会議の問題、さらに大国の間における核実験停止の問題に関する会議が開かれようとしておる。また国際連合におけるところの今回の総会におきましても、この問題に関して日本は独自の立場から核兵器の、今私の申し上げた理想を実現するような決議案を出そうとして、いろいろ研究をいたしております。

岸信介

1958-09-30 第30回国会 参議院 本会議 第2号

幸い、最近に至り、ようやく米英ソ各国核実験停止を声明するに至り、また、本年夏には、核実験査察に関する専門家会議が開かれ、これらを契機として、近く関係国間に核実験停止に関する会議開催される運びとなりました。このことは、わが国のこれまでの主張提案が次第に世界に理解されるに至ったものとして、まことに喜びにたえません。  

岸信介

1958-09-30 第30回国会 衆議院 本会議 第2号

幸い、最近に至り、ようやく米英ソ各国核実験停止を声明するに至り、また、本年夏には核実験査察に関する専門家会議が開かれ、これらを契機として、近く関係国間に核実験停止に関する会議開催される運びとなりました。このことは、わが国のこれまでの主張提案が次第に世界に理解されるに至ったものとして、まことに喜びにたえません。

岸信介

1958-09-01 第29回国会 衆議院 外務委員会 第12号

(拍手)また実際問題として考えましても、核実験中止のための監視所を八カ所中国の領土内に設けなければこの中止の実行は不可能であるというのが、ジュネーヴにおける先般来の専門家会議の結論であります。だから核実験中止実現いたしますためにも、中華人民共和国を承認することが絶対に必要であるのであります。

田中稔男

1958-07-04 第29回国会 衆議院 外務委員会 第6号

今その現われの一つといたしまして、ジュネーヴでは東西核実験探知専門家会議が開かれ、国民はこれによって核実験禁止も一歩前進することを期待しているのであります。私たち社会党は、院内のみならず、今後さらに一そう核実験禁止国民運動を展開するとともに、世界の諸国に向っても積極的に呼びかけ、その実現を達しようとしております。

戸叶里子

1958-07-03 第29回国会 衆議院 外務委員会 第5号

○戸叶委員 今回の会議専門家会議でございまして、非常に限られた少数の国しか集まっておりませんけれども、日本が第十一回の国連総会において、探知に成功した場合には即時実験禁止するようにというような決議案を出しておることもございますので、私は当然ここへオブザーバーか何かの形で行って、そうしてなおこの核実験禁止するような雰囲気なり何なりを作っていくことが非常によかったんじゃないかと思うのですけれども

戸叶里子

1958-06-23 第29回国会 衆議院 予算委員会 第2号

一方では核兵器実験禁止のためには、米ソの間でお互いが勝手に相談した専門家会議を作って、これでもって査察の具体的な方法を研究しよう、これは国連ワク外の仕事だ。国連の中における、しかも世界の生物学的な権威が核兵器実験のために最も有力な証拠を出しておる。国連ワク外でまた査察のための話し合いを進める。

岡本茂

1958-06-18 第29回国会 参議院 本会議 第6号

われわれの最も遺憾とするところは、過般のソ連原水爆実験の一方的停止の宣言以来、米英ソ三国の間に核爆発探知制度を含む協定によって、一切の核実験停止を、核兵器全面禁止軍縮全般から切り離して、まずこれを実現し、これを契機として、軍縮国際緊張緩和並びに東西巨頭会談への大道を開こうとする方向がようやく固まり、七月初めからジュネーヴにおいて、この探知制度を中心とする専門家会議開催されようとしているさなかに

曾禰益

1958-04-09 第28回国会 衆議院 社会労働委員会 第35号

ILOの労働者教育専門家会議でも、労働者教育とは一体何だということが問題になった。ところがこれはなかなか定義が出なかった。岸内閣労働協会をお作りになってやる労働者教育というようなものは、今言った三つのうちの一体どれなのかということなんです。昨日ここへ参考人に来ていただきました。そうしたらこういう意見を述べる方がありました。

滝井義高

1956-06-03 第24回国会 衆議院 文教委員会 第46号

この条約ができます前に、各国専門家会議がございまして、その際に先ほどの関野課長が参ったわけでございますが、その際には、特別保護の場合には約千メートルくらいのところということでございまして、はっきりした距離はその際にもきまらなかったのでございます。その後条約会議の際にも別に距離の問題は出ませんでした。しかしながら約千メートル内外は離れていなければ、特別保護の条件は備えない。

岡田孝平

1956-06-02 第24回国会 参議院 外務委員会 第19号

もしそしてそういうものが非常に——単に思いつきとして、ちょっと行ってこられて、瞥見して——有望だとお考えになったんでなくて、相当根拠がある、可能性があるものなのか、この付属書のときにもっとこちらからでも提議して、問題は十分にディスカッスしておかなければならなかった性質のものじゃないか、その程度のことならば、これまで行った人たちだってもうちゃんと着眼をしてきているし、あの専門家会議で十分に取り上げられて

佐多忠隆

1956-06-02 第24回国会 参議院 外務委員会 第19号

復興七ヵ年計画だとか、あるいは経済五ヵ年計画だとかいうようなことがいろいろ言われておりますが、あるいは経済五ヵ年計画は、五十四年でしたか、一ぺん開始されることになっていたのに、米比協定改訂交渉との関係上、何か挫折してしまって、その後はそのままになっているというような情報もありますし、いや、そうでなくて、何ヵ年計画として相当具体化しているんだと、ことにたとえば日本とビルマとの専門家賠償会議ですか、賠償専門家会議

佐多忠隆

1956-06-02 第24回国会 参議院 外務委員会 第19号

政府委員中川融君) 表と私が申しましたのは、実は一年前にここで専門家会議をやりました際に、先方からほしいというものの品物のリストが出たのでありまして、そのリストについて検討したわけであります。これは相当いろいろな品目が先方の希望のものとして出できておるわけでありますが、そのことを申したのであります。これは資料としてある程度こんなものというのがお配りしてございます。

中川融