1956-05-26 第24回国会 衆議院 外務委員会 第51号
そうするとここにいろいろ専門家会議で、附属書として、開発諸計画の中で、いろいろな向う側の要求の資本財なり何なりの項目が相当出ておるわけですね。こういったようなものが一応内容になってくるようにも思うのですけれども、どうもこれは内面的な関連というものは一つもない計画の単なる羅列であって、ここから何ものをも生み出すわけにいかない、こういうように私どもは思うのです。
そうするとここにいろいろ専門家会議で、附属書として、開発諸計画の中で、いろいろな向う側の要求の資本財なり何なりの項目が相当出ておるわけですね。こういったようなものが一応内容になってくるようにも思うのですけれども、どうもこれは内面的な関連というものは一つもない計画の単なる羅列であって、ここから何ものをも生み出すわけにいかない、こういうように私どもは思うのです。
その点については、ここに一応専門家会議の議事録なんかも来ておりますけれども、やはり大臣から詳細に、その見通しなり政府の考え方なりをはっきりされておいた方が、今後いろいろな事柄が起ってきた場合に私は非常にいいと思うのです。ですから、あなたがきょう説明できなければ月曜でもけっこうですから、一つその点を説明してもらいたいと思うのです。
○石坂委員 ただいまの専門家会議のことは、御答弁の通りにお差しつかえない限度で、資料として御配付願います。 次は第五条でありますが、この賠償物件に対する契約案は日本政府の認証を受けることになっております。
○中川(融)政府委員 専門家会議自体は実は非公開の会議として行われまして、その結論につきましてもこれを公表しないことと実はなっております。その主たる理由は、各品目につきましてその当時における価格を大体予定いたしまして、この程度の価格でできるという見積りをしてあります。
○石坂委員 ただいまの御答弁で実施計画につきましては、昨年度に専門家会議が開かれて相当詳細に検討いたした、こういう話であります。その一九五五年の専門家会議のことは協定附属の交換公文、——この資料の二十七ページでありますが、このうちにも専門家会議において検討された計画だということが出ておるようであります。
鳩山総理は、直ちにこれに対して、同感の意を表するとともに、解決促進のために、まず賠償支払い方法について具体的に検討することが適当であろうとの考えのもとに、専門家会議を東京に開催することを提案いたしました。その結果、昨年三月末より六月上旬に及ぶ二カ月以上にわたって、日比両国の専門委員の間に詳細な研究討議が行われたのでございます。
鳩山総理は、直ちにこれに対して同感の意を表するとともに、解決促進のために、まず賠償支払い方法について具体的に検討することしかるべしとの考えのもとに、専門家会議を東京に開催することを提案いたしました。その結果、昨年三月末より六月上旬に及ぶ二カ月半にわたって、日比両国の専門委員の間に詳細な研究討議が行われたのでございます。
○須藤五郎君 昨年の四月から五月にかけて、ローマにおきまして、漁業の専門家会議が開かれたと思うのでありますが、その節日本もオブザーバーとして出席して、資源保護の問題なり、いろいろな問題が討議されたと聞いておるわけですが、その内容をちょっと聞かしていただきたい。
同専門家会議の内容についてはこれを公表しないということになっているので、その内容について言及することは避けたいのでありまして、ただしこの会議は賠償交渉の過程において専門家間で行なったものであり、正式代表間で行なったものではなく、政府が別に法的に何ら拘束をするものでないことをここにはっきり声明いたしておきます。
また今後必要に応じてそういう専門家会議の開かれますときは、できるだけ適当な専門家を派遣したい、こういうふうに考えております。
これから外相会議、あるいは専門家会議等によって相当の成果を収めるということは私も想像をしておりますけれども、現在においてはまだ軍縮はどの程度、原水爆の使用を制限するのはどの程度、どの程度において許さるるかということも全く不明でありますから、現在においては今までの計画通りに進む以外に道はないと考えます。
ただ問題は、どういう方式でどの程度においてそういう問題を処理するかということは、あるいは今後の外相会議なり、軍縮小委員会なり、あるいはさらには専門家会議触り、そういうものにまかせられると思いますが、しかし方向自体は、はっきりきまったと見ていいのじゃないかと思うのですが、その点について総理の御答弁は非常に、あいまいでありますが、そこをどういうふうにお考えになるか。
そこで、専門家会議の仕事が進捗し、かつまた日本側との内交渉に入ったわけでございます。 日本側といたしましては、むろんこれは交渉のことでありますから、外務大臣として私が当る。しかし非常に専門的の経済方面のむずかしいことがあるのでありますから、高碕長官と私とにおいて、これに接触することになって進んで参ったのであります。高碕長官の接触ぶりについては、先ほど御報告した通りであります。
そうして専門家会議がずっと開かれておりまして、この専門家会議には、最後にネリ大使がやってきたのでありまして、この専門家会議には各省の何が皆これは参加してやっているわけなのです。ただこれは最後の会議にネリがきたのでありますが、そのときにいろいろそういう試案をもって内交渉をしておる。このことについてはすべてそのつど他の閣僚に相談するということはいたしませんでした。
○下田政府委員 それは事実と違うのでありまして、先般参りましたラヌーサ氏等専門家会議の討議に取り上げる事項からは、はずされております。しかし賠償全体の問題は、当然沈船引き揚げの協定も含むわけであります。
ネリ大使が、これは賠償問題を従来出島でやっておった人でございまして、これが大統領並びに比島政府の代表として委任状を持って当地に参りまして、その専門家会議の結末を一つはつけようというような任務を持って、かつはまた賠償問題について日本側の意向を十分探ってみよう、こういういわば内交渉をやってみよということで来ておったのでございまして、いろいろわが方と接触をして、その任務を遂行しておったわけでございます。
けさの新聞によりますと「防衛分担金削減問題の早期解決をはかるため十二日早朝から外務、大蔵両省が中心となり在京アメリカ大使館、米軍事顧問団らとの間に専門家会議を開く」云々と出ております。
続いて国際労働機関においてけい肺患者の重要なる問題が取上げられ、各国からの専門家が相会して第一回のけい肺専門家会議がヨハネスブルグで開催されたことも御承知のことと思います。その後徐々にそういう方向からいたしまして、我が国におきましても労働者の業務上の疾病のうちにおいて最も悲惨なけい肺症に対する問題が徐々に各方面から注目の的と相成つた次第でございます。
その問題が国際連盟時代に取上げられて、専門家会議によつて、條約によつてそれを解決しようといたしました。