1949-04-13 第5回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号
それで大学の收容所に移るまでの間に胸に少尉の記章をつけました。後一人東原曹長という人があるのでありますが、その人と二人が長になつて來ました。両方共少尉の階級章をつけて大学の收容所に行つたのであります。
それで大学の收容所に移るまでの間に胸に少尉の記章をつけました。後一人東原曹長という人があるのでありますが、その人と二人が長になつて來ました。両方共少尉の階級章をつけて大学の收容所に行つたのであります。
四月十日 ――――――――――――― 四月八日 青少年教育に対する総合的研究機関設置に関す る請願(小林運美君紹介)(第二一二号) 教育映画助成に関する請願(小林運美君紹介) (第二一三号) 史蹟燈明寺及新田塚修理費全額國庫負担の請願 (坪川信三君紹介)(第二一四号) 新制大学入学者検定試驗制度施行に関する請願 (林百郎君紹介)(第二二〇号) 中尊寺における國宝及び特別保護建造物修理費
大学新聞の場合も、やはり一般的な性格を帶びていたと思うのです。そうしてその読者は、東大の関係者のみならず、ずつと廣まつておりました。そうして非常に一般性を持つていたわけです。ですから、学生新聞のわくをきめることが必要であれば、それはよろしい。だが、そのわく外に、やはり今までの実績を重んじて、それに用紙を割当てるべきじやないかと思うのです。
大学新聞の問題は、先ほどのお話では、東京帝大新聞を非常に減らしておるのではないか、そのために帝大新聞が少くなつたというようなことでございましたが、事実はその通りでありますけれども、帝大新聞は、戰爭中に東京の各大学の学生新聞を統合いたしまして、東京で一つの学生新聞というものの発行が許された。
そうして、採用者は大学在学生で、できれば三年生または上級者、大学卒業生もいいわけだげ、在学生七人につき卒業生三人の割合で選考される、どういう人を留学生に選ぶか、これを明示されておるのであります。
早く長崎縣師範学校を卒業後、しばらく教育のことに身を投じておられたのでありますが、やみがたい向学心のゆえに、文字通りのまことに涙ぐましい苦学力行をされまして文理科大学を御卒業になり、東京都廳に奉職されておつたのでございますが、先ごろの総選挙において、めでたく衆議院議員に御当選になりました。
それから昨晩の新聞でございますけれども、「眞田堀埋立て、地元民が反対叫ぶ」として、問題の眞田堀に、上智大学が埋立代三千万円を寄附する代償しして、都の建設局が同大学の総合運動場に使用を許可した皇居外苑の四谷見附から南へ食い違い見附、元赤坂離宮前に至る八千坪の内堀で、戦後この内堀だけが水がかれ、草がほうほうと生え、荒れ放題になつていた。
この予防局にストレプトマイシン研究協議会というものを設置いたしまして、研究は予防衞生研究所になり、あるいは各大学なり、さようなところでそれぞれやつていただくのでありますが、その研究をここでいろいろ情報を交換いたしましたりして、総合的に有機的に関連づけて行こう、そういうような意味合いにおいて四十万円ほどの経費を計上いたしたわけであります。
○証人(池田重善君) 私の隊には今の早稻田大学の柔道の先生をされておりました北林光雄、今の角力の宮田先生と本名言われておりますが、早高萬平という方とが長谷川隊の部下としておられました。そうしてこの方が私が行つたときには体も弱つて作業を休む日が多かつた。
ずつとウランバートルまで行くまで長でも何でもない一人の兵隊だつたわけですが、技術大学の建設場に行くとき初めて二百人の長になつたようですが、どういうわけで今まで名前も祕しておつた人が二百人の長になつたか、そこの経緯をちよつと詳しく伺いたいのですが……
○証人(池田重善君) 私は結局大学の方の建築に参りました。長谷川隊長殿は私達と別れてホロンバイルへ直接隊長として行かれた。私は藪中尉とそこに大学の建築の方の総監督の收容所長がおられましたが、先任者として三百名を貰つて行つたわけであります。
立教大学に職を奉じております。
現職は東京産科大学教授でありますが、ごく簡單に三十分という御指定がございますので、要点だけを申し上げます。私の公述は数字がたくさん出ますので、お聞き苦しいところもあると思いますし、申しますことが少し早いかもしれませんが、生れつき早口でありますので、どうか御容赦願います。
松浦 東介君 松野 頼三君 松本 一郎君 若松 虎雄君 有田 喜一君 小野 孝君 小坂善太郎君 笹山茂太郎君 鈴木 幹雄君 稻村 順三君 川島 金次君 野坂 參三君 米原 昶君 金子與重郎君 松本六太郎君 黒田 寿男君 出席公述人 慶應大学教授
第三には、新制大学になつても大学に値する予算がない。こういつたことが教育の危機として次々に叫ばれておるのであります。併しながら私はこれらの事実よりも、更に根本的な危機を強く教育、文教の上に感ずるのであります。それは、一方に現政府の教育文化に対する予算を見ます。片方には燒ビルの地下室や、馬小屋の中で勉学にいそしもうとしておるいたいけな学童を見ます。
そこで各大学病院、仙台市立の病院その他の病院とか、開業医、保險医関係の御了解をいただきまして、一点單價九円にきめました。しかるに鉄道病院に関する限り一点單價十円は絶対的なものである。
礎つて全國を各ブロック別にわけまして、水産單科大学の設置が喫緊の要事ではないか。かように思いまして、私十数年來実は北海道におりまして、北海道の水産單科大学設置を要望して來た一人であります。かかる見地から、私文部省に対して、將來この水産單科大学を日本に増設する意思があるかないか。それから予算関係におきましては、ただいま夏堀委員からの御質問でありましたので、これも承りたい。
実は水産講習所は長い間の歴史関係もあり、また技術を主としておるといような関係から、できるならば從來のように農林省所管としてこれを水産大学に昇格してほしいということが農林省の意見であつたのであります。
○日高政府委員 文部省の関係部門を申し上げますが、御承知のように新制大学なりますのには、学校教育法の六十條によつて設置されました大学設置委員会の審査を受けることになつております。
学識者として慶應大学教授高木壽一君、東京商科大学教授井藤半彌君、金融機関代表者は、日本銀行副総裁川北愼一君、産業関係、経済同友会幹事鹽原禎三君、荏原製作所社長畠山一清君、農業関係代表者は、生産農業組合連合会会長斎藤貞次君、地方財政関係として立教大学教授藤田武夫君、労働組合は、國鉄労組より星加要君、産別より寺井龍雄君、総同盟より清水愼三君、一般より荒木光子君、日教組の荒木正三郎君の十二名の方にお願いいたすことにいたしております
相当研究をした結果といたしまして、新しい六・三・三・四という教育体系が日本で実施されることになつて、もうそれが進んで、いよいよ二十四年度には新制大学もできて完成するというときになつておるのであります。この際六・三というものをくずすことになりますと、根本的な教育体系の変更になります。
官立大学が東京偏重であることは昭和二十二年の決算で明らかにされましたが、これら東京の官立大学を地方に委讓し、その予算を私学振興に向けることに努力すべきであると考えます。
これがため特に大学の建設について質問する、今回決定された六十四の新制大学は果して実行し得る確信があるかどうか。私はこれらを再整理して、四國、山陰、中國、北陸の各地に総合大学を建設するよう努力すべきである。
御質問の國立新制大学の計画につきましては、成るべく経費が膨脹しないように、そうして大学の基礎ができるだけ確立するように、こういう二つの目標で計画を進めておりまして、特別の地域、つまり北海道、東京、愛知、大阪、大都、福岡というような地域を除きまして、同じ地域にあります官立の諸学校は、これを合併整理いたしまして、一府縣一総合大学の実現を図る、こういう原則で立案されましたものであります。
所長の命令によりまして、今読み上げました文官の下村外交部次長の両者と一緒に帰つて参りました簗瀬、これは早く少佐時代で辞めまして、どつか私立大学を出て満洲國に入つた方であります。政治家か何かだつた……もう一人松村少將、そういうような人に命じまして二人だつたと思いますが、或いは一人かも知れませんが、我々の方も二つに分けましてこういうことを話しました。一つはソ連の憲法についてのお話、三回ございました。
それから黒木剛一少將、これは大学でロシア語を專攻せられた、ロシアにはおられないで樺太へ行つておられた。新聞などもこの方が読んで下さつた。その他向うへ行きましてから頭のよい者は、ロシア語が一通りできるようになりました。殊に若い將校などは相当できるようになつておりますが、老人は駄目であります。
その次の新制大学実施に伴う経費九億四千五百万円、これは実は最初から相当もみにもんだ結論でございますが、最初私どもといたしましては、最低二十億程度ということで要求しておつたのでございますが、なにせ生徒全体の数というものが膨脹しない、つまり新制大学にはなるけれども、やはり從來の專門学校とか、あるいは從來の大学というものが、それだけ浮いて來るのだから、経費はゼロで始めてくれという大藏当局の要求がございました
これは本院速記練習所を卒業し、中央大学の法学部を卒業して、貴族院の速記技手であります。引続き参議院になりましてから、記録部飜訳課で事務を執つております。先般の参事任用試驗の際に筆記試驗には合格しております。これも人事院の審査と承認並びに公職適否審査委員会の審査を得ております。それから次に、第三番目の吉岡健二君。
新制大学、これは今回本年度から新設されます新制大学六十七校でありますが、教員数六千九百人であります。 生活及び兒童保護費については、この中に生活保護の経費が百十五億あるのであります。児童保護の関係が九億五千万円程度になります。生活保護におきましては、現在百七十六万人程度の生活扶助をやつております。児童保護におきましては二十八万人程度であります。
それからまた布教師、大学專門学校教授——布教師という意味でもキリスト教の宣教師、牧師、いろいろありますが、最も短期な教育を受けた天理教の布教師、こういう者は六箇月くらいの教育で布教師になる。そういう者が布教師としてアメリカに渡航した場合においては、アメリカの在日本のアメリカ領事館がなかなか査証を與えない場合がある。
またこれは特に読賣新聞の協力、あるいは性病予防協会その他各大学がこれに参加して、性教育展覧会というものを開きましたか、特に防犯関係の課長か参観されまして、この程度ならばこれから開かせる、こういう点で相当深刻なものを開きまして、そういうものがあまりに興行的にならずに、そうかといつて実効のありますものの線を一應引いたわけであります。
○岡(良)委員 BCGの接種につきましては、これか自然感染でマントー陽性轉化になつたものか、BGGの接種によつて陽性轉化になつたものかという判別について、いろいろ技術的な悩みがあるようでありますが、最近金沢の医科大学の結核研究所において自然感染の場合における陽性轉化と、BCG接種による陽性轉化を厳密に区別し得るような注射液が発見されたのであります。