1949-04-06 第5回国会 参議院 予算委員会 第5号
それから病院でありますが、これは國立病院と、それから療養所と大学等の附属の病院と、それから宮内府の一部に病院を置いておりますが、こういうものを合計いたしたものでありまして、國立病院の分が五億五千八百万円、療養所十七億六千八百万円、学校が十一億円程になつております。國立病院は今年の七月から特別会計に移る関係で、金額は少いわけであります。
それから病院でありますが、これは國立病院と、それから療養所と大学等の附属の病院と、それから宮内府の一部に病院を置いておりますが、こういうものを合計いたしたものでありまして、國立病院の分が五億五千八百万円、療養所十七億六千八百万円、学校が十一億円程になつております。國立病院は今年の七月から特別会計に移る関係で、金額は少いわけであります。
この六・三制は一昨年の四月に第一次吉田内閣の下に発足し、この四月から新制大学も発足して、敗戰下の窮乏の中にありながらも、よく國民的支持を得まして、画期的な重要性を有するこの新学制は一應完成されようとしておるのであります。
私立大学に対する貸付も八億ぐらいのものを三億ないし五億といつているけれども、これとてもだめだ。すべて教育に関するものは必要量の六分の一にしか当らぬ。從いまして、実際上教育は荒廃せざるを得ないのである。かくして小学校から大学までに至りまして、この教育の内容はまつたく荒廃せざるを得ない。このことに関しまして、全人民が反対しておる。地方議会、各團体も全部反対している。
まず、昭和二十一年度学校特別会計歳出面におきまして、経費の年度区分をみだつたものは長崎医科大学附属医院本館及び薬局戰災應急復旧第一期工事ほか四工事の件でありますが、右工事はいずれも契約期日までに竣功させるべく鋭意努力したのでありますが、当時請負人側における資金難と労務及び資材の入手難のため予定通り進捗せずして、竣功期日が年度を経過いたしましたことはまことに遺憾とするところでありまして、將來十分注意するとともに
宇野圓空氏は、明治十八年に京都にお生れになりまして、東大を御卒業あそばし、佛教大学、龍谷大学等の教壇にお立ちになりまして、後母校に迎えられて、東大の助教授に任じ、やがて教授に累進されました。この間昭和十七年にマライシヤにおける精米儀礼の業績によりまして、学士院の恩賜賞をお受になりました。
次に御承知の教育予算の問題、さらに次には新制大学設置の問題、私立学校の最近非常に混乱に際しているときにあたつて、私立学校法、私立学校の金融関係の問題、そういつたものも、今の大きな問題として当文部委員会の一つの所管事項にかぞえられると思います。 さらに、これは一昨年の委員会からしばしば問題にされおりますことで、宗教教育の問題があります。
なお先般國会におきましても御要望がございました通り、各地方々々別に不良藥品を撲滅いたしますための協力会のごとき組織を各地方廰の衛生部につくつていただきまして、そうして衛生部における関係官、あるいは各その地方の医師会、あるいは歯科医師会、あるいは藥剤師会、あるいは大学の教授等にこの委員になつていただきまして、そうしてこの不良藥の発見に対して協力していただき、またその地方におきまする製造工場に対しまして
履歴の方は刷つて置きましたから特に申しませんが、大体申しますと、御覧の通り磯部君は東京大学を出て内務省へ入つて、内務省系統の地方官等をいたされ、のちに秋田縣知事、昭和二十一年七月に依頼免官になつておられます。そうして鈴木君は先般すでに御説明申上げました通りで、最後に一級官に昇敍の件が付加わつたわけであります。
大学、研究所、そういうふうな所では物件費の計上も何もない。農林省の所轄の農地委員会の補助金は一文も計上してない。又文部省の教育文化費の項目を見れば、小学や中学等の補助金は一銭も計上していない。こういうふうな、内容をちよつと見ただけでも、これは非常にはつきりしておるのであります。
京都の府立医科大学で実施いたしまして、そのときの解剖所見におきまして、多少原因について毒素を疑つた方がよいだろうというような解剖所見が出て、それから予研から参りました黒川博士のその後の徹夜作業によりまして、大体毒素であろうかということがわかりましたのは十一月の二十日前後ということになつております。
大学を昔の銀時計組で卒業したり、高文を第一番に合格いたしたからといつて、それが國家再建に最も貢献する能吏とは断言できない。それは皆さんもいろいろの経驗で御承知と思う。ただ学問だけの試驗によつてのみ、この世界的水準に達せしめようとする考え方には、私は同意しかねるのであります。ことにこの資本金の限度というものを加えた改正の趣旨に対しては、私はしろうとでも簡單には賛成しかねる点が相当にあるのであります。
現在の会計士管理委員会の構成について申し上げますと、五人の委員のうち、二名は大学の元教授でありまして、他の二名は現業の計理士から任命されております。他の一名は元官吏でありまして、相当会計について経驗を持つておられる方であります。
むしろそれ以上に、たとえば現在の博士級のお医者さんに、大学を出て二、三年の医者と同樣の筆記試驗をやらしたならば、私は必ず落ちると思う。しかしどつちが國家に貢献するかと申しますならば、大学を出て二、三年のお医者さんよりも、筆記試驗は忘れたけれども、二十年、三十年と民間において実際の経驗をいたした医者の方が、よほど國家に貢献し得られると考えておる。
しがして右の省令を法律に改めるにあたつては、右省令と密接な関係を有する「大学等への死体交付に関する法律」の内容をも、これに統合することが適当と考えられる。
御承知の通り、昨年の秋、東京帝國大学の附属病院及び日本赤十字社の病院におきまして、輸血による徹毒感染の事例が発生いたしまして、社会的な問題になつたのでございます。その際厚生省におきましても、これが取締りのために必要な法律の制定につきまして、案の作成を考慮するということをお約束申し上げて頂いたのであります。
○久下政府委員 これはもともとの起りは、先ほどちよつと申し上げました死因調査に関する厚生省令、ポツダム省令を法律にしなければならないという考え方から出発いたしたのでございますが、それともうすでに両三年前から死体解剖に関する根拠規定が薄弱なために、各学校、大学、医学校等におきましては、解剖することについて非常な不安を持つておる。何とかこれを法律化してもらいたいという要望が各方面から出ております。
こうした例は枚挙にいとまないほどありますが、百二十三ページ、東京大学附属病院についても旅費は一銭も計上されておりません。もし四月一日から四月十五日までに傳染病が発生した場合には、一体どうするか、旅費がないといつてほつたらかしておくか。しかるに他方五十三ページをごらんになればわかりますが、國家地方警察本部にあつては、いずれも旅費まで計上しております。
從いまして、大学におきましては、その間において、まずしばらくの間は旅費は概算で行くこともございますが、まずそういうような必要はなかろう。できるだけそういうことがないようにしてもらいたい。予算の範囲内でやつて行くという建前であります。警察その他税務署あたりには旅費を入れたところもございますが、年度早々から出て行くのが仕事の半分くらいになる仕事であるというようなところにだけ計上してあるわけであります。
昨年ミシガン大学のホイラー博士が北海道に数回おいでになりまして、そうして馬鈴薯の栽培に対して有益なる指導を與えた。その成果は非常に多くの農民から感謝を受けております。今後の藷類の増産ということについて、甘藷、馬鈴薯を通じて大なる期待はできるのでございますが、如何に増産しましても、その処理、利用の研究を怠つたならば、折角の増産も無駄となるのでございます。
○参事(近藤英明君) 労働委員長から先般調査員の候補者として松川吉治君を御推薦になりましたのですが、その後本人の都合で手続進行途中辞退されましたので、代りとして労働委員長から、更に大輪宣方君、大正三年生れ、東京大学の社会学科で社会学、社会調査とを專攻された方であります。
大学の間に轉学ということはありませんから、明治大学專門部に入学、例えば八月なら八月三十一日退学、中央大学專門部経済学科にこれは改めて試驗を受けて入学したのですから、決して轉学でないのです。これは常識上公式の履歴書なんかに非常に間違つて、こういう大事な裁判所なんかの事務局長になるのは、履歴書なんか間違つてはいけませんので、念のために事後の参考として申上げて置きます。
船員の問題の一部として教育の問題がございまして、私共の方では高等商船学校或いは商船学校、海運学院、海運專門学院海員養成所といつたような一連の教育施設を以ちまして、船員の教育に当つておるのでありますが、この船員の教育は戰時中相当歪められた形になつておりまして、これを正当に戻すことにつきまして、今いろいろと策を練つておるような次第でありますが、その時に当りまして、学校制度の改革と共に、高等商船学校を商船大学
○原委員長 大学設置に関する件を議題に供します。本問題は、以前より文部委員会において活発な意見が、文部当局並びに大学設置委員会との間に闘わされていたことは、記録に明らかなところであります。
從つて一年分に相当いたします教員の数は、これは予算から給料に関する限りは削られて参るのでございまして、その削られた員数を今度は新制大学の一年に充当して行くという面が一つと、それから多少旧制の大学におきましては、二十四年も旧制のままで一年から募集して入りますので、この点は予算上落ちるものはないのでございますが、現に欠員等もございますので、その欠員の操作によりまして、多少はこの新制大学の方に振り向けるものが
ただいま大藏省とわれわれの方とで折衝いたしまして、一應事務的におちついておりまする経費は、新制大学発足のために約九億の金額を計上いたしております。これはもちろん國立大学に関する部分だけでございますが、この九億の中で、新制大学が発足いたしますると、旧制の專門学校と申しまするもの、あるいは旧制の大学は、一部分生徒を募集しないので経費が不要に落ちるわけであります。
○小泉秀吉君 今大臣のお話並びに文部省の説明なんかを総合して考えますと、高等商船学校を大学設置委員会の答申によつて新制大学にするという意向は決まつたのであるが、併しそれを尊重してやりたいんだが、今の段階でははつきり文部当局並びに運輸当局は二十四年度にするということに対しては、そこに行く段階に、所管の問題でまだはつきりしたものではないようなふうの御説明のように伺いましたのですが、そういうことであるのか
○説明員(剱木亨弘君) 商船学校の移管問題でありますが、今般商船学校は商船大学といたしまして、文部省に設置されております新制大学の大学設置委員会の議を大体経まして、一應希望條件的で二十四年度から新制大学として出発いたしますことを可と認むという答申を得ておるのでございます。その條件は、速かに商船大学の所管を決定することという條件が附いておるのでございます。
○委員長(板谷順助君) 先ず運輸大臣に伺いたいことは、商船大学に昇格するということについて教育委員会と申しますか、それから答申がありまして、それはほぼ確定しておるのですか。商船大学に昇格するということは……。
次に田村角太郎は、昭和六年十二月に中央大学法律学部を卒業いたしまして、貴族院の属になり、それから貴族院守衞副長、守衞長、それから理事官になりまして、昭和二十一年には書記官となつて、一應退官いたしまして、今嘱託として在勤しておるのであります。昭和二十二年に法制部に移つて、現在の法制局に引続いて勤務いたしておる者でありまして、これは二級官たる資格があるということであります。
併し今日幸いに水産大学としてこれを認められるということになりましたことは水産教育の方におきまして、誠に喜びに堪えないのでありますが、まだこれが文部省の直轄として監督するか、或いは農林省の方においてこれを監督するか、まだその点がはつきりしておらないのであります。
○説明員(藤田巖君) 第一水産講習所の方は、只今お話のございましたように、審査の結果、大学としてこれは資格十分であるという折紙をつけて頂いたのです。從つて東京水産大学として今後発足することには間違いありません。ただ所管をどうするかという問題でありますが、これについては水産廳長官と行の文部次官との話合いの上で、一応共管とする。大体人事或いは教育の問題、その方面は文部省で所管をする。
○青山正一君 一つ次長にお伺いしたいのですが、先程矢野さんが水産大学の問題について、いろいろ御質問になつたのであります。それについて一つお聽きしたいのですが、この間新聞の発表によりますと、例の第一水産講習所は大体東京水産大学として発足を許されるようなことでありました。それがいろいろな関係上、大体一月五日に文部省で審査するというようなお話であつたんですが、聞くところが三月五日に審査が終つた。
私は、今日大学ノートが三十円、四十円いたしますこの世相において、國家は、なき英霊のかわりに育てるべきところの遺兒に対して、全額を負担して子供の養育をすべきであると考えるのでございます。 さらに八番目、遺族への農地の返還の件でございます。