1949-04-21 第5回国会 衆議院 運輸委員会 第8号
もう一つは学生の問題ですが、学生の定期券は、高等学校あるいは大学はともかくとしても、新制中学が六・三制のためにできて、その後その筋の方針によつて、学校再配置ということが地方によつては強要されまして、三箇村あるいは四箇村で連合して新制中学をつくつておることは御承知の通りであります。
もう一つは学生の問題ですが、学生の定期券は、高等学校あるいは大学はともかくとしても、新制中学が六・三制のためにできて、その後その筋の方針によつて、学校再配置ということが地方によつては強要されまして、三箇村あるいは四箇村で連合して新制中学をつくつておることは御承知の通りであります。
各州及び主要都市、農村にまで整備された公共図書館が普及し、各大学その他の学校には学校図書館があります。また特殊の蔵書を持つた専門図書館あるいは研究図書館も設けられまして、しかもその上に、専門の図書館人を養成するための図書館学校も完備いたしておると傳えられております。
私が大学におりましたときに、やはりあそこが特別会計になつておりましたが、それには政府から相当の補助金をもらつて、特別会計をやつておつたのでありまして、いろいろ一般会計よりも都合のよい点もございました。しかし今度の國立病院につきましては、私は相当の赤字が出るというふうに考えておりますから、一般会計の方から相当の繰入金があるという條件のもとにおいては、單純な一般会計よりもよいかとも存じます。
然るに現行獸医師法は大正十五年に制定され、その免許資格については、大学若しくは專門学校の卒業者、又は免許試驗の合格者等区々に瓦り、一般に水準が低く、新状勢に即應しない点が多々認められるに至りましたので、獸医師の水準を一層高め、その資質の向上をはかり、獸医業の健全な発達を期し、畜産業の発達と公衆衞生の向上に寄與させることが必要となつたのであります。
○劔木政府委員 通常の家庭におきまする高等学校に進学できない勤労大衆青年のために大学進学の機会を與えますため國家的な検定制度を設けたらどうかという御請願の御趣旨であると思います。
新制大学入学者検定試験制度施打に関する請願、文書表第二二〇号、林百郎君紹介。
この請願の要旨は、学問の自由が保障されている現在、あらゆる困難を忍んで苦学する多数の人材に前途の光明を與えるために、新制大学に入学しようとする者で高等学校を卒業しない者に対して、新制大学入学者検定試験制度を施行してほしいというのであります。 今私の意見を加えて申し上げますと、現在いろいろな関係からしまして、高等学校まで順調な過程を経て大学に入る準備をなすことが非常に困難な人が多いようであります。
長 官 佐藤 達夫君 事務局側 事 務 総 長 小林 次郎君 参 事 (委員部長) 河野 義克君 法制局側 法 制 局 長 奧野 健一君 参 事 (第一部長) 今枝 常男君 衆議院側 事 務 総 長 大池 眞君 法 制 局 長 入江 俊郎君 國会図書館側 國会図書館長 金森徳次郎君 説明員 東京大学教授
○委員長(太田敏兄君) 田中教授は大学の都合でお出でになるそうですから、田中教授の方の関係はこれで一應打切りまして、尚大山さんの御質問に対しましてはあとで金森さんも入江さんもおられますから、その方から御意見を願うようにしまして田中さんはこれで……それでは先程委員部長から田中教授にお尋ねになりました事項に関しまして、金森さんから一つ御意見を承りたいと思います。
ただ田中教授が今日大学の方の都合で大分早く帰りたいという御意向ですから、成るべく先ず田中教授に対する質問を先にして頂きたいと思います。
申し遅れましたが先程の管区学校の本科というのは國家警察の者ばかり收容いたしておりまするけれども、大学或いは高等部というものは、これは自治体警察の者も約半数余り收容いたしております。
○政府委員(三輪良雄君) 警察学校は、大学が一つ、管区学校の高等部、本科がおのおの六つであります。都道府縣の学校がおのおの都道府縣に一つずつございますので、四十六あります。
それから大学が三百名でございます。高等部は五百名。
大学というのは、諸外國でもそうでありますが、非常に歴史的な傳統というものが、その大学の運営やなんかに生きておるわけであります。そういう点が、この作成上の考慮を見ますと、考慮されてなくて、机上の空論だけが並べてあるというふうに考えられます。
○岡(延)委員 請願と直接関係はないのですが、文教大学の校名の問題であります。ご案内の通り、文教大学というのは、文理大と東京高等師範、体育専門学校、農業教育専門学校、これらを合併して一つの大学ができるのでありますが、その学校の名前について、実は現在の文部省案は文教大学、かようになつておるのであります。
私個人の意見を申しますれば、やはり教育大学の方がいいと思つておるのでありますが、これは感情の問題もありまして、経験しておりません私どもには、その感情の内容の重みがわかりませんので、双方の言い分を取持つて文教大学といたしたわけであります。
檢査報告の百十四頁にあるのでありまして、文部省の関係でありまするが、北海道大学で、これは燃料の購入費として六百万円を、予備費の承認を得ておられるのでありまするが、これも大部分というものは、大部分と言いますか、約半分ちよつと以上というものは、大藏大臣の承認も経ないで他の費目に流用しておられる。
そのうち主な事項は、檢察審査会法の施行に必要な経費、家庭裁判所の新設に必要な経費、初任警察官の訓練に必要な経費、徴税費の増加、教員共済施設費補助に必要な経費、大学附属病院の運営に必要な経費、震災應急救助に必要な経費、風水害應急救助に必要な経費、鼠族昆虫駆除実施に必要な経費、特殊藥品の配給確保に必要な経費、耕地面積調査に必要な経費、農業共済保險実施に必要な経費、農地改革に必要な経費、指定生産資材の割当事務
○吉川證人 中央大学法学部卒業です。それから最初半年ばかり判事になりまして、それから檢事に轉換しまして、それが昭和十六年ですね。それからずつと今日まで檢事をやつております。
だからいろいろ必要な情報なんかも、たとえば大学の先生なら先生にでも聞けば、そういつた点はもらえるということになります。それからその他の資料はたとえば國会図書館の方に連絡すればもらえるということになりますから、調査の方の者はいらないのです。だから皆さんも國会図書館を訪問されることを望んでおります。あそこにはいろいろなものがあつて、ちよつとびつくりなさるくらいあるのです。
第三として、文部省所管学校特別会計歳出臨時部第二款官立大学第二項諸新宮及び修繕費のうち、文部省において経費の年度区分をみだつたもの一件、同じく百五ページ参照。 第四、厚生省所管一般会計蔵出臨時部第二款民生安定施設費第一項民生安定施設費のうち、宮城縣において経費の年度区分をみだつたもの一件、同じく百八ページ参照。
その残ります局は初等中学教育局、大学学術局、社会教育局、調査普及局、それから管理局、この管理局の下に教育施設部というのが部として残ることになつております。 次は厚生省を御説申上げます。厚生省は從來七局あつたのでありますが、今回五局に縮小することになりました。残りましたのは、官房の外公衆衞生局、医務局、社人局、兒童局、保險局、この中に官房に統計調査部という部を残します。
又乳兒哺育施設を研究所に設けまして、一歳未滿の乳兒を預りまして、これのやり方を研究し、又それを実際に施す、すべて中央にはこういうものがありますが、地方に研究分室がありまして、東北大学、名古屋の大学、金澤、岡山、福岡、長崎各医科大学に連絡をいたしまして、そこへ地方分室を設けまして、その地方の特有の病氣とか、或いはそのときどきの重要事項について研究を連絡するということにしておりますが、これは現在経費の関係
その意味で実は今度都立の総合大学ができるのでありますが、その一部に社会事業方面の講座を置いて貰いまして、若干の期間、関係の職員の再教育を考えましたのでありますが、先般厚生省の方から日本社会事業專門学校の方に講習料というものを置いて、関係の府縣の者の再教育をしたいということでございましたので、まあそちらでできますのでございましたらば、そういう方面でお役に立てば結構だと思いますので、取敢ずその講習料というような
ただここで現在日本に社会事業学校というものができておりますけれども、從事者養成の基本的な問題といたしまして、全部そこで專門的に長い期間築き上るか、それとも各大学の課程を終つた人々に、つまり一般教養も同時に持つておる人々の上に社会福祉の基本観念を新たに学んで頂いて、專門家として配置するようにした方がいいか、私にも未だ決しかねますけれども、僅かの間の、最近の経驗その他を総合いたして申上げますならば、社会事業協会等
その他の重要経費といたしましては、小学校教育費國庫負担金、新制中学、定時制高校及び新制大学実施等の教育文化費が累計二百三十四億円余、生活保護及び國民健康保險、失業対策及び同胞引揚費等の社会政策的経費が約二百三十億円、農地改良及び食糧供出関係費が約八十億円となつております。
これは、いわば大学教授が書いたと申しましようか、しかもそれは洋行帰りの飜訳臭粉々とした大学教授が書いたような感じがする。 なるほどこれを拝見しますと、一應ノミナルな意味において均衡予算という実体は備えておるでありましよう。
これは昨年の十二月にも産業大学の中山総長がこの席上で私の質問にはつきりお答えになつた。それを認めるとおつしやつた。手取り一万円以上になる。これをお認めになつた。
それから今度切替えました大学の中は教職教養というものを十分なる重味を以て考えてございます。これが前の大学と新制大学との主な特徴であります。
それから第二の、横浜のことでございますが、実は横浜には三つ横浜大学という案が出て來たのであります。いわゆる横專と申しますものと、市立のものと、それから國立のもの、それで横浜大学が三つ申請して参りましたので、実は学校同士で以てこの点をできるだけ円満に解決して欲しいということを申しまして協定をして貰いましたところが、いわゆる横專の方は神奈川大学という名前に変えて下さいました。
○松野喜内君 大学の実施要領の中の八番「大学の名称は云々。」と出ておりますが、今鈴木委員が言われた通り、私の言わんとするところを鈴木委員から強くお述べであつたので、私も亦それを強く感情論でなく教育の本領から、教育の原則的に教育大学というふうにして欲しいということは、我々文部委員として強くこれを主張したいと考えるのであります。
社会事業施設をやつておるものにつきましては、專門職と申しますか、そういうものにいたしまして、そうして一定の資格を持つた者、例えば社会事業学校を出て一定の実習をやつた者でありまするとか、大学というような所で社会事業の講義を受けた者で、一定の実習をやつた者というようなものにいたしたい。
○説明員(松本征二君) 第一の社会事業学校のことでございますが、これは昨年に新制大学にいたすという問題が起りましたときに、学校の実際のいろいろのことを御相談いたします運営委員会に諮りまして、新制大学の方にしようということに決めまして、そういう御決定になりまして、その結果新制大学の手続きをいたしたのでございまするが、御存じのようにいろいろの関係からこれは不合格に相成つたのであります。
私達は無特業者として約三百各山から下つて、昭和二十年の十一月共産大学の建築場に参りました。その後二三百して吉村は当時少尉という階級と覚えております。吉村少尉が百名か二百かはつきり記憶にありませんが、その隊の長となつて参りました。
知識層といつても、一番の知識階級といいますか、日本の最高学府を出た、東京帝大哲学科を出たというようなお方もおれば、中央大学を出たというお方もおられたし、日本大学を出たというお方もおられる。とに角大学を出た知識層と称せられるお方は十人ぐらいおられたことは間違いありません。
また教育問題についてもそうでありますが、六・三制の教育を実施した結果、各地において高等学校なり大学なりをこしらえてそれによつて地方人がわざわざ東京なり都会へ出て來て、そうして地方との間に連絡を失うとか、あるいは郷土の観念を失うということにならずに、その土地々々の学校において教育を受けることができるということが、これが農村生活を維持するゆえんであつて、六・三制の考え方もまたそこにあるのであると思います