1949-03-24 第5回国会 参議院 文部委員会 第2号
そうして四日、最後の日に大阪に参りまして、大阪の文部省大阪出張所に寄りまして、大阪の大学の幹部諸君ともいろいろ懇談を重ね、府縣において教育委員諸君と、府会議員の諸君と教育事情について、いろいろ聽取したのであります。この大阪においては連絡が惡くて教員組合との懇談が遂げられなかつたのは残念でありました。
そうして四日、最後の日に大阪に参りまして、大阪の文部省大阪出張所に寄りまして、大阪の大学の幹部諸君ともいろいろ懇談を重ね、府縣において教育委員諸君と、府会議員の諸君と教育事情について、いろいろ聽取したのであります。この大阪においては連絡が惡くて教員組合との懇談が遂げられなかつたのは残念でありました。
○岩間正男君 主として見たのは現地の学校の施設、それから教育委員会の運営状況、それから教員組合、その他仙台では大学、師範、それから國宝としましては岩手縣で中尊寺、それから引揚者の学校、秋田縣では盲唖学校なんかの実情を視察して参つてわけであります。
愛知におきましては、岡崎に今度学藝大学、これがつまり愛知縣下における教員養成の一番中心をなすということに相成りまして、岡崎市に教育の本山ができたというようなわけなんでありますが、これは非常に環境がいいので、学藝大学、つまり師範教育をする中心になるところのものにも、例えば愛知第二師範の附属等におきまする生活、学修指導計画と、いわゆる生活教育の研究からの活動が目覚しいことを思つた次第であります。
このような状態は、他のすベての大学以下の教育における、いろいろな施設の問題とも関連するものでありまして、この点については、今後委員会の進行のうちに、われわれの調査しておるところ、われわれの考えておるところを具体的に申し上げるつもりでありますが、ともかくも教育に関するこのような考え方が六・三制の中に具体的に現れておるという事実に対して、日本共産党は徹底的にこれを批判し、またこういう傾向に対して、あくまでも
そのほか定時制の高等学校の教員及び新制大学の実施に伴う経費及び私立学校の経営費及び戰災復旧費び貸付金、育英会資金貸付金、それから直轄学校の経費、國宝の保存関係、科学研究費の補助に関するもの、博物館等、おもな項目はそういう項目にわたつてでごいましたが、ただいまこの三百八十一億につきまして、最後的な折衡の段階におきまして、相当の消滅をする必要に迫られておるのでございます。
尚その他に各地方廳で、こういう惡い藥の取締りの完璧を期しますために、各地方廳に通牒いたしまして、地方廳で、名前はいろいろございますが不良藥品の防止の協力会というようなものを衞生部に作つて貰いまして、そうして地方の公吏或いは医師会、藥剤師会、或いはその他藥を使う方々、医專或いは医科大学の関係の方々等も一緒になつてその協力会を組織頂きまして、ここでその地方におきまする惡い藥を取り上げるということのために
三月一日奈良保健所、それに併設してある中央兒童相談所、松籟莊國立療養所、縣立医科大学附属病院を見まして、社会事業関係者の座談会を開きまして、三月二日天理養徳院を見まして、午前十一時奈良駅を発して和歌山に向いました。縣の政情一般は印刷物に讓りまして、内容の詳しいことは略さして頂きます。各施設につきまして、社会事業の関係者の座談会における要望事項などを加えまして御報告をいたします。
明治三十年一月十日生れで、日本赤十字社大阪支部会計課長、それから陸軍経理官、第一復員官等をいたして、その他明治大学嘱託、日本赤十字社嘱託等の経歴があります。現在は参議院の部員といたしまして参事に相当する待遇をするという扱いになつております。職務は議員会館の事務長の職務を担当、現在もいたしております。今後も引続いてその職務を担当いたさせたいと存じます。
それで所管官廳の当局の意見だけで設置が遲れるのだということは非常に残念でもあるし、遺憾でもありますから、或る程度折合がつくものなら折合をつけて、そうして至急に設置をするという、この二十四年度から商船大学にしたいというのが念願であります。
○小泉秀吉君 最近聞きますと、予算の問題をめぐつて、CTSで商船教育を大学にしてやる必要がないのだというような意見が相当きつく言われておるようなことで、長官或いは大臣とCTSの当局と交渉が行き悩んでおるようなふうに聞きましたけれども、実情はどういうふうになつておるかということは至急に一つ確かめることも必要だろうと思うし、私自身はやはりこの問題はこの委員会としても折角委員の方々が御視察になつて、只今小野委員
○小泉秀吉君 私は大体大学設置委員会でも、商船教育を大学にするということが多分決つただろうと思うのですが、二、三日前総会で確定するということでありましたが、私の聞いた範囲では小委員会といいますか、視察した方面では確定しておるが、総会は形式だけというふうに聞いております。
先ず運輸委員長から採用方御推薦になつております候補者栗生澤喜典でありますが、これは大正四年十二月二十六日生れで、昭和十二年に東京商科大学を卒業して、後に拓務省それから逓信省に変りまして、逓信省では高等海員審判所及び管船局、それから海務院、運輸省の海運総局というように、ずつと海運関係の官廳に勤務されまして現在も運輸省の海運関係の事務を担当しておる事務官でございまして現在二級官でございます。
古谷善亮君は、大正十四年に東京帝國大学の法学部政治学科卒業、同年高等試驗行政科合格、直ちに鉄道省に入られまして、鉄道事務官、それから鉄道省の陸運監理官、鉄道省運輸部庶務課長、鉄道省監督局鉄道課長、総務局会計課長、大臣官房法規課長等を歴任されまして、昭和十八年鉄道監、これは当時の勅任官でありますが、鉄道監になられまして、後に依頼免官となつてから、鉄道軌道統制会理事に就任され、更に鉄道輸送中央協議会の幹事
それで事務のできるような人はなかろうかという相談を受けましたけれども、一向見当りませんし、丁度兵隊から帰りまして、まあ長らく陸軍病院に入つて……、戦地に行つて弾丸が胸にあたつて、肋骨を三本か四本切つて養生して、やつとこさよくなつたという義弟がおりましたから、それは八高から大学まで行つておつたのですが、併し幾らかの病気で中途退学しまして、それが丁度そういうふうに遊んでおりましたから、この先生はどうだということを
○大島證人 大正六年の七月に京都の帝国大学の法律科を出まして、そうしてその年の八月に司法官試補になりました。大正八年の十月に檢事になりまして、岡山縣の津山区裁判所に初めて赴任しました。その後……詳しく申上げるのでしようか。
尚電氣座蒲團から仮に火が出たといたしまして、そういうことが学問上考えられるかどうかということを、檢察廳からも大阪大学に依頼して調査いたしましたし、私の方も大阪、京都その他の大学專門家の方々に研究をお願いいたしておるのでありますが、無論学術的に必ず電氣座蒲團が原因だというようなことはなかなか言えないようでありますけれども、併しこの電氣座蒲團は、京都の高島屋という百貨店から納められたものでありますが、燒
この協議会の役員は、今それを持つておりませんが、例えば京都大学の前の総長の羽田さんでありますとか、東京の伊東忠太先生、それから……。
但し上の学校へ行つて、大学とかいうようなところへ行くのでございましたら、いわゆる義務教育以上を了えておる者でありましたら、当然掛金は請求せられるものと解釈いたしております。
ただその当時は非常に親しい友人というのでもなく、顔見知りで挨拶するという普通の友人でありましたが、大学を出ましてからは殆んど交際が絶えておりました。昨年四月の末に昭和電工株式会社の顧問弁護士ということになりましたので、再び交際が復活したという状況であります。
○証人(松岡松平君) 学校は中央大学の法科を卒業、弁護士。昭和十二年に弁護士試驗に合格しまして、十三年十二月から東京地方裁判所所属弁護士。
○証人(中島忠之君) 大正八年に法制大学を卒業しまして、一年兵隊に参りましたから多分大正十年だと思いますが、毎日新聞社に入社いたしました。それから日本電報通信社、それから地方新聞の編集長をやりました。爾來その職にありまして東條内閣の新聞統合の際に新聞社がなくなりましたので、あれは戰爭のときでありますから昭和十七年だと思いますが、衆議院議員に立候補いたしましたので自然罷めました。
○証人(水池亮君) 大正十五年に東京帝國大学を卒業しまして、その年に内務省に入りました。それから鹿兒島縣の事務官、それから奈良縣の警視、北海道の警視、その後警保局の事務官、それから宮内書記官、それから警視廳の官房主事、内務書記官、それから警視廳の特高部長、それから内務省の書記官にもう一度帰りまして、海軍司政長官、それからその後東京都の防衞局長、最後が内務省の警保局長であります。
○証人(砂原季也君) 十六年に東北大学の法部学部法科を出まして、三菱鉱業に入社いたしました。二十一年の六月か七月かはつきり覚えはありませんが、右退社いたしまして、八月頃日本水素に入りまして、二十二年の三月に日本水素を辞めまして、昭和電工に入りました。入りましたのは四月であります。昭和電工で社長秘書を勤めて現在に室つております。
○証人(管原弘毅君) 昭和十七年に大学を卒業すると間もなく司法官試補を拜命いたしまして、それから大阪地方裁判所の司法官試補になりまして、すぐに軍隊の方に取られまして、昭和二十一年の五月まで龍部隊の方に勤めておりました。それから帰つて來てから、五月に帰つて参りましてから六月に直ちに大阪に赴任いたしまして、二十三年の五月まで大阪で司法官試補を勤めておりました。
○理事(岡部常君) 併しまあ何か專門学校とか大学にするには、資格審査とか。いろいろ面倒があるとかいうようなお話などもされたことがあるらしいですね。
大学では……。
三の大学附属病院の運営に必要な経費、これがやや多いのでございますが、すでに申上げましたように経費もやや増高して参りましたが、一方蔵入の方も相当この関係で殖えておるようなわけであります。血清及び痘苗調製配送に必要な経費も同様の関係であります。
たとえば大学附属病院の患者の経費が増加いたしますとか、あるいは血清ワクチン等の増加生産に必要な経費等でございます。 厚生省の所管におきましては、モデル保健所の設置、これは各府縣に一箇所程度のモデル保健所を関係方面のアドバイスによつてつくる経費が計上されてあります。
私共が只今までに大学の或る教授に意見を求めたのでございますが、ああいうふうな或る一定の仕事を法規によりまして、地方の第一線の都道府縣知事に委任をいたしました事項についての監督上の中央政府、大臣の責任というものについての行政法上の解釈につきまして、或る教授あたりに実は意見を求めておるのでございますが、これによりますと、その委任行爲等に違法がない場合においては、監督上の責任というものの追究がどうであろうかというふうな
又有力な大学の先生等にもその材料を基にいたしまして、法律的な点についても檢討して頂いておるわけでございます。ただ私共の調べますことになりますと、檢察当局が調べておるようなふうに、喚問をしていろいろするというようなことには行政的にはどうも多少行き渡らない点もありまするし、相当これらにも深入りを檢察当局もしておられるようでございます。
○政府委員(久下勝次君) お尋ねの点につきましては、必ずしも徹底した方法を採つておるとは申せませんけれども、大学その他の医師機関に連絡をいたしまして、医師につきましてはそういう方面に連絡をいたしまして、そこから若い優秀な人を廻して頂くように、それぞれの施設におきましてもよりの医師機関と連係をしてお願いをしてやつておる実情でございます。