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6310件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1950-10-03 第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第4号

又東京都先生方は相当質がいいわけですが、地方に行きますと、こんな人が先生が勤まるかというような、お下げをしたような、失礼ですがお孃さんタイプの人が沢山いるわけなんですね、そういう人に、これは熊本の例ですが、私の聞いたところでは、ものすごい哲学をやつて、聞いた人は高等学校から小学校の先生までみんなわからない、それでわからないわからないというから、先生もプリントを出した。

矢嶋三義

1950-07-24 第8回国会 衆議院 文部委員会 第2号

たとえば文学者ボードレールを研究するとか、あるいは哲学者がカントやへーゲルを研究するのに、自由がどうであるとか、どうでないとかいう問題は、おそらく起らないと思うのであります。おそらく自由という問題は、権力者がそれに対して自由を押えるから、自由という問題が起るのである。そういうことを考えてみれば、やはり依然として問題があるように考えられるわけでございます。

今野武雄

1950-07-24 第8回国会 衆議院 文部委員会 第2号

たとえば経済学にしても、自分は少しもそういうことには興味がないのだけれども、ただ資格をとるために四年やつているというのではなく、二年やつて社会へ出て、銀行なら銀行へ入つて働いて、一体貨幣というものはどういう哲学的意義を持つておるか、あるいは経済学的にどういうものであるかという生きた問題をつかんだ人間が現職のまま派遣されて、そして大学で学ぶということになれば、ほんとうに知識が生きて来る、こういう考えなんです

天野貞祐

1950-07-24 第8回国会 衆議院 文部委員会 第2号

だからわれわれの社会にある制約があつて絶対自由でないということは、当然のことだと思うのですけれども、そうなればわれわれの大学は自由を持つていないかといえば、たとえば哲学を例にとるならば、どういう研究をしてもちつともかまわない、ドイツのことさえも、どんなに研究してもちつともかまわないと思う。

天野貞祐

1950-05-02 第7回国会 衆議院 厚生委員会 第36号

私は少女時代日清戰争の切り合い、殺し合いの幻燈を見てから、非戰論者でありましたことと、また半世紀以前の話ではありますが、夫は学生時代から英米哲学、神学博士方日本語を教えておりまして、多数の英米人知つておりましたことと、私も数名の先生に教えられましたことがありますので、英米人の親切や愛は、私どものように親子の間に至るまで、折算的の愛でも、親切でもない点を知つて、その人となりを二人は非常に尊敬しておりましたので

小杉イ子

1950-04-22 第7回国会 衆議院 文部委員会 第19号

すなわち芸術とか、あるいは宗教とか、哲学とか、経済とか、そういうものはすべて一種の文化である。そうして絵画、彫刻というようなものは文化財であると私は思うのであります。天然記念物は、人為的なものでありませんで、本来存しておるものであります。天然のものであつて、それには何ら八の手が加わらなくてもそれはそれとしての形を備えております。ゆえにこれは嚴格な意味では文化財ではないと思うのであります。  

藤島亥治郎

1950-04-19 第7回国会 衆議院 法務委員会 第32号

ども道徳第一主義を提唱する前最高裁判所の長官三渕氏に敬意を表するのはこの点よりするのでありますが、およそ道徳が行われずして法律行われず、道徳的、哲学的、宗教的試練を受け、確たる宇宙観人生観に徹せる哲人にして初めて人間味ゆたかな名判決となり、国民もこの域に達すれば裁判所はほとんど用がないようになると信ずる。

眞鍋勝

1950-04-13 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第25号

加藤証人 それで彼は地区工作員をやつて、この遅れたところのわれわれの收容所には再三再四となしに、彼は哲学の出身だと思いますがマルクス弁証法講義に盛んに来ております。私も二、三回聞きました。それで菅さんが来ると、ああまた有名な弁証法が来たというので非常に人気がありました。たしかに人気があつた。話もうまかつたし、人気があつたし、若い情熱もありました。あれはどこそこ大学系統のどういう系統である。

加藤幸治郎

1950-04-12 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第24号

なぜならばなくなられた菅君はギリシャ哲学心理学者、あなたはクリスチャンであります。また最高学府を出られておる。そこであなたに最も人格的にお聞きしたいのですが、興奮することなく、あなたもよくお考え願いたいのであります。あなたがさつきから言われた言葉の中に、菅君が四月五日、この委員会で私がずつと質問して参りましたときに、この委員会で伺つたときに、こう言つたのです。

田渕光一

1950-04-10 第7回国会 参議院 法務委員会 第22号

羽仁五郎君 そういう犯罪に関して或いは面白からざることについての……だからプラトニツクな考え方だけでおられるわけじやないと思うんだが、特定の方から金銭上の援助を受けている、自分の主観としては、哲学的には誠に清らかなものであるかも知れないが、それが客観的に、殊に先程も委員長からお話があつたように、捜査権を依頼されておる方が、個人から、淨財ということも言われたが、これはいわゆる逆言葉であつて、実際金銭

羽仁五郎

1950-04-05 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号

菅証人 私は哲学、心理学をやつて言葉についてはいろいろな自己流の解釈を持つておるものでありますが、要請というのは、哲学で言えばカント実践理性要請という特別な言葉であり、ふだんにおいては私自身としてはあまり用いておりません。第一私の語感から行きますと、要というのは対等並びに上の方から要求する、請というのは下の方からこいねがうというような感じで、あいまいな言葉だと思います。

菅季治

1950-03-27 第7回国会 参議院 予算委員会 第22号

英帝国の軍艦に対して哀れなインドは手紡ぎの紡績車、乳を出す一匹の山羊がそれに歯向うて見ても何にもならんということから、ガンジーの偉大なる哲学が生れました。原子科学に対して私共一人の軍人も持たず、又持ちたくない。国として私は丁度あの年老いた、そして聰明なインドと同じような立場に置かれていると思います。私共が曾てレアリストとしてインド無抵抗主義笑つたことがありました。

帆足計

1950-03-18 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号

ソ連の收容所政治部将校も、なぜ我が收容所だけが民主グループができないかというようなことを言いましたし、部隊長の少佐の方も、体裁上一応作つて置かなければならないのじやないかというので、菅君、君は哲学もやつているし、いろいろ思想問題も知つている、だから何か一つ組織してやつて呉れ、こういうふうに言われました。

菅季治

1950-03-18 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号

それから昭和十三年東京文理科大学哲学科に入りました。それから昭和十六年四月から昭和十七年の十月まで北海道旭川師範学校の教諭でありました。それから昭和十七年の十月から昭和十八年の十一月まで京都大学院文学部学生でありました。それから昭和十八年の十一月に召集になりました。軍隊の経歴は……。

菅季治

1950-02-17 第7回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

私は自衛権という問題を法理的解釈から見ても、実際問題から見ても、自衛権ということを将来外交問題として、講和会議に御発言なさるのであるとすれば、もつと根本的な、もつと哲学的な、もつと国際公法的な論点に立つて御用意あることが必要じやないか、かように考えておるから、ちよつとこの点に触れさしていただいたようなわけであります。お答えにならなければ、それ以上のことをお聞きしようとも思いません。  

世耕弘一

1950-02-11 第7回国会 衆議院 本会議 第18号

「しかしながら、現在のごとき共産主義は、政治哲学基礎の上に立つているものでもなければ、また経済学説基礎とするものでもなく、またそれらの真面目な主張に基いているものでもない。それは、ひそかに浸透及び欺瞞により、少数分子をして、憲法による多数派の支配から政治的権力を奪うことを許すための暴力と威嚇の道具として発生したものである」云々ということであります。

殖田俊吉

1950-02-08 第7回国会 衆議院 電気通信委員会公聴会 第2号

民間放送なんか、長谷川さんの方から、哲学が一貫しないというお話ですが、権利を持つておるということ、いろいろ特権があるということは、つまり北海道とか東北とか、ああいうどんな辺鄙なところでも第一放送、第二放送を全部聞こえるようにサービスしなければならぬ。そういう大きな勤務の代償として権利があるわけです。

河田進

1950-02-08 第7回国会 衆議院 予算委員会 第11号

私は最訴ドイツのことを聞いたのでありますが、ドイツにはカントを初め非常にいい哲学者があつた、ドイツ民族は非常にいい哲学を持つておるために、精神的な方面においてどんどん進まれている。ところが日本にはどうも哲学がない。そうしますと教育の大本あるいは道義の大本というものを示さなければならぬ、こう考えられております。

角田幸吉

1950-02-07 第7回国会 衆議院 電気通信委員会公聴会 第1号

しかも放送というものの公共性、非公共性ということに関しまして、この言葉哲学的な意味とでも申しますか、あるいは社会的な意味とでも申しますか、かような意味合いにおきまして、この言葉の概念を考えまする場合におきましては、私は阿部先生の御意見と全然同感でございまして、何ら申し上げることもないのでございます。

中村純一