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6310件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1948-02-03 第2回国会 衆議院 予算委員会 第4号

わが國はあらためて申し上ぐるまでもなく、思想的あるいは哲学関係においては、インドのウパニシヤツドの感化を受けた王朝の時代あり、あるいは佛教関係において、近くはラビンドラナ・タゴールの文藝哲学思想方面におけるわが國との交換の関係において、また産業、経済の面においては、あらためて申し上ぐるまでもなく、インドの綿花、いわゆる印綿問題において、きわめて密接不可分関係にある東洋のインドである。

庄司一郎

1948-02-03 第2回国会 衆議院 本会議 第14号

シルレルが、哲学が宇宙の構造を一支配するまではしばらくこれを支配するものは飢えと恋であるということを言いましたが、現今でも、この言葉はうなずかれるところがあります。すなわち政策なるものは、哲学のみ、倫理学のみの観念的机上プランであつてはならない。殊に破局的の本経済のもとにおいては、飢えだけであるかもしれません。この飢えを克服するということが、日本再建の基本問題であると思うものであります。  

吉川久衛

1948-01-30 第2回国会 参議院 水産委員会 第1号

私の研究しておる抽象という問題は、例えば如何に水産行政をやるべきかというのは日本敗戰後民主日本建設のいわゆる経済哲学、政治哲学に根拠を置いたその問題から演繹せられた一つ具体策であらねばならぬ。そういうのを、いわゆる計画経済なら計画経済の面と水産行政の面を、これを意見を述べることは最も具体的なことである。どこにこれが抽象的であるか。

矢野酉雄

1948-01-24 第2回国会 衆議院 本会議 第6号

友愛、互助、協力の精神に基づき、哲学的には二元の対立を使用いたしまして、不離一体の実践に立つものであります。目的といたしましては、新憲法精神に則り、万邦協和平和的日本のを建設せんとするものであります。この意味におきまして私は、この妥当なる主張のもとに、左右両面からの歩み寄りが常に行われてあることを固く信ずるものであります。  

松原一彦

1947-11-24 第1回国会 参議院 予算委員会第二分科会 第4号

併し学科性質上沢山の生徒を得られないような学科哲学科のようなものにおいては、これは又特別に給料を出してやらなければいかんのでありまして、その細かいことについては、これは、もう多年経験のあるドイツあたりではもう百年も前からやつておるのでありますが、いろいろ内容のやり方についての方法は、細かいことがあるので、私の知つておる範囲において申上げていいのですけれども、今日はそういうことをよしておきまして、

服部教一

1947-11-13 第1回国会 参議院 本会議 第51号

拍手階級闘争労働争議はマルクスの経済原理、ヘーゲルの哲学を基礎として在來一應是認せられたことは、私と雖も認める。但し戰争してもよい世界で行われた経済原則哲学が、戰争を否定した御浄土のような平和國家に、果して同様の價値を持ち得るかどうかということは深く考えなくちやならん。(「そうだ」と呼ぶ者あり)(拍手)こういう点におきまして、私は同郷の学者としての細川君を持つておることを喜び感じておる。

梅原眞隆

1947-09-19 第1回国会 衆議院 司法委員会 第34号

しむずかしいことになつてまいりまするが團體主義という言葉のきめ方でありまするが、社會化ということと社會主義ということとがずれがありまするように、また團體主義ということも非常にニユアンスがあると思うのでありまして、非常な國家主義的な團體主義もありますし、最右翼の團體主義から最左翼の團體主義、すなわち共産主義のようなものでありまして、無政府共産社會、ゲマインシヤフトというようなものは、ある意味において哲学

鈴木義男

1947-07-07 第1回国会 参議院 本会議 第13号

主義の下に政策を立て、実行するのだとは思わないのでありますが、と申しますのは四派の協定政策があり、又少くとも我が民主党はこれに強力に参加し、芦田総裁以下これに参画いたしておるのでありまして、片山内閣そのものが今後の政策について行過ぎたる政策を行うものだとは、私信ずるものではありませんけれども、施政方針等の基調を流れる思想といたしまして、高度民主主義体制をここに打ち立てられまする片山首相政治理念哲学

伊東隆治

1947-07-02 第1回国会 衆議院 本会議 第9号

私どもは、軍國主義完全敗北とともに、たとえ人間人的資源などと考えるほどに堕落した人間観、非人格的な人間観人間性を否定するところの哲学が、軍國主義とともに完全に打ち砕かれましたことを喜ぶものであります。(拍手)しかし一旦汚された人間性尊嚴の回復は、單に人格の尊貴憲法に規定せられただけで実現するとは考えられないのであります。

北村徳太郎