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6310件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1951-05-24 第10回国会 衆議院 法務委員会公聴会 第1号

哲学の貧困実にあわれむべきにたえないと私は考える。のみならず、この問題について刑法はどういうことを書いております。正当防衛緊急避難、あらゆる自救権行使についての保障はしております。けれどもその場合常に過剰行為をおそれる。どうも必要の度を越えて興奮のあまり悪いことをしないとは限らないというので、過剰行為を罰する規定があるのである。

布施辰治

1951-05-23 第10回国会 参議院 地方行政委員会 第41号

若しこれを国の民主化であつても、警察民主化であつても、拙速を尊んで急いだならば、若しほかの思想、或いはほかの力が加わりましたならば、直ちにこれに磨く憂えがある、いわゆる哲学的観念から築き上げた民主警察でなければ成功しないと我我は考えておつたのでございます。従いまして現在の状態におましては、我我自治体警察は進歩の道程にあるという結論を出さなければならない。そう存じておる次第でございます。

森川要

1951-05-21 第10回国会 参議院 地方行政・法務連合委員会 第3号

哲学的にいえば、併し問題は哲学的な議論じやないのです。世間のほうから見れば、ないとは申上げかねるけれどもなんという程度の問題かどうかということは、あなた方が本当に一人の市民として生活をなさる、そういう気持でおありになるならば、私は全く違う御答弁があるだろうと思う。少くともこの改正法律案を我々が審議するのにその材料は私は必要だと思います。

羽仁五郎

1951-05-18 第10回国会 衆議院 通商産業委員会公聴会 第1号

もしそれ人はすべからく現代を超越すべしというも、これはある種の哲学者や思想家の理想であつて現実に立脚する政治家もしくは経世家のいやしくも念頭に上すべきことではない。ましてメートル法には長所のあると同時に幾多の短所もあると、専門学者間に唱えらるる今日においておやであります。ゆえによろしく上述の三者を併用して、円滑なる推移と、適者生存の理法に従い、自然の淘汰にまつべきでありましよう。  

橋本五雄

1951-05-18 第10回国会 参議院 地方行政委員会 第38号

、これは似てのほかの困難なことだと思いますが、せめては私はこの若き世代を担うところの青少年の諸君の教育だけでも新憲法精神に基いてやつて貰いたい、そうして、その将来は非常に遠いことであつても、それに待つよりしようがないというようなことを考えておつたのでありますが、それも又新憲法精神を少しも理解しないところの、ビスマルク、モルトケ時代の第二次欧州大戦前の日本泊憲法が制定せられた時代ドイツ国家哲学

吉川末次郎

1951-05-16 第10回国会 参議院 地方行政・法務連合委員会 第2号

日本人が通常国家主義であるとか、国家のためであるとかということは、ドイツ哲学から出て来るところのデア・シュタート、英語のステートという言葉の飜訳から出ている。ところが、このナシヨナルルーラル・ポリスとは何であるか、即ちルーラルとは「都市」に対立する人間の社会生活形態である「農村」という意味なんです。それを「地方」と訳しておられる。

吉川末次郎

1951-05-16 第10回国会 参議院 地方行政・法務連合委員会 第2号

農村という言葉をわざと地方というように訳して、そこヘドイツ哲学国家至上主義国家をつけて、そうして警官も国民も錯覚に陷らしめていることは明らかです。而もさつきも申したことでありますが、あなたのほうから我々の手許に渡されているところの英訳のポリス・ローのチャプター三でありますが、この自治体警察はMP、ミニシパル・ポリスなんです。

吉川末次郎

1951-05-11 第10回国会 衆議院 外務委員会 第14号

ただこれを天野文相の言われるように、理想論として、やがては鉄のカーテンの開くのを待つということも無意味ではないと思いまするが、今議論のありましたように、この鉄のカーテンの開くのが先か、あるいは原子力の実力によつて開く方が先か、これはおそらく時が解決するでありましようが、幸いに天野哲学が解決してくれればけつこうであると思うのであります。

仲内憲治

1951-05-11 第10回国会 衆議院 外務委員会 第14号

今の文部大臣お話によりますと、ユネスコ思想的背景と申しましようか、そういう思想的ないし哲学的な基礎と、ソビエトの持つマルクスレーニン主義哲学基礎とを折衷いたしまして、そこに何か一つ基礎を見出して、その基礎の上に立たれてこういう運動をされたいと私はとりましたのですが、そこでユネスコ思想的背景と申しましようか、そういうものがどういう哲学的な基礎に立たれておるか、このヴオツクスがそうしたマルクス・レーニン

竹尾弌

1951-03-27 第10回国会 参議院 文部委員会 第28号

殊に教会やその他伝道機関行つてこれを求めろと言われても、幼兒のときに、幼稚園、小学校等において、何ら基礎を與えずして、母親が、父親が努力いたしましても、これは根のないところに宗教情操宗教文化を或いは宗教哲学を求めるようなものであつて及びがと求めるようなものであつて、及びがたいろいろ訴えをしばしば聞くのであります。

高良とみ

1951-03-24 第10回国会 衆議院 文部委員会 第16号

なお、宗教法人法でありながら、宗教定義がないという非難があるのでありますけれども、宗教定義というものは、過去幾千年間、いろいろな人たちにより、また学者により、哲学的に論究をされているのでありますけれども、おそらく一定の宗教に対する概念の定義というものは下されていないと思うのであります。

若林義孝

1951-03-22 第10回国会 衆議院 文部委員会 第14号

哲学が非常に理論的にものを解釈している、こういうこともよくわかるのでありますが、われわれが今宗教あるいは宗教根本となる信仰ということを考えます場合に、これが一つ現実の行動の上においてどういうふうに現われるかということが、端的に考えられるわけであります。そこで大臣予算委員会あるいは外務委員会で、いわゆる愛国心ということについてのお答えを拜聽いたしております。

浦口鉄男

1951-03-22 第10回国会 衆議院 文部委員会 第14号

ところが哲学というものは、何が哲学かということが、すでに哲学の問題なんです。御承知でございましようが、哲学の本を開けば、必ず一番初めに、哲学とは何ぞやと書いてあります。ですから、私は私の哲学を考えますけれども、それはいろいろの人によつていろいろに考えられるということを、お考えおき願いたいと思います。唯物論哲学者は、宗教というものを否定するでございましよう。

天野貞祐

1951-03-20 第10回国会 衆議院 文部委員会 第13号

そういうものを神とか、あるいは、哲学では絶対者とか、あるいは仏とかいろいろ言つてもよろしいでしよう。私はそれを東洋の道ということから道理という意味で見て、歴史を支配しているところの道理というものがある。われわれはそれの実現に役立つところに、人生の意義がある。道理は、自分では自分を実現しない。

天野貞祐

1951-03-19 第10回国会 参議院 本会議 第26号

神戸大学の場合には、学長の病気による公開審理の延期ということも報告されておりますが、本議員自身は、当時、日本学術会議学問思想の自由の保障委員会委員長として本件の提訴を受けへ考慮の結果、小松攝郎教授は先きの戰争中も学者の節操を失わなかつた日本に稀に見る純粹の学者の一人であつたことを本議員もよく知つておりますし、日本に有数の前途有為哲学教授を、ここに一時の興奮の中に簡單に失つてしまうよりは、少しく

羽仁五郎

1951-03-14 第10回国会 衆議院 文部委員会 第10号

定義宗教哲学の本を読めば、五十でも百でもありますから、それを束にしたものがその通りだといえば、それが結論でしよう。そんなことは学会の問題で、国会の問題でないと思います。ただ実際上の取扱いにおいて、類似団体、こうなりますと、具体的にどんなものがあつて、どういうところで線を引くか。私心配なのは、宗教法人令によつて宗教法人になつておるものが、今度の宗教法人法によつて落される部分が相当あるだろう。

柏原義則

1951-03-13 第10回国会 衆議院 図書館運営委員会 第1号

この図書館はやや特別な図書館でありまして、中に所蔵しております書物は大体宗教哲学、倫理教育心理歴史というような面に限定せられておりまして、一口に言えば精神文化に関するものであります。建物もはなはだ堅牢な不燃質のものでありまして、所蔵しております書物も約十万冊あります。

金森徳次郎

1951-03-09 第10回国会 参議院 図書館運営委員会 第1号

と申しますのは、何しろ場所も隔つておりますし、それからその図書館は特殊な種類の書物でできておりまして、言い換えますると、宗教哲学、倫理教育心理歴史、はつきりこれに限定されるとは言われませんが、とにかくかような精神文化に関するものに大体限定せられておりまするので、ここはその実情に従いまして一番適当な管理をしたいと考えております。

金森徳次郎

1951-03-07 第10回国会 衆議院 文部委員会 第7号

宗教哲学から申しますならば、どの宗教が正しい、正しくないということは、お互いに観点が違うから、言うべからざることでありましようけれども、この場合に邪という文字をここに使つて説明することは、不適当だと私は考えます。しかしこれは課長の今のお話で、そういう意味だろうと思いますから、一応了承はいたします。  

笹森順造

1951-02-28 第10回国会 衆議院 外務委員会 第7号

科学の面においてはアメリカ日本に与えるものがあるが、哲学とか美術——アートというものにつきましては、アメリカ日本に学ばなければならぬ点がたくさんあるから、日米文化交流というのは相互的に行くのだ。一方からだけ与えるのではなくして、お互いに与え得る関係にあるのだからして、そういう相互的な関係において両国の文化交流をやつて行きたいという話をしておりました。  

北澤直吉

1951-02-21 第10回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第2号

それから大倉山文庫の維持に要する経費につきまして、大倉山文庫は、哲学、宗教倫理歴史に関する内外の文献八万余を收容しておりまする特殊図書館であります。かねてから国会図書館は、この大倉山文庫を傘下に入れまして管理する方針で、ただいますでに管理をいたしておるのでありますが、予算的措置が遅れておるのでありまして、明年度にこの経費を計上いたしました。

武内時之助