1948-11-20 第3回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号
これを合せると、二合五勺でもつて全部これを配給したとすれば、四千万人の人間が米と大小麦だけでもつて配給を受けられる。そうするとかんしよ、ばれいしよというものは、いろいろな他の操作に使えるということになるのですが、なお輸入食糧の方からいうと、米も小麦粉も大麦も入つている。
これを合せると、二合五勺でもつて全部これを配給したとすれば、四千万人の人間が米と大小麦だけでもつて配給を受けられる。そうするとかんしよ、ばれいしよというものは、いろいろな他の操作に使えるということになるのですが、なお輸入食糧の方からいうと、米も小麦粉も大麦も入つている。
生産方法に関して極端な社会化を主張しない方も社会党の中にございますが、若し極端に社会化をいたしますと、人間の本性に鑑みまして、社会党の諸君が分配の公正だとか、或いは勤労大衆の生活の安定向上ということを、眞劍に考えるその動機には賛成いたしまするが、今までの実績に徴して見れば、諸外國なり或いは日本でも相当の産業の社会化もいたしておりますが、これでやればものが伸びて來ない。
現にやつている人間の既得権利を侵害することに対して、人事院の責任を轄嫁をしているのは、僕らは了解できん。あなた方は本当に鉄道の從業事を愛するという考えがあるならば、既得の権利に対しては、どう考えているか。既得の権利を剥奪することが正しいと、二ケ月間の違いであるから、その公務員法でやられるのは仕方がないという理論的なものが出て來ない。
こういう結果でありますが、一体この予算人員と実人員との差に対するこの予算額というものが、どこでどうして使われておりますか、そういうことについて総理に一應明確に、こういうところから間違いが起つてくるのではなかろうかということもありますので、今の三割程度とか、あるいは三割程度はできなかつたら二割やるとかいうことは、実際の現在数の人間を標準にしてやるのであるかというようなことを、はつきり御答弁を願いたいと
どんな人間でも少くとも日本において日本政府が雇われる以上、日本の法律に從うべきは当然であつて、日本の法律外にしますと、これは治外法権と同樣な権利になる。そういうことをするということになりますと、これは一大事ですが、それでもなお政府はこれを強行するつもりですか。あつさり削るつもりはありませんか。
人間のためのローマ字であり、國民のためのローマ字である。また現在の社会における國民が用いるとしたならば、どういう音韻の組合せによるところの表記法が最も完全であるかということが、ローマ字の使用の研究だろうと思います。そうとするならばおのずからそこに答案が導かれてくる。何を苦しんでその方に國語審議会において案ずるところがあるだろうか。どうも私はただいまの御答弁では了解しかねるのであります。
○田淵委員 ただいまのお説に対しましても私は意見がありますが、これは申しては失礼ですが、純粹な研究という、何か特別に人間から離れた研究というようなものがあつて、それが基礎となつて人間の社会に取入れられるというような御説明のように、私は印象を受けるのです。そうとお考えだろうとは思わないのですが、それくらいのあいまいさが私には感ぜられてならないのであります。
一方憲法第二十八條で人間の権利は主張されているのだ。この憲法の建前では、われわれもこの人民の自由があるのだから、あなたの言うようだと、われわれ自身公務員ならば、公務員は自分自身で主人で、自分自身で使つておるわけです。実際そういう考え方では問題にならぬです。一方行政権の命令はそれでよろしいが、他方でこれに対するわれわれの憲法第二十八條の権利を剥奪される理由にはならない。そういう点はどうか。
人間が権利がなくてどこにどう保護されるか。どうです。
これは小澤君から聞こうと思つたが、なかなか会えぬから、小澤大臣から聞くいとまがなかつたのでありますが、やはり大勢の中には、役人として不適当な人間がたくさんあるから、その監督が十分行き届いて、これらを馘首することに対しては、遠慮なくやらなければ、行政整理の目的も、鉄道部内の改革もできぬというように考えるのであります。この点にちつとも触れていない。
だから私は監理委員会が一月に一回や二回くらいあつて、無給で、何が何だかわからないような人間を集めてやるのでは、とうていこんな厖大な國有鉄道を運営することは不可能だ。だから監理委員会の性格をもつて愼重に運輸当局において考慮される必要があるのじやないかと思う。これでは運輸当局にとつて目の上のたんこで以外の何ものでもないと思う。この点についてもう少し徹底した見解を伺いたい。
○荒木政府委員 これは解釈というよりは、日本國有鉄道と総裁とが利害が反する場合、たとえば日本國有鉄道の総裁の所有する土地を日本國有鉄道が買うというような場合におきましては、利害の対立する問題でございますから、この場合には総裁が代表権を持たないというような規定が入つておりますが、やはりこの日本國有鉄道に対して請負をやつている人間であるとかいうような、利害関係の非常に密接な者が監理委員会のメンバーであるということは
農林省は一体日本の食糧を、あるいは日本の將來の農業政策なるものを、どうお考えになつておるかということを考えるときに、ただ家畜が人間の食糧になること、またそれが時に運搬交通の力をなすこと等のことはだれにでもわかつておることであるが、私はそういうことが主であつてはならないと思つております。
一体今の政府は、大家畜を奬励して、人間の食糧さえ困つているのに外國にまた飼料まで仰ごうとするようなお考えでいるのか。今日の日本の小規模の農家の七二%が鶏一匹飼つていない事情を御存じですか。今後の有畜農業は中小家畜に中心を置いて、日本の内地で草やその他の飼料を自給することによつて、日本の有畜農業を指導して行く方向に轉換するのか、あるいは今までのように牛乳とか、牛肉という魅力の上にのみ立つてやるのか。
それで我が國といたしましても、できるだけ多数の波を獲得いたしたいということを念願しておる次第でございまして、司令部の好意ある計らいによりまして、我が國からその会議にGHQの出席者の技術顧問といたしまして、逓信省の人間が出席することを許されておりますので、その人を通じましてできるだけ我が國に有利に状況が展開するように考えておるのであります。
申し上げるまでもなく、遞信事業は人間のからだで申しますと神経系統を組織しているものであります。神経衰弱になつたり、感じが無感覚なものになりますと、人間一人としてもこれは十分な活動ができないのでありますから、國家財政窮乏の際でありますけれども、特別にこの点を御配慮あつて、遞信事業の完全なる運行に御協力ありたい、かように思う次第であります。なおこまかいことについて御質問があればお答えいたします。
判を押した紙を渡せばいいことで、人間の身体にスタンプを押すことは、衛生上にも惡いし、衣類もよごれるし、人格を無視されるような氣持もするが、この点に対して運輸大臣はどういう考えであるかお聞きしたい。
○徳田委員 そうすると、あなた方は日野原という人間を森君にかえて、これに経営させて、重大なる変化を及ぼしておるのに、あとは知らず、存ぜず、ただまああれが日野原かというだけですな。無責任きわまるものであると私は思う。
○徳田委員 そのときに日野原という人物は惡くて信用のできがたい人間で、こういう人は遺憾であるということはありませんでしたか。
次にはここでいわれております公務員の範囲でありますが、これはすでに午前中にるる例が指摘せられました通り、どの職員の場合におきましても、小使さんも、あるいは給仕もありますし、あるいは先ほどの國立病院、國立療養所の職員から看護婦まで入るし、正式の国家公権力の発動に関する当面の責任者でないそのすべてが、この國家公務員法においては、一括して公務員という名前を付せられて、小使さんも農事試驗場の草むしりをする人間
すでに人事委員の権限が非常に大きい、あるいは罰則の問題等いろいろ皆さんが述べられておるのでありますが、実際はこの改悪案の文章を読んで参りますと、何か公務員を頭から不逞のやから的な扱いをする、何か公務員というものは初めから惡いことばかりをたくらんでいるような人間だという考えで、こういう法律をつくつたのではないかというように思われる筋がたくさんあるのであります。ですから罰則をごらんなさい。
しかしながら特に搜査の必要上厚生大臣の許可を得まして、司法警察権を持つた者は買い得ると、こういうことになつておりますので、そういうふうになるべく限定した人間に対してのみ、麻藥を買い得る権限を與えるということにいたしたい趣旨なのでございます。
從つてこれは別に新たに二百五十名の人間をつくるわけではございませんし、また新たに麻藥統制主事をつくるわけではございません。
こういう意味から、麻藥に関しまして、特に別に司法警察権を持つた人間を必要とすることをわれわれは痛感いたしまして、すでに從來から刑事訴訟法に基いて麻藥に関してのみ司法警察権を持つた人間を任命いたしておるのであります。
○小澤國務大臣 今境委員のお話のように、公共性という問題を最大の廣義に解釈すれば、人間は一人で暮せないのでありますから、全部のわれわれの生活が公共的になり、社会的になるということとも理論づけられるのであります。
なぜかといえば、吉田首相は、かつて日本が帝國主義時代に、その政府の外交的技術官として、海外で他國の帝國主義者と植民地分割に関して協議する任務を持つておつた人間なのであります。その人が、太平洋戰爭に反対したからといつて四十日間憲兵隊にひつぱられた。ただそれだけでもつて、今日におきまして、帝國主義に反対であるということには、私は受け取れないのであります。
これは人間の自覚の一形態である。しかるに、依然として偏見がある。依然として狭量がある。依然として独断がある。排他的な氣持がある。すなわち、この最も新しいヒロイズム、これはフアシズムへの道である。 この最も顕著なる現われとして、私は國会的における吉田氏の行動を見て、残念でしようがない。これを英雄視するような國内の一部勢力がある。かかる無批判な動きが日本を誤らせるのだ。
これに対しては、またいろいろの方法がございまするが、私は簡單に、ごく率直に考えまして、この生産増強の第一の重大なる点は、いうまでもなく人間が生産の増強に当るのでございまするがゆえに、この人々が、ほんとうに自分たちが生産を増強せなければならぬというぐあいに、眞にさように覚悟するということが、根本の問題であろうかと考えるのであります。(拍手)。
それから、憲法の上で人間として、労働者として保障された当然のわれわれの権利を含む労働三法の適用が、全部國家公務員法によつて拒否されておるという、非然に重大な一事があります。それから二点としましては、こういうふうなことがされておりますので、人事委員会の権限の増大なのであります。これは法治國家として嚴存する議会を全然無視しておるという内容が十分含まれておるのであります。
やはり教員には教員として、公民としての立場で自由な立場がなければ、皆樣の御子弟を十分人間としての個人の價値、個人の尊嚴としての立場からの教育はむりではないか。こういう意味で申し上げておるのであります。
○荒木政府委員 この年齢の三十五年と申しますのは、運輸業、工業、商業、金融業に廣い知識と経驗とを有する人間というのは、おのずから三十五年くらいであろうということで、いろいろ関係方面とも折衝した結果生れた数字でありまして、これによつて監理委員会が保守性、反動性を持つというふうには考えないのでありまして、一應知識と経驗を有するということになりますと、相当の年齢に達するようになる、特に苦しくてりつぱな人もございますが
先般毎日新聞などを読んでみますと、アメリカにおいては放送局が千九百、テレビジヨンの放送局が百十八、こういう今日の文明の利器として、最もわれわれが考えなければならない電氣通信事業というものについて、いかに日本が遅れておるかということを感じまするときに、人間のからだで申しますならば、神経系統とも言うべきこの通信事業をいかに向上発展せしむるか。
ごく少數の人間、きわめて特殊の人間だけが残つて、あとはほとんどみな解除されてしまうというようなことになつたり、今後こうなると、機構も小さくなるし、それから新しいパージに該当するような資料が出て來ても、ほとんど問題にされない。それからまた現在ほとんど潜在的にパージに該当すると思われる潜在パージ該当者がほとんど問題にされない。
しかしまあ人間の知惠でいろいろ考えてみて、何がしかの特殊の形態をつかむことができぬか。被保險物として何を考え、どれぐらいのものを共済保險的に考えるかということは、考慮すべき問題だと思います。現に事務当局にはいろいろ研究した試案もあるようであります。そういうこともいろいろ金融と関係する問題であると思いますから、小委員会等でお示ししつつ、ともにつくつて行つたらどうかとも考えております。
とこれらの軍人軍属と非常に懸隔があるということを再々申上げまして、注意を喚起したのでございますが、とにかくかような口とは、恰も同じ主人が二人の小僧を使いに出して、一方は川が氾濫して溺れて使いができなかつたと、使いができないからこれは一向見てやらないのだと、こういうことと同じいたちでありまして、これは法律の解釈ならば、私どもみな法律の專門家が多いのでありますから、どうも法律の字句に担われやすくなつて、一体人間
併し大体同じような観点でこれを給與法に結び付けるところに……只今未復員者給與になつておりますけれども、これは便宜に未復員者給與にいたしたのでありまして本質的に申しますと、これはこんな戰争ということから起つた犠牲を、同じように國民全体が被るという観点から処理して行くべき性質の問題でありまして、片一方は雇傭契約に基きましてずつと使つておる人間に対する、いわゆる労働者賃金的なものでございまするから、その点私共
人間を充実させるとか、研究をしてもらうとかの措置をやらなければならぬ。そういう観点からしても、公務員法の関係とか、解散の時期その他の問題は、趣接鋭敏な関係を有すると思うのであります。その点について私はもう一回総理大臣に伺いたいのであります。