1949-04-22 第5回国会 参議院 運輸委員会 第8号
○高田寛君 今の飯田委員の御質問に関連して私も一つお聽きしたいと思いますが、この貨物運賃がそのまま据置きで非常に安く、旅客運賃だけ値上げすると、どうもこれは合理的でないと思うのですが、ただこの結果としまして海の荷物が陸に轉嫁されるという傾向がどうしても出ると思うのですが、そうしますと先程薮谷政府委員からお話のあつたような、この夏から大体貨物の列車キロは一割ぐらい殖す、旅客も七八割殖すという計画だと御説明
○高田寛君 今の飯田委員の御質問に関連して私も一つお聽きしたいと思いますが、この貨物運賃がそのまま据置きで非常に安く、旅客運賃だけ値上げすると、どうもこれは合理的でないと思うのですが、ただこの結果としまして海の荷物が陸に轉嫁されるという傾向がどうしても出ると思うのですが、そうしますと先程薮谷政府委員からお話のあつたような、この夏から大体貨物の列車キロは一割ぐらい殖す、旅客も七八割殖すという計画だと御説明
もやらなければならないといつたように、私設鉄道の取扱い程單純ではございませんが、できるだけ私線等において、私設鉄道と殆んど同じような運輸量のあるようなところは、できるだけ私設鉄道のごとく設備も簡單な、又取扱いも簡易な方法が運轉、営業とも必要ではないかと、こういうふうに考えることによつて合理化をしたいとこう考えておる、從つてこれによつて人員、要員の面も合理化することと思いますが、現在の國鉄と私鉄と比較いたしますというと、一営業キロ
○政府委員(藪谷虎芳君) 高田さんの御心配になりましたように、旅客列車は列車キロといたしまし前は、戰前の約八〇%程度であり、輸送人員は三倍餘りも殖えておりますので、かような現状から申しまして、旅客列車キロはできるだけ確保いたしたい。御承知のようにこの旅客の方は定期で先ず入れたい。
その第二段としてお尋ねになりましたのは、貨物平均輸送キロの意味だろうと思いますがいかがでございましようか。
○橘委員 次に昨年度は運輸省当局におきまして、陸運一億三十万トンの貨物輸送計画をお立てになりまして、その実績は達しなかつたのでありますが、ただこの一億三千万トンという数字が、キロ数をどういうふうにお考えになつておるかという点について、お伺いいたしたいのであります。
○藪谷政府委員 昭和十一年度は百六十七キロでありましたがへ戰時中次第に陸運轉移が始まりまして、二百キロ以上となり、終戰当時におきましては大体二百五十キロ程度でありましだ。その後次第に海運カが回復して参るにつれまして、海運轉移を計画的に打つておるのであります。かようにして次第に輸送距離が下りまして、昨年度は大体二百三キロ程度のところであります。
ただし郵便局の問題だけとすると、また別個になりますけれども、この前高塩君のお話は電話のことと私記憶しておりますが、大体今お話しているのは電話、すなわち二キロ、三キロ、四キロというところに、一本建の電話をかけるという場合が、たびたびありますので、そういうもので、特にその事業が單純な営利事業でなくして、公共の福祉に大きな貢献をするものについては、そういう場合は、今の原則を多少は除外例を認めてやることについても
又水力の開発方法におきましても、ダム式と貯水池式というものがその重点にならざるを得ないのでありまして、いろいろそれらの点を考えまして、ここに(1)のところに水力電源拡充計画、増加出力が八十一ケ地点といたしまして、百十五万キロワツトというものが出ております。
○説明員(藤田勇君) 発送電の卸売料金は、御承知の通り電燈料金及び五十キロワツト未滿の電力につきましては、全國のどの配電会社にも一律の料金を以て売つております。併しながら大口料金につきましては、大口の卸売料金につきましては、大体九配電會社全部別々の料金を取つております。
日本の火力設備は全部で約三百万キロワツト近いものがありまして、その中に稼働し得るものは百五十万キロに復旧して來たわけでございまして、從いまして低能率、低容量の発電所を多額の資金と石炭を使つてもう焚くべき段階ではないと私は考えます。この点について商工省或いは安定本部はどういう工合にお考えになつておりますか、これが第一点であります。
これと比較いたしまして、國鉄の運賃指数は次の第八表各運輸機関別運賃指数というのがありますが、これは昭和十一年をやはり百といたしまして、旅客が最初の一キロ当りの運賃五七・六九倍となつております。これを平均に直しますと、五十倍であります。それから貨物の運賃は大体七十二倍程度になつております。
○政府委員(藪谷虎芳君) 今回の國鉄の旅客運賃を六割値上した結果どうなるかと申しますと、関東の私設鉄道の一キロ当りが一円二十銭で、関西が一円三十錢、省は現在九十銭が一円四十五銭になりますが、私設鉄道が迂回しておる場合もありますし、又殆んど並行しておる場合もございますので、運賃が殆んど大部分のところは認可料金までの料金に上げれば均衡がとれるような部分が多うございます。
○政府委員(藪谷虎芳君) これは定期の一ケ月分の運賃でありまして、昭和十一年は平均の通勤距離が十二キロに当つておりますから十二キロ分を取りました。現在は戦災の関係で住宅難のために遠くから通つている人が多いものですから現行は十八キロの運賃になつております。平均乗車キロということになつております。その運賃で…。
資料も拝見しておりますし、これによつても当局はよく御承知でしようけれども、大体通勤者は、都市に住宅がない関係で、少くとも二十キロくらいは通つておる。遠い所になると四十キロぐらい、まず二十キロとして、これまで六箇月を大方買つておるはずですが、一月に百九十一円の交通費でよかつたものが、四百九十円となる。すなわちこれは三百円の値上げになります。
しかるに五百キロ以上の旅客の数量を御当局からいただきました資料で見ますと、五百キロ以上旅行いたします者は、実に全旅行者の一分三厘九毛しかおらぬ。百人のうち一人しかおらぬ。これを人キロに計算いたしましても、全人キロの六%八三にしか当らぬ。
一体旅客列車の走行キロ等につきまして、來るべき年度においてはどういう見通しを持つておられるか。その点、サービスにつきましても具体案があれば、それをお示しが願いたい。かくすることが私は今回の値上げを円満に進捗せしめる上において非常に必要なことではないかと思うのです。
現在の第三條の一、これは現在百五十キロまでは九十銭であるのを一円四十五銭と直す。百五十キロメートルを越ゆる部分は六十銭を一円五銭と直す。つまり要点は賃率だけかわる、こういうことでございます。
○藪谷政府委員 現在國有鉄道の最初の一キロ当りの運賃は、先ほどから御説明し上げました通り、九十銭であります。それに対して私設鉄道の最初の一キロ当りの運賃は、関西で一円三十銭、國有鉄道の四割四分増し、関東におきまして一円二十銭でありますから、三十三%高であります。
御説のように從來は多数の区分に從いまして遠距離逓減の方策をとつておりましたが、最近は御承知の通りに百五十キロまでを一区分とし、百五十キロ以上からを一つの区分として、この二つの区分で逓減をしておるわけでございます。
ところが都井、本城間は最急勾配六分の一、最小半径五メートル、全幅三メートル内外の花尾峠がありまして、大型車や重量車輪の運行が激増いたしております今日、このまま放置することはきわめて危檢な状態になつておりますので、立宇津、黒井及び黒仁田を経由する道路を開鑿するときは、平均勾配二十五分の一、花尾峠に約八十メートルの隊道を施行いたしますならば、道路の延長において約三キロ増加するのでありますけれども、その輸送力
この占冠村から鉄道沿線すなわち金山駅に演じまする区間は大体二十四キロでありまするが、その中に上り下り十八キロに及ぶ急勾配の峠があります。
○岡村利右衞門君 本請願の要旨は、岐阜縣恵那郡中津町と長野縣飯田市との間の道路はわずかに五十キロ、自動車で二時間にすぎない距離でありますが、中津町中津川地内の道路三千二百メートルの区間が幅員狭小であるため長野縣塩尻駅、辰野駅を経て飯田市に至る迂回道路を選ぶほかなく、その所要時間は六時間となり、そのため両地方間の産業の振興、資源の開発及び観光に多大なる支障を來しているのであります。
例えば小田急線がキロ当り一円二十銭の認可をいたしておりましたのに、省線が一キロ九十銭でございますので、省線が現行東京、小田原間七十円でございます。それで会社線は一円二十%の八十三キロでございますので、百円まで統制額としては現在認可されております。みずからこれを七十円の特定賃率を適用しております。
○飯塚委員 本請願の要旨は、福島縣北会津郡湊村は、南北二十四キロに及ぶ地形の村落で、該村の南端に集配局原郵便局があり、会津若松よりの赤井部落に無集配局赤井郵便局がある。そのため会津若松から赤井局内けの郵便物に、赤井局を通過して原局に逓送され、さらに赤井局に逆送される実情にあるため、赤井局取扱の郵便物は著しく遅延し、部落民は不利不便を忍んでいる。
從つて逓信省の方針では、大体四キロ以上でなければ、新しく集配事務を設けないというようになつております。お設の中村局はわずかその間が三・四キロであります。
また歌垣局とその隣接の地黄局との間の距離は、わずかに二キロ四分であります。直径二キロ四分であり、道路にいたしましても、距離は二キロ五分であります。從つて同じ村であると思いますので、遺憾ながら御希望に沿い得ないのであります。 ―――――――――――――
更にそれが大口になりますと八十一銭、更にその下は五百キロ以上になりますが六十八銭、更に大きくなりますと五十二銭、大口動力の平均は六十八銭、而も昭和電工のようなああいう不正事件のあつた会社へ関東の余剰電力が全部送り込まれておりますが、そういうような特殊電力は六十五%引き、ただみたいな電気であります。
○藤本説明員 三月末現在における貴金属特別会計の前身であります金資金特別会計の貸借対照表によりまして、現在の手持の貴金属の数量を申し上げますと、金地金が二トン六百キロほどございます。銀地金が百九十六トンほどございます。
お終いから一番目の欄に書いてございますように、水力におきまして、これは若干推定を含みますが、三百六億キロワツトアワー、火力におきまして二十六億四千八百万キロワツトアワーで、合計三百三十二億五千七百万キロワツトアワー、これが事業用の発電量でございます。
現在、現行の料金につきましては、大体御承知の通りでありますが、その原價予想のことにつきましてちよつと申上げますというと、大体人件費は電力一キロワツトアワー当りについて約五十一銭程度の人件費が入つておる。燃料費は約六十銭ぐらいの燃料費が入つておる。修繕費その他が約三十二銭程入つておるというようなことで、合計で一円八十銭、一円七十九銭六厘一毛、約一円八十銭の現行料金の原價予想になつております。
火力は二十個所で認可出力といたしまして百九十二万キロばかり損傷を受けたわけであります。変電所が二十二個所でございましたが、これもそれだけ受けましたのでありますが、当時電力の使用が余り多くなかつたのでさして差支はなかつたわけでありますが、その後需要が急激に増して参りましたので、これの設備の回復ということが現在非常に問題になつている点でございます。
私共只今申上げました計画におきましては、火力におきましては大体今年度は昨年度に比較いたしまして、約火力が二十万キロぐらい、二十四年度で増強を図るということを考えております。水力につきましては、多少只今の数字とはちよつと違うように考えますが、大体水、火力合せまして、拡充、補修、その他を合せましてのお話かと存じますが。
○飯田精太郎君 本年度の三百五十二億五千キロというのは、先程私が申しましたような内容でありますか、新規開発に今年着手されるのはどのくらいですか。
本年着手いたしますために目下司令部に申請中のものが三十一ケ地点、これが五十二万五千キロワツト・アワーその外に若し資金的に許されるならば、もう十二ケ地点ばかり着手いたしまして、それが十二万キロばかりでありますが、それを着手いたしたいと、そういうふうに考えております。それを若しその計画が進みますならば、二十四年度は事業用といたしまして水力発電所が三万三千キロ……
こういうような例は非常にたくさんあるので、たとえばその最もはなはだしい例を申し上げますと、ちようど昨年の七月三十一日の物價改訂が行われました際に、農民の生産しておる菜種の價格でありますが、この菜種の價格がどういうふうにきまつておるかと申しますと、一かます六十キロ入りの價格がちようど百十倍で抑えられまして、その價格が九百九十円に押えてあります。
今A、B、Cの各電力料金を調べますと、一箇月一キロから五十キロまでの基本料金は、一キロ当り各地区とも一円二十銭で、問題はないのでありますが、五十キロから五百キロまでは、Aは八十一銭、Bは九十銭、Cは一円となり、五百キロから三千キロ以上はA六十八銭、B七十九銭、Cは九十銭、三千キロ以上は、Aは五十三銭、Bは六十八銭、Cは八十一銭となつておるのであります。
現在民営バスの路線キロは約八万キロでありまして、その免許路線のうち約四一%はなお休止中の状態であります。これは主としてタイヤ、チユーブ、ガソリン、木炭、まき等の諸資材、燃料の不足によるものでありまして、特にガソリン事情は、現在のところ、これ以上の増量は困難と考えられますので、地方によりましては非常に迷惑をかけておる箇所も少くないと考えております。
呉線の複線化につきましては、戦争中の要請によりまして海田市と仁方間を取上げまして、昭和十四年度から一部工事に着手いたしまして、現在では海田市と天應間の延長約十三キロが路盤工事が完成いたしまして、天應と呉間の延長七キロ間は路盤工事が未完成の状態で中止いたしておる状態であります。
なお築別と築別炭鉱の間約十七キロは、羽幌炭鉱鉄道が開通いたしておるはずであります。さらに目下途中の曙までこの鉄道を七キロ延ばそうという工事に着手いたしておるような次第であります。
それから金の件でありますが、金の件につきましても、木材の運搬の金はそれだけで終りまして、あとは一遍は白麺、これは麦粉でありますが、それを一キロで運んで呉れというような建築場からの申込みで、それによつて皆の承諾を得て收容所長の命令の下にこれを実施いたしましたが、今のその件につきましても、最後までお金を貰わずに二百五十キロがそのままになつて返つておる次第であります。
それから今の工場内の建築の方においては、最前申しましたように一本に対して一キロの粉が渡つております。それでそれを練つて、夕食の前にそれを全員に、今の材木を、木材を担ぎに行く前に門の所で全部分配して渡しております。それで今の食うだけのものじやない、以外の賃の方の粉というものは、それによつて渡しております。
それから米でありますが、通訳のエリツチ・サンボーに米をやつて呉れと言われ、一キロ乃至二キロを二、三回やりました。それから吉村隊長殿の暖衣飽食に関してでありますが……。
これは私は食糧問題の根本を申し上げる前提として申し上げるのでありますが、われわれの地方においては、昭和の初期における農産物の値下りで、農村恐慌の時代においては、市街地から約四キロぐらいの所で、水田も畑も全部荒らしてしまつて、植林までした実例を知つておるのであります。