1947-10-02 第1回国会 参議院 商業委員会 第9号
○委員長(一松政二君) では、私から一つ伺いますが、今度株式会社になつた場合には、表向きには政府とは何等関係のない、或いは道徳的やその他の点については、いろいろな繋がりがあるのでありましようが、少くとも法的には何等の関係のない純然たる民間の一個の企業会社である体裁を備えるようになると思いますが、さよう解釈してよいのでありますか。
○委員長(一松政二君) では、私から一つ伺いますが、今度株式会社になつた場合には、表向きには政府とは何等関係のない、或いは道徳的やその他の点については、いろいろな繋がりがあるのでありましようが、少くとも法的には何等の関係のない純然たる民間の一個の企業会社である体裁を備えるようになると思いますが、さよう解釈してよいのでありますか。
次に、最近農林省は必要でない法律をあまりにも出す、こういうお尋ねのように伺つたのでありますけれども、少くとも法律を制定する場合は、今日の國民の社會的生活が、こういうひとつの社會的規絆といいますか、一つの道徳的な規絆を必要とする面から、こういう一つの規則を設けたがいいという要請に基いてつくるのでありまして、決して役人の獨想的な、縛張り的な感じから、法律を机上プランによつてつくるというのではない。
首相は道徳と政治の一致と井子とを頻りに言つておられましたが、實際に行うのでなければ、空念拂であつて、東條首相の二の舞をされることになるのでありますが、かような點について、道徳と政治、經濟、法理、すべてが一致しておるのであつて、ほんとうの政治家たる呼吸がわかつておいでになるかならぬのか、私ははなはだ怪訝にたえないのでございまして、この點をお聽きいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
千田委員なんかの、政府の怠慢であるという意見というものは、單なる千田君自身の主観的、獨断的断定ではなくて、この一つの事実から推定しても、余りにもこの問題を事実の上に、主観的には或いはしつかりやつておるというように思つていらつしやるかも知れませんが、これを客観的な立場からみたならば、爾來一ケ月の間何ら進捗をみていないということは、これは正に政治的道徳の立場から怠慢であると言わざるを得ないのであります。
戰爭後道徳の頽廢ということが原因になつたのでございましようか、また兵役に服する人々の身體檢査というものがなくなつたためでありましようか、近來非常に花柳病が次から次に猖獗をきわめておるのであります。
飯は食えない、貧乏だ、そういうことの諸々の惡い條件が日本の現在の道徳低下であり、混乱であり、虚脱の状態である。作家は霞を食つて傑作なんか書けるものじやない。然るに作家が倉を建てた例はないがだね、出版社にして巨万の富を積んだ人は幾軒もある。岩波書店を初めとして改造、新潮社、中央公論、それから沢山あるでしよう。
國と國との外交は、儀禮やあるいはよき意圖をもつた言辭の交換も決して無意味とは思いませんけれども、一國のもつ高い信義、道徳が具體的事實の問題として表現された場合、その國の外交は最も成功するものであるということを信ずるものでございます。
○委員長(高田寛君) それでは最後に觀光觀念の昂揚、又交勤道徳の昂揚、こういう問題につきまして、文部省の教科書局の第一編修課の保柳事務官から御説明を願います。
○三島通陽君 このハイカーの道徳が非常に面白くない。
これはある人から言うたならば、大変問題にいたしておりまして、私権は公共の福祉のために存すということがいわゆる憲法違反であるというような論する者がございますが、これは実に最高の道徳を謳つたものでありまして、我々は全面的にこれに賛成する一人であります。私権というものは公共の福祉を沒却した私権はない。
十分これを國民道義に訴え、道徳心の上に強調していかなければならないと考えているのであります。これは象徴としての今日の天皇を十分に守つて、尊敬の念を發揚していかなければならいということをたびたび申し上げることによつても、御了承願い得ると思うのであります。
また同時に、政治こそ最高の道徳なりと信じておる。その政治がこの憲法の誓約の上に行わるものとするならば、行わるるだけの最も力強き信念が、その裏づけでなければならないと思う。ただいま片山内閣が非常な不評を受けております。
或いはこういうものを本当に取締るためには、普通の道徳律でも到底できますまいと思いますから、本当に大きく根ざした宗教的方面からでも持つて行つて是正するということのためには結構かと思ひますが、併しこういうものは法律を以ては決して是正するということはできないものではなかろうか、その又法律を作つた上に幾多の弊害があるということは、私が今更申上げませんでも、皆様すでに御承知の通り、現にいわゆる未成年者禁煙法も
而も公共福利から申しますと、こういう不規則勞働者、カシユアル・レーバー、未熟練工を主としまして、この職業安定所の事業はそういつたような勞働者の、殊に未熟練勞働者の道徳的、或いは體力的な生産意欲というものを育成するにも多分に意義を持つておるものであると思います。この點につきまして政府當局はどういうようにして行うのか、そのお考を一應これを明示して頂けば結構だと思います。
○政府委員(國宗榮君) これも大體勞働基準法の先例に倣つたのでありまして、六十三條は、これはもうこの職業安定法の違反といたしましては、實質的に惡質なものであるというふうに考えるのでありますが、二號の「公衆衞生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、職業紹介、勞働者の募集若しくは勞働者の供給を行つた者又はこれらに從事した者」、これは一號とは多少違いますけれども、こういうものも實質的には一番重いところの
そういうことは確實な證據をもつていなければ言うていかぬということは、これは道徳的な常識であります。それでもう一度矢島を土臺にした現閣僚に關係あり云々についてはピリオドを打つたのでありますから、新しく閣僚を持出すことは御免をこうむる。確實な證據をもつている人は遠慮なく摘發していただきたいと思うのであります。こういうことをお願いいたします。
免れたとして、それは決して道徳的に免れ得るものではありませんが、司法當局におきましても、すでにそういう根據なき錯誤に陷つて横領をしております者は相當數起訴いたしております。今後も見つかりますならば、そうして構成要件を充たしますならば、起訴することはあえて辭せないのであります。
○鈴木國務大臣 徳田委員の熱意は、非常に私は高く評價するものでありますが、しかしそれは概ね道徳論であり、政治論でありまして、法律論としてはどうもそう單純にはいかない。確かに道徳的にはどろぼうしたに近いものである。
それで私たちといたしましては、「公共の福祉に反しない限り」という條件がございまして、社會的、道徳的に、好ましくないというように、職業が制限されることは別といたしまして、そうでない限りにおきましては、強制でございますとか、そういうものを用いまして必要な職業を充足するということは適當でないと思うのでございます。
○奧野政府委員 お説のように、扶養の義務というふうな事柄を法律の中で義務づけることは、實はおもしろくないので、七百三十條にありますように、わが國古來の家庭生活の美風として、親族共同生活を營んでおる間の、お互いに相扶け合つていくという道徳的な美風によつて、すべて圓滿に處理されることが最も望ましいことで、そういう意味からいきまして、親族の中に扶養の義務があるという法律上の義務を義務づけることは好ましくないと
從いまして雇い入れる方としましては、そういう大方針の原則に從うという道徳的、社會的義務はありまするが、嚴格に男女同じように雇わなければならんというような制度はないのでございまして、適當に男を採用し、女を採用するということもできるのでございます。
財産もその一つであるが、われわれの考えておるのは、老いたる親をだれがめんどうをみるか、どこまでも老後安心していけるという、この生活を維持するところに、私は日本の家というものの最も道徳的にして合理的なものがあると考えます。
奥野政府委員 ごもつともでありますが、要するに、法律家である鍛冶委員でありますから、法律上家といえば戸主と家族だけによつて構成しておるのを家ということになるので、戸主と家族という關係をやめてしまうと、從來の法律上の家という観念がなくなつて、それが親子あるいは夫婦という關係に法律上分解されておつても、實際上それらが共同の生活を營んで、いわゆる俗にわれわれがいう家という家庭生活ということになるわけで、それは道徳上
それ以上にわが國の道徳的な意味、從來の習慣というようなことによつて、法律上の義務以上に親に孝養を盡すということは、これはきわめて結構なことであるのでありますが、これは法律上の義務として、そういう高いところまで要求をしなければならないということは、いかがと考えますので、法律上はいわゆる扶養の義務として規定をおいておるだけであります。
今片山総理大臣が頻りに発表せらるるところは、高度民主主義といい、耐乏生活主義といい、その國民に望むところは精神的覚醒即ち道徳的反省である。換言すれば聖徳太子憲法の要諦である。元來眞の民主政治は、徳を以て國民を化し、國民も官吏を尊敬し、同胞相讓り、以て円満なる國政の運営を実現して行くべきである。
その意味から申しますれば、組合員たる者はもとより自由ではありますけれども、成るべく組合の施設を利用するというのはきわめて廣い意味における、道徳的な意味における責任をもつておるんじやないかと思うのであります。