1947-11-07 第1回国会 衆議院 予算委員会 第17号
いやしくも今日やみを拒めと政府の要望せられる倫理道徳を守る者は、榮養失調となつて死ななければならない立場におかれておるのであります。そうかと思いますと、一方では九月三十日の晩には、淺草田島町の料享「とんぼ」で秋田縣の知事その他が飲食をいたしまして、警察に引つ張られたという例がある。十月八日の夜には中野區千代田町の貸席「みゆき」方で、遞信省總務局主計課の事務官らが飲食をして引つ張られた例もある。
いやしくも今日やみを拒めと政府の要望せられる倫理道徳を守る者は、榮養失調となつて死ななければならない立場におかれておるのであります。そうかと思いますと、一方では九月三十日の晩には、淺草田島町の料享「とんぼ」で秋田縣の知事その他が飲食をいたしまして、警察に引つ張られたという例がある。十月八日の夜には中野區千代田町の貸席「みゆき」方で、遞信省總務局主計課の事務官らが飲食をして引つ張られた例もある。
文部大臣も恐らくこの問題が、豫定のごとく運ばない場合においては、政治道徳の立場から責任をとるというな御覺悟のごとく私は拜察するし、國民協同黨の松原一彦君は過般の兩院文教委員會の席上において、公の立場から文部大臣が責任をとる覺悟を以てこの問題に當つて貰いたいという次第でございました。
そういう意味におきましての一つの宣言規定であり道徳規定であり、一般炭鑛の管理の構成というものをここにはつきりいたした次第であります。
○深津委員 そうすると、この責任には罰則の適用もなく、また民法の損害賠償も起り得ないという意味であつて、道徳的の責任ばかりを言つておるのでございますか。
そういうふうにして、犯罪にはならないが社會道徳上、風紀上非常に困るというふうなものに對しましては、そういう處置を考えていくことが一番適切なる方法ではないかと申し上げたのでありますが、現在も私はそういう法律が制定せられ、そういう施設が一日も早く活動するように念願いたしておるのであります。
というのは、御説のように、道徳的な規定として設けたのでありまして、これは民法から法律上の家の制度を廢めました關係から、一般國民として、我が國の實際の、現實の家族制度それ自體をも否定するのではないかというふうに誤解されては困る。
○松井道夫君 七百三十條の方は、純然たる道徳規定であると、さようなお答えでありまして、又このような規定も、これからの法律には必要なんであるという御意見でありました。
という規定がございまして、通常の直系血族及び同居の親族に、當然その肉親その他の關係上扶け合つておるのが普通でありますし、又それが道徳といこうとに相成つておるのであります。民法は、法律というものは道徳でございませんので、それをここに道徳の規定というものを入れられたということは、どういうことであるか。見方によつてはやや不體裁ではないか。かように考えられるのであります。
但し病害を入れるということについてはいわよる道徳的危險を増すという懸念もありますので、それらにつきましては、損害評價をやる場合にはたして善良な管理をやつたかどうかということによつて、善良な管理を行わずして病害に遭つたというようなものは、もちろん保險上の免責事項になり、對象から除かれることになるのであります。 それから桑葉につきましては、先ほど申し上げましたように、今囘やめて蠶繭にする。
從いまして、これは基本方針の第一項に道徳的規律を掲げられたことは、まことに結構だと思いますが、しかしこれを道徳的規律だけでなしに、一箇月も經ちましたならば、當然もつと具體的にいろいろと反省されて改善されていくものがなければならぬ。私は實ははなはだ遺憾に思つておりますことは、この管理法案の審議をしたために、われわれのところに實務擔當の官廳の方にどうしても來ていただかなければこの審議はできません。
○水谷國務大臣 これは具體的にどの問題とどの問題とお答えするのはどうかと思いますが、これは何と申しましても、われわれ政府の側におきましても、絶えず自己反省をして、そうして日日新たなりというバイブルの教えの通りに、絶えず自己反省をしていかなくちやならぬので、そういう大きな道徳的な規定ということをまず前提にいたしまして、そういう前提に立つて、そうして資金の面はどういつてるか、資材の面はどういつてるか、あるいは
○前田(正)委員 私はこの規定が少くとも本年度の増産に役立つていける、しかもこの管理法案の審議と對抗してやつていけるという御方針である以上は、少くとも私は道徳的規律という程度でもつて滿足できないと思います。
されたところの總額と、實際に支出された金額とが一致しておるから差支えないというような御説明でございますけれども、國會においてこれを審議いたしました際の計算の基礎となるものと、實際に今度變更されましたものとは、非常に内容が變つているということを承りまして、私どもは國會がこういうふうに一つの算出の基礎をもつて、その了解の上に總額が出ましたのを、國會の方に何ら前もつて御相談もなくこれをかえられるということは、政治道徳的
○加藤(シ)委員 ただいま大藏大臣と宮内當局からの御説明を承りまして、大藏大臣がこの問題について政治道徳上の責任を痛感していらつしやるというその御答辯は、私も了といたすところでございますけれども、問題は結局、事柄が皇室經濟のことに關係する、あるいは他の一般の問題に關係すると、その區別なく、すべて國會においてこれこれの内容という理解のもとに、一定の金額の支出が議決されたものを、これを國會に何ら了解もなく
まず学識経驗者の代表的意見を問題ごとに申し上げますと、第一の案件たる家督相続廃止の可否につきましては、第一に家督相続を法律上廃止することは賛成である、但し、家督相続の廃止がすなわち道徳的、慣習的家族の崩壊ではない、夫婦、親子の家、すなわち自然家族は絶対に残るという意見であります。
そうしてみれば宗教的方面から、あるいは道徳的方面から、どちらから考えましても、家というものが法律上はなくなつても、その家柄というものを立てていきたいのが本能であると思います。 原案によりますならば、第八百九十七條の規定によつて被相続人がこれを指定するということになつている。ところが、指定ということも普通遺言でやるような場合が多いのであります。
これに対しては、総額に変更なくとも、政府案による支給率の積算方法を前提として右予算を承認したものであるから、これを國会に諮らずして支給率の変更をなしたことにつき、政府は政治道徳上の責任をいかに感じているかの質問がありました。これに対しまして栗栖藏相及び塚越政府委員より、政治道徳上の責任を感じている旨の答弁があつて、右の報告を一應了承することになりました。
第一條のごときも、そういう角度から見まして、やはり左に偏したような、いわゆる横の道徳と申しましようか、これにのみこだわりましたような條文を設けましたならば、悔いを殘すことになると思うのであります。その意味において、政府の原案は、まことにその國家という觀念、あるいは公共福祉という觀念を先に立てまして、私權をそのあとに付隨せしめる、こういう感が強いのであります。
そうしてみれば、宗教的方面から、あるいは道徳的方面から、どちらから考えましても、家というものが法律上はなくなつても、その家筋というものを立てていきたいのが本能であるといたしまするならば、この八百九十七條の規定によりまして、被相續人がこれを指定するということになつている。ところが、この指定ということも、普通遺言でやるような場合が多いであります。
すなわち第一點は、夫にわかれた寡婦が、なくなつた夫の墓標の新たなうちに再婚をするということを禁じた、古い男性本位の昔の道徳觀念に基く、妻に對して婚姻解消の後においても、なお先夫に對する貞節を要求し、これを法律をもつて強制せんとするものでございます。
私は昨日川崎君からの御質問に対して、十一月黒字が出ない場合においては、政府の政治的道徳をもつて、これを改訂すべきか否かを再考慮すべきであるということを申したのであつて、政府に責任があるというようなことを申したのではないのでございますから、これは速記を見てから再び質してください。
成瀬委員 關連質問でありますが、大體御賣と生産者と、これを調べてみますると、十二品目ありまして、七分の一強にあたつておりまするが、今のお話になりましたところで、同じ卸賣のその基準年度において、あるいはまた現行價格において、比率をとるのだから、別にそれに不都合はないというような話でありますけれども、しかしながらこの基準年度におけるところのその商業社會的状態を考をてみますると、その時分におけるところの商業道徳
從つて十一月もし黒字の出ない場合においては、これはすでにやはり政府の政治的道徳から言つても、責任から言つても、私はすぐ改訂するとは言いませんが。改訂すべきかどうかということについて、政府は再檢討しなければならぬ、私はそう考えております。
また政治道徳上からも果されないのであります。從つて政府はこの行政整理を斷行する前に、やはりそれによつて犠牲になる人をどうやつて救濟しなければならぬかということを考えなければならぬ。この點を特に政府は考慮しておることを明らかにしておきたいと思うのであります。
そんなことで、目の前に控えた十一月であつて、これは確かに政府は、政治道徳に鑑みて改訂することに大いに檢討を加えなければならぬ時節がくると私は考えておるのですが、千八百圓ベースではあるけれども、民間企業一般において利潤が出、生産が上れば千八百圓ベースを上囘つても差支えないという。民間企業に對しては、それでいいかもしれない。
要するにこれは水谷商工大臣のように仁義感の強い道徳の高い人ならば、なるほどそうでございましようが、一般の勞働者はなかなかそうはいかぬのであります。御理想通りの國家管理になつたとたんに、國家的誇りをもち、自覺をもち、精勵恪勤するわけにはいかぬだろうと思います。
國家のために働くのだという意識をもたせ、炭鑛の雰囲氣を改善させ、そうして増産に寄與せしめようという道徳的の要望では、もう増産にならない。物でいかなければならぬぞという論説が出ておつたのであります。去る七月の二日の本會議で、商工大臣の御説明によりますれば、「炭鑛の國家管理をやつていけば、勞務者自身は國家的地位に目ざめ、誇りをもつて働くことができると確信するのであります。」
それから先ほどの最後に聽きましたものですが、外國では手をあげて宣誓せしめるというようなお話でございますが、日本の現在の道徳状況におきましては、なかなかそんなにいきません。宣誓をいたした者が、どんどんと前言を覆えしていく例はいくらでもあります。こいつはだめだと思うのです。
むろん豫算の關係もあるでありましようが、これはただいま衣服の問題で中曽根委員が、苦勞して歸つた者にみじめな目をさすのは、いわゆる政治道徳、人間としてのいろいろ根本的な考えからも間違つているというお話がありましたが、早く歸つた者は三千圓にもせよ、五千圓にもせよ、借りられたが、苦勞して着の身着のままで歸つた者は申込みさへ受付けぬ。こういう状態は實に大問題であります。
しかして、その決定に関しましては、生産者の間に十分なる道徳上の力と、またこれを統制実行する有効なる組織の力との備わることを、必要の條件としなければならない。これ日本農業並びに農村民主化の第一條件である。以上の観点から、第一條の修正は当然過ぎるほど当然なのであります。 〔発言する者多し〕
○榊原(亨)委員 こういうふうな行為をする者はすでに道徳的に見ましても非常に違反しておると思うのでありますが、そういう不道徳者に誓約書を出させる。その誓約書というものに對しては罰則もなければ何もない。ただ紙を出さしておくだけだというようなことになりますれば、結局誓約書を出すも出さぬも同じだというふうに私は思うのでありますが、この點につきましては午後の協議會におきまして申し述べたいと思います。
ただ僅かに二十四條の規定が一ケ條だけでございまして、これすらも何ら罰則は伴わない、單なる道徳的規定に過ぎません。問題は、決して道徳論や期待論ではないのでありまして、由來権利は義務を伴うというのは、古今東西を通ずる鉄則でありまして、責任の伴わない発言権を濫りに法律で認めるがごときは嚴に愼しまなければならんことだと思います。
申すまでもなくこれは金融機關の一つの道徳責任としても、債務者の氏名が新聞等に公表せられることは、いろいろ大きな支障をもつものでございまして、從つて大藏當局竝びに復興金融金庫當局からも、本件に關して特に取扱いの愼重ならんことの御希望がございました。