1949-04-19 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第10号
戰前石灰をまき、あるいは溝渠を浚渫してこれを撲滅するような方法をとりましたけれども、しかしこれは撲滅にはならず、一時的の應急策でありましたが戰爭と同時にこの應急策すらもやめなければならぬような事態になりまして、減つておつた病気がさらに蔓延して参りまして、昨年では約九百人の罹病者があり、重病者五十七人、死亡四人というような状況になつておりまして、まことに遺憾なことであります。
戰前石灰をまき、あるいは溝渠を浚渫してこれを撲滅するような方法をとりましたけれども、しかしこれは撲滅にはならず、一時的の應急策でありましたが戰爭と同時にこの應急策すらもやめなければならぬような事態になりまして、減つておつた病気がさらに蔓延して参りまして、昨年では約九百人の罹病者があり、重病者五十七人、死亡四人というような状況になつておりまして、まことに遺憾なことであります。
さらに道路上における兒童の遊びは、本縣において嚴に禁じられておりますが、遊び場を持たない兒童は路上に群り、交通妨害ともなり、本縣において昭和二十三年八月より十二月までの間に兒童の交通事故数は死亡十四名、負傷四十名を出すに及び、危險きわまりない状態であります。
二十年六月二十五日、田中からの上申書で、空襲のため妻子五名が死亡したため、二十年九月二十日まで執行を延期してもらいたいという上申書が出ております。二十年の八月二十日に、田中からさらに、今度は東京で刑の執行をしてもらいたいという上申書が出ております。それから昭和二十年九月十五日に、福岡地方裁判所檢事局から東京地方裁判所檢事局に、田中の刑の執行を嘱託しております。
それから大体先だつての証言の中で出て参りました石切現場においての死亡者の関係者にて、伊東邦義、並びに渡邊廣太郎、この二人についての大体住所その他の調査をいたしておりましたところが、伊東邦義は昨年の十月心臓麻痺にてすでに死亡しておることが分つたのであります。で大体伊東邦義は家にあつては、殆んで元隊員の訪ねて來ることを非常に好まないようであつた。その理由をば親が聞いても何も語らなかつた。
○政府委員(塚越虎男君) この金額、範囲とか或は金額の決定につきましては、例えば福井、石川両縣下の地震の際の御救恤というような場合におきましては、政府の方から大体この両縣下における地震というものはこの程度のものであつて、これに対して全壊の家屋がどのくらいある、それから半壊の家屋がどのくらいある、或は死亡者が何人あつて、傷ついた者が何人あるというような報告を受けまして、その程度によりまして決定をいたすわけでありますが
それで事業の要目といたしまして、お手許に愛育会概要という簡單なこういうパンフレツトを差上げてある筈でございますが、その事業要目といたしましては、「母子に対する教化、母子愛育思想の普及、母子保健の指導、母子愛育に関する研究及調査、母子愛育施設の普及、母子愛育指導者の養成並に指導、流早死産及乳幼兒死亡の防止、勤労母性及多子家庭の養護、母子愛育事業の連絡、調査母子愛育必需物資の確保、その他兒童及母性の福祉
○東(龍)政府委員 山形縣は、ただいまの請願にもあります通り、わが國において結核死亡者数に対する結核病床数の最も少い縣の一つでございます。ここに結核療養所を建設することは、政府といたしましても、当然考慮に入れておつたのでございます。
○苅田委員 それに関連してお伺いしたいのですが、今年政府がお考えになつた結核の対策として八万床つくるということですが、これは大体昨年度の死亡者の半数だと聞いておつたわけですが、この支出が今年は全部削られておるわけなんです。これに対して政府がそのかわりにどういうふうな結核対策をしようとしておいでになりますか、それにつきましてお伺いしたいと思います。
その要旨は、山形縣では結核による死亡者は総死亡者の二割にあたつて、また肺結核死亡者は全結核生疾患による死亡者の八割を占める状態でありまするが國立結核療養所病床数は、石川縣の結核死亡者百名に対する病床数六十七に対し、本縣はわずかに八床にすぎないのであります。ついては結核の蔓延防止と、國民の健康保持、増進をはかるため、山形市に國立結核療養所を設置されたいというのであります。
○千田正君 当初の目的であつたところのものは、これは結論としての、問題としてのいわゆる犯罪が構成するかしないかというような、世間が望んでおるようなものじやなくて、むしろ特別委員会としては現在四十三万の我々同胞が未だ帰らずにソ連地区におつて、從来帰つて来た人達のいろいろな言い傳えによつて、ソ連地区においての労働状態とか、或いは死亡状態、或いは行方不明の状態等が甚だ審かじやない。
これは委員会としての結論を出す場合に、第一番目の目的に、死亡等のことについて、この委員会はよくその原因を調査する必要があるという点があつたわけでありますが、これは枝葉になりますけれども、石切り場の現場において死んだ死亡者というものが、伊藤少尉と渡邊軍曹がこれを殴つたのである。
幸いにいたしまして公衆衞生の拡充徹底によりまして、死亡率は戰後急速度に改善せられまして、昭和二十三年には人口千につき十二という、從來にない低い率になつて参つたのであります。戰後、出生率の増加と死亡率の低下とによりまして自然増加率は非常に高まりましたが、只今申上げましたような次第で、昨年を絶頂として本年からは減退に轉ずるものと見ておる次第であります。
ここにおいてタラワ島においてどんな残虐行爲が行われたか、こういうことについて、一々そのリンチの模様をここで発表するのは省略いたしますけれども、三千五百名程度おつた同胞である軍人軍属が、終戰少し後までにその約八割の者がこの残虐によつて死亡してしまつて、帰つた港は約三割ということであります。この岐阜縣の例をとりますと、八十七名おつた者がわずかに帰つた者八名という事件なのであります。
月五万という数字で参りますれば、確かに十二月に参りましても四十万程度しか行かないわけでありますが、しかし中には現地にとどまることを希望する方もありますし、またこの数字の中には現地で死亡した方も若干おられると思いますので、ことし五万程度ずつと継続して行けは大体完了するのではないか、かように事務的には私ども考えております。
○理事(岡元義人君) この点は報告書の中にも外傷者という名前で、外傷死亡というのが三名酒井証人の方から提出されておるわけでありますが……。
○理事(岡元義人君) その点について、これは営倉その他処罰によつて死亡されたということを酒井証人が認められた場合におきましては、向うの命令はそういう命令はなかつたのだけれども、その処罰の方法によつて死亡したということをお認めになりますか。その中の二名を酒井証人が証言しておられます。
大体死亡見舞金といたしましては、遺族に対しまして死者一人につきまして五百円の範囲、家財見舞金としては、家財に損害を受けたものに対しまして、一世帶について五百円の範囲内程度の閣議決定になつております。
○矢野酉雄君 更にお尋ねいたしますが、菅野清君がやはり殴打、外科的疾患によつて死亡したということ。それから植木……名は存じませんが、この植木君、これもお前も死ねと言つて吉村隊長に突込んで行つて、その結果伊藤少尉と吉村隊長のために殴打されて、そうして遂に死亡したというような或る証人の証言がありましたが、この菅野清君と植木某の死亡に至るまでの経過は御関係、或いはお分りになつておりますか。
○矢野酉雄君 内科疾患によるところの死亡者二十名、外科的疾患による者が十名、或いは今三十五名かも知れない。それは大体その隊の死亡率は何%くらいに当りますか。更にその大体のパーセンテージがあなたの医学的專門の立場からお考えになつて、その死亡率は非常に高度のものか、或いはこんなものは普通のものだ、あの環境におかれておいては……それについての御意見を承わりたいと思います。
先ず酒井証人は元医官をしておられたのでありますが、吉村隊のあなたの手によつて診断されましたその中で、死亡診断の中で、不当な原因によつて死亡したと判断されるものが何名あつたか、全部の死亡診断の中で何名あつたか、この点明らかに御証言を求めます。
議員が死亡いたしましたときは、從來の慣例から行きますならば議会で弔意を表するだけにとどまつていたのでありますが、將來議員同士の道義と言いますか、そういうものを涵養する意味からいつて、議員が一人当り百円程度の弔慰金を差上げるような慣例をつくつた方がよくはないかと思いますので、新たにここで御提案を申し上げて皆さんの御賛成を得たいと思います。 〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
○石田(博)委員 まことに私の党の死亡者に対して非常にありがたいお言葉で感謝にたえない次第であります。私どもの方としましても、お互い毎日顔を合せておる仲間でありますから、そういう意味で、こういう慣習を残して行くことは非常にいいことだと思います。
國会から死亡者に対しては歳費一年分が出ますが、これには税金がかかるのですか。
それから七番の官房会計事務処理に必要な経費、これが二億五千八百万円ほど増額になつておりまするが、これは別に特別な経費ではございませんので、共通的な退官退職手当とか、共済組合に対しまする政府の交付金でありまするとか、賠償償還金でありまするとか、死亡資金でありまするとか、そういうような共通的な経費であつて、昨年は一番しりの方のその他というところへ組んでございましたが、それをこちらに今度は持つて参つておる
二十二日だつたと思いますが、貨車に乘せられまして出発いたしましたが、ウランバートルに着くまで自分の大隊では三名の死亡者が出ておりましたが、外の大隊の話に比べて死亡者の数は非常に少なかつたようであります。又食糧関係も配給事情、こういうことを関しましては、蒙古側も非常に自分の言を入れて呉れまして、各停車々々の度毎にできるだけの食糧、或は水というようなものを補給してくれました。
○証人(長谷川貞雄君) 主として下痢患者でありますが、それは承徳の離宮に入つておつて当時からの食糧難と、それに加えて苦しい行軍と、更に急に飲食物が変つたというようなことからして腹をこわし、その結果死亡したというのが三名であります。
○千田正君 先程お話の中に三名死亡したということがありましたが、それは栄養失調或いは何かの外傷その他によつて死亡したのでありますか。
又被害者の中で負傷して三名程死亡者が出たというが、事実かどうか。 第二点は、本紛爭事件の原因及び経過。 第三点は、本件に対する官廳側の措置の適否、及び引揚援護廳の官吏や鎭撫のために派遣せられました警官が却つて事件を煽動したというが、事実かどうか。 第四点は、その他本件に関係ある事項。 以上四点であります。
そのパンフレツトには十三名の死亡者が出ておる。船中において十三名の死亡、それから上陸いたしましてから三名の死亡者が出た。こういうパンフレツト等が全國に配られましたために非常に心配いたしますし、又本会議上において細川委員からそういう情報を得ておることについてお話がありました。尚、その外二回に互つて政府に質問趣意書が提出せられております。
幸いにして現在は死亡率がはなはだ減つております。おそらく終歳以後、日本の開闢以來の死亡率の減少を來している現状におきまして、保健問題とともに人口問題は、われわれ相当大きな問題だろうと存じます。しかるに人口問題に対する研究費としての國家の予算の支出が少いのは、私として遺憾と存じますが、人口問題の予算の御見解を伺いたい。
十四万三千戸、二十二万五千人の満洲開拓民は、死亡並びに生死不明者九万五千人の犠牲者を出し僅かに六万三千戸、十三万人が引揚げて來たのであります。移民の折には國内農村の犠牲となり、引揚に際しては戰爭の犠牲になつた彼らでありますけれども、而も默々として愛國の至情に燃えて開墾を続けておるのであります。昨日森農林大臣は、この満州引揚開拓民の賃價を認められましたので、私は簡單に質問の三点を申します。
次に只今木下委員からのお尋ねがございましたように、この間の暴行事件に対する後始末をどうするかということでございますが(「違う」と呼ぶ者あり)これは委員会におきましても申上げましたように、これはあらゆる機関を通じて、十三名行方不明三名死亡というような事実無根の噂が流布されたのであるということを國民に知らせる義務がある、こういう意味からいたしまして、これを本会議に中間報告として結果を発表いたしたいと存じますので
次に四の死亡者、病人の状況、記録の有無、死体の処理等につきまして証人から証言をお願いしたいと存じます。何かこういう点につきまして、御記憶なり、参考になることがありましたら……。
そうして例えば証人が收容されておりました收容所等においては、日本人が死亡したというようなことに対しては、確実な記録は残してあるのですか。それから場所。そういうものに対しても、將來講和條約でも終つて、例えば死電を発掘するとか、そういうような問題が起きたと仮定いたした場合に、そういう措置ができるような状態にあるのか。