1947-11-11 第1回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第12号
の償還に関 する請願(第五十五号) ○旧満鉄社員の対会社請求権確保に関 する陳情(第百三十九号) ○戰爭犠牲の公平負担に関する陳情 (第二百八十七号) ○在外個人資産の補償に関する陳情 (第三百二十六号) ○同胞救済金の償還に関する陳情(第 三百二十七号) ○青島における居留民立替金の返還に 関する請願(第二百三十一号) ○海外引揚者の送金為替支拂に関す る請願(第二百三十二号) ○朝鮮
の償還に関 する請願(第五十五号) ○旧満鉄社員の対会社請求権確保に関 する陳情(第百三十九号) ○戰爭犠牲の公平負担に関する陳情 (第二百八十七号) ○在外個人資産の補償に関する陳情 (第三百二十六号) ○同胞救済金の償還に関する陳情(第 三百二十七号) ○青島における居留民立替金の返還に 関する請願(第二百三十一号) ○海外引揚者の送金為替支拂に関す る請願(第二百三十二号) ○朝鮮
それからまた港所在の位置が、縣の中央部に属していまする關係上、縣下最大の生産地でありまする有田、日高両郡をヒンターランドとして、將來、臺灣、朝鮮、琉球、中國、南洋諸島との間に縣下の生産物資たる柑橘類、除蟲菊製品、木材、木工品、漆器類、しゆろ製品等を當港より輸出し、同時に、食料、化学肥料、石油、綿花等を輸入しまして、しかも、これらの物資を呑吐する上において、臨港鐵道により海と鐵道を直結しているということによりまして
次に、終戰後大新聞は、滿洲、朝鮮、臺灣向けの新聞がなくなつたのでありまして、それだけ増産されたと同様の結果となるのでありますが、これは加うるに戰時中非常に發行したところの總合版が廢されて、そのどさくさにかなりの實質的増配があつたのではないかと思うのでありますが、この邊の實相を御説明願いたいと思うのであります。
ついでに、ここでお聽きしたいことは、終戰処理費の中からを見ますと、これは昨日の新聞に発表されていますが、朝鮮向け資材の資金が四十七億はいつています。私はこの点についてお聽きしたいのは、まず第一に、この朝鮮の費用について日本の國民はなぜ自己の負担において支拂わればならないか、この根拠をお聽きしたい。
朝鮮における資材の問題でありますが、これは前内閣におきましても、すでに十七億の計上があつたのでありまして、これは本予算にもあるのであります。今回もさらに計上いたしまして、四十数億のものに相なつておるのでありますが、これは負担するという趣意ではありません。とりあえず立替えておるのであります。何分にも目下は占領下にありますので、今後の処理は、今後における善処によつて処理いたしたいと考えております。
又満州その他から引揚げて來る、そういうような関係の方々、朝鮮、台湾等から引揚げて來る人たちを何とかして引取らなければならない。それには直接の出先機関を使つて相当の数をこれに吸収することができるというような、人を救うというような点が重大なる役割をしておるように思われたのであります。 各府縣の考え方は、それはその通りであるけれども、綜合性が必要である。
次に朝鮮向資材費であります。これは當初豫算におきましては十七億三千百萬圓を計上したものでありますが、今囘二十九億八千百萬圓を追加し、四十七億一千二百萬圓とせんとするものであります。これは朝鮮におきまして住宅、兵舎その他の一般工事をいたすにつきまして、資材を本邦より提供するというために必要のものであります。
○一松國務大臣 過般もそういう御質問があつたのでありますが、滿州、臺湾、朝鮮、あるいは樺太方面に行つて開業しておつた人が内地に引揚げたときに、いわゆる内地における開業資格をもつておつた人が向うに行つて開業しておつた人が内地に歸つて來た場合は議論はないですが、海外において資格をとつておつた人は、それは海外における資格であつて日本の醫師開業資格とはまた違うのでありまするから、それをそのまま無條件に認めることは
それから輸出関係でありますが、これもやはり香港、朝鮮に現在輸出しておりますので、これも指示のありました数量をその儘計上いたしまして、これがつまり第三・四半期におきまして二十二万トン程度であります。それから輸送の関係でございますが、これも大体年間の輸送計画というものと睨み合わせまして、陸運、海運合わせまして二百十六万トン程度を現在配炭をいたしております。
北海道西海岸留萠港は、明治四十三年國費著工、昭和八年竣成したる近代的荷役機械設備を有し、不凍港として本邦最北に位し、かつ北海道中央部に最も近接する位置を占め、昭和十一年貿易港として開港せられ、爾來インチ材、マツチ材、支那向海産物、でんぷん、アメリカ向じよちゆうぎく、はつか等の輸出竝びに朝鮮米、臺灣の砂糖、アメリカより石油等の輸入をなし、終戰後最近は去る六月二日アメリカ號バアデイ號重量トン、一萬千八百
しかし終戰後の現在を見ますと、臺灣、朝鮮樺太のごとき、かつて内國貿易で扱つた莫大なる物資を、外國貿易として扱わなければならない實情なのであります。從つて今までの格付を再編成せねばならない時期に達しておるのでありまして、われわれ事務當局といたしましては、これの再編成を、今年初頭からいろいろ資料を集めてやつているのであります。
從つて朝鮮銀行臺灣銀行、滿州中央銀行というような職員が比較的多くまいつております。しかしそれ以外の滿鐵その他の事業會社方面からも相當はいつております。ただわれわれのところは永久的な機關ではありませんから若い人をぼつぼつ養成してかかつていくという時間がありますん。
また終戰前にはこの港から輸出總量の約二〇%が、主として造船用材として東支那海を渡りまして、天津、青島、上海、或は沖繩、臺灣、朝鮮方面へ交易されていたのであります。現在改修工事は五箇年工事で進行中でありますが、氣象觀測所の設置、あるいは臨港鐵道の敷設事業、そういつたことと相まちまして、南九州一蔕の重要な貿易港として、油津港が擔うべき使命は、非常なものがあると思うのであります。
それから昭和九年から十一年に朝鮮、台湾から相当米が入つて來た。それから國外に相当の人が出ておつた。ところがそれが今日では逆になりまして、米は入つて來ない人は帰つて來た。こういうような事実は、儼然たる事実でございまするけれども、パリテイ計算には私は現われんと思います。そういうものを御考慮になつておるかどうか。
今までの例としては、台湾、朝鮮に起つたあの法律を要する事項を律令あるいは政令で規定してもよろしいということにした。あの例にこれが似ておる。殊に最初に問題になつた六三法律案によくこの法律七十二号が似ておりますから、おのずから委任の限度というものを考えなければいかぬ。そうしなければ実際において政府が自由にやることになるから、この問題は檢討しなければならぬ問題だと思つております。
殊に日本海方面は對岸の朝鮮、あるいはシベリヤ、あるいは樺太、そういう方面から寄航密入を企てる者が相當ございまして、最近もそういう者がつかまつたということがあるのでございます。ところで海上保安基地としての何らの施設も日本海方面にはございませんので、遺憾ながらみすみす密入密航を企てる者に對して、それを取締れないような現状に相なつておるのであります。
それは檢査報告の四十二ページにございます官金の問題でありまして、陸軍の共済組合から大藏省の預金部におきまして満洲、中國、朝鮮などの外地の関係の有價証券七百九十二万余円を買入れたという件に対する質問で、ございましたのでありまするが、この件につきましては御承知の如く政府の弁明書がございまして、政府の弁明書の二〇ページに書いてあるのでありますが、政府におかれましても、大体会計檢査院の批難の要旨の通りであつて
対会社請求権確保に関 する陳情(第百三十九号) ○海外引揚者の住宅問題に関する陳情 (第二百六十三号) ○戰争犠牲の公平負担に関する陳情 (第二百八十七号) ○在外個人資産の補償に関する陳情 (第三百二十六号) ○同胞救済金の償還に関する陳情(第 三百二十七号) ○青島における居留民立替金の返還に 関する請願(第二百三十一号) ○海外引揚者の送金爲替支拂に関する 請願(第二百三十二号) ○朝鮮
決して東亞を除外するはずはないという心配からいたしまして、このコミンテルンの對象がいずれは東亞に來ると思うが、これをどうお考えになるか、殊に東亞におきましても朝鮮問題あるいは中國における中共の問題とか、現實にこれに直接關連をもつ問題があるのでありますから、このコミンテルンの東亞に對する將來の關係、ないしはもしこれに對する日本としての對策というものについて承れたら幸いだと思います。
朝鮮におきましても、三十八度の一線を盡して、そこには米ソ兩勢力團の深刻な對立が行われております。さらにこの米ソニつの世界の對立ということは、今囘のコミンテルンの復活ということを契機といたしまして、一段と露骨になり、遠く海を距てて南米大陸までこの對立の渦中に投ぜんとしておる現状でありまして、われわれは現在地球上どの一點を取上げてみましてもそこに米ソニつの世界の激しい爭いの姿を發見するわけであります。
若松 虎雄君 多賀 安郎君 出席國務大臣 内閣總理大臣 片山 哲君 出席政府委員 内閣官房次長 曾禰 益君 外務事務官 法華津孝太君 委員外の出席者 外務事務官 曾野 明君 ――――――――――――― 十月十四日 北鮮に殘留中の邦人釋放に關する請願(川合彰武君紹介)(第九〇七號) 朝鮮
そのときの人口が日本には一億に足りなかつたのか、あるいは一億以上あつたから、それを一億に減ずるのか、一億に足りないから、一億に殖やすというのであつたかは知りませんが、私の覺えているところによりますと、朝鮮の人口は二千六百萬、そのときの内地の人口が小くとも七千何百萬人ほどあつた。これに樺太、千島、あるいは琉球を加えれば、すでにそのときに一億以上あつたのかもしれない。
場所によつては全然ないといつてよいくらいのことで、そこで私が朝鮮におりました時、私の関係しておりました会社では、そうした極地に行けば行くほど給料を特別によくしたわけであります。これでも例えば文化生活……本一册買うにしても京城まで出るか或いは人頼みをしてそれだけ余計かかる。