1951-05-08 第10回国会 参議院 運輸委員会 第16号
運輸大臣になつてからいろいろ考えた程度でありますが、これらも常に向上、改善、進捗というようなことを頭に入れて置く、政治家の責任としては、それらのこともやはりみずからどういうふうな形で着手するかということは、第二段として常に心の中に置くべきはずである、置くことが当然の義務であろう、こういうふうに私ども考えます。
運輸大臣になつてからいろいろ考えた程度でありますが、これらも常に向上、改善、進捗というようなことを頭に入れて置く、政治家の責任としては、それらのこともやはりみずからどういうふうな形で着手するかということは、第二段として常に心の中に置くべきはずである、置くことが当然の義務であろう、こういうふうに私ども考えます。
一般的国民の知識と自覚の向上がなければ、任意分業は理想といたしますが、これは到底不可能ではないかと思います、特に私はお願いいたしますことは、この多数の政治家諸公と相並行いたしまして、学者界、いわゆる国民の指導陣と言いますか、これらのかたがたは一党の政策云々でなくしてです、現実と絶えず客観情勢に即応すべくあらゆる法律案を改正実施せよ。
今日のごとく法案にまだならずに、提出されずに、政治的に動く余地のある間は、もちろん私は、大臣としても、一個の政治家としても動いたのであります。しかしながら一つの法案として、政府提出であれ、議員提出であれ、院議によつてすでに決定したる以上は、衆議院といわず、参議院といわず、これに対しては行政府としても、政治家としても、院議尊重であります。
(拍手)わが党また、つとに、講和は八千万国民とともにということを主張して参つたのでございまするが、今日まで吉田内閣の講和に対処する態度は、どこまで薄暗い中世紀的な不明朗に終始いたしております点において、まつたく近代政治家たる感覚を失なつていることは、祖国のためにまことに遺憾にたえないところでございます。
今後ともあなたの方で委員会をつくつて、その委員会というものの結論が、たまたま敗戦国の政治でありますから、一本建で行かない、二本建で行くから、私どもは従の形であります、そういう場合に、その委員会というものが、りくつは抜きにして、名分は抜きにして、実質的に政治的な工作が相当働くとするならば、私どもは政治家として根本的に考え直さなくちやならぬ重大問題なのでありますから……。
そうして法務委員会はそのたびごとに煩わされなくちやならんと思うのですが、法務総裁は政治家としましてこういう問題を解決するために、学校問題は朝鮮人の自主的な立場において民族的な教育をすることを認めるように御努力をなさる御意思があるかどうか伺いたいと思います。
更に経済自立に必要なる電力の開発、それから造船設備の合理化等々のために政府は多額の手持資金を持つているのでありますので、速かにこれを放出されることが即ち能力ある政治家のなすべき道であろうと考えております。
これは陳謝できないことは政治家の常識でありましよう。こういうことが百もわかつておりながら、陳謝させようという、こういうところにこそ——初めから持つて行つたんでは除名の同調者が獲得できないので、手の込んだ筋書きを計画した、これが諸君の最初からの陰謀であつた。そうしてしかもその証拠には、本会議において当の川上君に一身上の弁明さえも十分にさせないでおいて、議長がこれを禁止したではありませんか。
実は政治家としても、長い戰争の間に今なお敷設法が生きておるかというようなことを自分みずから疑うような、古い経済状態、国情の下に制定せられた敷設法が生きておるのであります。而も戰後における日本の自立経済復興の情勢から考えて行きまするというと、二十年も前の敷設法に最善なりと信ぜられて数え挙げられたところの路線を、ことごとくその通りに今日の現下の情勢に適切なものなりとは考えられないのであります。
それから附加えて御感想の中にあつたようでありますから申上げますが、我々は政治家としても、一国民としても、北海道である、九州である、四国である、本土であるといつて差別的に考える気持は毛頭持つておりません。 〔理事佐多忠隆君退席、委員長着席〕 仮に北海道において植民地扱いをされるがごとき考える持たれるならば、そういう考えを持たれておるのが間違つております。
(拍手)それこそが文相として又政治家としての天野氏に要望されているところの第一の任務ではないかと思うのであります。ところで、このような重大な基礎的條件の解決に対して殆んど無関心な当局が、大学教員の身分上の制限のみに狂奔しているのは、明らかな自己矛盾である。
戰争奴隷を望み、国民を再軍備に扇動しておる危険な反動政治家がある、現に——の、ごときは、その最も有名な代表の一人である、(「その通り」)ことに吉田内閣に至つては、これは言語道断、国民に何一つ相談もせず、国会にも諮らず、外国の力を借つて、こつそりと————をつくつておる、などと言明しておるのであります。
それこそが文相として政治家としての天野氏に要望されている第一の任務ではあるまいかと私は思う。ところでかかる重大な基礎的條件の解決に殆んど無関心な当局が、大学教員の身分上の制限にのみ狂奔しているのは明らかな自己矛盾である。否、かかる劣悪な待遇條件を一方的に押しつけるためにこそ、下からの叫びや運動を抑圧せんとするりのが本法第五條改悪のねらいであると言わなければならない。
○木村守江君 私は大体におきまして現在の政治家が、自分の選挙のために、自分の選挙地盤を守らんがためにややもすれば自分の良心に反した政治行動をしているのではないかと考えるのであります。このことを是正して参りますのは、これは参議院でなければならないと考えております。特に私は先日大隈君等と話しまして、参議院の正しい道を行くべき一つの大綱を知つたのであります……。
いつまでたつても実現されないが、新線建設と独立採算及び国鉄予算との関係並びにこれに対する大臣の努力はどうかと質したのに対し、大臣は気持においては、あなたと変りはないが、日本においては只今は日本国有鉄道法が嚴存しておりこれによつて今動いておるのであるが、どんな山間僻地をも開発して住まねばならんような乏しい資源の日本においては、どうしても国民の要望に反することが多い、米国のごとく資源豊富な国とは違う、私も政治家
庶務課長の答弁はまあ失礼ですけれども、平衡交付金制度の研究家或いは教育財政の研究家といつたようた感じがしまして、生きた教育行政家或いは政治家というような匂いがしないで非常に遺憾に思うのです。
農業問題へのふまじめさは、やがて世界の現状、日本の地理的政治経済のあり方よりして、廣川農相が共産党非合法化問題でなめた苦杯よりもつとひどいしうちを、保守政治家廣川氏と、その率いる政治勢力に與えるでありましよう。 日本の政治家は、日本の国富を軍艦長門や武蔵につぎこみ、太平洋のまつただ中にたたき込んでしまつた。このむだな、ど根性が、まだ残つておるのであります。
〔若林委員長代理退席、岡(延)委員長代理着席〕 これを考えてみますと、最近新聞で、外交の問題は秘密がよろしいのだ、こういうことを言う政治家がおりますが、やはり宗教法人法案もそういう運命かなと思つて考えたが、しかし事これは私どもの道徳やあるいは人間の心の機微に触れる、人間の生活の根底になる法案なのでありますから、十分これは一箇年くらいの猶予期間を置きまして、私どもの意のあるところを盡さしめて成立せさていただきたい
マツカーサー元帥は、口を開けば、あの宣言書の中に、宗教的の信念が出ておりますが、日本の政治家の中に、総理大臣のいろいろの施政の中には、宗教的情操というものを見出すのに苦心をする。将来私たちは、政治の面においては、この点に重点を置かなければならぬと思うのであります。この要点として、政治と宗教との分離であるか、宗教団体との分離であるか、こういうことについて、ひとつ御意見を伺つてみたいと思います。
ことに政治家などにもそういう人がたくさんおる。またキリスト教の信者で、ある教会の代表者になつていて、また神社の相当重要な位置にある、こういう方もあるわけです。こういう事実が今度の法人の認証を求める届出に際して、両方の役員として届けられる場合があると私は思います。
こういうことは質問事項と別なようでありますが、池田さんは少くとも東西の政治家として立派であり、財政通としては一流中の一流であると思いますが、鹿を逐う猟師が山を見ずに疵つくことがありますが、余りに金に汲々として、人の心をときどき見失うんじやないか、集まつた金、その底には集めて来る心があるのでありますが、それを見失つた結果が、古い記憶でいやなことでありますが、中小企業の問題で、三十人二十人は倒産しても、
ただ機関と構想のみもてあそぶということは、学者ならいざ知らず、現実の問題を取り上げようといるわれわれ政治家は、その論断はとりたくないと思うからして、簡単でよろしいから、この改正案で、どうしても決定機関の性格を諮問機関にしなければならないという理由をお答え願いたいと思います。
金さえできれば競輪でも結構だし、更に競犬なんか言つておりますが、それでも結構だと、そういうような、金さえもらえればいいというので警察予備隊を引張つたら、元軍部で儲けた経験があるものですから、警察予備隊を持つて来さえすれば何とか地方の繁栄になるというのでそのためにはどの学校を提供しようが結構だというような、まあ文化国家を掲げている政治家としては実におかしいと思うのでありますが、そういうときかく感覚で、
○小林(信)委員 これはただ国民だけでなくて、事教育行政を検討する立場からして、一般政治家、あるいはもつと局限してその財源を扱うところの大蔵省というようなところが、無償といえば、小学校の一年の、しかもその中の一部分の教科書を配付するというふうな小さいもので無償の範囲を考えられたのでは、憲法の条章というものは、いよいよ縮小されてしまう。これはやはりそういうことを発表すれば、影響するところが大きい。