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222件の議事録が該当しました。

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1959-10-08 第32回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 五ヵ年計画によって、これから統一してやろうということはまことにけっこうなことで、私ども同感いたしまするが、ただ問題は、農林省干拓地方に補助をする部分がある。こういうようなものに対しても、やはり五ヵ年計画によってこれを施行するかどうか。干拓に対しては、そろばんをはじかなければいかぬ。理想だけ言ったのでは空論になる。しかしながら、先ほど申し上げたように、潮は工費をあまりかけていないところへもやんわりはこない

逢澤寛

1959-10-08 第32回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 私は約束の時間もあるし、すでにもうだいぶ時間を経過しておりますから、問題点を二つにしぼってお尋ねしたいと存じます。従いまして、その関係するところが大蔵省農林省建設省、こういうことに分れますが、私のお尋ねしますことで、関係の方が大蔵省から見えておりませんならば、これは非常に重要なことでありますから、その点をまたよくお伝えをいただきまして、適切なる措置を講じていただきたい。  まず第一点

逢澤寛

1959-10-07 第32回国会 衆議院 建設委員会 第7号

逢澤委員 先般の十五号台風に対する本院の申し合せによりまして、私ども一行は、建設委員会からは羽田委員長中島委員、さらに私、農林関係からお二人等々が、去る九月二十六日の本邦を襲いました台風十五号につきまして調査をいたしました。その報告をこれから簡単に申し上げたいと存じます。  この台風は、全国各地に甚大な被害を引き起したのでありますが、特にその中心である東海地方のうち愛知、岐阜の両県につきまして、

逢澤寛

1959-08-10 第32回国会 衆議院 建設委員会 第4号

逢澤委員 適正な答弁をいただきましたので、感謝したいと思います。  もう一点だけ申し上げておきたいことがありますが、それは、これはやっていただくとしても、現実に直面しておる、今災害の生じておるものの処置の問題なんです。この処置には、あるいは時間的に間に合わぬかもしれない。そこで今回の、特に福岡県のあの一部の災害は、これは特殊性があるのです。それは、雨量が短時間の間に三百ミリも三百五十ミリも降ったということと

逢澤寛

1959-08-10 第32回国会 衆議院 建設委員会 第4号

逢澤委員 私先ほどちょっと席をはずしておりましたのですが、月に一回くらいの建設委員会でありますので、この際一言だけお伺いしておきたい。それは、この委員会でもう数年にわたって問題になっております小災害問題——十万円と十五万円とのあの問題でありますが、今回生じました特に福岡県の問題が非常にいい例を示しておるのであります。そこで、これは福岡県を契機とするわけではありませんが、すでに小災害に対しては一応

逢澤寛

1959-03-10 第31回国会 衆議院 建設委員会 第16号

逢澤委員 今そういうようなお考えがあるということを聞きまして、私ども意を強うしておるのですが、特にこの機会に御注文申し上げておきたいことは、住宅をこしらえるにはどうしても金が要るのだから、税の問題ももとより必要でありますが、金融の面においても、ある程度の考慮を払うということになりますると、私は相当促進ができると思いますので、参考までに申し上げておきます。この点につきましても、一つ考慮をいただきたいと

逢澤寛

1959-03-10 第31回国会 衆議院 建設委員会 第16号

逢澤委員 関連して。先ほど住宅政策の根本について検討すべきだというお話があったのですが、私もぜひ必要だと思う。特に今質問者の方からいろいろの御質問があるのを拝聴しておりまして、現行の住宅政策というものに非常に欠陥があるのではないかということを痛感しておるのです。それは、今質問者お話の中にもありましたように、自力建築というものはきわめて困難であるということをいっておる。特に戦前の貸家といいますか、

逢澤寛

1959-03-03 第31回国会 衆議院 建設委員会 第13号

逢澤委員 関連してちょっと建設局長にお伺いしたいのですが、今中島委員から御指摘になりました通りに、東京都があの戦災直後遠大な計画をしておるということは、われわれよくわかる。ところで一方、その所有者に対する権利を非常に抑圧しておる。というのは、まあ計画というものは五年とか十年という計画ならこれは話はわかる。ところが二十年も先の、まだ今ではほとんど計画できていない、ただ頭の中だけの計画で、土地所有権

逢澤寛

1959-02-25 第31回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 関連して。ただいまの茜ケ久保委員お話は全く同感なんであります。そこで政府としては、その際に、それらに対する賠償責任日本政府が持つ、しかしながら生命に対関することは云々というような具体的なものをぶっつけねば、ただ頼む、頼むと言ったのでは、私は得心いかぬと思う。具体的に、賠償については日本政府責任を持つから、人命については一応こういう手配をしてくれ、これが国民感情でもあるということをぶっつけてもらいたい

逢澤寛

1959-02-25 第31回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 もう一つお願いします。あなたにぜひ案内人として行っていただくのが一番有効適切だと思うのだが、これは、一つには国の予算の面と、あるいは有志からそういうような資金を集めるというような方法もあるでしょう。それにしても、行っていただくということが一番のなにになると思いますが、あなた方の今までのいろいろの御苦労の経験からいって、人里離れて一日くらいな行程のところで今住居を転々としておるとか、あるいは

逢澤寛

1959-02-25 第31回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 関連して。大へんの御苦労、感謝しております。ただいま私のお尋ねしようと思う同じことをお尋ねになったのだが、捜査について、あなたが牛や馬をときどき食糧のためにとりに出た、これにはどのくらいの時間がかかりましたか。私は、大体山の大きさというものが知りたいと思うのだが、それには時間がどれくらいかかったか。

逢澤寛

1958-10-17 第30回国会 衆議院 建設委員会 第5号

逢澤委員 関連質問。ただいまの質問の中に、私どもちょっとこの機会に、当局方針なり意見を聞いておく必要があると思いますのは、土地収用法を強制的にというようなお話が今あった。それで私どもは、ある場合には、現下のいろいろの法規の上から、強制収用ということは困難だと思います。これはできぬ。しかし、これは、特にここにおられる建設委員の方々は、一番よくおわかりだと思う。それは、いろいろな事業をやる、たとえて

逢澤寛

1958-09-01 第29回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 大臣お話は、新潟などの例をあげてのお話だったが、私どもの想定では、その感覚が違うと思う。あの地帯は、かつては海であった。地盤の二十メートル、三十メートル、四十メートルくらい下は、おそらく泥土であるということが想定される。その軟弱地帯の上に、重量のあるセメント工場を作るのだから、とうふの上に石を置いたような形になっておる。そこに対して、そういうものを建設する場合には、どういうような基礎くいを

逢澤寛

1958-09-01 第29回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 私は、この沈下に対しては、たとえて言えば、地下水の採取などに対して制限をするとかいう措置は、おそらくとってあったと存じております。とってあっても、なおこの表でもいっているように、年々五センチくらいの沈下を継続的にやっておると書いてある。そうすると、何かの対策をせねば、防潮堤をやっても、年々五センチも低下していくのであれば追いつかぬと思う。さらに、今の答弁ではきわめて不明確だから、断定は許

逢澤寛

1958-09-01 第29回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 関連質問。ただいま江東地区防潮堤のことについて議題になっておりますが、この間の十一号台風によって、あれだけの被害をこうむった、これに対する防潮施設重要性ということは当然であります。しかし、ここに考えねばならぬことは、あの工業地帯が、この表によりますと、年々相当の地殻沈下をしておる、よってきた原因は何であるかというと、結局地盤沈下が重要な問題である。地盤沈下によるから、あれだけの台風でも

逢澤寛

1958-07-09 第29回国会 衆議院 建設委員会 第6号

逢澤委員 もうちょっと詳しく申し上げておきますが、計画路線というのが二通りも三通りもあるらしいのです。そこで一次路線というのは二年間にやるか三年間にやるかということを期限を指定している。ところが戦災後に、計画を立てるということが法律にきめてある。そこで計画だけをずっと線を引いたわけです。その線に対しては木造建物からやっていく。ところが不燃焼建物をやることができないという指示をしている。一方には不燃焼建物

逢澤寛

1957-03-15 第26回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 私の質問はごく簡単ですが、ただいま中村参考人お尋ねいたしたいことが一点あります。それは本件のお述べになりました参考意見信憑力についてであります。それは、先ほど陳述されました徳田参考人陳述は、組合代表的の意見と了解してよろしいのでありましょうかどうかということにつきまして、中村参考人お尋ねをいたします。

逢澤寛

1957-03-15 第26回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 関連して……。島根県の河川局長参考人お尋ねいたしたいのでありますか、こちらであなた方の参考意見を聞いておりますと、職権によって未定の事実に対して仮想をして、その仮想をもとにいろいろ答弁ができておる、そうしてその答弁というものは今後の非常な資料になってくる、確定しない仮想のものをとらえて、あなた方責任のある立場の人が将来にそうした禍根をつくるような答弁をされておりまするが、これに対してあなた

逢澤寛

1957-03-15 第26回国会 衆議院 建設委員会 第8号

逢澤委員 私はあとから質問がありますけれども、今のことに関連したことを一つお尋ねいたします。河川局長はこの補償要求に対して、これを肯定するやの意見があるらしいのです。従ってそれを島根当局調査方を命じて相談をした、こういうお話が今あったと思いますけれども、私はこの問題の調査をすることは当然であると思いますが、今承わりますと、組合側会社側においては、先ほど徳田参考人陳述にもあったように、すでに

逢澤寛

1957-02-16 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 大臣が非常にお急ぎらしいから、ごく簡単に話をしておきたいと思います。ただいま中井委員の方からお話になりましたように、あの戦争の末期の状態は、御指摘のような通りであります。そこで、私がお尋ねし、また要望しておきたいことは、国家総動員法に基いて徴用したとか、あるいは動員をしたとか、こういうような種類のものがたくさんあります。国家の要請によって拘束されて、この戦争に協力した人の始末が、形はつけたかもしれないけれども

逢澤寛

1957-02-16 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 関連。ただいま堀内委員の方から、仮称無名戦士の墓についての基本的な考え方についてお話がありましたが、これは私は非常に意外に思うのです。一体無名戦没者の墓という仮称ではありますけれども無名戦没者の墓としての構想で現在千鳥ケ淵云々ということで、数次にわたってこれを本委員会でも論議された。また別にあの設置については、諮問委員会の方で、厚生大臣の名において二回も三回にもわたってやったが、これはいわゆる

逢澤寛

1957-02-14 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

逢澤委員 御趣旨はわかるのでございますが、そこで具体的に、留守家族の人々も、いろいろの情報を総合すると、もうなくなっておるんだ、こういうことをすでに確認した人に対しては、証拠がどの程度なら政府もこれを承認するか、こういうことです。それをできるだけ簡易な方法一つ確認を承諾していただく、同時に、おそらくこれからもそういうような人が出てくると思う。死亡を確認したけれどもあとから戻ってきたという人、それらの

逢澤寛

1957-02-14 第26回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

逢澤委員 根本的には、私はいろいろお尋ねいたしたいことがあるのでありまするが、ちょっと、きょうの問題といたしまして、質疑を行なってみたいと思います。それは未引揚者の問題であります。いまだ引き揚げが済んでいない人の問題であります。その中には、すでに十三年にもなるので、実際は死亡したという人があるのです。ところが、二、三年前にもそれらのことがあって、それが死亡確認がつかなければ処理できぬということで、

逢澤寛

1956-12-03 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 大体御答弁趣旨はよく了承したのでありますが、しからば、今のお答えは、政府としても今度できるお墓が、決して全戦没者英霊対象じゃない。従って、これを代表としての取扱いはしない。もし外人などが参ると言えばこれは御勝手のことだが、これを代表として政府がこれに案内し、これに招待はせぬ、こう仰せになったと了承してよろしいでしょうか。

逢澤寛

1956-12-03 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 もう一点お尋ねして、ここに記録に残しておきたいと思いますのは、今、厚生大臣からお話のありましたように、決して信仰の対象を二分化するものじゃない、あくまでも全戦没者英霊対象靖国神社である、こういうお話であったと了承するのであります。従いまして、そういうようなお気持で建設されるお墓であるとするならば、たとえていいますと、外国代表者外国使臣などが日本を訪問した際に、儀礼的に無名戦士

逢澤寛

1956-12-03 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号

逢澤委員 ただいま厚生大臣から、無名戦没者の墓、無名戦士の墓の建立につきまして御説明がありました。私的には、先ほど大臣から仰ぜになりましたように、先刻の会議におきまして了承をいたしたのであります。もとよりこれは日本遺族会が非常に深い関心を持っておりますので、その意見を伝えまして、大臣の御答弁をいただいておるのでありますが、しかしながら、これはいやしくも戦没者二百万人の英霊のその精神にも影響のある問題

逢澤寛

1956-11-28 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

逢澤委員 ただいま山下政務次官お話の中に、神社に対する国民的な尊敬の念は、これは維持しておる、こういうお話がありましたが、それは念は持っておられるけれども政府として、事実ができていない、実行ができていない。それは現在の国民として靖国神社に対して尊敬をせぬという人は、小数の人で、ごく少いと思います。けれども、その気持があっても、それが形の上に現われていない。この点は非常に残念です。今あなたが仰せになった

逢澤寛

1956-11-28 第25回国会 衆議院 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第3号

逢澤委員 山下政務次官は、大体全国戦没者遺族会がさきに要望しておる事柄については、それぞれ局長を通じて御承知だと思うのでありますが、両三年前に一応この議が上ったことがあります。その際に、全国遺族は、そのための会を開きまして、当時、無名戦士の墓としての問題をやったのであります。その当時、最終には千鳥ケ淵というようなことも田邊援護局長の口から出たこともありますが、そのときの日本遺族会考え方としては

逢澤寛

1956-11-27 第25回国会 衆議院 建設委員会 第2号

逢澤委員 それで大体の方針はわかったのでありますが、特にこの際総裁に認識していただきたいことは、ダムを作る事業道路というものとはすっかり性格が違う。道路というものは、御承知のように、千キロも二千キロもの長距離の上に大きな金額が要る。たとえていえば、一つの橋梁を作るとかあるいはトンネルを作るというところに集中的の技術と、そして時間がかかる。これをダムのそれに比べるということになると、非常に延長がある

逢澤寛

1956-11-27 第25回国会 衆議院 建設委員会 第2号

逢澤委員 私は営利の点も建設省がやるような方針をのみ踏襲をすることはできないという総裁お話はわかるのでありますが、ここで私は特に承わっておきたいことは、実際施工するときに、大体今日は道路局長おいでになっておるのだからよくわかっておるのでありますが、従来の日本道路は、その施工に当っては大体日本技術をもって施工しておる。ところがこれは私総裁から直接聞いたことでないからわかりにくいのでありますが

逢澤寛

1956-11-27 第25回国会 衆議院 建設委員会 第2号

逢澤委員 ただいままでいろいろの質問がありましたが、幸い今日は岸総裁おいでになっておるので、私は実際施工の面における公団の御方針を承わっておきたいと思います。道路公団日本の交通、産業、文化の促進を本質的に考えて、その上に公団が乗りかかって、先ほどお話しになりましたように建設省計画しておったその一部も踏襲してやる、こういう御方針のように思っておるのでありますが、大体すべての方針をそういうような

逢澤寛