2004-03-23 第159回国会 衆議院 本会議 第17号
首里城の復元、金融・情報特区の創設も、山中先生なくしては実現しえなかったのであります。 この終生変わらぬ沖縄への思いは、台湾の師範学校時代に沖縄の友人たちとの交流から芽生えたものであります。また、あの悲惨な沖縄戦の犠牲の上に今の日本の繁栄があるのだという根元的な思いが、先生の脳裏から去ることは決してありませんでした。 昨年十二月には、沖縄県名誉県民第一号が贈呈されることが決まっておりました。
首里城の復元、金融・情報特区の創設も、山中先生なくしては実現しえなかったのであります。 この終生変わらぬ沖縄への思いは、台湾の師範学校時代に沖縄の友人たちとの交流から芽生えたものであります。また、あの悲惨な沖縄戦の犠牲の上に今の日本の繁栄があるのだという根元的な思いが、先生の脳裏から去ることは決してありませんでした。 昨年十二月には、沖縄県名誉県民第一号が贈呈されることが決まっておりました。
○鈴木国務大臣 現在のところ、東京タワーそれから北海道庁の赤れんが庁舎、横浜マリンタワー、明石海峡大橋、さらに、熊本城を初めといたしまして彦根城、松江城、沖縄県の首里城など、全国六十三の施設がこのライトアップの消灯に御協力をいただけることとなっております。
今年は沖縄が、ペリー提督が来航してちょうど百五十年、これは日本も同じでありますけれども、日本の浦賀に来航する前に、一月前に沖縄に来て、そして沖縄と琉米友好貿易協定みたいなものを首里城でちゃんと交わして、その貿易協定というものは今でもワシントンで生きているという話を私は聞かされましたけれども、やはりそのことによって日本の構造というものが、徳川幕府からいろんなものが、ある意味で閉塞感が伴って明治の時代に
次に、那覇市の首里城公園を視察いたしました。首里城は琉球王朝の政治等の中枢で、第二次大戦前は国宝に指定されていましたが、戦争によって灰じんに帰しました。平成四年に正殿が復元、首里城公園として開園され、十二年には遺構が世界遺産に登録されております。
この一年の具体的な動きについて申し上げますと、観光産業につきましては、エコツーリズムの推進事業、首里城その他の世界遺産の周辺整備事業、健康・保養型観光推進事業を新たにスタートさせ、また沖縄美ら海水族館の開館など、この観光振興に大変力を入れまして、一時的には同時多発テロで打撃がございましたけれども、昨年は観光客数四百八十三万人と、前年比九%の増加を見ることができたわけでございます。
次に、国営沖縄記念公園首里城地区に移動し、国営沖縄記念公園事務所から世界遺産に指定された首里城とその復元事業についての説明を聴取し、視察いたしました。 続いて、これも世界遺産に指定され、首里城近くにある第二尚氏王統歴代の陵墓である玉陵を視察し、那覇市教育委員会から説明を受けました。
テロ特措法を審議したこの場でも扇大臣にも申し上げましたが、直ちに安全宣言をしていただいたり、遠山文部科学大臣も首里城で高校生と対話をしていただいたり、いろいろ安全のためのことをやっていただいてはおりますが、現実には観光客のキャンセルが相次いでおります。
昨年、九州・沖縄サミットの首脳会議が行われたのでありますが、この首脳会議が行われた会場は万国津梁館と命名されておりますが、一四五八年に、当時の尚泰久王が、首里城に万国津梁の鐘を掲げたわけです。
私も外務省にお願いして出していただいた資料がここにあるんですが、首里城の図面作成契約金額が六千九百七十九万円、それから社交行事第一次企画書作成というのが一千三百万円。この企画書の作成の一千三百万円というのは、算定の基準というのはどういうふうにして出すものなんですか。
総経費といいますのは、準備段階に一年ぐらいかけて準備をいたしておりますけれども、いろいろな首里城の改修とかそういうことも含めて、総額八億一千三百万円ということでございます。
○田中政府参考人 私、個別詳細については今お答えできませんけれども、私が承知している範囲で申し上げると、まさに、これはもうずっと、例えば首里城というものを改修し、そこでどういう形で晩さん会をやるか、そのときに必要な一つの図式、雰囲気というものはどうかということも含めて、浅利慶太氏のアドバイスがあったというふうに承知しております。
これに対して、沖縄の特性であります長寿という点、あるいは食文化などを生かした総合的な保養の場の形成、あるいは世界遺産にも登録されました首里城に代表される琉球王国などの歴史や文化を活用する、また自然を利用したエコツーリズム、こうした沖縄の特性や優位性を生かした産業の振興など、地域の特色を生かした振興が図れますように、現在、ポスト三次振計に向けての検討を進めてまいっております。
なお、雇用失業問題を解決するためにも、産業構造のバランスを考えるのではなくて、やはり沖縄の南の玄関口としての地理的な優位性、あるいは島嶼・海洋性、亜熱帯の温暖な気候を持つ地域、あるいは昨年十一月に世界遺産に登録をされた首里城を初めとする歴史文化の蓄積など、また、日本全国で一番長寿、長生きする地域といういわゆる健康の島、こういった優位性を生かした産業を興していくことが私は雇用失業問題を解決する上で非常
そこで、復元された首里城を舞台として、当時十七世紀の琉球を主題にした「琉球の風」という、これは陳舜臣さんの原作でございますが、を放送すると。これは、南から風穴をあける、歴史観にですね、という観点から立っている。
それと、昨年だったと思うんですけれども、首里城初め琉球王朝時代の城跡などを世界遺産に登録申請したということを新聞で見ましたけれども、その後どうなっておられるのか。 そういったことにつきまして、政務次官にお尋ねをさせていただきます。
首里城の世界遺産の問題でございますが、首里城跡を含む琉球王国のグスク及び関連遺産群、こういうことについては昨年六月に文化庁長官からユネスコの世界遺産センターに推薦書を送付しております。 来る十一月末から十二月初めに開催される第二十四回世界遺産委員会で審査され、登録の可否が決定されると、こういう予定であるというふうに聞いております。
○島袋宗康君 沖縄のことを話しますと、戦前は国宝クラスの遺跡が相当あったわけでありますけれども、残念ながら戦争によって全部破壊されまして、やっと首里城が四年前ですか完成をしたわけでありますけれども、それによって沖縄県民は非常にこの沖縄の文化、歴史、そういったものを非常に大事にしようと。
このほか、今年から発行される二千円札の図柄に選定された首里城公園内の守礼門を視察したほか、名護市においてサミット開催会場に予定されております万国津梁館及びプレスセンターの建設状況を視察しました。 以上、概略を申し述べましたが、今回の派遣におきまして調査に御協力いただきました関係行政機関、団体及び事業所の方々に対しこの席をかりまして厚く御礼を申し上げ、派遣報告を終わります。
きのう、おととい、総理の奥様が首里城に赴かれたというのがテレビで出ておりました。それはそれで一向に構いませんが、この前、いわゆるサミットの歌をつくるんだということで、小渕総理がみずから小室哲哉さんに電話をかけた、こういう話がかなり大きくいろいろな新聞に載っておりました。
守礼門というのは、四百年前、何度も言うようですが、明の使節がいわゆる琉球国王のところに赴くときに、首里城からまさに琉球国王が出て、守礼の門で中国、明国に忠誠を尽くすという、土下座したかどうかは知りませんが、少なくも服従の意を表した、まさにその門なんですよね。
かつての首里城正殿に置かれた鐘の銘にちなんだ万国への橋渡しという意味だそうであります。まさしく沖縄サミットの今日の意義を何よりもよく示しているではありませんか。 私は、ここで三つの提言をしたいと思います。 ことしをスタートとして、毎年時期を定め、万国津梁館にアジアの国々、地域の代表が一堂に会し、スイスのダボス会議のような沖縄アジア会議を創設したらいかがでしょうか。
○照屋寛徳君 官房長官、最後に、せんだって那覇市長や那覇市議会の代表からサミットの政府主催の首脳夕食会を首里城で開いてほしいという要望があったと思いますが、そのことについて、長官並びに総理のお考えをお聞きいたします。
○照屋寛徳君 首里城を採用するならまだわかるけれども、守礼の門はどうも納得できない。 大蔵大臣、御相談を受けて、どういうふうな考えをお持ちになりましたか。
○島袋宗康君 沖縄の代表的な首里城の問題については、これは米軍の統治下にありましても県民の総意で石垣の修復をしたりあるいはそこに沖縄の泉がありますけれども、そういった地域の整備あるいは龍潭池の整備等着々と周辺の整備をして七年前ですか、首里城が正殿として完成したわけであります。これはアジア諸国からも非常に注目されている首里城であります。
○政府委員(山本正堯君) 先生御案内のとおり、国営沖縄記念公園は、閣議決定を経て整備が行われている国営公園でございますが、昭和五十年度から沖縄国際海洋博覧会の跡地に整備を進めております海洋博覧会地区と、それから沖縄の復帰を記念する事業の一環として昭和六十一年度から整備を進めておる首里城地区、この二カ所がございます。
○国務大臣(関谷勝嗣君) 先生御指摘のように、首里城につきましては五月二十一日の文化財審議会において琉球王国のグスク及び関連遺産群の一部として世界遺産に推薦されることが了承されたところでございます。 国営沖縄記念公園首里城地区は、首里城の中心部にありこれまでに首里城の復元等を行ってきたところでございます。
次に、国営沖縄記念公園首里城地区を訪れ、沖縄の歴史、文化の拠点とも言える首里城公園の整備状況の説明を受け、園内を視察いたしました。 次に、那覇空港から那覇市首里汀良町間、約十三キロメートルの都市モノレール建設事業について概況を聴取し、現地を視察いたしました。 最後に、自由貿易地域那覇地区を訪れ、その実情について説明を受け、地区内を視察いたしてすべての日程を終了いたしました。