1948-11-18 第3回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第15号
○野田證人 私は九州の方には北九州の日本製鉄、三菱化成、それから安川電機、八幡製鉄所、福岡におきまして集中排除法のお話を商工会議所でいたしますことと、それから長崎に三菱重工業造船所、三菱製鋼、川南造船所、この視察を主として参りました。
○野田證人 私は九州の方には北九州の日本製鉄、三菱化成、それから安川電機、八幡製鉄所、福岡におきまして集中排除法のお話を商工会議所でいたしますことと、それから長崎に三菱重工業造船所、三菱製鋼、川南造船所、この視察を主として参りました。
たとえば漁船の修理工場、あるいは機関の修理工場、造船所、あるいは製繩工場とか鉄工所、いろいろな間接的な事業に携つており、從つて工場をたくさん持つております。だがこれらの工場というものは、現在の状態におきましては、戰時中と違つて幾らでも市中において用を達し得ることから、水産業会自体が、これらの工場を今なお持つておらなければならぬというような状態ではないのであります。
それはけさの新聞に川南造船所所属の船が四隻拿捕されて、その船の船員は銃殺された者もあるし、いろいろあつて、その残りは帰還を許されて帰つた。という記事があつたのです。これは確めてもらいたい問題でありまするが、以西低引が從來区域外へ出て漁業をするとかしないとかで、今の川南の船を加えたならば二十隻くらいはもうすでに拿捕されているのではないかと思うのであります。
私も造船業をやつておつてよくわかつておりますが、去年の委員会で数回にわたつて油は八割は大丈夫だということを説明しておるのに、わずか一年たたないうちに船が何十倍にもなるべきはずもない。その見通しもつかずして、油が何十万トンくらいで八割くらい行くだろうというふうでは、われわれも困る。なぜならば、あなた方專門家をわれわれは信頼して地方に帰つて話しておる。
十二月になりまして私が副社長になつて、会社の全般のことに目を通さなくちやならぬようになりましたので、実際の仕事は私いたしませんで、もつぱら会社に兵器処理の仕事をする外局を設けまして、当時日本鋼管の造船所長をしておりました元の海軍中将鈴木を次長とし、かつ作業本部長に命じ、需品部長の黛も総務部長に命じた。この両人が全責任をもつて仕事をやらしたようなわけであります。
運賃引上後の收入状況及び予定收入との対比 ロ、運賃引上による旅客及び貨物の減少状況一 6 今次水害(東北及び北九州)に上る國鉄及び地方鉄道の被害状況とその復旧状況 7 國鉄経営組織の変革(運輸省組織法案) (三) 自動車事業に関する事項 1 燃料事情 2 資金事情 (四) 海運に関する事項 1 船舶民営還元の経過及び受入態勢の状況 2 船舶造修就中左の諸点に重点をおく報告 イ、造船計画及
尚前の山口縣におけると同樣なる軍の施設の転用工場といたしまして、顯著なものと見らるべき尼崎製鋼及び播磨造船等も視察いたしました。これらの問題についての我々の三名の委員の見解につきましては、更に山下団長の登院の日を待つて、山口縣における同樣転用工場については、それと併せて改めて御報告いたす機会を持ちたいと思います。
五百万円出したと申し上げたのはずつと後のことでございますが、この当時すでに川南造船に未拂になつておつたものを門屋氏が川南造船に拂つておられますから、――拂つておられますという経過は、農林省の事務当局と連絡して聽いたわけでありますが、從つて会社設立直後貸借対照表を出さしてどうこうということは、このときはしてないかもしれないと思います。
○明禮委員 そうでしたら初めから造船ができて担保をつけるまでということに大体の期間を定めて、そういうことをつけておけばよろしい。
融資懇談会を通過しているからというので、船は川南造船所に頼んで非常に困つている。何とかして二百万円の会社をこしらえてもらいたいということで、その引揚者の代表二人が私のところでほかのことで会いまして、こういうことで困つているという、それじやおれが何とかしてやろうというので、私はその二百万円の会社をこしらえた。そうして復金の調査部長、融資部長に会いまして、その会社に融資をしてもらつたのであります。
鉄鋼業に関する報告はただいま詳細に申し上げました通りでありまして、鉄鋼業を除ぐ部門につきましては、第一に造船業の振興に関する調査と、第二にアルミニウム産業の再建に関する調査とを重点的にとりあげたのであります。以下、これを御報告いたします。 まず造船業の振興に関する調査の報告をいたします。
造船会社におきましては、材料の百七十七トンぐらいは、プロペラーでも十トン十五トンございますから、プロペラーを吹いてもわずかなものですから、数量としてはわずかなものとしか考えておりません。
私は大正十三年に東北帝國大学の機械科を卒業いたしまして、もとの日立造船所の廣島の工場にはいりました。それ以來約二十余年造船界で暮しました。去年の二月の終りに日立造船所をやめまして、ちようど体も悪うございましたので休養しておりまして、佐世保船舶には去年の七月末日に技術部長として入社いたしました。
○松本證人 委員会のメンバーの構成は、委員長は当時の造船連合会の吉田君がなつておつたと了承しております。あとは造船業者の專門委員から、つまりそういうものの價格の評價をする專門家を集めまして、委員会を構成しております。
政府としましてはこの点に鑑み、船復の増強、港湾の整備、対外配給、外國船舶の雇入れ、造船技術の向上等につきまして、現有輸送力の有効な運用と共に、常に長期計画的な観点に立つて努力を傾倒しておる次第でございます。
それで二月に運輸省の慫慂に基きまして、造船連合会がこの新会社を担当する候補者を選択いたしました結果、占部造船株式会社、三井造船株式会社、この二社が主株となつて新会社を組織してやるのがよろしい。こういうことになりました。証人は当時三井造船株式会社に勤務いたしておりました。越えて三月に証人は当時の三井造船の社長に從いまして、佐世保の現場及び施設を概畧調査いたしました。
○船山証人 この評價委員会の委員長は造船連合会の会長であります。それから解撤事業をいたします関係の造船所から委員が一人ずつ出ております。そのほかになお造船連合会から若干名委員を出すことになつております。
それから船舶関係でございますが、船舶につきましては、これは造船関係は運輸省の所管でございます。併し漁船関係の仕事につきましては、これは漁政部においてこれをやつておるということに考えております。 尚製氷の関係は、資金につきまして製氷設備の拡充に優先的に考慮をいたし、復金その他でも特別に製氷設備の枠を取つております。
又造船計画部もありません。
第二に佐世保市を中心とする隠退藏物資の不当処理事件につきまして、來る七月二日午後一時、大藏省國有財産局長船山氏、三井造船重役三枝貞藏氏S・S・K重役高田透氏の三名を当委員会に出頭を求めて証人として喚問をいたします。なお同件につきまして來る七月三日午後一時、佐世保檢察廳吉永檢事及び佐藤檢事、S・S・K所長松本長藏氏、同資材課長井上正清氏の四名を当委員会に出頭を求め、証人として喚問します。
かつまた造船の面から考察をいたしてみても、日本海ドツクを初めとして、奥能登一体にわたります木造船の工場が非常に多くあります。どうしてもこの三港を管轄いたしていく上におきまして、一方七尾港に海運局支局があり、伏木港にこれまた支局のあるわけでありますが、これらを包括して、せめて伏木港を管理部に御昇格なさる必要があるのではあるまいかというふうに考えております。
戰時中に特例によりまして船舶の運航、あるいは造船の檢査などにいたしましても、ほとんど戰時中の必要に迫られて、無檢査状態とでも言いましようか、そのような特例を布いておりました。
次に、木船保険組合の解散に関する法律案について御説明申上げますと、木船保險組合は、戦時中木造船の輸送力が網船の輸送力を補う重要な要素である点に鑑み、これが維持発展に備えるために、昭和十八年木船保險法が制定され、これに基いて設立されたものであります。
第九十二号議案「小型潜水艦ノスクラツプ引揚ゲニ関スル件、昭和二十一年六月連合軍命ニヨリ総局ヨリ潜水解体指令ヲ受ケタルモ当時会社ハ工事輻輳セル為余力ナク止ムナク山領造船所ニ請敗ハシメタルモ天候ノ都合ニ依リ海中ニ投入セリ其ノ引揚ゲニハ更ニ工事費トシテ約十五万円ヲ要スルモ諸種ノ事情ヨリ之ヲ放置スルコト能ハザルニ付適当ナル時期ニ右引揚ゲ度承認願度」という議案が出ております。
そこで日本政府は以上の二つの覚書によりまして、どういう民間会社にこれを行わしむべきかということを協議されたようでありますが、当時まだ存在しました造船連合会、会長は玉井喬介でありましたが、この造船連合会にその選定方を日本政府が命じた。
○北村證人 発起事務を主としてやりましたのは、当時三井造船から、社長の塙雄太郎君の御紹介で参りました三枝貞藏——三井造船の取締役であつた人でありますが、これがずつとやつておりまして、今の佐世保の所長と交代するまで主としてその人がやつておりました。
当会社設立の経緯につきましていま少しく申し上げますると、最高司令部覚書の趣旨に基きまして、日本政府は本事業の経営を任すべき民間業者の推薦を造船連合会に依頼されましたので、占部造船株式会社並びに三井造船株式会社とが相協力しまして、新会社を設立発起いたしたのであります。
その間占部造船所関係並びに三井造船会社の関係者、現在の佐世保船舶工業の從業員の多数の意思をもちまして、設立をみたのであります。
○鹽津證人 私は大正五年神戸市三栄海運株式会社代表取締役就任以來昭和二十一年十月に至ります間、占部造船株式会社、南鮮炭鉱株式会社、福崎船渠株式会社、愛知造船株式会社等、海運、造船、炭鉱、化学、鉱業等二十七社役員歴任並びに兼任をいたしておりました。
このS・S・Kの造船契約というものは、よその会社よりは勉強するといいますか、非常に割安で仕事をしておるというので、これが疑惑の眼となつておると言つております。これは普通安くやるのは結構でありますが、相当に物資が豊富だから安くやるのだと言つておる点がありますが、こういうことは御承知にはなりませんか。
技術を占部造船所と三菱造船所に求め、この占部造船所と三菱造船所と佐世保市民、旧海軍工厰の工員三者が資材を集めて本会社を設立し、当時の管業部の資材を引受けて仕事を始めておる。從つてこの会社は一個人の営利のために設立せられたものではないということは檢事正としては当然おわかりにならなければならないと思いますが、かようなことは全然証人は御承知ないのでありますか。
近時関西各地には、松食虫の被害が年々拡大いたしておる、その原因は、造船所に輸入された松材によつて傳播しだというが、政府はいかなる対策をもつてこれが絶滅をはからんとするかというのであります。これに対しまして政府は、決定的な対案のないのは遺憾であつて、今のところ、被害のある松を焼却する程度に止まつておるが、今後にこれが対策を研究し、実行したいというのであります。