1948-08-25 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第50号
鉄の二社のことは、鉄鋼統制会の会長のおともをして、日本鋼管の常務と、二人連れていつた関係で、それが一番先にきたかもしれませんが、これらの会社はともかく非常な鉄鋼界で有力な会社であつたということを認められただろうと思います。但しこれらの二つの会社だけにしようということをバラード大佐が考えられたかどうか、それは私は存じません。
鉄の二社のことは、鉄鋼統制会の会長のおともをして、日本鋼管の常務と、二人連れていつた関係で、それが一番先にきたかもしれませんが、これらの会社はともかく非常な鉄鋼界で有力な会社であつたということを認められただろうと思います。但しこれらの二つの会社だけにしようということをバラード大佐が考えられたかどうか、それは私は存じません。
○藤澤證人 私は終戰当時鉄鋼統制会の生産局の原料部長をやつておりまして、終戰後引続いて統制会の原料関係の整理をやつておりまして、十一月一日に兵器処理委員会の第一回委員会が開催されました節に小松委員長から事務局長に指名を受けまして爾來今日に至つておるのでございます。
○小松證人 それは鉄鋼統制会におきましてはあつたかもしれません。私は鉄鋼統制会におりませんので存じませんが、鉄鋼統制会の会長に御相談を初めからしておるのでございます。非鉄につきましては私は何も存じません。ほかにどんな会社があるかよく存じておりません。
しかし統制会の問題は出ておらないのでありますが、たまたま細井氏の証言の中に統制会の問題が出てきてそこへ結ばれたのであります。それについてはしからば統制会がこういうような情勢にあるから内諾でも與えてくれというような何者かによつてあなたは指示を受けてそういうような処置をとられたのであるか、一應お聽きいたします。
○菅波證人 私の想像では、この両氏は当時鉄鋼統制会の会長、及びもう一人は鉄鋼統制会の役員でありましたが、そういう鉄鋼統制会の役員という意味でやつたのではないかと思います。
○武田證人 その前は、苫米地敏雄氏が油脂統制会の企画部長をしておられましたときにはよく会いましたが、やめられてからは会いません。きようは会いました。
こういうことでありまするならば、私どもは何も聽かないのですけれども、一應は今までの統制会にあるように、馬の体重がいくらで、高さがいくらということを考えておいて、そうして種馬だけを考えないということになるとおかしなものができます。食い違いが起りますが、その点を心配するからお尋ねするわけであります。それであるから、この表現については簡單でよろしうございます。何も專門的に聽くのではありません。
中には現在の船舶統制会に任して、これでもつて晏始としていこうというような船主もなきにしもあらずであるが、海員從業員には、さような心掛けの者はないと存じておりますけれども、この不良の戰標船をもつては、現状においては、とうてい日本の國の海運は再興できない。また民間企業の実質的ないわゆる構想に基く海運の進歩をこれが強く阻害しておる。
○藤田証人 その点につきましては、竹中藤右衞門氏を訪ねましたのは、当時土建統制会の理事長であつたのでありまして、深井君はもちろん個人的なつきあいはありますけれども、從つて最初深井君の氣持では、竹中個人を訪ねたかもしれませんが、とにかく金が出ましたのは、総選挙にあたつて土建業界から各党へ金を出す、それにちようどぶつかつたわけであります。統制会の理事長としての立場で動かれたものと考えております。
たとえば昭和十九年十月現在を見ますと、当時軍需省の鉄鋼局は、それだけで百十二名の職員があり、さらにそれ以外に外廓團体としての鉄鋼統制会において協力をしておられました人員を合せますと七百六人という表が出ております。現在も鉄鋼会がありまして、形は変りましたが、民間においての十近くの各種の團体が、現にそれに協力しておりますが、その人員も現在七百名くらいになると思うのであります。
そもそも戰時中におきまして、鉄鋼四百万トン生産に際しまして、軍需省に鉄鋼局が設置され、他方民間には鉄鋼統制会が設けられ、両者併せて三千五百名余の人員が生産事務に從事しており、昭和十九年度を例にとれば、商工本省には百十二名、鉄鋼統制会本部には五百九十四名、計七百六名の人員が、東京においては鉄鋼の中央行政事務に当つていたのであります。
しかし私がたとえ自分が委員長に選ばれても、自分の子分をもつてくるとか何とかそういうことは全然考えず、業界で選んで出してもらつた人でなければならぬという考えで、当時鉄鋼統制会の原料の方を担当しておつた藤沢君が事務局長になりました。私は藤沢君はそれまではあまりよく知つておらなかつた人であります。顔は知つておりましたけれども、一緒に仕事をした人でもなく、何も関係がある人ではありません。
養成所の運営を、むしろ從來の考え方におきましては、鉱業会において実施することが一番手つ取り早い適切な方法であるという点で、実施いたさして來たのでありますが、今後は石炭鉱業会との各種の問題もございますので、むしろ石炭廳自身、或いは企業それ自体に運営をせしめるということが適当であろうと考えておる次第でありまして、從來人委せにやつておつたというのではございませんで、從來の状況におきましては、石炭鉱業会が統制会等
○政府委員(平井富三郎君) この仕事につきましては、個々の企業者の仕事に委すのもいかがかという観点及び鉱業会がいわゆる鉱業統制会、石炭統制会の業務を引継いで行われておりますので、その業務は石炭鉱業会において從來実施して、その費用を國庫が補助するという点になつておつた次第でありますが、それらのやり方についても檢討すべき問題があるのじやなかろうか、むしろ石炭廳が直接これを行う、或いは別個に企業自体に委託
國家総動員法第十八條第一項若しくは第三項の規定により設立せられた團体としては、重要産業團体令による統制会を初め、金融團体令による全國金融統制会等、港湾運送業統制令による地区別團体馬事團体令による日本馬事会、戦時海運管理令による船舶運営会、出版事業会による日本出版会等であり、営團としては、住宅営團、帝都高速度交通営團、農地開発営團、食糧営團、産業設備営團、交易営團、産業復興営團等があり、金庫としては、
さなくとも養蚕が減つておる場合に、蚕糸の技術員の趨向については農政局等とよく御協議になつて、この措置については單に繭代だけでやるというような考え方でなく、又蚕糸業会も御承知のように先は分りませんし、又蚕糸の統制会等におつた人も閉鎖機関になつたというようなこともありますから、日本の蚕糸業の將來に対しては相当大きな波紋を來たすのじやないか。
○公述人(川浪守三郎君) 私は大正四年に炭鉱現場に就職いたしまして、その後滿三十年の間九州、北海道、東京の十一の場所に勤務をしておりましたことと、その後石炭統制会におりました関係上、今回図らずも炭鉱現場の経驗者として、この公述人に推薦されたのでございますが、文字通り一介の炭鉱の技術者に過ぎませんから、法案の内容を逐條法律的に吟味檢討することはできません。
一例を申しましても、この度繊維統制会が解散いたしますが、その繊維統制会の職員は二百人程であります。その二百人程に今一千万円以上の退職金をやろうとしております。こういう経費はどこから出ておるか。価格差益金を取つていない結果であります。長野県の繊維統制会におきましても千八百万円の金が余つてしまつてどうにもしようがない。それで県庁に寄付を申出た。
それが更には大きく言えば統制会等の実現になりまして、そうこうしております中に終戰になつたのでありまするが、今日におきましては、勿論この戰爭中におきまするところの考え方とは根本的に違う。言ひ換えれば戰爭に大いに勝つという意味での考えとは全然違うのでありますが、併しながら御承知のように終戰後今日に至りますまでにおきましても、すべての生産についてなかなか思うような増産ができない。
成る程軍隊は解体された、軍隊の中職業的な軍人は身分的な結合によつていろいろな新興会社を作つて行き、これが將來反動勢力として擡頭して行く姿勢を整えつつあるし、尚官僚機構を助けて参つておりましたところの準官僚群と目せられる統制会等も、或いは公團の形式等によつてこの官僚機構を強めて行くという形になつて参つておるのでございます。