1950-07-11 第7回国会 参議院 人事委員会 閉会後第1号
同君は昭和十六年に東京帝国大学法学部を卒業されまして三菱重工業、軽金属統制会、鉱工品貿易公団に就職をされておつたのでありますが、二十三年に辞められまして、今回調査員に任命になりました。どうぞよろしく御了承願います。御紹介を申上げます。 では本日はこれを以て閉会いたします。
同君は昭和十六年に東京帝国大学法学部を卒業されまして三菱重工業、軽金属統制会、鉱工品貿易公団に就職をされておつたのでありますが、二十三年に辞められまして、今回調査員に任命になりました。どうぞよろしく御了承願います。御紹介を申上げます。 では本日はこれを以て閉会いたします。
それで今突然御質問がありましたので、とつさに考えてそう申し上げるのでありますが、営利を目的としない団体で、昔のたとえば統制会といつたような団体、これは営利を目的としておりませんが、いわゆるカルテル行為をやつておつた。
に対する事業税に関する改正規定は、その料金について物価統制会による統制額があるときは、昭和二十四年四月一日以後においてそれぞれその税制額が改訂されたときの属する年度分の地方税から適用する。」
そこでそれらの引継ぎ前の統制機関と申しますか、統制会と申しますか、営団のようなものもあつたわけでありますが、そういうものの給與は、当時において年齢とか学歴とか、あるいは統制会社は比較的その生命が長くないというような身分の不安定とか、いろいろな事情がございまして、公団をつくりまして、公団にそういう方を引継ぐときにおいて、相当な給與の開きがあつたのであります。
戰時中の炭鉱は各会社それぞれ独立しておるのでありまして、全国一本の下に統合されたわけではございませんが、御承知の通り一方において統制会方式によりまして、政府では石炭界を殆んど一本のような取扱いをいたして参つたのが実状であります。例えば、今年度の全国の生産の目標は何ぼにする、これこれだけは是非掘らなくてはならない。個々の会社の生産能力というようなことよりも、事業の面から割出して行く。
○田口政府委員 この命令出炭の根拠については、前回の委員会において申しました通りでありますが、ただいま考えております命令出炭には、第一に増産命令に基く強行出炭、こういう問題を第二に考えているわけでありまして、その内容につきましては前回の委員会で申しましたように、たとえば軍需会社法に基く生産命令、あるいは石炭統制会統制規定に基く生産割当、こういうようなものを一応生産割当増産命に基く強行出炭というふうに
要請によつてなされなかつたことに基因する鉱害を認定しようと思つているのでありまして国の命令という問題につきましては、当然命令によつてなされたものが大部分であろうと思うのでありますが、必ずしもこれを一概にただ国の命令という——命令とはしからば何かという場合に、通牒とかあるいは指示というようなことでなく、この期間中にいろいろな増産運動とか、あるいは行政視察使とか、あるいは軍需会社法の制定、あるいは石炭統制会
これに違反したような場合には、相当の過怠金をとるというような條文もありまして、相当石炭統制会の統制規定というものが強行であつたということは、また後ほど資料を提出いたしたいと思います。
もちろん厖大な品種、銘柄で、雑多なものが入つておるから、これが臨検はそう簡單に行かぬであろうと思いますけれども、従来のような統制会や業者の集合団体みたいな公団職員の検査だけで、これをほつておくというところに、そういうふうな問題が起るので、確実な通産省あたりの精鋭を出して、公団職員のエキスパートと一緒になつて、抜打ち検査をやつて、常時そういう不正が行われてないかどうかということを、検査する必要がないかと
次に第二点は船舶運営会の関係でございまするが、船舶運営会は、過去のいわゆる統制会方式ないし助成金方式のにおいが相当濃厚でありまするがゆえに、この辺で一応日本海運の自立を船主諸君に促したいという意味合いにおきまして、日本攻府といたしましては、本年度限りで船舶連営会は廃止したいつもりをいたしておるのであります。
その他いわゆる繊維関係事件、あるいは東北振興会社の事件、あるいは蚕糸統制会の事件、なおまた皮革事件というのがあります。隠退蔵物資である皮革の事件、しかもこの事件には民自党の代議士も関係ありと称せられておるのでありますが、(拍手)かような事件こそは、民自党のためにも国会の威信のためにも徹底的に調査すべきであるにかかわらず、今日まで何ら調査をしておりません。
古谷善亮君は、大正十四年に東京帝國大学の法学部政治学科卒業、同年高等試驗行政科合格、直ちに鉄道省に入られまして、鉄道事務官、それから鉄道省の陸運監理官、鉄道省運輸部庶務課長、鉄道省監督局鉄道課長、総務局会計課長、大臣官房法規課長等を歴任されまして、昭和十八年鉄道監、これは当時の勅任官でありますが、鉄道監になられまして、後に依頼免官となつてから、鉄道軌道統制会理事に就任され、更に鉄道輸送中央協議会の幹事
それと相伴いまして今度は物資の配給統制というものは、民間の中間團体を排除しなければならない、こういうことが覚書にございまして、そのために統制会、統制組合等の解散を見ましたし、又配給につきましては切符制度及び切符に伴うところの業者の自由競爭、登録制度、こういつた事柄が逐次導入されて参つたわけでございまして、この面から見て果して海員財團のやつております船員労需物資の配給は許されるものかどうかというところに
專門員といたしましては新たに長橋茂男君を、專門調査員といたしましては丸山稻君を委員長より申し出たのでありますが、專門員の長橋茂男君は大正八年東京帝國大学英法兼修料を卒業し、それより豊商務省、商工省に長くおられ、後内務省の神奈川縣商工課長、山梨縣学務部長、北海道廳学務部長、勅任待遇の高知縣総務部長等を歴任せられ、退官後車輛統制会理事、東亞車輛株式会社取締役をやられた方であります。
○鍛冶委員長代理 あなたは製鉱の社長もしくは鉱鋼統制会の会長時代に経済團体連合会というものができたようでありますが、その設立について御関係なさいましたか。
○渡邊(義)證人 私は昭和十六年の十月に日本製鉄の常務をよしまして、それから十八年の一月に鉄鋼統制会の理事長に就任いたしまして、引続き鉄鋼統制会におりました。当時の鉄鋼統制会の会長は豊田氏でありまして、豊田氏が軍需大臣に就任せられることになりましたので、そのあと鉄鋼統制会会長に就任することになりました。
○吉積證人 それはあとでたしか通牒を出しまして、もつとこまかく通牒が出たわけでありますが、それは統制会みたいな統制国体に渡すのであつて、その他民間国体とも書いてあります。そこにも個人の利益を壟断させんようにせいということは注意書的に書かれて示したと記憶しております。
井上信貴男は昭和十三、四年ごろより屑皮加工による靴の積上踵の製造業を営んでいたのであるが、終戰直後皮革統制会大阪支部が奈良縣廳及び大阪府廳より拂下を受けた元軍所有の特殊物件たる皮革を独占的に同支部より配給を受け、その数量は同人の自称する現在庫量のみにても、皮革屑三百四十七トン及び皮革百四十七トンに及ぶほか、実際はこれを奈良市所在陸軍被服廠より引取りの際、右リスト外に大量の皮革、纖維、靴類、亞麻糸、鉄鋲
協会の閉鎖が五月でございますが、その前でございますから、統制会がなくなつて鉱業会ができてから副会長になりました。そうしてずつと副会長をしておりました。今度の協会ができますまで副会長を続けております。
○武内証人 二十一年の終戰後統制会が解体されました後に鉱業会ができまして、そして閉鎖機関に至る前の三月十日と考えますが、二十二年の三月十日まで鉱業会の副会長をいたしておりました。
○武内証人 戰時中に統制会がございまして、統制会が解体されまして、大部分統制に似寄つた全体じやありませんが、一部この機関によつて石炭鉱業に関する事項あるいは諸官廳その他と関連的な考えがありまして、もつとも任意團体でございますが、その任意團体の中に統制会を撤廃した後の鉱業会は、各役所の一部の何と申しますか、あらゆる業に対する資料をとり、あるいは統計をとるというようなことをやつて、統制会でなく任意團体ではありまするが
○武藤委員長 さような團体は戰爭中石炭統制会ですか、それからずつといろいろ変つてきたようでありますけれども、業者の全國的な團体の沿革を簡單に話してみてください。
古いことは特に私知りませんので、昭和十六年の十一月二十六日ですか、石炭統制会が設立されまして、それまでは主として業者の懇親と連絡が主であつた。
○大原證人 その出ましたものは、くず鉄統制会でございますか、あるいは鉄鋼販と申しますか、そういうところにいろいろ相談して、そちらの方にもつていくというようなことだと記憶いたしております。