1956-06-01 第24回国会 衆議院 決算委員会 第40号
井上信貴男は昭和十三、四年ころより屑皮加工による靴の積上踵の製造業を営んでいたのであるが、終戦直後皮革統制会大阪支部が奈良県庁及び大阪府庁より払下を受けた元軍所有の特殊物件たる皮革を独占的に同支部より配給を受け、その教量は同人の自称する現在庫量のみにても、皮革屑三百四十七トン及び皮革百四十七トンに及ぶほか、実際はこれを奈良市所在陸軍被服廠より引取りの際、右リスト外に大量の皮革、繊維、靴類、亜麻糸、鉄鋲
井上信貴男は昭和十三、四年ころより屑皮加工による靴の積上踵の製造業を営んでいたのであるが、終戦直後皮革統制会大阪支部が奈良県庁及び大阪府庁より払下を受けた元軍所有の特殊物件たる皮革を独占的に同支部より配給を受け、その教量は同人の自称する現在庫量のみにても、皮革屑三百四十七トン及び皮革百四十七トンに及ぶほか、実際はこれを奈良市所在陸軍被服廠より引取りの際、右リスト外に大量の皮革、繊維、靴類、亜麻糸、鉄鋲
お手元の履歴書で御承知のように、石川君は、大学卒業後、東京帝国大学工科大学助教授となりましたが、その後大日本人造肥料、日産化学工業、昭和電工等の各株式会社及び化学工業統制会、化学工業連盟等の各役員を歴任せられ、現に経済団体連合会、昭和電工、ラジオ東京、東京電力、日本航空の各株式会社の役員、財団法人原子力研究所理事長等の職にあるほか、日本銀行参与並びに国土総合開発審議会及び経済審議会の各委員の職にあり
関君は、明治四十一年、大学を卒業後、大阪紡績株式会社に入社、その後、東洋紡績株式会社の常務取締役、専務取締役、副社長及び繊維統制会、日本繊維協会の各会長を歴任し、現在は、東洋紡績、株式会社取締役会長等の職にあるものでありまして、昭和二十八年七月、鉄道建設審議会委員に任命され、本年七月三日、任期満了となったものであります。
この間電気機械統制会会長、石炭庁長官に就任、昭和二十六年八月以降は、九州電力株式会社、相談役の職にもあるものであります。 右に申しました経歴からも明らかなように、同人は商業及び工業に関し、すぐれた経験と識見を有するものでありますので、日本銀行法第十三条ノ四第二項第五号の規定による委員として今回政府において任命しようとするものでございます。
そこで実はこの前八木さんが来てちよつと話したので、一応これは何らか方法を考える必要があると思うのですが、例の蚕糸統制会の残余財産というものは七億五千万あるわけです。
井出さんの例をとつて申しますれば、どうしてこういう人でなければ、組合金融統制会の理事とか、やれ財団法人水産研究会の会長とか、或いは社団法人大日本水産会理事とか、これは、所管の役所として水産庁なんかを通つて、こういう団体は認可されるわけですね、そういうところのトップには、どうしてこういう役人上りばかりを持つて行かなければならないのでしようか。不思議なんだな。
それがあとになつて、鉄鋼統制会に発展したのでありますが、そういうような意味合いから見まして私どもとしては価格を吊り上げるというよりは、そうではなくて、価格を安定させる方法をどうしてもこれは講じなくてはならない。
交易営団は政府と一体となつて、その事業は高度の国家的性格を持ち、政府で決定した物資交流の物動計画を直接実行するものである、少しく例は悪いが、交易営団というものは政府の方針と一致して交易という事柄を自分の責任でやる、いわば交易省というようなものができたような状況になるので、統制会に権限を委譲したのとは趣が違うことを申し述べておられます。
ところが、入らなかつたらどうするかということだつたのですが、入らなくてもしようがないじやないか、三軒でもいいからやつてみようじやないかといつて唱道をしましたところが、皆さん御賛同くださいまして、鉄鋼統制会の前身であります日本鉄鋼連合会ができて、昭和十六年に鉄鋼統制会のできますまで四年間継続いてしたわけで、そういう関係で、鉄に関しては私どもはそうしなければいけないんじやないかと実は考えておるわけであります
それでは戦前の統制会その他カルテルのような形のものすら、終戦後総司令部の強権によつて解散させ得たという事実を御存じでしようか、よけいなことですが。
○古池政府委員 戦争中非常に強力なる統制会ができておつたのを、戦後になりましてただいまお話のような事情で解消したということは承知しております。
それから十六年に東亜輸出入組合連合会、これは貿易統制最初の段階の団体でございますが、その常務理事になりまして、三井物産をやめまして、それから十七年に貿易統制会の理事として入りました。さらに十八年に交易営団の理事として営団に参加いたしました。越えて終戦後二十二年の二月に営団が閉鎖になりましたが、総司令官命令によりまして営団に残されまして、二十三年の五月に営団を退職いたしました。
○福田証人 これは、営団というものは、御承知と思いますが、物資管理営団と貿易統制会というものに対する仕事を一緒にあわせてやるような形のもので、当時私は統制会の方におりましたのですが、資本と経営の分離ということを交易営団の組織の中には非常に織り込んでおられたので、最初は資本金はいらぬということであつたようであります。
○菊川孝夫君 次にその組合について最後にお伺いしたいと思うのでありますが、この組合はどちらかと申しますると、政府の監督の極めて強い、曾つてのまあ公団であるとか、或いは統制会というようなにおいが非常に強いように私は思うのでありますが、従つてややもしまするとこの組合を利用しまして、官僚がこの組合を利用する危険が多いと思うのでありますが、将来この組合を利用する危険が極めて多いということを考えますときに、大蔵大臣
中根君は、明治三十八年七月、大学卒業後日本銀行に入り、同行ロンドン代理店監督役、同行理事及び参与を歴任して後、普通銀行統制会理事、株式会社三和銀行取締役会長、同行相談役を勤めた者であります。 荻田君は、昭和六年、大学卒業後内務省に入り、山形県部長、東京都書記官等を経て地方自治庁次長、地方財政委員会事務局長等を歴任し、本年七月退官した者であります。
この存続すべき七つの命令の規定のうち、重要産業団体令を廃止する等の勅令附則第三項及び第四項は、統制会の清算関係についての経過規定であり、その他、兵役法廃止等に関する件附則第三項並びに輸出振興のための外貨資金の優先使用に関する政令を廃止する政令附則第二項等々の六つの命令の規定は、全部罰則に関する経過規定であります。
それは昭和十七年、十八年当時、この配電統制会によりまして配電統合を実施せられました、総動員法に基いて実施をせられました当時の直接関係者、これは当時の逓信省の人を指すわけであります。それを是非とも呼んで、当時の事情を、立法の精神を明らかにして頂きたい。それから更に利害関係人、これは地方公共団体の代表、電気事業者の代表、それから大蔵当局、公益事業委員会等の代表を証人として喚問いたしたい。
それから太平木材、日本出版配給、全国金融統制会、これは別個に清算しておりまして、それぞれ特殊清算人がその清算を担当しております。 右のうち清算の未だ結了しない五百二十一機関を類別して見ますと、(イ)、朝鮮銀行、台湾銀行そのほか満鉄、横浜正金等、主な活動地域が外地にあつたもの五十三機関。
各号に列記してあります命令の效定のうち、重要産業団体令を廃止する等の勅命附則第三項及び第四項は、統制会の清算についての経過規定であり、その他の命令の規定は、罰則に関する経過規定であります。
各号に列記してあります命令の規定のうち、重要産業団体令を廃止する等の勅令附則第三項及び第四項は、統制会の清算についての経過規定であり、その他の命令の規定は、罰則に関する経過規定であります。
そうしまして、化学薬品を扱つておる工場につきましては、大体薬品は、硫安の製造にも、その他の化学薬品の製造にも使えるものでありますから、硫安統制会という一つの化学薬品を扱つておる組合に、そういうものを引取らせました。その中に昭和電工も入りまして、これだけのものが昭和電工に入つたわけであります。
○植田政府委員 ただいま手元に資料を持つて参りませんので、この三百二十点の内訳については、はつきりしたことを申し上げられないのでございますが、当時昭和電工がこういつた薬品を引取るという場合におきましては、これは化学薬品でございまして、化学薬品は硫安統制会に持つて参るのが本筋でございます。各地に火薬工場がございます。
○中島(征)証人 日本石炭協会というのは東京にございますが、これは石炭鉱業者が全部参加いたしまして、従来石炭統制会が統制事業をやつておりましたが、それが全然行われなくなつた。また事業者団体法等もございますので、現在では懇親団体として存続しております。これは大中小を問わず、ほとんど全部の石炭鉱業者が参加いたしております。