1950-04-26 第7回国会 衆議院 本会議 第42号
この銀行というやつは、石橋を叩いて渡るような商売をやつておるのでありまして、担保のない無産の低收入の勤労者には、法の上では借りられるようにできておりまし手も、実際にはなかなか貸してくれないということになるのであります。また貸付金にしましても、一ぺんにこれを貸してくれるのではない。これを何期にもわけまして、最後の金は、もう家を立てて、でき上つて、火災保険をつけた後でなければ貸してくれない。
この銀行というやつは、石橋を叩いて渡るような商売をやつておるのでありまして、担保のない無産の低收入の勤労者には、法の上では借りられるようにできておりまし手も、実際にはなかなか貸してくれないということになるのであります。また貸付金にしましても、一ぺんにこれを貸してくれるのではない。これを何期にもわけまして、最後の金は、もう家を立てて、でき上つて、火災保険をつけた後でなければ貸してくれない。
○石橋説明員 今の問題は非常に大きな問題でございまして、外資委員会において、数回会議を開いたのでございますが、いまだに結論に達しない状態でございます。事務当局といたしましては、この問題について意見を申し上げる立場にございまんので、むしろ政府の最高首脳部の決裁を待つておる、こういう状態でございます。
○石橋説明員 これは最初お断り申し上げました通り、非常に大きな問題でございますし、いろいろ政策上の点にもからんで参りますので、事務当局としては何らその点について意見を申し述べられない立場にございます。單に事務的に各省の御意見をおまとめして、外資委員会としての意見を提出する、こういう立場にございます。御了承を願いましす。
○石橋説明員 グリフイス、ステイヴンソンの二つの米国法人が、日本人と一緒にユナイテツド汽船会社を設立する。こういうことでございます。両社はそれぞれ五一%の半分ずつを出資いたす、こういう計画になつております。
今度の住宅公庫の場合にも、先ほど大野委員からいろいろご質問がありましたが、銀行に扱わせるといつたら、銀行は石橋をたたいて渡るような商売ですから、審査が非常に厳重になりまして、一番困つている人が家を建てたいといつても、そつちの方へまわつて行かないことははつきりしていると思う。ですから、そういうことは單なる言いのがれにすぎない。少くとも勤労階級に対しては国の住宅対策は何ら立つていない。
それでそれに反対したために、この地区委員長の石橋七郎、それと意見が合わず、石橋七郎が憲兵隊に通報して、そうして私は懲罰大隊に行くことになつたのです。そうしてその懲罰大隊に行つたときのリストは、この者は天皇制護持論者である。そうして民主運動の最高指導者の一人であり、かつ講師というような重要な職務を担当しながら、口に資本主義を唱える。だからこれは隔離をする必要があるというのでありました。
この前に石橋大蔵大臣が、前の自由党内閣のときの石橋大蔵大臣は、インフレが非常に昂進しておる。我々はその実態はインフレであるということを主張した。そのとき石橋大蔵大臣は、今の状態をインフレであると主張する者はためにする議論であるということを言われた。それで貯蓄が余り増加しないのはインフレであるという議論をするけれども、それはする者の責任である、こういうことを言つたことがある。
そこで運動が段々展開されて来るに従つて、元通訳をされておつた北海道の石橋七郎大尉、その人がこの地区委員長として納まつてから、彼と私との間に思想的な、イデオロギーの相違が生じ、つまり彼は確かに先見の明があつたかも知れない。国際プロレタリアートの一環として、というようなことをその頃からぼつぼつ言い出している。私は民族的な、いわゆるロシア流にいうならばナロードニキ的な運動ということをやつておつた。
○倭島政府委員 今までに取扱いましたところでありまして、洛陽、長春、海城、大石橋、湯崗子、吉林、本渓湖撫順、この八地区の、今借入れ主体の関係を終了しております。
だだ何と申しまするか、大蔵省の関係官は信用事業であるから、余程基礎確実なもの、又皆さん方の預金を預つてもそれに間違いがないはうなもの、石橋を叩いて渡る気持が多分にあるのであります。通産大臣を引き受けまして、衆議院の通産委員会でこの問題がありました。それで調べて見ましたところ、只今までに新法によつて認可したものが二件あります。
池田大蔵大臣或いは青木安本長官が政府を代表いたしまして、今日の経済事情がデフレではなくてデイス・インフレであると強く主張されておりますけれども、丁度これは第一次吉田内閣におきまして時の大蔵大臣の石橋湛山氏が、あの僅か一ケ年間に五倍、六倍といふ物価騰貴或いはこれに関連して起きましたインフレ現象を、これはインフレではないと断言されたのと全く好一対の対照を示しておるのであります。
これは即ち池田大蔵大臣の施政が惡いというばかりでなしに、今までの日本の戰後におけるところの、この前、あなたの前の先輩の石橋湛山氏が大蔵大臣になられた当時、大蔵大臣としてあの厖大なるインフレ政策を行いながら、これはインフレではないというようなことを言つて物価の値上り、或いは賃金の高騰ということの連続的状態を一向構わなかつた。
すでに栃木県下におきましては、喜連川、石橋、矢板におきまして発生いたしておるのでありまするが、このうち喜連川事件を取上げまして調査究明することと相なつたのであります。そして松木、石川、上村、私の四委員が派遣された次第でございます。私たち派遣団は調査の目的を次のように定めました。
それから同じく旧公団の理事黒崎三市氏、それから監事でございましたか、石橋周也、平尾正義、森本靖男、それから理事で同姓の石橋謙之、大体そんなものだと覚えております。
大体市中銀行におきましては先程荻野さんも言つておいでになつたように思いますが、日本経済の前途の見通し難のために、全く石橋の上を叩いて渡るような金の貸し方を銀行業者がやつておられますがために、この指定預金等も実際は中小企業の面には殆んど流れていない。むしろ日本銀行に対する借入の返済にこれが多く自然に廻つておるというような状態を見受けるのであります。
○村瀬委員 かつて第一次吉田内閣のときであつたと思いますが、時の石橋蔵相は在外資産一時拂いのために、百五十億円を予算に計上せんとせられたが、二・一ゼネストが起つて、その方へ九十八億円を支出せねばならなくなつたために、石橋湛山の英断は遂に実現を見ず、挫折したと聞いておるのでありますが、このときの百五十億円は今日の五百億円以上に相当すると思うのであります。
○吉田国務大臣 石橋蔵相がどういう提案を持つておつたか、それは石橋蔵相一個の案であつて、閣議にはそういう問題が提出された記憶は、私はないのであります。しかして現在の財政状態から言い、また講和條約の関係等から考えてみて、かくのごとき予算措置は今日のところできないと思います。
それから取締役で石橋謙之君、これはやめるときには理事で、九州支団長でした。 それから私、それから平尾正義君、公団の監事です。それから森本靖男君、これも公団の監事です。それから石橋周也君、これは公団の理事でコークス局長でありました。それからあとから赤坂庄三、宇佐美徹一の両君が取締役に就任いたしました。
たとえば石橋大蔵大臣の時代と比べて、非常に軟化して来たというようなことはこの蔵申し上げたのでありますが、そういう点については、何か総理大臣として御所信があつてそういうことになつているのか。
次、石橋博美、郷里福島、これは奧さんと子供が四人、元開発会社の確か総務課の勤務だと思いました。この人は、元の中央試験場、現在学士院サハレン分院になつております。そこに勉めております。それから次、鈴木明、この人はロシヤ人の奧さんを持つて残つておりますが、元水産業会の社員で、お父さんが昨年八月に検挙されて、何か非常に長い判決を受けてシベリヤへ送られて、それで彼が残る気になつたと、そう言つておりました。
厚生事務官 木村忠二郎君 (保險局長) 厚生事務官 安田 巖君 (引揚援護局 長) 厚生事務官 田邊 繁雄君 (公衆衛生局 長) 厚 生 技 官 三木 行治君 (環境衛生部 長) 厚 生 技 官 石橋
そうすれば緩漫なるインフレ政策になる、石橋財政ということが言われておりますが、私共責任の地位がないので、非常に申上げにくいのですが、こういうことになれば非常に楽なのですが、これでは毎月々々毎年毎年賃金が上つても購買力は大して上らない、結局同じごとだといつたような公務員、一般産業労働者諸君の嘆きは絶えず続く、結局足取を合せて産業再建という巖を一応樹立しなければならん。
私はその取扱いにおいて、そこで石橋を渡る恰好よりも石橋を叩いて渡る恰好にように実はなつておるのでございます。