1951-03-31 第10回国会 参議院 予算委員会 第35号
併し一般の金融機関では、元ほど大蔵大臣も石橋を叩いて渡るというふうなことを言われましたのですか、なかなか思うに任せないところがめる、又現在一般の市中銀行というものが、短期金融の形で長期金融を実質的にやつておるというようなところもめり、それが又商業銀行の本来の姿としてどうであろうかというようなことも、公開の席でいろいろ今まで言われて来たことであります。
併し一般の金融機関では、元ほど大蔵大臣も石橋を叩いて渡るというふうなことを言われましたのですか、なかなか思うに任せないところがめる、又現在一般の市中銀行というものが、短期金融の形で長期金融を実質的にやつておるというようなところもめり、それが又商業銀行の本来の姿としてどうであろうかというようなことも、公開の席でいろいろ今まで言われて来たことであります。
ただそこが石橋を叩いて渡るようなやりかたでなくして、とにかく丸太橋でもこれは立派に歩けるのだという認定の問題でございまして、最初からこれを損してもいいんだということにはこれはいかないと思います。これは勿論大事な金でございますから、そこがやはり運用の妙味と申しますか、固い一方では産業は起りませんので、少しぐらい産業育成の意味において見通しをつけてやるくらいの気持になると御了承願えたらいいと思います。
○国務大臣(池田勇人君) これはいろいろな仕事がございまして、大事な預金を預つている銀行家としては、よほど石橋を叩いて渡るような傾向が多いのでございます。
○国務大臣(池田勇人君) それでも事足りると思うのでございまするが、先ほど申上げましたように、これはコムマーシヤル・ベースに乗つて行きますると、なかなかそこが危険性のある事業というのではございませんが、極く採算の立て方が石橋を叩いて渡るようなやり方では、心残りするようなことが起りますので、銀行の貸付は困難であるというふうな場合に、これから出すという体制をとつておるのであります。
私どもは曾つていつか木村君からお尋ねがありましてお答えいたしましたが、石橋財政当時において、やはりインフレは生産増強によつて対処すべきだという議論が出ましたが、不幸にしてあのときは事志と違つて、生産増強のために必要資金を出しましたが、原材料その他の関係において意のごとく生産が進まなかつた。
石橋蔵相当時と最近変つて来ていることは、安本長官の言われる通りだと思う。ただ生産されたものが、さつきのあれのように、どつちに使えるかが問題で、この点は安本では特に民需の確保、特需と輸出と、これを相当真劍にやつてもらわなければならんと思うのです。
ですが為替の問題は非常にデリケートですから、まあ軽軽に当局者からどうとは言えないと思うのですけれども、併し海外のインフレの波をどうして防止するかということについては何らか研究されなければならないと思うのですが、これまでのお話を伺いますと、どうも政府の政策はこのドツジ・ラインから逆転して前の石橋蔵相当時の考え方に、物価が上つても生産が殖えればいい、インフレになつても生産増強をすればいいというような考えに
決して石橋財政が間違つておるとは思わない。但しあの当時私はその構想はよかつたけれども、生産増強をすればいいといつて金をばらばら出したけれども、それに伴つて増強をなすべき原材料なり、設備の拡張ができずに、出した船が外へ流れたということがインフレを激化したのであつて、石橋さんの趣旨とは違つた形になつて来ておると思う。
今こそ政府は、石橋インフレの経験に徴じ、事前に賃金スライド制、あるいは税法におけるスライド的彈力性ある措置を用意し、理性的な、少しはあか抜けした政策によつて国民経済上、社会生活上憂うべき摩擦を事前に回避するため万全の措置を重ねて要望するものであります。 最後に私は、終戰処理費と警察予備隊の経費についで所見を申し述べます。
遠くは高橋財政しかり、近くは石橋財政によつて、インフレ恐るるに足らずと豪語したことは、世人なお耳に新たなるところであります。しかるに、主税官たる池田勇人君が大蔵大臣に就任し、またドツジ氏が来朝するに及びまして、安定第一主義の名のもとに、国民生活と生産の復興とを犠牲に供して、ひたすら通貨の安定のために、国をあげて奉仕して来たのであります。
ところが鳩山氏とか石橋氏とは話し合つた。このことから、誤つているかもしれないが、ダレスさんは自分と見解を同じくする者とだけ会見したと結論をつけるわけである、こういうことがいわれております。これは読売に報道されておつた記事であります。それで私が総理に聞きたいのは、総理はちようどこれと呼応するように、外交は秘密であると言われておる。しかしだれに対して秘密なのかわからない。
○川崎委員 去る六日ダレス特使と鳩山、石橋両氏は、すでに帝国ホテルで会見をしておつて、一部の議員から追放令違反ではいかという質問が出るほと、すでに政治的な活動が——外交部面ではあるけれども、あつたように私は思うのであります。
長官はどうも石橋をたたいて渡らない、昔は石橋をたたいて渡るということはあるけれども、あまり大事をとり過ぎて、やるべきことをやらないのだ、私は石橋をたたいて渡ることはけつこうだと思います。しかしたたいて渡るとしたならば、まずもつて地固めをして橋を渡して、早く渡ることを考えなければならない。私に一旦回答した以上は、その問題を早く解決づけるように進まなければならぬと思つております。
私は特に今後あなたが大蔵大臣を続けて行く上において、その気構えを聞きたいと思つて、もう一度お伺いしたいのだが、たとえば昭和二十一年当時、あの麻のごとく乱れたところの日本の財政経済を建て直すために奮鬪されたあなたの先輩である石橋湛山氏、これは自由党の大蔵大臣であつて、われわれとは異なつた政治的な立場には立つているけれども、しかし自主性を守ろうということについては、粉骨粹身努力をされた。
これを地区別にわけますと、チチハルが四万一千四百六十六名、ハルピンが九万八午五百八十七名、牡丹江が五千七十九名、通化が一万四千八百三十名、京図線沿線が三万七千二百六十六名、安琴線沿線が三万二千九百五十九名、大石橋以南が六千五百七十二名、総計二十三万六午七百五十九名であります。この引渡しにあたりまして、中共側はこれをもつて同地区の日本人の引揚げは完了ということが声明されたのであります。
それから大連を振出しに奉天に約三回、大石橋、四平、最後は牡丹江――最後のときは牡丹江の鉄道局の保線係主任をしておりました。引揚げのときは八月十三日の大体最後の列車で引揚げましたが、十九日に新京に着きました。翌日ソ連軍が入城しました。途中相当な雨が降りましたが、ハルピンあたりは割合静かでした。
堂森 芳夫君 藤原 道子君 常岡 一郎君 藤森 眞治君 深川タマヱ君 松原 一彦君 衆議院議員 大石 武一君 原田 雪松君 政府委員 厚生省医務局長 東 龍太郎君 説明員 厚生省公衆衛生 局環境衛生部長 石橋
○説明員(石橋卯吉君) 鑑札の形を均一にする考があるかどうかという御質問ですが、私共もこの大きさや形を統一いたしたいと思います。
○説明員(石橋卯吉君) 保健所を單位に大体やつておるのでありますが、大概の保健所は県の直営になつております。ただ大きな市にあります保健所のみが、市長の下に属しておるというような形になつております。大体そういう仕事は全部保健所でやるようになつておりまして、今度の法律もその線でやるように仕事をお願いしておるわけであります。
○説明員(石橋卯吉君) 只今狂犬病の予防に従事いたしておりますのは、保健所の職員がやつております。保健所の指揮を受けて捕獲員が歩いておる筈でありますけれども、非常に数が少いので、御存じのように犬がやはり相当におります現状でございます。
○石橋説明員 がんの原因並びに治療に関しての研究は、わが国においても相当に行われているのでありますけれども、いまだその真の原因を追究もできないし、また特殊の治療法も発見せられないのでありますが、実際にこの方面についての新しい治療方法などについての、特殊な優秀なものがありますれば、これは当然国庫からも補助してさしつかえないものだと思うのであります。
○石橋説明員 狂犬病の予防注射の効果についての御質問でありますが、従来実施しております実施の成績から申しますれば、確かにきくという観点で、私どもは申し上げられるのでありますけれども、学術的には、今とかくの議論があるのであります。
○石橋説明員 動物の輸出入は、実は農林省所管になつておりますので、私ども手元に正確な数字はないのでありますけれども、現在のところは、犬の輸出入は非常に少い、月報等ではゼロを報告されておるように承知をしております。
○石橋説明員 検疫所の業務は、ちよつと特殊でありまして、忙しいときには非常に忙しいし、またひまになりますと、ちよつと手を休めてほかの研究をしているというような業務の仕方でありますので、御指摘のようなことは、従来定員もございますので、今後東京港及び羽田空港における検疫の事務が増加して参りますれば、当然御指摘のような部面が出て来ると存じますので、新しい来年度の予算においては、この点を補正するような人員の
○石橋説明員 その点につきましては、従来私どもの聞いておりました範囲では、横浜港における船と種類の違いがあるということは聞いておりませんが、これはちよつとこまかい資料を持つておりませんので、はつきりした種類別の点は申し上げかねます。
○石橋説明員 費用は、検疫所の庁舎がまだありませんので、それの敷地とか建物、それから当然検疫の船等が必要になりますので、そういうのをごく最小限度に要求した額でございます。
○説明員(石橋徳太郎君) 只今「物」が「もの」に変りました経緯は、四月の二十九日に衆議院におきまして御審議をお願いするときに、変えたということを通告いたしましたのでございます。從つてその後ずつと原案では「物」が「もの」に変つて、こちらの参議院でも御審議願つておる筈でございます。
繁雄君 菊田 七平君 兼岩 傳一君 委員外議員 人事委員長 木下 源吾君 稻垣平太郎君 国務大臣 国 務 大 臣 周東 英雄君 政府委員 経済安定政務次 官 小峯 柳多君 公正取引委員会 委員長 中山喜久松君 説明員 外資委員会事務 局次長 石橋徳太郎君
その次をめくつてみますと、いろいろありますけれども、二十三年度の久留米市石橋正実さんの決定が、当初十万八百七十七円という税額であります。これも結局所在不明で財産権なしの処理てんまつになつております。これを見た場合に、なるほど実質的になれば、はつきり所在不明である。しかしたとえば風水害等によりまして決定通知交付不能というのがよく出ております。
厚生政務次官 平澤 長吉君 委員外の出席者 厚生事務次官 葛西 嘉資君 厚生事務官 (大臣官房総務 課長) 森本 潔君 厚生事務官 (社会局物資課 長) 熊崎 正夫君 厚 生 技 官 (公衆衞生局環 境衞生部長) 石橋
通商産業政務次 官 首藤 新八君 通商産業事務官 (資源庁炭政局 長) 中島 征帆君 委員外の出席者 文 部 技 官 (管理局教育施 設部長) 田中 徳治君 厚 生 技 官 (公衆衛生局環 境衛生部長) 石橋
○石橋説明員 お答えいたします。
厚 生 技 官 (医務局長) 東 龍太郎君 委員外の出席者 厚生事務官 (医務局医務課 長) 河野 鎭雄君 厚生事務官 (社会局物資課 長) 熊崎 正夫君 厚 生 技 官 (公衆衞生局環 境衞生部長) 石橋
私は過去にさかのぼつて考えてみまするのに、石橋大蔵大臣の当時—大臣はその当時主税局長であられたが、あのとき石橋大蔵大臣は相当重大なる司令部の指令、つまり戰争債務を全部打切れという指令に対しても、大蔵大臣の地位にかけても指令全部は受取れないと、非常に強硬な態度で出て、これはいいか悪いかはわからぬが、かなり自主性のある政治をとられたと思う。
これすなわち政府が強行しつつあるデフレ政策の結果であつて、さきに第一次吉田内閣の石橋財政において、インフレ政策を実施しつつ、ケインズ学説を歪曲、引用してインフレを否定し、遂にインフレを破局的状態に導いたりてあり、現在の第三次吉田内閣の池田財政は、デフレ政策を強行しながら、ドツジ・ラインに藉口してデフレを否定しているのである。