1949-11-30 第6回国会 参議院 予算委員会 第10号
○岩崎正三郎君 まあその点は議論になりますから、それ以上は控えますが、その栃木県の石橋警察の問題に関連して、この問題がさような事態のために解決ができなかつたと、できないために長い間ごたごたしておるので、これを何とかしようというまあ善意であつたと思いますけれども、とにもかくにもこれに対して、国家地方警察の職員或いは他の自治体警察署長というものがこの問題に関与して、今度の選ばれるべき公安委員は、こういう
○岩崎正三郎君 まあその点は議論になりますから、それ以上は控えますが、その栃木県の石橋警察の問題に関連して、この問題がさような事態のために解決ができなかつたと、できないために長い間ごたごたしておるので、これを何とかしようというまあ善意であつたと思いますけれども、とにもかくにもこれに対して、国家地方警察の職員或いは他の自治体警察署長というものがこの問題に関与して、今度の選ばれるべき公安委員は、こういう
この民主化された警察というものに対する考え方が足らないことも相当あると同時に、又警察官みずからも、こういつた天降り的な昔の古い気分を温存したがる傾向があるのでありまするが、こういう問題が、実は栃木県の石橋という町におきまして、公安委員が、署長がよろしくないからこれを罷免するという問題が起きたのであります。
(拍手)そのときの大蔵大臣の説明によりますると、わが国産業の復興をはかるために通貨の一千億円や二千億が増発されても、生産が上りさえすれば国民経済は安定するのであるから、通貨増発はあえて恐るるに足らぬという石橋財政の勢いをもつて、野党の反対を押し切つて復興金融金庫は設立せられたのであります。ところが吉田内閣は、その反対のことを現在述べられておる。
○吉田国務大臣 石橋財政は、私の記憶するところでは当時なかなか評判がよくあつたように記憶いたします。また今日において、とにかく民自党が絶対多数をとつておる以上は、国民はわれわれの財政に信頼しておる証拠と考えまして、どうぞあなたにおいても御安心を願いたいと思います。
そのときに大臣は石橋湛山を起用せられまして、いわゆる有名な、石橋インフレ財政を行わせた、当時国民の輿論はこの石橋のインフレ財政に非常に反対した。われわれも国会において反対した。與党の出身である予算委員長の矢野委員長が、当時国会において、石橋財政はインフレの波のために沈んでしまうと與党の委員長が反対の口吻を漏らしたのであります。それをなお押し切つて石橋のあのインフレ財政をやらせた。
それともう一つ東正海運というものがありまして、これは石橋又義という人が社長ですが、この三者が寄り合つて話をしまして、ただいま申し上げたような会社をつくろうという話ができ上つたわけであります。
実際上は先ほど申し上げましたように、トラックを二台、二台、一台これだけ出したその比率において株を持とうという話合いは、最初から熊沢、石橋、油糧産業の間にできておるわけでございまして、これは石橋あるいは熊沢商店をお呼びになつてお聞きになればその通り間違いはございません。
梨木委員の質疑の日に、樋貝国務大臣に出ていただいて、これは昨日の東京新聞に出ておつたと思うのですが、栃木県の石橋町の公安委員会が警察署長を罷免した。ところが警察署長はその罷免に応じない。
しかも第一次吉田内閣当時の大蔵大臣でありました石橋湛山氏も、拓銀は支拂うべきであるとの意向を漏らしておることを聞いておるわけであります。現にまた拓殖銀行の内部におきましても、同様の意見があると開かされておるのであります。特に私が関心を持ち、また政府当局にも御注意を喚起したいことは、引揚者が非常にこの問題を神経的に取扱いまして、かようなことを申しておるわけであります。
田中 重彌君 西村 直己君 畠山 鶴吉君 丸山 直友君 堤 ツルヨ君 中島 茂喜君 苅田アサノ君 出席政府委員 厚生政務次官 亘 四郎君 厚生事務官 飯島 稔君 厚 生 技 官 東 龍太郎君 委員外の出席者 議 員 金光 義邦君 厚 生 技 官 石橋
○石橋説明員 私から説明させていただきます。傳染病予防のための思想普及の必要なことは申すまでもないのであります。從來傳染病予防の面の面については、傳染病予防法のあり方が相当な強権をもつて実施するというようなあり方であつた。
○石橋説明員 今議題になつている傳染病予防法の傳染病というのは、いわゆる法定傳染病でありますので、急性の方ばかり十一含まれておるのでありますが、結核予防の方は別に結核予防法があるのであります。急性傳染病の方の消毒については、從來の習慣といたしまして市町村の公費をもつて消毒を実施しております。しかし自分で実施いたしますものについては妨げないようになつております。
大体この料飲店再開という民自党の年來の御主張は、供出後の自由販賣等の公約とあわせて、一つの共通点が全体に見られるのでありますが、かつての石橋大藏大臣時代のやみとインフレの思想、非常に放漫な景氣のいいイディオロギーが民主自由党を貫いておつた次第であります。
只今の大臣の御説明も一向我々に感銘するものが何らありませんで、もう少し中小工業の問題につきましては、経済安定本部も力を入れて頂きたいと思いますが、併しそれというのも、結局長い間の放慢政策をアメリカ政府から引締められるというような事態にぶつかつて、このこと自体は実は終戰直後の東久邇宮内閣、それから石橋財政以來の放慢財政の責任であるとこう考えておりますが、併し何と言つても現在の事態に追いつめられましたのは
これは橋でございますが、橋梁を分けて木橋、石橋……まだ現在も石橋が相当に残つております。それからコンクリート橋、鉄筋コンクリート橋、鋼橋……鉄の本当の橋であります。それらを合計いたしまして、國道では八千三百六十七橋、府縣道では九万五千五百七十三橋、市町村道では二十九万二千九百六十四橋ありまして、現在合計が三十九万六千九百四橋、約四十万橋。
実際問題としてそういう金融の専門家が、これは過大であるのではないか、むしろ自分はまあ非常に石橋を叩いて、金融業者であるから堅く見透しをしておるのだというお話もありましたが、それにしても相当過大であるように感ぜられるのです。こういう面から先ずこの貯蓄目標についても私一つ問題があると思うのです。 それから更に資金配分の直接投資ですが、直接投資を七百億と見積つておられるのです。
これは石橋さん以來一般会計に公債がないということになつておりますが――公債が出ればきつといけないという非難が出るのですけれども、ないということは決して惡いことではありません。けつこうなことであります。ですがこれ以外には公債があります。皆様御案内の通り國有鉄道特別会計には百五十億、通信事業特別会計には百二十億、合計二百七十億の建設公債があります。
この点について傾斜生産はたまたま第一次吉田内閣の石橋大藏大臣によつて唱え始められ、かつ実行せられた。この両者の違いについてもここであらためて明らかにしていただきたい。
それだからこそこの総選挙が行われまして、これに反対したところのインフレーシヨン專門——第一次吉田内閣当時からインフレーシヨンの石橋財政でやつて來たのである。これによつてやみとインフレをあおり、十分なる利益を占めたこの味が忘れられないためにこそ、今の吉田内閣に対してもまた投票が集中せられたのである。
なおまた大藏大臣の答弁でありますが、石橋財政がインフレーシヨン‥‥。(「総理も大藏大臣もおらぬ。質問留保」と呼び、その他発言する者あり)それでは私の質問は保留します。 〔「総理大臣も大藏大臣もいないじやないか」と呼び、その他発言する者多し〕
デイスインフレーシヨンの線においてやるということならば安心であるけれども、石橋財政がインフレーシヨン政策であつたことは顕著な事実であります。また泉町藏相はその就任のあとにおいて、建設公債を発行して大いに生産を振興すべきであると言われた。かような事実から考えて、これはインフレーシヨン政策であつたということはむりではない。
九十二議会において、この財政法が通過いたしますときには時の石橋藏相は、この財政法は、極めて民主的な財政法である、その見地から十分國民に推奬し得るところの財政法であるというふうにはつきり明言いたしましたし、当時の議員も、すべてこれを我が國の財政の民主化のために非常にいい法律であるとして、全部賛成したのであります。併しその後、この財政法がやはり種々二三回に亘つて改正されました。
曾て財政法が作られたときに、この二つを作ることが財政の民主化であると、これは当時の自由党の石橋大藏大臣でさえがそう申して、而も殆んどの議員はそれに異議はなかつたのであります。それを今に至つて改正するのは、決して技術的な問題ではないのであります。
日本の民主政治の今後の行き方によつてもうこれは一角が崩れるのだ、この財政法をこういうふうに変えることは、現にこの財政法の提出されたときの國会の速記録を読んでおりますと、これは第九十二議会貴族院の委員会の速記録なんですが、特にこの目的別編成ということを力説しておるのですよ、当時の大藏大臣の石橋湛山、第一次吉田内閣です。そのときにやかましく言つておるのです。
○石橋説明員 ただいまの問題について私から説明させていただきます。原因について、これはジフテリアの毒素が残つていたのでありますが、この藥はジフテリアの毒素にホルマリンを入れて無毒化して予防液に使うのでありますので、元は確かに毒素であります。
なおこのワクチンの檢定につきましても、從來の檢定におきましても、先ほど來石橋防疫課長等の説明にもございましたように、学問的に申しますれば、これはまつたく誤りがなく檢定され得るはずでございますが、しかしそこに手続上の誤り等が生じますことを見まして、この檢定のことにつきましてもいろいろな改正をやつておりますことは、参議院に対しまして私どもが報告いたしました中にも書いてございますし、またただいまいろいろやつておりますので
藥務局長) 慶松 一郎君 同 (社会局長) 木村忠二郎君 同 (児童局長) 小島 徳雄君 同 (医務局次長) 久下 勝次君 厚 生 技 官 (予防局長) 濱野規矩雄君 委員外の出席者 厚生事務官 安田 巖君 厚 生 技 官 石橋
かつて石橋藏相が、あの、教育などはどうでもいいのだ、文化はどうでもいいのだ、まず食うことが大事だと、悟淡たる氣持で放言した事実がありまするが、その衣鉢を継ぐ大藏大臣は、財政政策の上において、文化はまことに微々たる影の星のごときものでよいと思つておられるのかどうか。
(拍手) 吉田内閣は、一昨昨年の、先ほど申し上げました軍需補償打切りの際には、諸君もおよそ御記憶に新たなところでありましようが、あの予算委員会の席上において、当時の第一次吉田内閣の大藏大臣石橋君並びに経本長官でありました膳桂之助君は、軍需補償の打切りのやむなきに至つた際に、予算委員会にわれわれを招待して、その席上、軍需補償打切りに対して、悲涙をしぼつてその説明をいたしたことは、皆さんも御記憶に新たなところでありましよう
かつて九十議会でありましたか、第一次吉田内閣のときでありますが、石橋さんが、教育のことは困つておるときにはあとまわしでもよいというような話をされて、議会はあげてこれに反対をしまして、文教再建の決議を満場一致でいたしたような事情があるのであります。今日はややその時のよう事情に置かれておるのではないかと私は心配をいたしておるのであります。