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6741件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1949-11-30 第6回国会 参議院 予算委員会 第10号

岩崎正三郎君 まあその点は議論になりますから、それ以上は控えますが、その栃木県の石橋警察の問題に関連して、この問題がさような事態のために解決ができなかつたと、できないために長い間ごたごたしておるので、これを何とかしようというまあ善意であつたと思いますけれども、とにもかくにもこれに対して、国家地方警察の職員或いは他の自治体警察署長というものがこの問題に関与して、今度の選ばれるべき公安委員は、こういう

岩崎正三郎

1949-11-30 第6回国会 参議院 予算委員会 第10号

この民主化された警察というものに対する考え方が足らないことも相当あると同時に、又警察官みずからも、こういつた天降り的な昔の古い気分を温存したがる傾向があるのでありまするが、こういう問題が、実は栃木県の石橋という町におきまして、公安委員が、署長がよろしくないからこれを罷免するという問題が起きたのであります。

岩崎正三郎

1949-11-26 第6回国会 衆議院 本会議 第17号

拍手)そのときの大蔵大臣説明によりますると、わが国産業復興をはかるために通貨の一千億円や二千億が増発されても、生産が上りさえすれば国民経済は安定するのであるから、通貨増発はあえて恐るるに足らぬという石橋財政の勢いをもつて、野党の反対を押し切つて復興金融金庫は設立せられたのであります。ところが吉田内閣は、その反対のことを現在述べられておる。  

西村榮一

1949-11-24 第6回国会 衆議院 予算委員会 第9号

そのときに大臣石橋湛山を起用せられまして、いわゆる有名な、石橋インフレ財政を行わせた、当時国民の輿論はこの石橋インフレ財政に非常に反対した。われわれも国会において反対した。與党の出身である予算委員長矢野委員長が、当時国会において、石橋財政インフレの波のために沈んでしまうと與党委員長反対の口吻を漏らしたのであります。それをなお押し切つて石橋のあのインフレ財政をやらせた。

奧村又十郎

1949-05-22 第5回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号

しかも第一次吉田内閣当時の大蔵大臣でありました石橋湛山氏も、拓銀は支拂うべきであるとの意向を漏らしておることを聞いておるわけであります。現にまた拓殖銀行の内部におきましても、同様の意見があると開かされておるのであります。特に私が関心を持ち、また政府当局にも御注意を喚起したいことは、引揚者が非常にこの問題を神経的に取扱いまして、かようなことを申しておるわけであります。

玉置信一

1949-05-06 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第15号

田中 重彌君       西村 直己君    畠山 鶴吉君       丸山 直友君    堤 ツルヨ君       中島 茂喜君    苅田アサノ君  出席政府委員         厚生政務次官  亘  四郎君         厚生事務官   飯島  稔君         厚 生 技 官 東 龍太郎君  委員外出席者         議     員 金光 義邦君         厚 生 技 官 石橋

会議録情報

1949-05-06 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第15号

石橋説明員 今議題になつている傳染病予防法傳染病というのは、いわゆる法定傳染病でありますので、急性の方ばかり十一含まれておるのでありますが、結核予防の方は別に結核予防法があるのであります。急性傳染病の方の消毒については、從來の習慣といたしまして市町村の公費をもつて消毒を実施しております。しかし自分で実施いたしますものについては妨げないようになつております。

石橋卯吉

1949-04-18 第5回国会 参議院 経済安定委員会 第7号

只今の大臣の御説明も一向我々に感銘するものが何らありませんで、もう少し中小工業の問題につきましては、経済安定本部も力を入れて頂きたいと思いますが、併しそれというのも、結局長い間の放慢政策をアメリカ政府から引締められるというような事態にぶつかつて、このこと自体は実は終戰直後東久邇宮内閣、それから石橋財政以來の放慢財政の責任であるとこう考えておりますが、併し何と言つても現在の事態に追いつめられましたのは

帆足計

1949-04-13 第5回国会 参議院 建設委員会 第5号

これは橋でございますが、橋梁を分けて木橋、石橋……まだ現在も石橋が相当に残つております。それからコンクリート橋鉄筋コンクリート橋鋼橋……鉄の本当の橋であります。それらを合計いたしまして、國道では八千三百六十七橋、府縣道では九万五千五百七十三橋、市町村道では二十九万二千九百六十四橋ありまして、現在合計が三十九万六千九百四橋、約四十万橋。

菊池明

1949-04-12 第5回国会 参議院 予算委員会 第10号

実際問題としてそういう金融専門家が、これは過大であるのではないか、むしろ自分はまあ非常に石橋を叩いて、金融業者であるから堅く見透しをしておるのだというお話もありましたが、それにしても相当過大であるように感ぜられるのです。こういう面から先ずこの貯蓄目標についても私一つ問題があると思うのです。  それから更に資金配分の直接投資ですが、直接投資を七百億と見積つておられるのです。

木村禧八郎

1949-04-11 第5回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

これは石橋さん以來一般会計公債がないということになつておりますが――公債が出ればきつといけないという非難が出るのですけれども、ないということは決して惡いことではありません。けつこうなことであります。ですがこれ以外には公債があります。皆様御案内の通り國有鉄道特別会計には百五十億、通信事業特別会計には百二十億、合計二百七十億の建設公債があります。

井藤半彌

1949-04-05 第5回国会 衆議院 本会議 第12号

それだからこそこの総選挙が行われまして、これに反対したところのインフレーシヨン專門——第一次吉田内閣当時からインフレーシヨン石橋財政でやつて來たのである。これによつてやみインフレをあおり、十分なる利益を占めたこの味が忘れられないためにこそ、今の吉田内閣に対してもまた投票が集中せられたのである。

徳田球一

1949-04-05 第5回国会 衆議院 本会議 第12号

デイスインフレーシヨンの線においてやるということならば安心であるけれども、石橋財政インフレーシヨン政策であつたことは顕著な事実であります。また泉町藏相はその就任のあとにおいて、建設公債を発行して大いに生産を振興すべきであると言われた。かような事実から考えて、これはインフレーシヨン政策であつたということはむりではない。

北村徳太郎

1949-04-01 第5回国会 参議院 本会議 第7号

九十二議会において、この財政法が通過いたしますときには時の石橋藏相は、この財政法は、極めて民主的な財政法である、その見地から十分國民に推奬し得るところの財政法であるというふうにはつきり明言いたしましたし、当時の議員も、すべてこれを我が國の財政民主化のために非常にいい法律であるとして、全部賛成したのであります。併しその後、この財政法がやはり種々二三回に亘つて改正されました。

中西功

1949-04-01 第5回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

日本の民主政治の今後の行き方によつてもうこれは一角が崩れるのだ、この財政法をこういうふうに変えることは、現にこの財政法の提出されたときの國会速記録を読んでおりますと、これは第九十二議会貴族院委員会速記録なんですが、特にこの目的別編成ということを力説しておるのですよ、当時の大藏大臣石橋湛山、第一次吉田内閣です。そのときにやかましく言つておるのです。

波多野鼎

1949-03-31 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第3号

なおこのワクチンの檢定につきましても、從來檢定におきましても、先ほど來石橋防疫課長等説明にもございましたように、学問的に申しますれば、これはまつた誤りがなく檢定され得るはずでございますが、しかしそこに手続上の誤り等が生じますことを見まして、この檢定のことにつきましてもいろいろな改正をやつておりますことは、参議院に対しまして私どもが報告いたしました中にも書いてございますし、またただいまいろいろやつておりますので

慶松一郎

1949-03-31 第5回国会 衆議院 厚生委員会 第3号

藥務局長)  慶松 一郎君         同         (社会局長)  木村忠二郎君         同         (児童局長)  小島 徳雄君         同         (医務局次長) 久下 勝次君         厚 生 技 官         (予防局長)  濱野規矩雄君  委員外出席者         厚生事務官   安田  巖君         厚 生 技 官 石橋

会議録情報

1949-03-29 第5回国会 衆議院 本会議 第7号

拍手)  吉田内閣は、一昨昨年の、先ほど申し上げました軍需補償打切りの際には、諸君もおよそ御記憶に新たなところでありましようが、あの予算委員会の席上において、当時の第一次吉田内閣大藏大臣石橋君並びに経本長官でありました膳桂之助君は、軍需補償打切りのやむなきに至つた際に、予算委員会にわれわれを招待して、その席上、軍需補償打切りに対して、悲涙をしぼつてその説明をいたしたことは、皆さんも御記憶に新たなところでありましよう

川島金次

1949-03-24 第5回国会 衆議院 文部委員会 第2号

つて九十議会でありましたか、第一次吉田内閣のときでありますが、石橋さんが、教育のことは困つておるときにはあとまわしでもよいというような話をされて、議会はあげてこれに反対をしまして、文教再建の決議を満場一致でいたしたような事情があるのであります。今日はややその時のよう事情に置かれておるのではないかと私は心配をいたしておるのであります。

森戸辰男