1999-02-03 第145回国会 参議院 国民生活・経済に関する調査会 第1号
それから十九項目めが、これは児童の虐待についての懸念、それから二十二項目めが、これが教育にかかわるところなんですけれども、この指摘は、委員会は、日本の児童が、高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて懸念をすると指摘をされています。
それから十九項目めが、これは児童の虐待についての懸念、それから二十二項目めが、これが教育にかかわるところなんですけれども、この指摘は、委員会は、日本の児童が、高度に競争的な教育制度のストレスにさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされていることについて懸念をすると指摘をされています。
○西山登紀子君 ちょっと最後、答弁があれなんで、国連の発達障害にさらされているということについての受けとめはあるんですか。
「児童が、高度に競争的な教育制度のストレス にさらされていること及びその結果として余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより、発達障害にさらされているしというふうに書いてありまして、これは「主な懸念事項」のところですけれども、高度に競争的な教育制度の是正ということを勧告しているのですね。国連の機関が教育制度のあり方の是正を求める勧告を行うというのは異例のことだと言われているわけです。
子どもの権利条約の実施状況を監視するために設置された国連子供の権利委員会は、日本政府の報告をもとに議論、審査を行い、去る六月、日本政府に対し、児童が高度に競争的な教育制度のストレスにさらされている、その結果として発達障害にさらされ、さらに登校拒否の事例がかなりの数に上ることを懸念する、また、印刷、電子視聴覚メディアの有害な影響、特に暴力及びポルノグラフィーから児童を保護するために導入された措置が不十分
○坂本(哲)政府委員 精神薄弱という用語の問題でございますけれども、先生御指摘のとおり、好ましからぬ障害観をあらわすとか、実態を的確に表現し得ていないのではないかといったような理由から、当事者の方、あるいはその家族を初めとする関係者の皆さん方から見直しが求められておりまして、平成七年の七月には厚生省の研究会の方で一定の報告が出ておりまして、精神薄弱にかわる障害区分の言葉として知的発達障害、あるいはまたこれを
○政府委員(高木俊明君) なかなか難しい問題でありますが、私ども、いわゆる知的発達障害者の生活の実態でありますけれども、調査に基づいてある程度数量的に把握していることから申し上げますと、精神薄弱者、いわゆる知的発達障害者でありますが、これが三十八万五千人ほどいらっしゃるわけであります。
○土肥委員 一つ申し上げておきますけれども、厚生省が、一九九三年から精神薄弱という言葉を、どう呼ぶかということで、特に薄弱というようなことはいけないというので知的発達障害というふうに改めました。ここにもまた障害が出てくるのですね。 文部省のを見ますと、平成七年度の予算のときには学習困難児となっていますね。
○高木(俊)政府委員 精神薄弱者、いわゆる知的発達障害者の関係でありますけれども、現在の施設におきます取り扱いとしましては、重度あるいは最重度の方につきましては、重度棟というのを一方で整備をしております。
それはどういう質問がというと、障害者の方々、いろいろ配慮をして無料化はするということだったわけですが、ぜひその中に精神薄弱者、精神薄弱児、今これは発達障害者とも言っていますけれども、こういう方々は電話帳を見たって字が読めないわけなんですね。そういう方々でも、何とか市の何とか町の何のたれべえさんということは言えるわけですね。言葉の方は相当じゃべれる。
体罰とかプライバシーの侵害とか、学習時間の制限、卒業アルバムへの不掲載等、障害児とりわけ知的発達障害を持った子供たちへの人権侵害は実に甚だしいものがあります。こうした現状を法務大臣はどういうふうにお考えになっているのか。 それから、先般政府が決定した障害者対策の新長期計画の中でも権利擁護のための制度の検討が述べられています。
最近、外国でも用語が、例えば英国ではインテレクチュアル・ハンディキャップ、知的障害というふうな言葉を使ったり、アメリカの方でもディベロプメンタル・ディスアビリティーというのですか、発達障害という言葉にかえたり、いろいろそういう動きがございますが、これがいいという最終的に一致した御意見というのはまだないものですから、これからも引き続き適切な用語をどうすればいいかということについてはぜひ研究をしてまいりたい
昨年の六月十五日に「今後の有料道路制度のあり方についての中間答申」、いわゆる下肢不自由者の障害者の方は有料道路は割引がございますが、内部疾患であるとかその下肢不自由以外のいわゆる障害者の方とか、それからまた精神薄弱者、発達障害者ともいいますが、そういう障害者の方を乗せている方、つまり介護者の場合、こういう場合について、昨年の六月、もう一年前に中間答申が出ました。
○下村泰君 大阪で四月一日から発達障害者、いわゆる知的障害者の方々を非常勤職員として採用している、知的障害者、こちらの記事の方は知的障害になっておりますけれども、府立病院の非常勤職員として採用しました。採用されたのは、大阪障害者職業訓練校を卒業した十九歳と二十二歳の男性なんです。二人は、正式採用前から府立病院で洗濯物の運搬やクリーニング業務に試験的に従事している。
現在までのところ、ただいま御指摘になりました発達障害者それから精神障害者、難病者などにつきましては、この障害者の雇用の促進に関する法律上の雇用義務の対象とはされておりません。
国家公務員試験における発達障害者と精神障害者、難病者、こういう方々への対応について伺いますけれども、現在の採用試験では発達障害者、これは知的障害とも今まで言われておりますけれども、精神障害者、難病の方々が実際に採用されるのは大変困難で、昨年伺ったところでは全省庁で発達障害者の採用はたった二人でした。そして、労働省ではゼロでした。
○下村泰君 このときも小規模作業所や発達障害者の方々の施設に若干の被害があったんです。長官は御存じかもしれませんが、例えば耳の聞こえない、耳の御不自由な方がホテルに泊まった場合、モーニングコールします。そういうときには体で感じる方法というのがあるわけです。ですから、耳の聞こえる方は耳の聞こえるような方法、それから聞こえない方には聞こえない方法というのは何か考えてくださればあると思うんです。
これが、視覚障害者とかあるいはお耳の不自由な方ですとかあるいは今度は知的障害という、最近ではそんなような言葉を使うようですけれども、発達障害というんですか、知恵おくれの方は。こういう方々にじゃ情報をどういうふうに提供するかということなりますると、お答えいただいたのはこんなことがあるんです。
そこに発達障害児、いわゆる知恵おくれの子供たちの作業施設があったわけです。そこはバスの停留所が二百メーター近く離れておりまして、あらしの日や何か大変かわいそうだな、部落の人もバス停を移そうかというようなこともあったのです。 それが大分、十数年近く時間がたっておって、私の方にも相談があったわけです。運輸省に言いましたら、運輸省はバス停を移動するよりも新しく、バス停をつくりましょう。
肢体障害があって思うように外出もできない、歩けても発達障害がある、安全に外で遊ぶことができない、だから障害者をよく理解した分助者や指導者がどうしても必要であります。同じ人間でありながら、本人や家族が希望したわけでもないのに障害を持つ、そして障害者に対して配慮が乏しい社会環境の中で、遊ぶ自由や外出する自由が奪われるという状況が起こっています。
○吉井(光)委員 次に、昨年の二月十五日の当委員会で質問をしておるわけでございますが、発達障害者への有料道路の割引制度の適用、これは、高速料金の割引制度の導入につきましては当委員会にもたびたび請願がされておるわけでございます。
一つは、精神薄弱者、私たちは発達障害者と言っておりますけれども、この運賃の割引制度の適用でございます。我々も平成元年十二月には当時の江藤運輸大臣にも資料を出しましたし、私自身も平成二年四月には当予算委員会でも質問をさせていただきましたし、我が党の、公明党の一つの提言、政策の中にもございます。内部疾患のある障害者の方々も昨年二月から適用対象となりました。
英語でフィーブルマインデッドネスということになっておるのですけれども、英語におきましてもおかしいじゃないかという議論が出てきておるようでございまして、例えば発達障害というような意味の英語を使うように向こうでは慫慂されておるということも聞いております。 そこで、今のような御指摘、理解できるところがございますので、この用語につきましては幅広く関係者の意見を聞きながら研究してみたいと思います。
今月の末、東京都が発達障害、知恵おくれの方や痴呆性老人の方専門の人権擁護機関設置のための検討会というのを発足させるんです。具体的にこのことについて法務省は御存じですか。御存じならば説明してください。
これまでにも私も知恵おくれと言ってみたり、あるいはここ最近では精神遅滞者とか発達障害者という言い方もしていますけれども、なかなかうまいといいますか、私たちが納得するような言い方ができないんです。
外国でも、先生今お話しのように、英語圏におきましては精神遅滞を伴った人とか、あるいは発達障害というような言葉で言われるようなこともございますが、しかしいまひとつぴったりこないというような感じが正直なところではなかろうかと思うわけでございます。