2004-03-25 第159回国会 参議院 外交防衛委員会 第6号
○国務大臣(川口順子君) 私も環境庁長官をいたしておりましたときに愛知先生と環境委員会で質疑をさせていただいたことをよく覚えております。一年生議員でとおっしゃられましたけれども、私も一年生大臣でございまして、一生懸命仕事をさせていただいたわけですけれども、引き続き私は今毎日を一年生、相変わらず一年生でございますので、初心に、毎日これ初心ということでやらせていただいております。
○国務大臣(川口順子君) 私も環境庁長官をいたしておりましたときに愛知先生と環境委員会で質疑をさせていただいたことをよく覚えております。一年生議員でとおっしゃられましたけれども、私も一年生大臣でございまして、一生懸命仕事をさせていただいたわけですけれども、引き続き私は今毎日を一年生、相変わらず一年生でございますので、初心に、毎日これ初心ということでやらせていただいております。
その後、初代環境庁長官に就任され、数々の施策を具体化することによって、先生は、現在の環境先進立国の基礎を築かれたのであります。(拍手) その後も先生のご活躍は、国政の各般にわたりとどまることを知らず、田中内閣においては防衛庁長官、第一次中曽根内閣においては通商産業大臣を歴任されました。
一方で、本当に私どもの身近なところの生活の問題に密接に関係する問題で一つ一つそれに対応をしていかなければならないということで、前の鈴木大臣にも申し上げたんですけれども、三木武夫さんが環境庁長官になられたときに、環境庁は政府の中の野党になれと訓示をされたというんですが、今やもう環境省は政府の中の中核的な存在として、経済官庁に対しても、あるいは外務省その他関係省庁に対して、環境省の考え方をなしにして政策
イランまで行って環境庁長官とお約束をされたんですから、やはり具体的なこの方向性というのが大臣の頭の中であるんだろうと思いますが、これ一体どのようにこの湿原を回復するおつもりか、この実現の可能性ですね、大臣はどのように御認識かと。 今四国ほどの面積と言いましたが、確かにアシが生えてその湿原そのものは四国ほどの面積かもしれませんが、その背景にある面積は莫大なんですよね。
エプティカール環境庁長官とお話をされまして、そこでイラクのメソポタミアの湿原回復事業に日本が取り組むんだというお話をされましたが、この意義について少しお話をいただきたいと思います。
平成十二年、森内閣の目玉として環境庁長官に民間から起用されたとき、川口大臣は、出身のサントリーの企業イメージもあって、好感を持って見られたものです。京都議定書をめぐる国際問題に真剣に取り組み、野党の私も一定の評価をしていました。いろいろ癖の多い女性大臣四人の中では、ずば抜けて優秀な方だと思っておりました。
失礼ですけれども、その際には環境庁長官とか、余り関係のない人はちょっとどいていただいて、基幹のメンバーでもって意思決定をすると、こういう内閣のルールを作ったらいかがかなと思います。
○岩尾政府参考人 先ほどもお答えさせていただきましたが、この白保海域の国立公園区域に指定する件につきましては、当時の環境庁長官のコメントを踏まえまして、一九八八年でございますが、いろいろと調整をしてきたわけでございますけれども、先ほど言いました、一九九九年に石垣市長の、国立公園指定が時期尚早という発言があったわけでございます。
○金田(誠)委員 石垣島東海岸を西表国立公園に編入することについて、当時の岩垂環境庁長官と大浜石垣市長などが合意したのは一九九六年でございます。以後七年を経過して、具体的に進展をしておらない。大変遺憾な事態だと思っております。すぐれた自然を放置して、公共事業が進むに任せるというのでは、環境省の存在理由がないのではないか。この辺いかがでしょうか。
ちょうど環境庁が十年たったときの十周年記念のときに、当時の環境庁長官であった鯨岡兵輔さんが、残念ながら先日亡くなられましたが、庁内の訓示の中でこういうことを言っておられます。
三木武夫さんが初めて環境庁長官になられたときの庁内の訓示の中で、環境庁は政府の中の野党でなければならないということを言われたと、実は御本人から私は伺ったことがあります。そのことは、大変含蓄の深いお言葉だろうと思います。 当時はまだそれでなければならなかったと思いますが、今現在、環境省の責任者である大臣はその三木さんのお言葉をどういうふうに受け取られておられるか、伺いたいと思います。
財団法人日本自然保護協会が、去る四月十七日付けで、外務大臣と防衛庁長官及び環境庁長官に対して、現在防衛施設庁が推進しているボーリング調査に対する意見書を提出しています。
配付資料を見ていただきたいんですけれども、これは諫早干拓事業を進めてきた元農水省構造改善局長、元構造改善局次長、漁民を無視してきた元水産庁長官、元水産庁次長、水質保全に責任を持っていた元環境庁長官官房審議官、事業に防災機能がないのを見逃していた元建設省河川局長ですね。これは幾ら何でも、諫早干拓事業をごり押ししてきた中心メンバーなんですね。
○国務大臣(鈴木俊一君) 清水嘉与子先生がこの循環基本法制定に当たりまして環境庁長官として大変御努力をいただいたということを承知をしているわけでありまして、この点につきまして、冒頭、心より敬意を表したいと思っているところであります。
当時の環境庁長官だった清水先生の方から具体的に細かい御質問、丁寧にありましたので、私の方はごく限られたところ、数値にかかわるところだけお伺いしたいと思いますが、現在の具体的な実質的な循環の中でのフローの数値、例えば物質のフロー、また資源として投入したもの、投入資源量、さらに天然資源のうち環境中へ排出した量、これ、また循環的に利用した量、こういったものの具体的にどういう状況になっているかと。
鈴木大臣と同じ自民党の衆議院だった父が環境庁長官を務めていたときに、厳しい自動車の排ガス規制を行いました。そのことで、父は自動車メーカーなど産業界から、当時としては嫌われました。産業界主催のパーティーで父が会場に入ると、人がすっと避けるように近くからいなくなったことがあったようです。 けれども、父の苦労も無駄ではなかったのかもしれません。
○国務大臣(鈴木俊一君) 高橋先生の御尊父、三木武夫先生が、昭和四十七年十二月から約二年余り環境庁長官をお務めになられたわけでありますが、環境庁ができましたのは昭和四十六年の七月でございますから、正に環境省の創成期に当たりまして、日本の環境行政の方向性を築かれた、そういう意味で大変大きな御功績を残されたと思っております。
大島大臣は、平成七年、村山内閣のときの環境庁長官として、水俣病の認定患者以外の一万一千人に対して政治決着として一人二百六十万、約三百億だったと思いますが、そういうことを決断された大臣でございます。私はそれは高く評価しているわけですが、そういう感じでこの問題について対応できないかということを感じておりますが、大島大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(大島理森君) 今、先生のお話伺って、私、前、環境庁長官やったときエコクラブというのがあって、大変ネットワーク作っているんですね。できればそれをアジアの人たちにも勧めたらどうかと言ったことがありますが。
それは当たり前のことで、着工前というのは、大臣は環境庁長官をなされているから、アセスが通って埋立許可ができて、ちょうどこのところを着工前と私は認識しているんですね。 いただきますと御飯を食べるときには、スーパーに買い物に行っているときにはいただきますを言う時間じゃないんです。全部お母さんがつくって、まあ私もつくりますけれども、その食べる瞬間をいただきますの前の時間だというんです。
○川口国務大臣 稲嶺知事とは、私は、環境庁長官をしていたころから、さまざまな沖縄についての課題、今外務大臣として扱っている課題とは若干違いもありますけれども、いろいろお話をさせていただいております。 着工前ということをおっしゃられていらっしゃいまして、どの時点が着工前かとおっしゃられても、この時点ですと申し上げるのは非常に難しいんですが、着工前は着工前であると私は思っております。
政府の立場として、選挙の結果についてコメントを申し上げるというのは控えさせていただきたいと思いますけれども、稲嶺知事とは、私は環境庁長官になりまして以来、環境庁と沖縄県もさまざまな関係といいますか、共通に、一緒に努力をして解決をしていかなければいけない課題があるわけでございますけれども、それ以来、さまざまな問題について、もちろん外務大臣になりまして当然でございますけれども、稲嶺知事とはお話をさせていただき
まず初めに、大島大臣は環境庁長官もかつて経験をされましたですね。先日、水鳥の生息地として国際的に重要な湿地を保全しようというラムサール条約の第八回締約国会議がスペインのバレンシアで開催されました。ここでは、このたび愛知県の藤前干潟と北海道の宮島沼がリストに登載をされたわけでございます。
そして、有明海、八代海、この八代という名前を聞きますと、私、環境庁長官をやったときに、水俣問題に最終決着をするときに、責任者でそうさせていただいたものですから、八代と聞きますと、また非常に思いがございます。海の力が有明海や八代海は落ちているというのが事実だと思うんです。そして、それは漁業生産の減少傾向を見ても分かると思うんです。
元環境庁長官でもあり、ラムサール条約に非常に造詣の深い大臣でございますから、今後、このいろいろな干潟ですね、今五百個ぐらい選定しておるようでございますが、農水省にも当然関係しておるわけでございますね。そういう意味では、日本も大いにこれから、倍増と言わず三倍ぐらい目指してこの登録湿地がリストされるように、また大臣は大臣の立場で御検討いただければと思うんですが、いかがでしょうか。
そして、一度申し上げたことがありますが、環境庁長官のときに水俣の問題に取り組みましたときに、自然というものが変化していく、壊れるというときに、その再生に向けては大変な努力が要るもの、厳しい、苦しいものを乗り越えなきゃならぬ、私はそういう経験を持っておりますが、この今の有明再生法について、本当にさまざまな歴史を超えて、そして何とか再生させよう、その再生させた上で、またそこでみんなでその場で生活ができる
今、大島農水大臣が来ておられるが、環境庁長官もやられました。この法律の中で緑資源機構法案というのがありますね。今、植林をしたりするということは、この自由化のもとじゃ、全く市場経済では成り立たないですよ。しかし、森があるということで災害が防がれ、そして京都議定書の計算ができるんですね。
○福山哲郎君 八八年のその公健法の改正で認定をしなくなったときの議事録ありまして、当時の堀内環境庁長官が、やはりこういうことを言われています。硫黄酸化物による大気汚染という問題がほとんど解決されてきたわけでございますと。御指摘のように窒素酸化物のものは、ほとんどずっと統計を見ても横ばいでございますと。