2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
私がまだ当選一回のころ、かつて祖父・河野一郎の派閥に属していた元議員の告別式の中で、やはり河野一郎と近しかった方が弔辞を読まれました。 その弔辞の中で、「君は河野一郎の三つの教えを忠実に守っていた」と故人を称えるくだりがありました。 第一に、衆議院議員の肩書きを最も大切にしろ。 衆議院議員という肩書きは、選挙で選ばれて、国民から与えられるものである。
私がまだ当選一回のころ、かつて祖父・河野一郎の派閥に属していた元議員の告別式の中で、やはり河野一郎と近しかった方が弔辞を読まれました。 その弔辞の中で、「君は河野一郎の三つの教えを忠実に守っていた」と故人を称えるくだりがありました。 第一に、衆議院議員の肩書きを最も大切にしろ。 衆議院議員という肩書きは、選挙で選ばれて、国民から与えられるものである。
私は、かつて、私の農水省の大先輩である伊東正義さん、この方は当時の農林大臣であった河野一郎さんと大げんかをして、それで本省の局長から地方営林局の局長に飛ばされるんです。二段階ぐらいの降格です。そのときに、農水省の若手の官僚、大体課長補佐から若手の課長ぐらいが伊東正義帰還運動というのをやって、大臣が替わった後、すぐ水産庁長官で呼び戻し、その後、政界にも進出をしていくという。
この日本の国は、もう人の体でいえば毛細血管のようにこの日本中の島々に、国に道路があるわけでありますけれども、もちろん国道、県道、市道、町道、村道というのがあるわけでありますけれども、時代の流れとともにいろいろと、我々の阪神間を例に取ってみると、四十三号線は河野一郎さんが建設大臣のときに大改革をして、そこに四十三号線というか、百メートル以上の道路が神戸までできたというような、そういう記憶が残っております
○河野国務大臣 この両国の関係で申し上げれば、一九五六年の日ソ共同宣言は、私の祖父に当たる河野一郎が当時の鳩山一郎総理と一緒にモスクワへ行ってまとめたものでございまして、それから延々とこの領土問題が残っている。それを今回きちんと解決をしようということでございますので、きょうあすにも解決できるようなものなら、先輩方が既に解決をしてきているものだというふうに思います。
そのことを一番誰よりも汗を流して真剣勝負で取り組んでおられたのが、御存じのとおり河野一郎先生で、大臣の祖父の方であられますけれども、私、これをいろいろ調べてみました。
○河野国務大臣 当時、河野一郎がクレムリンから持って帰ってきたペーパーナイフというのが我が家にありまして、よく、私が小さいときに河野一郎は亡くなっておりますから、余り、直接話をしたという記憶はほとんどないんですけれども、この日ソの交渉の話はいろいろな人から話を聞いております。 ただ、それから七十数年たってまだこんな状況でございますから、きっと河野一郎は今笑っていると思います。
今から、古くなりますが、約五十五年前、昭和四十年、私が早稲田大学の三年生のとき、雄弁会の幹事長を務め、その夏、大隈講堂で河野一郎先生の追悼演説会を開催いたしました。 このとき、河野派を継承いたしました中曽根先生のお言葉が、その颯爽とした雄姿とともに、今も私の脳裏に焼き付いています。 恩師中曽根は、我々学生に向かってこう言いました。
戦後の北方領土の歴史をひもときますと、旧ソ連と我が国との国交回復交渉に御尽力され、日ソ共同宣言を取りまとめられた先哲であります河野一郎先生、そして外務大臣であられました河野洋平先生に引き続きまして、河野大臣には引き続き日ロ間に横たわります厳しい懸案に取組を続けていただいているところでございます。
河野大臣にとっては、外務大臣になられて最初の北方領土の日にきょうは当たると思いますが、おじい様の河野一郎大臣以来、北方領土問題の解決ということについては並々ならぬ思いがあると思うんですね。 まず、北方領土問題の解決に向けた覚悟、これについて河野大臣にお伺いしたいと思います。
私の祖父に当たります河野一郎が、日ソの漁業交渉でクレムリンに行きました。その際あるいはその後、鳩山一郎当時の首相と一緒に再びクレムリンを訪れたときに、この北方四島についてさまざま交渉がありました。
それを聞いた河野一郎当時のオリンピック担当大臣たちが、そういう魂のこもった聖火台を東京オリンピックで使おうじゃないかといって使ったのが、この聖火台なんです。
多分、おじい様たちの代の方だと思うんですけれども、河野一郎さんなんですね。今回は今、丸川珠代さんが大臣をされておりますけれども。
(文部科学省大臣官房総括審議官) 伊藤 洋一君 政府参考人 (文部科学省大臣官房文教施設企画部長) 中岡 司君 政府参考人 (文部科学省初等中等教育局長) 小松親次郎君 政府参考人 (文部科学省スポーツ・青少年局長) 高橋 道和君 参考人 (独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長) 河野 一郎
本件調査のため、本日、参考人として独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長河野一郎君及び公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副事務総長布村幸彦君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局総括調整統括官芦立訓君、新国立競技場の整備計画再検討推進室総括審議官中川真君、文部科学省大臣官房総括審議官伊藤洋一君
○参考人(河野一郎君) 約二千百億でございます。
○参考人(河野一郎君) 三千億超でございます。
○参考人(河野一郎君) 始まっております。
内閣官房内閣審議官) 田中 茂明君 政府参考人 (文部科学省スポーツ・青少年局長) 高橋 道和君 政府参考人 (資源エネルギー庁長官) 日下部 聡君 政府参考人 (中小企業庁長官) 豊永 厚志君 政府参考人 (国土交通省総合政策局長) 毛利 信二君 参考人 (独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長) 河野 一郎
本件調査のため、本日、参考人として独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長河野一郎君、日本放送協会会長籾井勝人君の出席を求め、意見を聴取し、また、政府参考人として内閣官房内閣審議官田中茂明君、文部科学省スポーツ・青少年局長高橋道和君、資源エネルギー庁長官日下部聡君、中小企業庁長官豊永厚志君、国土交通省総合政策局長毛利信二君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局企画・推進統括官) 岡西 康博君 政府参考人 (文部科学省大臣官房総括審議官) 伊藤 洋一君 政府参考人 (文部科学省スポーツ・青少年局長) 高橋 道和君 政府参考人 (観光庁次長) 山口 由美君 参考人 (独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長) 河野 一郎
本件調査のため、本日、参考人として独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長河野一郎君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局セキュリティ推進統括官石田高久君、企画・推進統括官高原剛君、企画・推進統括官岡西康博君、文部科学省大臣官房総括審議官伊藤洋一君、スポーツ・青少年局長高橋道和君及び観光庁次長山口由美君
○参考人(河野一郎君) 建設に当たる業務については現在止めております。 しかし、現在、その整備に当たりまして、旧国立競技場をともかく建設に進めるようにという方向については進んでおります。
○参考人(河野一郎君) その時点では認識をしておりませんでした。
○参考人(河野一郎君) 約三億円と見込んでおります。
○参考人(河野一郎君) そのように認識しております。
石橋湛山先生、河野一郎先生、松村謙三先生、三木武夫先生、こういう方々が日米安保条約の採決のときでさえも棄権や欠席をされております。 そこで、最後に外務大臣にお尋ねしますが、この戦後政治における宏池会の果たしてきた、いろいろな外交的な岐路がありましたが、その意義、そして、今回の法案、本当にこれでいいと思いますか。責任ある立場にいらっしゃる大臣のお考えをお聞かせください。
(文部科学省研究振興局長) 常盤 豊君 政府参考人 (文部科学省研究開発局長) 田中 正朗君 政府参考人 (文部科学省スポーツ・青少年局長) 久保 公人君 政府参考人 (経済産業省大臣官房審議官) 三又 裕生君 参考人 (独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長) 河野 一郎
本件調査のため、本日、参考人として独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長河野一郎君、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構理事三浦幸俊君、国立研究開発法人理化学研究所理事長松本紘君及び国立研究開発法人理化学研究所理事加藤重治君の出席を求め、意見を聴取することとし、また、政府参考人として財務省主計局次長西田安範君、文部科学省生涯学習政策局長河村潤子君、初等中等教育局長小松親次郎君、科学技術・学術政策局長川上伸昭君
○参考人(河野一郎君) 今、間に合うような努力をしているところでございます。
○参考人(河野一郎君) それも含めてここでは控えさせていただきます。
かつて、それこそ河野一郎大臣が務められた担当大臣でありますけれども、幾ら大物の大臣がここに座られても、菅官房長官がこれをやれば別かもしれませんけれども、しかし権限がないんですね。菅官房長官でも、総合調整機能という権限をお持ちだから官房長官たり得ているわけで、何も権限がない中で、これでは全く機能を果たせないのではないかという危惧を持つのですが、官房長官、いかがですか。
また、担当大臣を、今までの過去を調べたんですが、専任の担当大臣というのは、東京オリンピックの場合は、オリンピック担当大臣、川島正次郎国務大臣が行管担当大臣、北海道開発庁長官等々で昭和三十七年に任命をされ、そしてその後、佐藤栄作科技庁長官、北海道開発庁長官が兼務で任命をされ、そして、直前というかその年には河野一郎大臣、こういう形にはなっておりますけれども、今回は随分先駆けて、もし本法案成立後任命をされるとすれば