2021-04-22 第204回国会 衆議院 本会議 第24号
〔総員起立〕 元民社党中央執行委員長前衆議院議員正三位勲一等塚本三郎君は 多年憲政のために尽力され 特に院議をもってその功労を表彰されました 君は 終始政党政治の推進に力をいたし議会制民主政治の発展に貢献されました その功績はまことに偉大であります 衆議院は 君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ――――◇――――― 日程第一 畜舎等の建築等及び利用の特例に関する法律案(内閣提出
〔総員起立〕 元民社党中央執行委員長前衆議院議員正三位勲一等塚本三郎君は 多年憲政のために尽力され 特に院議をもってその功労を表彰されました 君は 終始政党政治の推進に力をいたし議会制民主政治の発展に貢献されました その功績はまことに偉大であります 衆議院は 君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ――――◇――――― 日程第一 畜舎等の建築等及び利用の特例に関する法律案(内閣提出
――――――――――――― 元民社党中央執行委員長前衆議院議員正三位勲一等塚本三郎君は 多年憲政のために尽力され 特に院議をもってその功労を表彰されました 君は 終始政党政治の推進に力をいたし議会制民主政治の発展に貢献されました その功績はまことに偉大であります 衆議院は 君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます ―――――――――――――
これまでも、政党や個人の方のお申出により寄贈を受けるなどしておりまして、例えば、現在常設展示しているものでは、西尾末広関係文書中の三党立会演説資料「民社党の成立事情」といったものがございます。そのほか、新自由クラブの総選挙大綱などもございます。
私の手元にありますけれども、昭和五十六年四月二十八日、衆議院内閣委員会、これは当時民社党の神田厚さんという議員がこういうふうに聞いています。「定年制の導入は当然指定職にある職員にも適用されることになるのかどうか。たとえば一般職にありましては検事総長その他の検察官、」「これらについてはどういうふうにお考えになりますか。」と聞いています。それに対して、斧政府委員、これは人事院の事務総局の方です。
安倍総理は、アベノミクス解散、あるいは危機突破解散とおっしゃいましたけれども、かつて、民社党の委員長であられた春日一幸さんが、理屈は後から貨車でついてくる、そう言ったようであります。今やれば勝てるがまさに当時の与党の大義であった、そう言わざるを得ません。 そこで、私は、よく官房長官を始め閣僚の皆さんが、解散は総理の専権事項という表現を用いますよね、それに対して非常に違和感を覚えております。
十年前、あれをやろうとしたときには、国立漫画喫茶といって、たしか民社党からぼろかす言われて潰された記憶が……(発言する者あり)民社党か、あれ。何党だ、あれ。よう変わるからわからぬ、名前が。何、あのときは何党。民進党か。民主、民進党かも忘れた。まあ、どうでもいいですけれども。
そのとき、自民党、公明党、民社党の共同で沖縄に関する決議が提案され、可決をされています。 どのような内容か、防衛大臣、御存じですか。
○国務大臣(麻生太郎君) これは最初に、今何でしたっけ、民社党じゃない、民進党、民進党になられる前の三党合意のときも、社会保障と税の一体改革というのが大前提ですから、おっしゃっているとおり大前提なんだと思っているので、別に、その点に関して私どもも全く同じ意見であります。
初当選は、民社党でした。当時、多くの先輩議員に大変なお世話になりました。先生の中には鬼籍に入られた方もいらっしゃいます。そして、多くの支援者に支えられて今日まで参りました。心から御礼を申し上げます。 振り返りますと、いろいろなことがありました。その一つがPKO協力法、国連平和維持活動協力法です。平成二年八月に発生した湾岸危機を契機に、日本の国際貢献の在り方が議論の的になりました。
この九〇年代、湾岸戦争が起きたときに、当時も政党がいろいろありましたが、自公民の三党合意、この民は民主党じゃなくて民社党だったと記憶をしますが、三党合意で自衛隊法百条の五に基づく特例政令ですか、自衛隊機が救出に向かうということも、実現はしませんでしたけど、こういった状況にあったというふうにも思います。
当時は、オイルショック後の景気悪化で税収の極端な落ち込みが発生いたしまして、財政上極めて困難な局面に差しかかっているという背景がございます中で、民社党の竹本委員の、もはや赤字財政に入ったのではないか、公債発行が前提の予算編成を考えていく時代ではないかという質問に対して、時の大蔵大臣でございます大平正芳先生が以下のような御答弁をされております。
○国務大臣(中谷元君) 自衛隊の部隊等による停戦監視等のいわゆるPKF本体業務の実施につきましては、平成四年でありますが、PKO法案の審議過程において自民党、公明党、民社党の合意に基づいて法律案が修正をされまして、原則として国会の事前承認を必要とするとされたわけでございます。
旧民社党の人たちの創憲案。その創憲案の第三条にはっきり書いてあります。兵役はこれを認めない、徴兵制はこれを認めない、これが私の現在の徴兵制論であります。 以上です。
私は、そのとき民社党の推薦でありましたけれども、たとえ少数説であっても、これは説の多寡ではないと思っております。私は、自分の説は正しかった、そしてそれがそのとおり来たというふうに、自分の説に自負を持っております。 以上です。
政治改革の嵐の中で、私の所属政党は民社党から民主党に変りましたが、その目指すものは国民に「信頼される政治」であり、戦後の五十五年体制の打破と、政権交代体制の実現でした。ついに平成二十一年八月の総選挙において、国民の一票による歴史的な政権交代が起こりました。私は平成二十二年九月に文部科学大臣を拝命し「明日の国づくりは、豊かな人づくりから」の実践に取り組むことができました。
その前は民社党におられた。当時は、家族観に対しても極めてリベラル色の強い主張をしておられますよ。 どこでどうこういう主張が変わったのか。最近では、配偶者控除の見直し、これは安倍政権も目指していると思いますが、これは家族解体税制ですか、大臣の御発言を引用すれば。非嫡出子の差別を違憲とした最高裁の判決は、根本的な過ちですか、差別と区別を混同しているんですか。
○山谷国務大臣 私は、一貫いたしまして、民社党時代から、拉致問題の解決、教育の再生、そして安全保障をしっかりしたものにすることを一貫して訴えてまいりました。
民社党の曽祢益衆議院議員が大石先生の資質を見抜き、政治の世界へ挑戦することを勧められたのです。昭和四十六年、神奈川県議会選挙に立候補され、見事に当選され、以後、五期十八年にもわたり御活躍されました。先生は文教の大石と言われ、今なお教育問題に真剣に取り組んだ一番の県会議員は大石さんと、県議たちの間では語りぐさとなっております。
私は先生とは当選同期でありまして、前回はちょっと休憩をされたのが、改めて今般は近畿で出られるということで、近畿比例だとほぼ戻ってこられるのは間違いないなと思って、改めてまたお出会いできるなと、そして、共通の友人がありまして、大変親しく、特に民社党、公明党という時代からでありますので、御交誼いただいたので、心からのお悔やみを申し上げたいというふうに思っております。
○高村委員 民社党の福島党首にこのことを、同じことを聞かれているんですよ。(発言する者あり)社民党だ。似たようなものだから。(発言する者あり)失礼しました。社民党の福島党首に同じことを聞かれて、菅総理、国際情勢が変わったからと答えているんですよ。答えているんですよ。 国際情勢なんて変わっていないと思いますよ、ほとんど。
前任の西田八郎先生の引退表明を受け後継候補者として指名され急遽上京し、民社党国会両院議員総会で追加の公認を頂きました。その日夕刻、地元大津駅を降り立った時に最初に受けたのが「国会解散」の連絡、いわゆる六月二日の「死んだふり解散」でした。そして五週間後の七月六日、知名度ゼロの私が僅差で初当選させていただき、国会議員としてスタートをいたしました。
私が当選をしたころの厚生労働大臣は大内啓伍さん、民社党の方でした。その前は、議員になる前ですが、私はこの参議院で秘書をしておりましたので、宮澤内閣の最後の方は丹羽雄哉先生がされておられました。