1949-03-30 第5回国会 衆議院 大蔵委員会 第6号
公團をつくりました理由は、御承知のように從來卸賣機関として大日本酒類販賣株式会社がありまして、それが公團に移りかわつた次第であります。そこで公團が今回廃止されることとなりまして、三月間の猶予期間はありますが、それが全然確固たる卸賣機関がないということになりますと、ただちに徴税の不安が出て参るわけでございます。
公團をつくりました理由は、御承知のように從來卸賣機関として大日本酒類販賣株式会社がありまして、それが公團に移りかわつた次第であります。そこで公團が今回廃止されることとなりまして、三月間の猶予期間はありますが、それが全然確固たる卸賣機関がないということになりますと、ただちに徴税の不安が出て参るわけでございます。
報告書にございます中支那振興株式会社現物出資未收入金といたしまして、合計四百八十四万二千四百二十五円という未收入金の内容と、それから將來のその措置というものをどうするかというふうな御質問のように了解いたしたのであります。御承知のように日本が現地に残して参りましたいろいろな事業、その他につきましての最終的な解決はまだ得られておりません。
○山村委員 それから御存じのように、前の営團なりあるいは株式会社、統制会社等が公團と移りかわつてから、それらの機関の持つておりました資産やその他の所有物件が、今例の閉鎖機関に移されておりますが、この閉鎖機関の事務上の処理進行ぶりが非常に遅々たるものがあるのであります。いまだに何をどうやつていいか、すぐ見当がつかぬというような状態になつております。
東京大学を昭和十四年三月に卒業になり、日本旅行社、大日本航空株式会社、南方航空輸送部等に勤務されまして、主として労務管理のことを担当しておりました。それから終戰後同社を引退されて昭和二十一年十二月十日から文壽堂印刷株式会社に入りまして、労務管理、労働調査、労働対策を担当をせられているようでございます。これは労働委員会としては二級の調査員に採用いたしたい。こういうようなお申出になつております。
委員長からの委員派遣理由は、昭和二十三年四、五月ごろ、岡崎市にある花園繊維株式会社が、横浜市の交通局ヘガラ紡四百六十ヤールを横流しした物價統制令違反事件調査のため、委員を派遣したいというのであります。これについて御決定を願いたいと思います。
これはしばしば私も指摘申し上げましたので省きますが、要するに千代田銀行であるとか、興業銀行であるとか、資本統合銀行、第一銀行、大体この四つに対するものが主なるものでありまして、そのほか三菱重工業株式会社を合せれば、一般債務のほとんど全部は巨大な銀行資本家、もしくは三菱重工業、これもまた同樣であります。そういうものにすぎない。一方社債は補償順位が違うと言われますが、しかし一一%という補償にすぎない。
こういう工合に言われておりますが、私は石炭関係も同樣であると思いますが、特にここに資料がありますので電氣関係から申しますと、電力管理法には第三條に「政府ハ日本発送電株式会社ノ電力設備ノ建設又ハ変更ノ計画及電力料金其ノ他ノ電力受給ニ関スル重要事項ヲ決定ス」こういう工合に戰時中の法律でも明示されております。
これは檢察事務官の望月正身、濱田幸一、亀井僖久、先ほど申した木舟敏沖の四名が、昨年十二月上旬望月の案内で横浜市戸塚区の日本タイヤ株式会社横浜工場に参つて、工場を見学した後、同工場次長兼営業課長馬場誠から、その工場のクラブで酒食の接待を受けて、同人からそれぞれ自轉車用タイヤ、チユーブ一組ずつの贈與を受けたわけであります。
淺岡 信夫君 西山 龜七君 田中 信義君 江熊 哲翁君 矢野 酉雄君 政府委員 経済安定政務次 官 中川 以良君 水産廳長官 飯山 太平君 説明員 総理廳事務官 (経済安定本部 財政金融局産業 金融課) 佐藤 哲彦君 廣島縣牡蠣株式
なお会計檢査院が会計檢査院法その他の法律によりまして、会計の檢査を行つておりまする團体について、檢査の結果措置当を得ないと認めましたものは庶民金庫及び日本蚕糸統制株式会社に対するもの二件でございまる。また出納職員が現金及び物品を亡失しました事実に対しまして、二十三年二月末日までに百一件、二百余万円に対し、その弁償責任の有無を檢定いたしたのでございます。
日程の概略を申上げますと、二十五日には濱松の日本樂器本社工場、二十六日に豊田自動織機の刈谷工場、二十七日には愛知縣瀬戸市の七本松製陶所、川本長治工場、三郷製陶所、三郷陶器会社、日本電磁工業株式会社(成嶋製陶所、二十八日に名古屋の日本発送電の名古屋港発電所、名古屋港湾施設の視察並びに大同勢鋼の星崎工場、岡本工業の笠寺工場、三月一日には同じく名古屋の愛知時計電機瑞穂工場、日本陶器本社工場、特殊軽合金稻沢工場
三月二日はトラツク業者のタイヤ事情、車輛の修理状況等を見るため名貨株式会社に立ち寄りまして、引き続き名古屋港に行きまして、港内を一巡し視察をいたしたのであります。施設も可なり復旧しており、荷役作業の機械化の方も着々と進んでいるということでございました。午後名古屋からバスで挙母の豊田自動車工場に参つたのであります。工場では当事者から全般に亘つて説明を聞きました後に見学をいたしました。
○今野證人 これは新聞に出ておつたというのですが、これは福島の電鉄株式会社が土湯温泉までバスが通つております。そこの駅長の佐藤兵七という人が電鉄の職員になつておりまして、その男の木炭の闇事件がありまして、北島が土湯温泉に行つておりまして、私のところに電話を掛けてよこしたというのですが、私に電話が掛つた覚えはありません。その日は電源ストで一日中電話は掛りませんでした。
○証人(宮城竹三郎君) 私は本当の遊び人ではございませんで、根が鉄道の機関士の出でございまして、二十八歳のとき仙台の機関区を振出しに、それから農機具株式会社の支配人をやり、カフエーに轉向して手遊びを覚えただけでありまして、本当の遊び人ではありません。カフエーをやるようになつてから西方というのと遊んだだけでありまして、別に盃をどうのこうのということはございません。
それから片つ方は東植株式会社というものの土地もありますし、四人が地主なんです。それは本願寺も地主です。それから中村という運動具屋と、それから市立病院の方というふうに、四つから借りて一つの市場ができておるわけです。
それで忍の署におきましてどこから持つて來たのだということになりまして、捜査を進めて行きましたところが、埼玉布帛製品株式会社というのがあります。そこから出たのだということが分りまして、これは闇である、では相当そこには闇物資があるのではないかというので、在庫の調べに著手したのであります。