2021-05-20 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第13号
そして、明治のときの医学的な知見からも、その十四歳というのがあったと思います。昔と比べて、今は情報、触れる量が本当に違います。体も早熟になってきていると聞きます。今国会では少年法の改正案も審議されています。成年年齢が十八歳に引き下がるから、でも子供はまだ未熟でしょうということで少年法の適用になります。
そして、明治のときの医学的な知見からも、その十四歳というのがあったと思います。昔と比べて、今は情報、触れる量が本当に違います。体も早熟になってきていると聞きます。今国会では少年法の改正案も審議されています。成年年齢が十八歳に引き下がるから、でも子供はまだ未熟でしょうということで少年法の適用になります。
日本の刑事責任年齢は、それまで十二歳だったものを明治四十年代に十四歳とし、現在も変わっていません。今回、加害生徒たちは皆十三歳以下であったために、注意を受けるのみにとどまっていると聞きます。年齢ではなく、例えば中学校の入学時に相当する十二歳の四月一日など、刑事責任を特定の期日から発生させるということは法的に何か問題はございますでしょうか。
明治時代に大森貝塚を発見した、かのアメリカ人学者モースも子供の天国と表現したそうであります。
二〇一五年、端島炭坑も含めた明治日本の産業革命の遺産としてユネスコの世界文化遺産に登録をされた二〇一五年その年に、韓国の釜山では国立強制動員歴史館というのを同じ年に設置して、この端島炭坑は韓国の徴用工たちが奴隷労働をさせられた場所だということで、韓国はその宣伝をしているわけですね。
さあ、NHKの、あっ、これ、大臣、これ大臣の御地元、田川市の山本作兵衛、炭坑画家というのかな、の人の、これも明治の記憶遺産になっている、記憶遺産というか世界遺産になっているんですけれども、この展示会の、博物館の方からお借りして、許可を得て撮りましたけれども、小ヤマの炭坑というのはこうなんです。これ、NHKの映像そのまま。つまり、筑豊の炭坑はこういう形でやっていた。でも、端島はあり得ないんです。
○井上(一)委員 以前この場でもお話をさせていただいたんですけれども、田中角栄の「日本列島改造論」、明治維新百年から書いた本ですね。それからまた五十年たって、私は、今こそ本当に地方をつくっていかないといけないと思うんです。地方の時代だと思うんですね。地方を基軸に国づくりをしていく。
産業遺産情報センターは、明治日本の産業革命遺産が世界遺産登録された際のユネスコ世界遺産委員会の決議を受けて設置したものでございます。
そういう中で、世界の先進国、日本だけが明治民法以来のこの単独親権制度が墨守され、残っているわけです。離婚をしてもパパとママに両方に会いたいという子供の願いを実現する共同養育、共同親権をめぐり、私自身、二〇一九年、参議院議員にならせていただいてから二十五回ほど質問をしてまいりました。しかし、壁は高い、そのことを最近改めて感じております。
その辺りで、今の日本の社会を考えるときに私はいつもこの話をするんですけど、離婚がどんどん増えていて、そして離婚の後が片親親権という、これ明治以降ずっと。ヨーロッパ、アメリカはもうかなり基本的には両親親権、夫と妻が離婚しても父子、母子の関係を維持するという両親親権なんですが、この辺り、この日本の言わば民法に関わる家族制度の改善の可能性というのは何か御意見ございますでしょうか。
御出席いただいております参考人は、弁護士・日本弁護士連合会秘密保護法・共謀罪法対策本部委員江藤洋一君、特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウス理事長三木由希子君及び明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科特任教授小林良樹君でございます。 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。 本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
情報監視審査会 事務局長 山田 千秀君 参考人 弁護士 日本弁護士連合 会秘密保護法・ 共謀罪法対策本 部委員 江藤 洋一君 特定非営利活動 法人情報公開ク リアリングハウ ス理事長 三木由希子君 明治大学公共政
個人的には明治大学の出身なんですけれども、時間がありましたら小林先生に伺います。 三木参考人から先ほどお話がありました。いわゆる取材に関して、情報の提供者と取材をする皆さんたち、これの罰則の規定についての重い軽いのお話がございました。 これについて具体的に心配をされていらっしゃることというのを、三木参考人と、そして併せて江藤参考人にも同じ質問をさせていただきます。お願いいたします。
やはり、振り返ってみると、明治以降の、集権的な国家をつくって、人だとかお金だとかというのをぎゅっと集中させて、私たちが目指すべき目標に向かって強い流れをつくって歩みを進めていく、こういう時代には中央集権というものが非常に大きな役割を果たしたというふうに私は思っておりますけれども、なかなか、追いつけ追い越せという時代から、今度は私たち自身がそれぞれ価値をつくっていくという時代に入っているというふうに思
日本の本土は、秀吉の朝鮮出兵も含め、明治維新までの三百年間、中国を脅威と見るか、あるいは嫌中と対立しか経験がなく、沖縄とは対中認識や感覚が異なっているように感じることがあります。米中新冷戦と言われ、米国か中国かの選択を迫られる今こそ、琉球王国の外交の知恵とか経験を学ぶべきではないでしょうか。
その中には指定された時期が明治や大正年間という古いものもありますが、当然ながら、当時と現在では周辺の開発状況など、大きく変わってきているというふうに思います。 その中で、保安林があることで、例えば土砂災害などが防止できている地域はいいんですが、保安林の管理が十分ではないためにむしろ危険な状態となっているところがないのかどうか、今に即した形で対応をすべきではないかというふうに考えております。
○萩生田国務大臣 国立大学は、明治時代に創設されて以来、世界最高水準の教育、研究の先導や、イノベーションや知の多様性の源泉となる学問分野の継承、発展に大きく貢献するとともに、全国的な高等教育の機会均等を確保し、地域の中核となって社会を牽引する人材を育成、輩出するなど、全国に配置された知的資産が集約された公共財の高等教育機関として期待されていると認識しております。
例えば、真珠の養殖、養殖そのものというか、真珠を作っていくということ、これは水産業でございますが、これは特許、明治時代の特許です。
まず伺いたいんですけれども、明治以降、特許権侵害罪が成立したことは実際あるんでしょうか。
申し訳ないですけれども、明治時期等の文献が精査できていないので、少なくとも直近十年間の検察統計年報を見たところ、二〇一〇年から二〇一九年における特許法違反の罪の起訴人員は二名とされております。
経済的にも非常に支援が必要ですけれども、それについてきちっと明文でもって定めているところは、何せ、明治民法というのは、当時はすばらしかったんですけれども、百二十年以上の前の規定が根本的なやはり下地になっています。その辺りのところをやっぱりきちっと、未成熟の子供を誰がやっぱり、お金の面だけではなくて、面倒を見ていくんだということが必要です。
明治維新から完全にキャッチアップし切るまでは儒教的な教えというのは意外に日本にとってプラスになっていったんですけれども、今のお話聞いていて、何かちょっとその儒教的なもののマイナスの面が出ちゃっているような気がするなというのをお話を聞いて感じたんですが。 一神教的なものがあれば迷わないというお話もあったんですが、もう一個、そういう側面についてはどういうふうにお感じになられますか。
東北大学は、今から百十四年前、一九〇七年、明治四十年でございますけれども、杜の都仙台の地に、東京大学そして京都大学に続く第三の研究型総合大学として創設されております。以来、研究第一、門戸開放、そして実学尊重の三つの理念を掲げ、世界をリードする研究成果を上げるとともに、多くの指導的人材を輩出してまいりました。
笠 浩史君 古屋 範子君 鰐淵 洋子君 畑野 君枝君 藤田 文武君 白須賀貴樹君 ………………………………… 文部科学大臣政務官 鰐淵 洋子君 文部科学大臣政務官 兼内閣府大臣政務官 三谷 英弘君 参考人 (国立大学法人東北大学総長) 大野 英男君 参考人 (明治学院大学社会学部教授
本日は、本案審査のため、参考人として、国立大学法人東北大学総長大野英男君、明治学院大学社会学部教授石原俊君及び北海道大学大学院教育学研究院准教授光本滋君、以上三名の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げたいと思います。 本日は、御多用のところ本委員会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。
重ねて金井先生にお伺いしたいんですが、やっぱり中央集権がいびつに進んでいく中で、権限移譲、財源移譲等々していくべきだと我々としても考えているんですけれども、そうした中で、やはりこの広域行政というのに行き詰まりを、広域行政が行き詰まりを見せているんじゃないかなという問題意識がありまして、やはり明治時代に四十七都道府県という制度がつくられて、しかし、馬と徒歩で歩いていた時代につくられたこの四十七都道府県
新法を受けて前進したというのは歓迎すべきことだというように思いますけれども、しかし、やっぱりあくまで文化伝承という範囲にとどまっていて、アイヌの人たちの要求は、なりわいとして、元々明治政府が禁止する前は自由に捕っていたわけですから、それをもうあっちこっちに追いやって捕れなくしてしまったという経緯があって、許可ということに対する抵抗が非常にあるという中では、私は、やっぱり世界の少数民族宣言を受けて、オーストラリア
それで、やっぱり正しくどういうアイヌの歴史があったのかということが知られていないと、分かっていないということが背景にはあるんだと思うんですけれども、やはり根本的には、明治政府の同化政策とか遺骨を盗掘するとか、そういう日本政府が今まで行ってきたことに対してきちんと謝罪がされていないということがあると思います。
○参考人(國吉正和君) 実は、土地家屋調査士といいましょうか、不動産登記法で公示されております一筆一筆の成り立ちの問題なんだと思うんですけれども、そもそも、元々は明治の地租改正の頃には一筆一筆を測りながらそれをまとめて地図を作っていくという方式を恐らく取ったんだと思うんですね。
これは、JR社長が保存すると表明した場所ではないほかの部分に当たる場所の遺跡になるわけですけれども、区教育委員会によると、海側の石がのり面の一部を盛り上げた形で信号柱を支えたと見られる木製の基礎も確認されたということで、日本考古学協会の会長は、明治五年の鉄道開業時の我が国最初の信号機の遺構と考えられ、極めて重要性は高く、築堤発見の歴史的意義を更に高めるとコメントされていると。
○国務大臣(萩生田光一君) 高輪築堤跡は、明治五年の新橋―横浜間の鉄道敷設の際に構築されたものであり、私も二月十六日に現地を視察をして、明治日本の近代化を体感できるかけがえのないすばらしい遺産であるというふうに感じました。
足立委員の御持論であります、ある意味システムに合わせた市町村の規模があるべきじゃないかという御議論もあろうかと思いますが、やはり、我が国の市町村の規模等につきましては、明治の合併、昭和の合併、平成の合併という歴史的経緯の中で培ってきたところでございます。