2021-04-15 第204回国会 参議院 内閣委員会 第12号
また、二〇〇八年には、明治安田こころの健康財団の警察版コミュニケーション支援ボードの作成にも協力しています。ところが、佐賀市の事件では、取り押さえた警察官は、警察庁作成の接遇要領を見たこともないと裁判で証言しています。
また、二〇〇八年には、明治安田こころの健康財団の警察版コミュニケーション支援ボードの作成にも協力しています。ところが、佐賀市の事件では、取り押さえた警察官は、警察庁作成の接遇要領を見たこともないと裁判で証言しています。
○川合孝典君 別に歴史はこの際関係ないんですけれど、地租改正が行われたときに、当然ながら明治政府のいわゆる徴税に対する地主さんの反発等もありまして、当時のいわゆる公図はかなり境界線というものが曖昧に規定されているという、設定されているということもよく指摘されているわけでありまして、そういう地図を使っているということは、いわゆる原始境界の復元が極めて困難だと言わざるを得ない状況ということなんですけれども
今、境界の話が出たのでこれも確認をさせていただきたいんですが、現在使われているいわゆる地図なんですけど、これ、明治時代の地租改正のときに作られた土地台帳附属地図、いわゆる公図ですよね、これが今でも使われているという話を聞いたんですけど、これは事実ですか。
また、その後、明治三陸津波、昭和三陸津波もありますので、非常にこの津波に三陸地方は襲われてきているというような歴史的事実が実はございます。
東日本大震災につきまして、先ほど委員からも御指摘ございました貞観地震から約千年ということで、千年に一度程度の頻度で起きる大規模な地震、津波と言われておりますけれども、三陸地方では、おっしゃるとおり、明治、昭和の津波、また慶長の津波など、大きな津波に襲われております。また、全国的にも、東南海、南海、東海というような形で大きな津波に見舞われているところでございます。
いて 喜んで居ます 国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のような決心をしなければならない事情を早く話せばよかったけれど 先生とあまりにちがったことをいうことになるので ひかえて居ったことを ゆるしてくれ 敗因について一言いわしてくれ 我が国人が あまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったことである 我が軍人は 精神に重きをおきすぎて 科学を忘れたことである 明治天皇
岸大臣のお言葉に加えてというか、私の理解を少しだけ開陳させていただければと思いますが、「名将」という表現がある中で、明治天皇のときの「山県 大山 山本」という表現がございましたけれども、ここにおいて、やはり明治のときというのは、大臣に当たる方とか、あるいは軍というか、大尉なのか、トップに当たる方々がいわゆるリーダーシップを発揮されたときであったのかなというふうに思います。
これは、一九〇七年、明治四十年ですが、十二歳から十三歳に引き上げられて現在に至っています。その際、その理由は、女子発育の程度を探求した結果というふうにされました。
今の大臣の立場としてはそれ以上踏み込めないとは思いますが、もういつも申し上げておりますように、日本の民法八百十九条では、離婚をしたらどちらかの親を親権者として決めなければいけない単独親権、これはもう明治民法から、それこそ百二十年も前に決められ、そして、その親子分断の民法が橋本八段のような悲劇を起こしている構造的背景でもございます。
先ほど海水温の話もありましたけれども、私の調べた、例えば広島大学の松田先生は、一八九八年ですから明治時代以来、この日本の平均気温というのは、大臣、ちょっと聞いてください。まあ大した、難しい話をしませんので。百年で一・二度、百年で一・二度C上昇した、これはよく言われることです。
言葉の意味しっかりと受け止めまして、特にこれ、明治時代にドイツ人の地理学者が来て、こんな風景は世界中にどこにもないと絶賛したほどのこの美しい風景でございます。
この作業が、球磨川の舟運が成功したのが、きれいにされたのが、一六六五年に林正盛さんという方が一生懸命頑張って岩を取り除いて舟運を造って、そして、JR肥薩線が明治四十一年に開通するまで二百四十三年、道路が貧弱でしたから、戦後の一時期までこのような舟運がありまして、一六六五年の開削以来、二百七、八十年ぐらい舟運で、この舟の運送で人吉、球磨というところは成り立っておったんですよ。
そのほか、国土地理院は、例えば、明治期の低湿地というような、過去の土地利用から地域の災害リスクを知るような地理空間情報であるとか、それから、防災教育や地理教育に活用できるコンテンツを集めた地理教育の道具箱、こういったものも公開しておりまして、広く御活用していただいております。
刑法は明治の時代から変わっていないですよね。その頃はネットはなかったけれども、今だったら集団リンチ状態です。議員は皆さんメンタルが強い方が多いかもしれませんが、やはり病みます。 これは、そのまま、このままでいいんでしょうか。法制審議会、四月と九月に開催されますよね。
明治の時代に、当時の海軍大国であったロシアに対抗するために、国家プロジェクトとして舞鶴で軍港建設が進められて、今から百二十年前の一九〇一年に舞鶴鎮守府が置かれて、それで東郷平八郎元帥が初代司令長官に着任いたしました。当時、造船は国営ということで、舞鶴には海軍工廠が置かれて、新型駆逐艦の建造等が行われておりました。
そもそも、明治憲法と異なり、日本国憲法において地方自治制が定められたのは、地方の歴史的、伝統的制度を保障し、多様性のある社会を目指すべきという考えからです。地方の多様性が保障されることで、地方自治体による創意工夫と自立が促進され、真の地方自治を実現することができます。
我が国の出生数は、二〇一九年、明治の統計開始以来初めて九十万人を割って、八十六万五千人となりました。これは第一次ベビーブーム期の三分の一の水準でございまして、しかも、このコロナ禍で更にこの少子化が進行することが懸念をされております。
ここを、これは現政権がという問題ではなくて、もうそれこそ民法は明治時代、先ほども御紹介ありましたが、明治時代の、百二十年以上、動物を物として扱ってきたというような点からすると、ここは、まず民法から動物は物ではないんだという宣言をした上で、他の法律にその処遇を任せていく、それがなされていない部分は民法の物の規定を準用する、しかし、動物は物ではないんだ、生命を持っているんだということを考えていく、検討していく
○武井委員 つまり、そもそも江戸時代は大部分の庶民には名字がなくて、明治維新政府は最初は別氏を規定をしようとしたというのは、その後、同氏に規定をしたということですから、事ほどさように変遷をしてきて、歴史的にもまさにそういった時代もあったということを我々はよく理解をしておかないと、まさに切り口をどう切るかの話だとこれは思っております。
我が国では、明治三年に出された太政官布告により、国民一般に名字の使用が許されるようになり、その後、明治八年に出された太政官布告により、名字の使用が義務化されております。
欧米の人たちが江戸時代から明治時代に来たときにも、びっくりしたんです。皆さん気がつかないかもしれませんけれども、日本全体が公園だと思った人がいっぱいいて、その頃の人たちのところにそういうことが書いてあるんです。これに気がついた川勝平太知事、彼がガーデン列島ということを本で使っていまして、ガーデンアーキペラゴ、日本全体が公園のように美しい。それは、砂漠の国から来たらそう思うと思います。
少人数学級とICT教育を車の両輪として実現するとした令和の日本型学校教育は、明治、大正、昭和、平成を通じて構築されてきた学校教育を継承しつつも、その単なる延長線上に位置付けられるものではなく、社会の在り方自体が劇的に変化する中で、必要な改革にちゅうちょなく取り組むものだそうですが、ならばなおさら、それを遂行できる指導者、教員の確保をいかになしていくか、同時に策を提示すべきでした。
というのは、かつて天竜川の治水について金原明善が、これは明治時代になりますからずっと古いんですけれども、それが中心になって植林事業を徹底的にやり、山を治めることによって治水事業を成功させていった。植林事業というのは、その地域地域のコミュニティーをつくることにも大きな意味があったんだろうというふうに思います。 この二点、学校教育の話と林業について、先生の御見解をいただければと思います。
大蔵省は、明治以来、日本の近代化を支えて、間違った時流にあらがい、敗戦から高度成長の繁栄へと導いてきた組織です。 財務省の省名変更が、当時、大蔵省の省名存続に向けて様々な動きがあったと承知しています。財務省にいる現役官僚の方々のみならずOBの方々も、愛着を持った名前の復活、望んでおられる方が多いのではないかと推察します。
○高井委員 大臣が賛成か反対かをお聞きしたいんじゃなくて、反対の意見というのがさっき紹介がありましたけれども、それに対して、私は、家族のきずなは、世界中でほかの国はそういったことで崩壊していないんだし、あるいは、日本の伝統といっても明治三十一年からだということを申し上げたんですけれども、それでもやはり反対だと、さっき言ったような、家族のきずなとか子供の成長に影響があるんだという、そういう意見を、大臣
でも、この伝統というのも、これも御承知のとおり、明治三十一年の民法でこの制度ができたもので、それ以前は、同姓だった部分もあるし別姓だった部分もある。あるいは、庶民は江戸時代は姓も名のれなかったとか、そういう状況ですから、きちんと制度化されたのは明治三十一年から、百二十年ちょっとですよね。これを長いと見るか短いと見るかというのはありますけれども。
使用頻度も高かったため、明治三十三年の小学校令施行規則中教授用漢字に関する規定や、大正十二年に臨時国語調査会が作成した常用漢字表、また、昭和十七年に国語審議会が作成した標準漢字表におきまして、国民の日常生活に関係が深く、一般に使用の頻度の高いものとされた常用漢字に採用されております。
さて、今回の所有者不明土地対策のための民法等改正案、これは、本当に、国土が狭い日本において大きな懸念であった所有者不明土地対策の切り札として、明治以来の大改正を含む大きな民法及び不動産登記法の改正をするものであります。 国土交通省の調査によれば、この日本において所有者不明土地というのが二二%もあるというふうな資料もあります。これは九州よりも広い土地。
こうした、先ほどの御説明でも、すごい勢いで、明治以来動かなかった所有者不明土地問題が大きく動き出している。これは、与野党を通じた同僚議員の皆様の御尽力でありますし、思いでありますし、また、それに応えてくれた関係省庁の皆さんの御尽力、これは本当に大きなものがあると思います。
例えば、明治時代、地主さんが土地を出し合って地域のために公共的な土地をつくった、その登記が、登記上は例えば山下太郎兵衛ほか十六名というのがある、では、そのほか十六名というのは誰なんだというと、これは分からないわけですね。
岩手県の田老町ですか、一八九六年の明治三陸津波で千八百五十九人の命が奪われました。一九三三年の昭和三陸津波でも九百十一名が犠牲となっております。また、一九七八年度に、高さ約十メートル、全長約二・四キロの巨大な防潮堤を完成させております。また、二〇一一年の東日本大震災の巨大津波に、こういう防潮堤が完成しても百八十一人が犠牲になっておられます。