2019-03-22 第198回国会 衆議院 文部科学委員会 第5号
全ての学部等が満たすというのが必要でございますが、文学部の例を挙げていただきましたが、学問分野の特性によってはこの要件を満たすことができない学部等があるということで、そういう場合には、大学等がその理由を説明、公表することで要件を満たすということとしたいというふうに考えております。
全ての学部等が満たすというのが必要でございますが、文学部の例を挙げていただきましたが、学問分野の特性によってはこの要件を満たすことができない学部等があるということで、そういう場合には、大学等がその理由を説明、公表することで要件を満たすということとしたいというふうに考えております。
霞が関文学で結論を導くことは御免こうむります。 また、安倍政権におきましては、政策立案の基礎となる統計データを更に重要視することはもちろん、二度とゆがめるなどということはあってはなりません。数字はうそをつきませんが、数字にうそをつかせることはできるのです。時の為政者が日ごろみずからうそぶくがごとく数字にうそぶかせるなど断じて許されないことを重ねて申し上げ、私の代表質問を終わります。
その考案者は、国文学、漢文学、日本史学、又は東洋史学等についての学識を有する方の中から委嘱することになると考えております。 現時点におきましては、まだ決まっておりません。今後、正式に委嘱手続を進めることとなります。
このことで詳しい金沢大学人文学類の岩本健良准教授が、この東京医科大のMMPIの適性検査のことについて、医学部がこういう、医学部というのは、心理系のお医者さんもいらっしゃる、専門家もいらっしゃるところで、このようなMMPIの心理テストが使われているということについては、非常に驚かれているわけですね。
高等教育の関係について、このリベラルの表現を使ってまた別の示唆に富む表現がありまして、宇沢弘文という、文化功労者になられた方ですけれども、経済学者でもありますけれども、この方が、リベラルアーツというのは教育の仕上げの段階の重要な役割を果たす、学問や芸術、知識であれ文学であれ、専門を問わず、先祖が残した貴重な遺産をひたすら学び吸収し、同時にそれらを次の世代へ受け渡すという営為をする場所だ、一人一人の学生
本来、数式で求人数と求職数の差とかいうのも入れておけば一目瞭然で雇用状況の変化がわかるけれども、こんな単なる文章、文学的なものだけで、大臣、答えてください、雇用情勢の変化をどうやって我々が客観的につかむことができるんですか。
国内人材確保に至っては目標数が示されてあって、これはもう数学というよりは、むしろ霞が関文学という世界ですので。 そんな中でお聞きしたいのは、やはり専門的知見からすると、これはとても根拠とはなり得ないものが出てきた。
これはいわゆる霞が関文学なんと言われていますけれども、普通の生産者で毎日田畑で汗を流しておられる方に、これ、あなたたち、わかりなさいと言われても、これはさっぱりわかりません。 申し上げましたように、とても大事な制度ですし、一人でも多くの方に知っていただくことが求められる法律の最たるものだと思います。
このクールジャパン推進、文化GDPを上げていく挑戦の中で、これ、漫画、アニメだけじゃなくてほかの全ての、例えば文学だって、いつ源氏物語がこれはけしからぬと言われるか分からない内容じゃないですか。いい内容ですけどね。
文系の学生が統計学とか数学とかそういったものを余りやらない傾向にあるのではないのか、そういった問題意識だと思うんですが、もっと踏み込んで、例えば、林大臣が昔学ばれていたハーバード大学では、アンダーグラデュエートの生徒は、リベラルアーツということで、文系、理系とか関係なく、数学も勉強すれば哲学も歴史も文学もいろいろ勉強するというような形で幅広くやって、思考力を全般的に鍛えていくということが英米社会では
しかし、大臣、これ、ここまでの報告書が出て、前代未聞のことが起きているわけですので、私も大臣と長くここの場でお付き合いをさせていただいておりますが、独特の麻生文学的発言はよく理解できますが、今回はそういう独特の文脈で御発言されるとかえって問題が複雑化するかもしれませんので、ちょっと御留意いただいた方がいいと思います。
○大塚耕平君 矢野さんね、矢野さんのそのレトリックは矢野文学としては分かります。今回、去年の佐川さん以来、佐川文学、太田文学、矢野文学、麻生文学、独特のレトリックで皆さんおっしゃるんで話がかえって混乱するんですが、できるだけ合理的にかつ客観的にこれ詰めていかないと、この報告書で国民の皆さんはこれで終わったとは思わないですよ。それは結果として財務省がメルトダウンしていくことになりますからね。
その中では、芸術につきましては、「文学、音楽、美術、写真、演劇、舞踊その他の芸術」と規定されているわけでございます。 しかしながら、そういう言葉の定義の程度でございまして、まさに委員御指摘のような、その中でもさまざまなものがあるということにつきましては、きっちりと分類されているものではないと認識をしております。
文学作品ごんぎつねは、最初から通して読むことでキツネの寂しさ、悲しさ、兵十と友達になりたかった気持ちが理解できる、本文と自由に切り取ることができたとして意味がない、回答に早くたどり着ける技術だけを教えても、日本語の多様なオノマトペや比喩表現の獲得ができるというような教育課程にはならないという現場の先生の声もありますから、しっかりと受けとめてください。
ちなみに、ノーベル文学賞を受賞された石黒一雄さん、御存じだと思いますけれども、日本への愛情をにじませながらこんなことをおっしゃっています。
これで政権が見えてきたというころになるとちらっと変わって、聖域なき関税化とかという非常に立派な文学でやって、一二年、年末の総選挙を勝ち抜いてころっと変わっていった。
これは「勅語衍義」といって、教育勅語が出された後に、井上哲次郎という当時の文部省が依頼した学者、文学博士なんですけれども、その方を中心として編さんされた衍義、つまり中学校や師範学校でこれを基に教育勅語を解説し、授業の中で、あるいは研修で使われたというもので、教育勅語とはこういう解釈するんですよというような説明がされているものであります。 「夫婦相和シ」というところ。
しかし、夏目漱石が英国留学から帰国し、経済や工学のみならず文学までも日本人が教授できるようになって、ついに、英語で授業は終わった。明治の先人たちは、翻訳を通じて存在、自然、権利、自由などといった学問、思想の基本用語を苦労してつくり出し、そのおかげで、今や最高レベルの学問成果まで母国語で学べる。このような国は欧米圏以外ではほとんどない。
広島の原爆被害者のある一人は、オバマ氏の演説、広島の演説ですね、これに拍手を送ったらしい、ところが、後日その演説の和訳を見ると、原爆を落としたのはアメリカであることは厳然たる事実なのに、そこには全く触れずに、空から死が降ってきたという文学的表現の演説であったことが判明した、そのことで被害者のその方はオバマ氏の演説を評価したことを後悔した、こういう御紹介があります。
こうした批判精神は、経済、政治、哲学、歴史、文学などの人文社会科学の幅広い学びを通じてこそ得ることができるものであります。確かに、人文社会科学の学びは、いわゆる実学と言われる学問と違い、今すぐに何か役に立つようなものではないかもしれません。しかし、単に今現在の社会的要請が高くないからといって切り捨ててしまうと、批判精神を持って新たな時代を切り開いていく人材が枯渇することにもなりかねません。