2021-05-20 第204回国会 参議院 経済産業委員会 第5号
文学の文化という側面においては、こうした文化庁の支援の部分もありますけれども、日本コンテンツの海外進出という面からは経済産業省の方でもしっかりと後押しをしていただきたいと思いますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。 続きまして、東京電力福島第一原発のALPS処理水についてお伺いをしたいと思います。
文学の文化という側面においては、こうした文化庁の支援の部分もありますけれども、日本コンテンツの海外進出という面からは経済産業省の方でもしっかりと後押しをしていただきたいと思いますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。 続きまして、東京電力福島第一原発のALPS処理水についてお伺いをしたいと思います。
日本の小説等の文化作品は、海外の文学賞を複数受賞するなど世界に飛躍するポテンシャルを持っており、文化作品を始めとする日本のコンテンツの海外展開は、コンテンツ産業の国際競争力を高め、日本経済の成長につながると認識をしているところであります。
日本の漫画は既に世界で高く評価をされておりますけれども、一般の文学作品につきましても、例えば、柳美里さんの「JR上野駅公園口」という作品がありますけれども、これは翻訳部門の全米図書賞を受賞したりしていますし、また、村田沙耶香さんの「コンビニ人間」という、これも日本で大変売れた本でありますけれども、こちらがアメリカのニューヨーカーという雑誌のベストブックス九冊のうちの一冊に選ばれたりと、近年評価が非常
私の専門は、大学では水文学をやりました。ですから、水問題についてはずっと関心を持っておりまして、中川昭一先生が初めて当選をしたときに、私と、それから農水省の、後で岡山の農政局長をやりますけれども、農業の専門家と、それから、財政として、その後大蔵省の事務次官になりました勝栄二郎君と四人で、よく水問題を中心に勉強会をやったことがあります。
具体的には、各委員は、土木学会の地盤工学委員長、トンネル工学委員会及びシールド小委員会の相談役、専門委員、応用地質学会の名誉会員であるなど、トンネル工学、地質・水文学、地盤工学、施工法を専門とする各分野において第一線で研究や実務に当たられており、有識者委員会では、これらの方々に、公平かつ中立に、各々の専門の立場から、見地から御検討をいただいたものと聞いてございます。
なお、国外の状況を見ますと、例えば、イギリスのデータ保護法などでは、報道、学術、芸術、文学目的による個人データの取扱いについて、監督機関の監督権限の行使を制限するような規定も設けられているところであります。 最後に、課題を申し上げます。 今回の個人情報保護法制の見直しによって、個人情報保護委員会の果たすべき役割は一層拡大していきます。
いろいろな文学作品にも出てきているお店です。真面目にこつこつこつこつやってきたところですよ。では、国会内部はどうですか。国会内でもそういった現象はあるんじゃないですか。国会周辺ですばらしいオムレツを食べさせてくれる方、六十年ののれんをあそこで下ろすんです。 身近なところまでそういった現象は来ている、そういう感覚を我々国会議員は、政府は持たなければいけないのではないですか。
○黒田参考人 マインドというのはやや文学的な表現ですけれども、基本的には、十数年続いた低成長、デフレの下で、賃金、物価が上がりにくいという前提で企業や家計が行動する、そういうマインドセットというかそういう対応ぶりというか、それがかなり続いていたために、企業が、例えば賃金について、需給ギャップはもうプラスになっていても、賃金は、もちろん七年連続でベースアップが行われたというようなことは十五年ほど続いた
ですから、こういうところをどう変えていくかということですが、私は、根本的にはやっぱりリベラルアーツの教育が日本で足りていないのかなと、その部分を我が社の研修なんかでもどんどん取り入れ始めていますが、若い世代に対して、哲学とか文学とかリベラルアーツの勉強をどんどんさせるということがやはり重要なのかなというふうに考えております。 以上です。
すぐ世の中に役立つかどうかが見えにくい例えば文学であったり歴史であったり、文系も含めてですけれども、やはり安心して研究をしてもらうには、こういう若手の研究者の皆さん、三十代、しっかり常勤で、来年自分の雇用がどうなるのかな、こんなことを心配しないでしっかり研究に打ち込んでもらうことこそ僕は日本の国の力にもつながっていくんだと思っています。
また、そうした児童の、貧困家庭を扱っている児童文学作家の方にもお会いをしてきました。 そこで私自身が感じてきたのは、やはりこのコロナ禍にあって、いかに非正規の雇用の方々が苦しんでおられるか。そして、中にはシフトでつないでいる、そのシフトで仕事がなくなってきている。これは中小企業とか大企業とか、企業の大小に、規模に関わらないと思っています。
実は、多和田葉子さんの「献灯使」であるとか柳美里さんの「JR上野駅公園口」、これが全米図書賞翻訳文学部門で入賞したと大きなニュースになっていました。タイム誌の必読書百選に日本の女性作家、作品、四人が載っているというふうなことも最近出てきました。
海外メディアの芸術関連フェスティバルへの出展ですとか、海外の映画祭に出品する際の字幕制作支援ですとか、翻訳者の育成を目的とした翻訳コンクールの実施など、漫画やアニメや文学などの海外発信の取組は既に行っているところでございますが、日本遺産を含む我が国の文化遺産の魅力を海外に発信すべく、外国人有識者の監修のもと作成した英語版ウエブサイトを、ことし三月に日本政府観光局ホームページ内に開設をいたしました。
これに基づいて、過去に、現代日本文学翻訳・普及事業といって、文化庁が、この当時で七千二百万円ほど予算をつけているんです。これが今途中で消えちゃっているんですけれども、これはなぜ消えたかというと、これは、文学書を中心に、日本の古典というか、それをいろいろな言葉に翻訳したんですが、本が売れない、紙でやるから。それと同時に、国の予算一〇〇%でこれをやっているんですよ。 この発想じゃないと思う。
これは、フランスのノーベル賞文学賞作家、アルベール・カミュの「ペスト」に出てくる言葉です。 東京においても、週末の外出自粛要請が出された今、自由の重さを改めて感じています。この「ペスト」には、「この病気を阻止するためには、それが自然に終息しない場合、あらかじめ法律で定められた重大な予防措置を適用する必要がある」というフレーズまで残されております。
しかし、この必要な支援というのは、多少なりとも霞が関文学を承知している者としてはちょっと心もとなく聞こえる表現でございますし、また、その支援も、文部科学省はという主語になっておりまして、文科省任せになりはしないのかと。
がございまして、感染がまだ初期の頃で、本当にもう例のグラフの拡大のピークの方にもう行ったときは、もう何をやっても遅いというところが、はっきり言って、まあ社会への影響をどれだけ下げるかみたいなことしかできなくなると思いますけど、このまずは上がり口の初期、この拡大の、ちょうど北海道みたいな感じ、上がり、こういうときに実務の対策は極めて重要で、そこのときは、先ほどサイエンスという話がありましたけれども、やや文学的
例えば、文学国語といったような科目はもう入試になじまなくなっちゃう、記述式の入試には。 もう行間を読むとかそういう世界じゃなくて何か、資料をお配りしたのは、試行調査の二〇一八年の第一問の試験なんですけれども、高校の生徒会の部活動の規約が書いてあって、私、これが国語の試験かと目を疑ったんですけれども、何かもう一事が万事こういう無味乾燥なものになってしまうんじゃないかなというふうに私は思います。
また、公私立大学につきましては、これは現在各大学において検討されているところですが、例えば早稲田大学におきましては、商学部、国際教養学部、文化構想学部及び文学部の四学部で独自に英語民間試験を活用することを公表しているものと承知しております。
受験が学校の教育現場に与える影響力の大きさというのは当然あるわけですから、今のような論理でいけば、論理国語に履修がどんどん集中して、例えば、いわゆる文学ですとか小説ですとか、こういったものを非常に軽視する世の中ができてしまうんじゃないかという問題は、しっかり踏まえて進まなきゃいけないと思っています。
その上で、重ねて文学の専門家であります木村先生、紅野先生にそれぞれ一点お尋ねしたいと考えております。 現行のままで記述式試験が行われてしまいますと、能力はあるのに実施方法の問題で解答、表現ができない生徒が出てしまうのではないかという懸念が示されています。
論理と文学という分け方に関してもいろいろ議論があるかと思いますが、文学は小説や詩歌だけを指すわけではなくて、哲学や思想、科学の科学者の文章も広い意味で文学なんです。それを分けてしまいますと、論理も実はやせ細ってしまうというふうな問題点を考えなければいけません。
○伊藤孝恵君 私も実は文学部の国文学科出身でして、卒論は漱石文学における悪女考でした。漱石が描く、か細くて色白で声が小さくて、でも目的を次々に達成していくというその悪女っぷりを一生懸命羅列して立証しようとした二十歳の問いに対して、担当教授は笑わずに、じゃ、どうして、なぜそう読み解いたのか、じゃ、この作品のこの言葉は漱石の何を表しているのかというのをディスカッションをしてくれました。
ただ、お話によれば、二一年実施のテストから記述式が導入されるという前提で、これは質問じゃなくて、ちょっと私から意見として申し上げさせていただきたいんですけれども、これは日経新聞で、ある中学、高校の国語の教師が言っている話なんですけれども、二〇二二年度からの新たな新学習指導要領で、例えば国語なんかでもかなり中身がさま変わりするんじゃないか、文学作品だとかそういったものよりも、例えば、ただロジックを追い
私の知り合いの文学部の先生などは、消しゴム一個買うのに伝票を切らなきゃいけないんですよ。そして、何のために使うかとか、そんな無駄なことばっかりやっているんですよ。こういうことをやらされていて、真っ当な研究ができると思いますか。 今こうやって何々はやっています、こういうことが出ています、じゃ、それは何%あるんですか。ほかの人たちは、一体どういうふうなことで苦しんでいらっしゃるんですか。
例えば、学部でいうと理系だったり、そういったところは産業界と一緒に連携していくということは多々あることだとは思うんですけれども、ちょっと私、ここで大臣にお伺いしたいんですが、例えば企業からの委託研究とかそういったことが期待できないような、例えばフランス文学ですとかインド哲学ですとか、かつてはどの大学にもフランス文学なんかはあったかなと思うんですけれども、今なかなかそういった文科系の学部というのは厳しい
特に文学部辺りでありますと、実務家、実務経験のある教員が授業をするというのはぴんとこないんですね。そういう意味では、今回この運用の中でもかなりそこのところは配慮して行われると聞いておりますので。他方、専門学校の場合はむしろ、国家資格を取ったり、あるいはいろんな資格を取って職業に直結をしているわけですから、その辺りはむしろ実務経験のある教員が来て授業をするという、極めて重要だと思います。
例えば、理工学部を出たのに司法試験に合格した、文学部を出たのに司法試験に合格した、医療系を出たのに司法試験に合格した、今や、著作権だとかプログラムだとか知的財産権、こういったようなことは、やはり理工系を卒業した人が司法試験に合格した方がはるかに活躍もできるでしょうし、文学部でいろいろな言語を勉強した人の方が、国際的なやりとりをする国際的なそういう訴訟にも秀でているでしょうし、医療系であれば医療訴訟の