1950-12-06 第9回国会 衆議院 外務委員会 第4号
マルクス・レーニンの鉄則に立つ共産主義が、その根本理念において、すでに非合法活動を特質とするものであることは言うまでもないのでありまするが、特にこの二月のコミンフオルムの一喝を食つた日本共産党が、戦後とつて来ておりましたところの平和革命の欺瞞的戦術の仮面を脱ぎ捨てまして、しかも野坂自己批判なるものを発表して以来というものは、彼らはみずから武力革命を公言しておる現状であります。
マルクス・レーニンの鉄則に立つ共産主義が、その根本理念において、すでに非合法活動を特質とするものであることは言うまでもないのでありまするが、特にこの二月のコミンフオルムの一喝を食つた日本共産党が、戦後とつて来ておりましたところの平和革命の欺瞞的戦術の仮面を脱ぎ捨てまして、しかも野坂自己批判なるものを発表して以来というものは、彼らはみずから武力革命を公言しておる現状であります。
最後に戦後におきまするわが国経済の中心問題が、貿易にあることは論をまたないところであります。現にわが国は二十箇国との間に貿易協定を締結いたしまして、昭和二十四年度輸入総額七億九千七百万ドルのうち、協定国からの輸入は一億四千三百万ドル、また輸出におきましても総額の七〇%に当る三億三千万ドルが協定国によつて占められておる現状であります。これは総司令部その他各方面の努力のたまものと感謝にたえません。
もちろんこの鉄道新線建設につきましては、幸いにいたしまして戦後わが国の経済も安定いたしまして、安定から復興へと向いておる。このやさきに、また関係方面におきましても、もつぱら戰後鉄道の復旧、補修ということにのみ重点を置いておりましたが、新線建設につきましても、相当のゆとりある考慮を拂われておるかのごとく私は承つておるのであります。
第三点から申し上げるならば、ただいま御説明にありましたが、現在日本の各地におきまして旅館業が、戦争中また戦後において非常に荒れておりまして、家屋も破壊され、設備もこわれて、これをどうにか改修しなければならないということが、現在三万六千軒の旅館業者の叫びであります。
窮乏のイギリスにおいても、戦後は輸出外貨收入の中で、一番取得の多いのは観光收入でございまして英国は非常に力を入れて、国際収支の状況を改善しているという状態でございますので、われわれはぜいたくをするとか、うわついたことをするというのではありませんで、見えざる輸出として貿易振興の一助に資したいと考えているわけであります、
なぜならば、日本の公務員諸君は、戦後民主主義的な風潮によつて、相当知識程度が高くなつています。ここでこういう勤務時間に政治の話をしては悪い、いい――こういうことを言つていいとか悪いとかいうくらいのことは、国民的常識において理解をし、実行いたします。
戦前にわが国で銀行業を営んでおりました者がこの免許を復活せられ、あるいは戦後新しく免許を受けて銀行業を営んでいるものは十一行、市店の数にして二十四行ございますが、それはこの表におります銀行業五件のほかになつております。大体財産取得の面を通じて見た外資導入と、外国人の事業活動の状況について以上御説明をいたしたわけでありますが、あとは御質問がありますればお答え申し上げます。
○志田委員 民間外資は、戦前は、私の承知しておるところによりますと、單純な利子収得を目的とした外国債権に対して投資をするという行き方であつたろうと思いますが、戦後における日本の外資というものは、今資料として出された点を見ましても、日本における支店とか支社というものの設置、あるいは株式所有を通じての企業参加、つまり直接投資が多いと思うのであります。
戦後といえども依然として伝統的に外国人が居住し、その住宅を建設しておる者が多いのであります。 そもそも外国人が定住する住宅都市を建設するのには、諸般の條件が備わることが必要なことはいうまでもないのであります。幸い芦屋市は、第一に立地條件が備わつておるのであります。すなわち前には茅淳海を控え、うしろは六甲山を負い、気候は温暖で風光は明媚であります。
さらにその後、全国各地にわたり台風、豪雨に見舞われたのでありまして、そのおもなるものをあげれば、九州地方を襲つたフロシー及びグレース台風、関東・東北地方の豪雨及び四国近畿地方に戦後最大と目されるジエーン台風及びキジア台風等相次いで来襲し、これがため各地に相当なる降雨量を見、甚大なる被害をこうむつたのでありまして、その被害は、国庫負担分として査定済みが、六月災害までに百五十九億一千八百万円、第二に七、
これはしかしかりに戰前の昭和五年から十四年の十年間の控訴率の平均と比較してみますと、これは区裁判所、地方裁判所事件を合せて一七・五%、これから見ますと、旧法事件の戦後の控訴率は戦前の三倍に上つて来ておる。新法事件の方が少いというよりも、むしろ旧法事件の方が急に目立つて非常に顕著なふえ方をしておるというふうに見られると思います。
○齋藤説明員 戦後朝鮮人の帰化とか国籍問題につきましては、何ら新しい措置は講ぜられておりません。従前日本におりました朝鮮人で、昭和二十二年の何月まででありましたか、日本におりたい者は、日本の法律を守る、そして日本の官憲の取締りを日本人と同様に受けるという條件のもとに日本におつてもよし、そうでない者は帰国するようにということで、相当数が帰国をいたしたのであります。
過般の委員会で朝鮮人の分布状態並びに韓国人と朝鮮人との数について明瞭な御説明のあつたことを私了承いたしておりますが、なお戦後において帰化した元の朝鮮人あるいは二世の朝鮮人というようなものは御調査になつておられるかどうか。あらば数字をお示し願いたいと思います。
○増田国務大臣 北海道の戰戦後における位置というものについての重要性については、お説の通り私も同感であります。このことは政府、国会すべて同じ立場に立つて北海道開発庁ができたゆえんでございます。この北海道総合開発について、従来小平さんその他各党各派を越えて、北海道選出の国会議員各位が御努力くだすつておることに対して、この機会において衷心より敬意を払いたいと思つております。
○島村政府委員 小麦の加工は、御案内の通りに、戦後小規模でできたものも相当あります。これが食糧行政に相当役立つたことはよく承知いたしておるところであります。そこで小麦の操業度を上げるという結果が、大企業に集中するというような傾向のあることも御承知の通りであります。
特にドイツと日本においては、にわかに景気が出ておるというようなごとが書かれておりまして、戦後の各国の生産が非常に増加して来ておるということが、年産比率によつて示されておりますが、それによりますと一九五一年の中ごろまでには、日本の経済は自立できるものと、外国のコレスポンデントは報道しておるようでありますから、五十一年の中ごろまでに自立経済が成立つ、国民の収支の一応のバランスがとれるというふうに見ておるのでありますが
何分にも戦時中及び戦後を通じてやつて参りました相互間の開きを、一挙に基準年権の姿に返すということも容易ではございませんので、徐々にということになりますと、食管の予算等の関係、それから本年度と来年度の持越しの関係、プール計算等の関係によりまして、かならずしもただちに理想的な姿に参らないわけであります。
そして戦後いろいろな事情で直接税の比率が若干低下しまして、今年の税制改正でそれぞれ直接税、間接税共に大幅の改正を行い、なかんずく間接税の中でも各種の雑多な税は殆んど整理する方針でいたのでありますが、併し間接税の大宗であります酒と煙草については、依然一つの大きな収入を期待するという方針で参つておる関係上、間接税の各種の整備にも拘わらず、比率はそれほど動いておりませんのでございまして、今申上げましたように
それに対して供給のほうでは、国内の生産は現在の設備による能力から申しますと、大体六十万トン程度の能力を持つておりまするが、最近までの実績からいいますと、戦後は六十万トンに達した年度は一度もないのでありましで、逐次上昇はいたしておりまするが、今年度も先ほど申上げましたように計画は五十二万トンでございましたが、災害によつて十万トンの減少を来たして、大体四十二万トン、来年度は仮に災害なきものとすればということでありますが
少し話はもどりますが、日本の戦後の経済安定をはかります場合に、金融をゆるめ、生産をふやして経済安定をやるというやり方をドツジ方式でやります前までは、今までどの内閣もやつて参りました。
これもいろいろ順序もございましようし、全部が一ぺんに実現する、させるということは困難かも知れませんが、第一は、固定資産の耐用年数の改訂を行い、まあこれも必ずしも短くして償却を多くするだけでいいとは限らない場合がありまするけれども、とにかく現在の耐用年数というものは相当戦時及び戦後に改訂をして来ておりますけれども、十分に実情に合うところまで直つておりませんので、これを是非改訂する必要があるという問題が
しかし市外回線の安定化に関しましては、戦後非常な努力を払つた結果、最近に至り所期の効果をあげ、障害時間は一日一回線あたり約十分程度まで短縮することができたのであります。
ほとんど窒息状態に陥つておつたのでございますが、戦後漸次復活をいたしまして、現在におきましては、戦前の約五分の一程度の復活を見ておるのでありますが、これを金額にいたしますと、一年に大体十億円、しかもこの十億円を得ますところの資材その他につきましては、まつたく国内品でございまして、輸入による資材を使わないで十億円の外貨獲得をしておるというような状態であります。
かかる事件が発生した原因は、これらの農村には健全なる娯楽がないため、青少年の間には夜遊びの悪習があり、殊に戦後各種の卑猥な雑誌が耽読され、これらに刺戟され風俗犯を敢行する者が多く出たのである。
それでありますから、戦後にはその反動として、非常に強くただ個人的な慾望とか、個人的なわがままとか、そういうようなものだけを主張して国家とか社会とかいうものを更に知らない。そういう自覚がないということが起つて来たのであります。
公益質屋以外の質感につきましても、自己資金というものが戦後なくなつてしまつた。そこで質屋としては、やむなく市中銀行から金でも借りて営業するほかしかたがないのでありますが、金詰まりの影響を受けて銀行から金を借りることが、これまた非常に困難であるという実情でございます。要するに資金が足りないという面が、その辺にしわ寄せになつておるわけであります。
だから、今の時代がまるで前よりも悪くなつた時代だというようには、私は考えないのですけれども、しかし一面においては、やはり戦争の影響として、戦後の頽廃というようなものも、これを認めなければならないということから、一体どうしたら、今の国民をほんとうに道徳的な方に導き得るかということを、私も圓谷委員と同じように深く憂えておるものでございます。
こういうことをなさるならば、必ずやさなきだに創立早々で非常にその機能の活動が不十分である国会図書館の機能を著しく阻害されて、そのために我々は国会図書館を設立したが、戦後国民経済窮乏の際にあの大きな機構を持つた国会図書館を創立して置いて、甚だ不十分にしか動かないというものを作つて行くぐらいならばやめてしまつたらよい、それをあえて我々が創立したということは、そういう財政窮乏の一般的な状況の中ではあるけれども