1949-03-24 第5回国会 衆議院 内閣委員会 第2号
理事 小川原政信君 理事 牧野 寛索君 理事 吉田吉太郎君 理事 坂本 泰良君 理事 木村 榮君 青木 正君 池田正之輔君 江花 靜君 尾関 義一君 山本 久雄君 鈴木 義男君 小林 信一君 佐竹 晴記君 出席國務大臣 國 務 大 臣 本多 市郎君 出席政府委員 内閣官房次長
理事 小川原政信君 理事 牧野 寛索君 理事 吉田吉太郎君 理事 坂本 泰良君 理事 木村 榮君 青木 正君 池田正之輔君 江花 靜君 尾関 義一君 山本 久雄君 鈴木 義男君 小林 信一君 佐竹 晴記君 出席國務大臣 國 務 大 臣 本多 市郎君 出席政府委員 内閣官房次長
なお地方財政委員会消滅後の、このような地方財政を所管いたしまする中央政府の官廳といたしましては、現在総理廳官房にございます地方自治課と一緒になりまして、自治廳というような、総理廳の外局を設けるのが適当ではないかという研究も進められておりまするが、それはいずれ全体的の政府の行政機構の改革の一環といたしまして、法案の提出の運びに至ると思います。
○椎熊委員 官房長官を要求したのですが、今総理大臣と外務大臣官邸で重要な会談中で、即刻は來られない。こういう返事だそうです。
○岩本副議長 増田官房長官より本日議長まで申入れがありました。それは來る二十二日総理大臣の施政方針演説をする予定であつたところ、客観情勢の変化のために二、三日延期願いたいとのことであつたのであります。増田官房長官が今こちらに出席されることになつておりますから、出席されてからその点については直接に皆さんから御質問なり、お話なりしていただきたいと存じます。 次の議事を進行したいと思います。
本日内閣官房長官から、総理大臣の施政演説の件につきまして、議長まで中入れの件があるそうでございますから、この際その報告をお願いいたします。
○石田(博)委員 今のお話でありますが、審議期間の問題は椎熊君のお説の通り、これを三週間だ、二週間でないなどと、たとい官房長官ができると言われようと、それは政府のかつてであつて、その期間は國会が自由に判断すればいいので、國会の方からわざわざおつしやる必要はない。この問題については政府の希望を聞くにとどめておいて十分だと思います。
その案につきましては、先般本多國務大臣から運輸省の方に示しました、大体この程度で運輸省の機構というものを纒めて貰いたいという案を示したのでありますが、その案は大臣官房以外に七局を予定しております。これに対して運輸省の方から更に運輸省といたしましての対案が出て來ておるのでありますが、これは大臣官房を除きまして八局ということになつております。
○委員長(村上義一君) 他に官房長官に御質問の方はおありでないでしようか。——ないようですから……、どうも有難うございました。
○藤井新一君 只今金丸選挙課長から御説明があつたが、これに関しまして参議院の両院法規委員会においては、法規委員会法第十八條によりましてこういう法律を作る場合には、立法に関して、勧告をするということになつておるので十四日の日に参議院全國選挙管理委員長白根竹介君、或いは全國選挙管理委員長海野晋吉君或いはその他の方々、及び内閣官房次長の郡祐一君、全國選挙管理委員会事務局長鈴木俊一君、金丸三郎君、こういう方
○委員長(村上義一君) 他に官房長官に御質疑ありませんか。もうありませんければ帰つて頂いてよろしゆうございますか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○門屋盛一君 閣議で決定しただけを順々に持つて來られては、計画審議にならないので、今國会に提出する法案が大体二百七十件乃三百件ということが政府の方で分つている筈なら、その法案の一覧表を貰いたいという要求をして置いたのですから、これは、委員部長からの御申出の手続は分つているが、今官房長官がおいでになつているから、官房長官の方から……。
昨日、内閣から官房長官がお見えになりまして、最初予定いたしておりました十日に再開をいたして九日に國会の開会式をあげたいという予定で進んでおりましたところ、予算、その他の関係でその期日に間に合いかねる事情にありますので、できますれば当委員会の御決定にまちまして、十九日に開会式をあげて、二十日、二十一日、二日間は、休みになりますので、二十二日から施政方針の演説に入りたい。
○増田官房長官 政府にあくまで二十二日に予算書を出したいと思つておりしますそれはまだ完了しておりませんけれども、ぜひともそういたしたいということを目途として一生懸命努力いたしております。
○椎熊委員 官房長官にちとつと伺いたい。二十二日に予算を提案されるとすると、これは参衆両院を通じて政府はどの程度で審議してもらいたいという予想でもございますか。
古谷善亮君は、大正十四年に東京帝國大学の法学部政治学科卒業、同年高等試驗行政科合格、直ちに鉄道省に入られまして、鉄道事務官、それから鉄道省の陸運監理官、鉄道省運輸部庶務課長、鉄道省監督局鉄道課長、総務局会計課長、大臣官房法規課長等を歴任されまして、昭和十八年鉄道監、これは当時の勅任官でありますが、鉄道監になられまして、後に依頼免官となつてから、鉄道軌道統制会理事に就任され、更に鉄道輸送中央協議会の幹事
その集計に対しまして國庫予算としてどれだけ出すかということは今後の折衝によつて決しなければならないわけでありますが、前内閣におきまして、第二次吉田内閣におきましては、選挙予算に若し不足を生じたならば、これは事後の措置として十分に考慮するということを閣議了解を経て官房長官談で声明をいたしておりまするので、この点につきましては、実際の不足額と睨み合せまして、何らかの措置を講ずる予定でございます。
○議長(松平恒雄君) 只今佐藤官房長官が見えまして、内閣総理大臣から参議院議長に宛てた本日附の書簡を持つて参りました。その内容をちよつと……。 〔事務総長小林次郎君朗読〕 昭和二十四年二月十一日 内閣総理大臣 吉田 茂 参議院議長松平恒雄殿 内閣は、日本國憲法第七十條により、本日総辞職をすることに決定いたしましたから、國会法第六十四條によつてこの旨通知いたします。
そうすると公務員ということになりますと、國会法の三十九條の、「議員は、内閣総理大臣その他の國務大臣、内閣官房長官、各省次官及び別に法律で定めた場合を除いては、その任期中國又は地方公共團体の公務員と兼ねることができない。但し、國会の議決に基き、その任期中内閣行政各部における各種の委員、顧各、参與その他これに準ずる職務に就く場合は、この限りでない。」
その年の四月だつたと思いますが、司法省官房の会計課長になりまして、二十一年一月再び大審院檢事となり、その年の二十一年の二月甲府地方裁判所檢事正に任ぜられましたが、共産党取締の責任を問われまして、G項該当者として二十一年七月三日追放処分を受けました。翌八月弁護士登録をいたしまして、只今第一東京弁護士会に所属して現在に至つております。
それから鹿兒島縣の事務官、それから奈良縣の警視、北海道の警視、その後警保局の事務官、それから宮内書記官、それから警視廳の官房主事、内務書記官、それから警視廳の特高部長、それから内務省の書記官にもう一度帰りまして、海軍司政長官、それからその後東京都の防衞局長、最後が内務省の警保局長であります。それで昭和二十年の八月終戰と共に退官いたしました。
今官房か何にかにおります。
その他大屋藏相の平然と言い放つ食言問題、佐藤官房長官の官僚的陰謀など、一つとして民主政治を確立せしめたものはなく、逆に民主化を汚涜せしめたということを言い得るのであります。 第六に、戦後の復興経済政策は、國際情勢に対應し、世界政策の一環のもとに、新しき計画性を持つたものでなければなりません。
総裁といたしましては、自由党の党議を無視して、自分の考えをもつて、自分の個人的なる関係をもつて内閣を組織して、党の長老をそでにしても、恬としてものに動じないところの考え方、また彼が一國の総理大臣といたしましては、このいわゆるポツダム宣言による無條件降伏を甘受いたしておりますところのやむを得ない國際情勢に、ややともすると反駁しかねまじき態度をもつて接するところの、その不遜なる態度、たとえばそれは、佐藤官房長官
農 林 大 臣 周東 英雄君 運 輸 大 臣 小澤佐重喜君 逓 信 大 臣 降旗 徳弥君 労 働 大 臣 増田甲子七君 建 設 大 臣 益谷 秀次君 國 務 大 臣 岩本 信行君 國 務 大 臣 森 幸太郎君 國 務 大 臣 工藤 鐵男君 出席政府委員 内閣官房長官
儀郎君 松村眞一郎君 栗山 良夫君 藤田 芳雄君 小川 友三君 國務大臣 内閣総理大臣 外 務 大 臣 吉田 茂君 商 工 大 臣 大藏大臣臨時代 理 大屋 晋三君 文 部 大 臣 下條 康麿君 農 林 大 臣 周東 英雄君 政府委員 内閣官房長官
正夫君 矢野 酉雄君 板野 勝次君 佐々木良作君 堀 眞琴君 小川 久義君 委員外議員 予算委員長 黒川 武雄君 水橋 藤作君 ————————————— 議長 松平 恒雄君 ————————————— 政府委員 内閣官房長官
○委員長(村上義一君) 只今予算委員長も御出席を願うように手配いたしておりまするが、官房長官が見えましたので、官房長官から……。