1948-10-06 第2回国会 参議院 厚生委員会 閉会後第1号
それと一緒に母子寮の施設に対しまして非常に目覚めて参りまして、山形縣、それから岩手縣は一関、それから今度難は逃がれましたが花巻という所を中心にいたしまして、福祉法による母子寮を確かもう最近始めたと思いますが、新らしい福祉法によりまするところの母子寮の創設を先ず岩手縣のこの二つの市にということで、土地の婦人会を中心にいたしまして、非常に熱心に活動いたしまして、確立して始めかけておるところに水が來たのではないかと
それと一緒に母子寮の施設に対しまして非常に目覚めて参りまして、山形縣、それから岩手縣は一関、それから今度難は逃がれましたが花巻という所を中心にいたしまして、福祉法による母子寮を確かもう最近始めたと思いますが、新らしい福祉法によりまするところの母子寮の創設を先ず岩手縣のこの二つの市にということで、土地の婦人会を中心にいたしまして、非常に熱心に活動いたしまして、確立して始めかけておるところに水が來たのではないかと
更に一、二抽出いたしまして特殊物件の拂下をいたしました民間工場、或いは土地を轉用いたしておりまする同民間工場、これらの実情につきまして調査をいたしました。 大体今回の調査は一言にして申しますれば、縣廰を中心にいたしまして、且つ書類の上におきましてその処理状況を調査いたしますことが中心に相成つたのでございますが、それらに関しまする所見は報告書に讓ることにいたします。
それには自由党の名前は書いてないが、出た代議士連中は自由党の人ばかり出たんですけれども、それで土地の人が区民大会に自由党が出るんだから、自由党の宣傳だから、そんなことは馬鹿々々しいといつて笑われた記憶が残つております。
○証人(遠山直樹君) 私が大衆党の青年部に入つたときはすでに管理を頼まれて一年も経過していた、戰災直後ですから……、どことどこの土地を管理されているということも知らない、ただ新宿の武藏野館の近くに一ヶ所管理していて、あそこに和田さんという方がおりますけれども、和田さんと何か関係があつて頼まれて管理しているということを聞きました。そこには浅野さんという男がいて番をしていました。
○証人(遠山直樹君) 加藤……、須田町食堂の社長ですね、あの方が反共の鬪爭資金として出したのかどうなのか知りませんけれども、戰災直後東京都内の須田町食堂の建物が破壊しまして、その一つである新宿の土地を管理されていまして、そのときに管理料として貰つたのか分りませんけれども、それも眞木さんのやり方は或る意味において全くの独裁ですから、我々の見ている前で以て金を受取るということはしない人ですから、どれくらい
それから次はマライでありますが、マライにおける共産党の活動は非常に活発でありましてマライ共産党の活動は昨年十二月の香港で開かれた会議の結果、中國共産党華南局が最高指導者をマライに送るとの決定を見て以來、中共との連繋は一層緊密化したと言われているが、マライ総人口五百余万の半を占める華僑がマライの経済勢力の重要部分を占有する土地柄だけに、共産主義宣傳文書等はすべて華語で書かれているということであります。
私の党には経営者がおりませんので、私はたまたま炭鉱の土地に生れ、そこで育つて、しかも私の郷里でありますので、門前の小僧で、ほかの地区から出られたわれわれの党の同志よりはいくらか石炭には縁故がありますから、そういう立場で研究しておつた。
それから土地、建物等の償却すべきものについては、これはどうもぐあいが惡いから取除いたとか、あるいはまた租税公課、これを取除いた。あるいは小作料、農具代とか、あるいは家計費、冠婚葬祭費というようなことになつておりますが、これらの内容を檢討してみますと、大体農家におきましても、やはりこれは過去の統計から見ますとはつきりしております。
これは土地を放棄するかせぬかの境目である。
今お尋ねのように、これらの人がほんとうに立ち上つて再生産に邁進できまするためには、やはり政府としては、さしあたつては、ほとんど食糧のない生産農家に対して、食糧の還元配給を行うというような処置を暫定的にはとりますが、しかし一年間の営農という上から申しますと、何としてもこれらの人々が営農資金を得て、この土地で再び農作物の生産に從事するという、基礎的な経済的な條件をつけなければならないというふうに思いまして
そうして人税を國へ集めて、地方税は物税本位に帰るという場合に、よく理論的根拠といたされましたのは、つまり地方においては、地方団体の事業施設によります直接いろいろな土地の値上りだとか、家屋、家賃の値上りとか、利益を受けるものが多い、いわゆる応益主義に基きまして物税の外、地方団体の実情としてできた、こういう根拠に基いておつたわけであります。
もとよりその実力においては、穏健なる軍人は遥に負けたのでありますが、考え方としては、そういう穏健なる考え方があつてこれらの人達は私共が当時考えておる農民運動、日本の農民の地位を向上する、日本の農地制度を改革する、土地と人口の問題を只滿洲へ滿洲移民をしてそれで片附けるという考え方ではない。
○証人(平野力三君) 雑誌は私が自分では殆ど關係はいたさなかつたのでありまして、雑誌に載せたものは土地改革であるとか、或いは当時議会へ提案された農村關係法案の解説ぐらいのものよりいたしておりませんが、雑誌全体を通じては非常に穏健な、今言つた極右極左を排するというような論法は常に用いておつたわけであります。
場所によりましては東京の方の放送が若干入つて來るけれども長野方面の地元の方の放送は全然聽こえないというような土地が多いのであります。これはひとり長野だけではないと思います。
而もそれらの土地は、割合に人口が少い土地でございまして、今後共こういう地方に対しましては、公共的な性質を持つた日本放送協会の手によつて、放送の施設を拡充しなければならないのではないか、と考えておる次第でございまして、全國的にこの公共放送のネツトを完成するためには、少くとも目下御審議を願つておりまするところの法案にありまするような程度の保護は日本放送協会に対して必要ではないかというふうに考えておるのでございます
それにつきましては、お手もとにそれぞれ理由書が出ておることと思いますが、私が聞いてをりますところによりますと、われわれがその土地へ行くまでに、もうすでに間違つた方法で品物をもつて帰つておる。それを正式ルートへ乘せてくれぬかというようなものも若干あつたようでありますし、それぞれ適切に処置がとられておるものであろうと思つております。
○鈴木證人 その点は具体的にどういう人が出てということは、私本部に課長としておつただけで、現地へはあまり出ませんでしたから、はつきりお答えはできませんけれども、関係者が、たとえば官廳にしましても、いろいろな官廳の監督を受れる立場で、引継ぎ一つについても、小はその土地の警察官が立会うというようなことで、人数が多く、仕事が煩雜なために、ちよつと晩飯を食べても金高が上るというようなことじやないかと思います
いわゆる親分連中に言はせますと、眞木という者はただ近松のところに二、三年手傳いをしておつた若僧だつたということを覺えているが後は知らないと土地の人は言つておりました。但し近松さんと特別な関係のあつた人達ですな、例えばあすこに御所組という組がありますが、この人達は近松さんと関係が深かつたという方は、眞木さんを知つているが外の親分方は全然知らないという方が多いようです。
これはどういうふうに運賃を使つたかと嚴密に調べてみると、Aの土地からBへもつて行き、BからCへもつて行き、また元のAへ戻るというように、帳面ずらだけをやつてその間の運賃は全部加算してあるが、そのものは一つのところも動いてはいなかつた。ただ帳面の上で動いてその経費が計上されている。
○証人(青木繁吉君) あれは前の関税事件の折にも政治的背景、いろいろの状態のありました事件で、又今度の事件も、丁度我々が市場に出さなかつたということは、我々に犯意ありと認めらるべきものか、又水産業会がそういうような出すべからざるような行爲をしておつたということは、政治的に非常な関係がありますし、殊に新憲法によりまして、政党と政治の関係が深いものでして、かたがた弁護士をせられております土地の人々は、大概
○証人(吉田寛一君) それは我々の始終弁護人らに関係なく、土地の新聞社の記者が自分の新聞編集上お書きになることと思います。我々の企画しましたのは、専門の速記者をこういうふうにして入れまして、そうして法廷の一部始終一切の発言をそこに記録して貰う、そんならば間違がない、こういう点だつたのです。
○委員長(岡部常君) 弁護人と申しますと、弁護人は土地の弁護人が一人も立つておられないで、松山の弁護人は立つておられんで、それで高知とか明石とか、大分交通にしても通信にしても不便なところの弁護人を選んでおられますが、あれはどういうわけですか。
そこでもつて七反一畝歩という土地が町はずれの所に固まつております。そこに今度は町役場、警察署、公民館等をつくるという名目によつて、農地改革を阻害するためにそういう問題を利用しておるのであります。
————————————— 七月五日 自作農創設特別措置法の一部を改正する法律案 農地調整法の一部を改正する法律案 農業協同組合法の一部を改正する法律案 主要農産物價に関する件 木炭の需給対策に関する件 土地改良に関する件 災害復旧対策に関する件 主要食糧の需給対策に関する件 の閉会中審査を本委員会に付託された。
併し大体において私はそういうふうに共産主義の思想を持つておつたが、この宮久三治というのは共産主義反対の地主派のこちこちで、戰爭後になりましてから殆んど私を中心にする農民組合関係と、それから宮久三治が地主組合を……大分縣に土地協議会というものがありまして、あれは解散を命ぜられましたが、宮久三治を中心にした地主組合と、共産党を中心にする農民組合とがあつて、村内も二つに対立して、昔の政友会、民政党とが殆んど
而も四月の殆んど最後に私がこの審査表を出したというようなこともそこから始まるのでございますが、もともと私過去を申しまますと、自分で失敗の経験もあり、又お互いに土地の信用なくしては何事も成り立たんということが私の考えです。殊に財力を持たない者から言えば、一層その信用が大である。
次に五十一條に参りましては、放送協会の放送設備の建設のために、土地收用法に基き土地收用権を発動し得ることを規定いたしております。聽取料の徴收権につきましても、一般放送局には規定してございませんから、やはり日本放送協会に対する保護規定であると同時に、特権と相なります。
その後日本放送協会ができましてからは、これをただ單に聽取料のみを対象とした事業体として考えることなく、その聽取料を以て廣く日本全國の放送を普及させるという計画を立てまして、現在におきましては大都市は勿論、中都市その他放送の電波の傳わらないような土地を選びまして、相当多数の放送局を設置しております。
又彼眞木は戰災者の福利増進のため、露店経営の附帶事業なりと称して、同公園前金龍館、現ロキシー座前の空地を、土地の顔役甲州屋芝山等に強談して借用し、目拔の露店十数軒の揚錢、掃除代、權利金等を毎月相当額搾取し、現今にも及び、私腹を肥し、何ら戰災者には一顧も與えず、日夜酒色に浪費せり。 当時彼眞木の妻女都度こぼして言う。
一つの組合におきまして、販賣事業もやれば、あるいは土地改良の仕事もやるということになりますと、自然そこに活動力といたしまして弱い部面が出てくるのであります。やはり土地改良のようなことをやる連合会が必要があつて生まれるといたしますれば、その事業を中心として十分なる活動をすることが機能の上から必要だと考えているのであります。
の請願(金野定 吉君紹介)(第一三九二号) 一二 大郷村の土地改良費國庫補助の請願(金野 定吉君紹介)(第一三九三号) 一三 山形市の農業土木事業費國庫補助増額の請 願(金野定吉君紹介)(第一三九四号) 一四 相模村の農業土木事業費國庫補助の請願( 金野定吉君紹介)(第一三九五号) 一五 楯山村の耕地水害復旧並びに土地改良事業 施行の請願(金野定吉君紹介)(第一三九
高瀬村の土地改良事業施行の請願、金野定吉君紹介、第一二八八号。 高瀬村の農車道開設費國庫補助の請願、金野定吉君紹介、第一四〇一号。 西郷村の農道改修費國庫補助増額の請願、金野定吉君紹介、第一四〇二号。 本庄村の溜池築設費國庫補助増額の請願、金野定吉君紹介、第一四〇三号。 藏増村の土地改良事業費國庫補助の請願、金野定吉君紹介、第一四〇四号。