2020-05-19 第201回国会 衆議院 原子力問題調査特別委員会 第3号
新しい技術開発をするなり、あるいは、今の東京電力の外側に、大熊町やあるいは双葉町ですか、そこに人がまだまだ住めない土地があるわけですから、町と打合せをして、そこを買収して貯水槽を構築できるような、そういうことを考える時期なのではないだろうか。今、敷地内でもうためるところがなくなっていると言っていますけれども、それは敷地を拡大すればいいわけですよね。
新しい技術開発をするなり、あるいは、今の東京電力の外側に、大熊町やあるいは双葉町ですか、そこに人がまだまだ住めない土地があるわけですから、町と打合せをして、そこを買収して貯水槽を構築できるような、そういうことを考える時期なのではないだろうか。今、敷地内でもうためるところがなくなっていると言っていますけれども、それは敷地を拡大すればいいわけですよね。
しかし、福島においては、双葉町などようやく復興が始まったばかりの地域もあることから、県が計画を作成しつつも、国が引き続き県を助け、継続して復興にかかわっていく姿勢を示していく必要があります。くれぐれも県に丸投げすることなく、国が前面に立って支援していくことを求めます。
ことし三月、双葉町の帰還困難区域の一部が初めて解除され、これで全町避難はなくなりました。政府は、たとえ長い年月を要しても、将来的に帰還困難区域の全てを避難指示解除すると繰り返してきました。そのために全域の除染を終えるのはいつなのか、お答えください。 三月末で、浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村の仮設住宅の無償提供が終了しました。
あるいは、福島県の双葉町でしたかね、埼玉県の加須市に長期避難、遠距離避難された方々は、二年余りそこに暮らして過ごされたということですから、今般もし複合災害が起きると、非常に長期間にもしなればなるほどその備蓄の体制の再構築が求められると思いますので、そういうことを念頭にしっかりと対応していただきたいと思います。
今年の三月四日の双葉町を皮切りとして、全域避難指示が出ていた地域に一部避難指示が解除されました。三月五日には大熊町の大野駅の周辺、そして三月十日には富岡町の夜ノ森駅の周辺で一部避難指示が解除されました。 また、三月の十四日には、富岡駅と浪江駅の間で不通となっておりました常磐線、これが全線開通しました。
双葉町、富岡町を含めると数千世帯がみなし家屋解体を要望していると考えられますので、是非早急に検討していただきたいんですが、いかがでしょうか。
いずれにしても、飯舘村、そしてまた中間貯蔵を持っている大熊町、そして双葉町、この現場の皆さんの苦渋の決断の上にあるということを決して忘れずに取り組んでいきたいと考えております。
具体的にこの一月の動きということで紹介させていただくと、帰還困難区域では初めてとなる双葉町、大熊町、富岡町の一部地域の避難指示解除、そして浪江町における世界最大規模の水素製造拠点である福島水素エネルギー研究フィールドの開所、そして復興のための重要交通インフラでもある常磐双葉インターチェンジ、この開通、そしてJR常磐線の全線開通、これがこの一月であったわけです。
このうち、双葉町におきましては約二百三十ヘクタールの範囲の除染に着手するつもりでございます。 環境省といたしましては、特定復興再生拠点区域の計画に沿いまして着実に除染を進めてまいります。
それで、今月の四日、双葉町で初めて避難指示の一部解除をされました。それで、被災自治体の中で、これ全町避難がずっと続いてきたのは双葉町だけだったんですよね。そこで、事故から九年を経て初めて一部解除になった。それで、実は今月は、その双葉町以外にも大熊だとか富岡で一部また解除になったし、常磐自動車道が開通をするし、それから常磐線が全線、九年ぶり再開になったと。結構大きな節目、今月迎えたんですよね。
今月、双葉町、大熊町、富岡町において、帰還困難区域とされてきた一部地域の避難指示を初めて解除しました。また、双葉町の避難指示解除準備区域も解除しました。これにより、全ての居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されました。
今月には、帰還困難区域として初めて、双葉町、大熊町、富岡町において特定復興再生拠点区域の一部地域の避難指示解除を行ったところでございます。 今後は、令和四年から五年春頃の特定復興再生拠点区域全域の避難指示解除に向けて、引き続き、関係省庁と連携して、除染やインフラ整備等の帰還環境の整備に努めてまいります。
○国務大臣(梶山弘志君) 先日、双葉町、大熊町、富岡町の一部地域の避難指示が解除をされました。帰還困難区域として初めての解除となるわけであります。これにより、三月十四日にはJR常磐線が全線開通し、福島の復興を加速するものであると期待をしているところであります。
この一週間で、福島県大熊町、双葉町、富岡町のそれぞれ一部でございますが、避難指示が解除されました。しかし、今もなお被災地から避難者の数は全国で四万人超、なかんずく福島県出身の避難者が、県外避難者が三万人超と及んでおりまして、今後も避難者、県外避難者の皆様に寄り添い、お支えをしていかなければなりません。
また、福島における原子力災害被災地域でも、今月には、常磐線の全線開通に加え、双葉町、大熊町、富岡町の特定復興再生拠点区域の一部において帰還困難区域としては初めてとなる避難指示解除が行われるなど、復興再生に向けた動きが本格的に始まっております。 一方、長期にわたりいまだ不自由な生活を送られている方々もいらっしゃいます。
先月、福島県飯舘村、双葉町及び大熊町を訪問し、このうち飯舘村では、長泥地区での除去土壌の再生利用実証事業の現場を訪れ、菅野村長や住民の方々と意見交換を行い、これまで九年間の様々な思いを伺いました。 実証事業の中で地元の方々の御協力によって栽培され、美しく咲いているトルコギキョウ等の花がこれまでは使われることなく処分されていたと聞き、もったいない、何かできることはないかと考えました。
今月四日には双葉町、五日には大熊町、そして本日、富岡町において帰還困難区域の一部地域の避難指示が解除されました。これは、帰還困難区域の解除としては初めてとのことであります。また十四日には、震災により被害を受けたJR常磐線の富岡駅から浪江駅の区間の運行が再開し、これにより九年ぶりに全線で運転が行われることになります。
到着いたしました双葉町では、双葉駅の視察を行い、双葉町長から新たなまちづくりについて説明を受けました。その後、常磐自動車道常磐双葉インターチェンジ開通式典に出席いたしました。その後、浪江町で、浪江町東日本大震災慰霊碑に献花、黙礼を行い、福島水素エネルギー研究フィールドの施設を視察した上、開所式に出席をいたしました。 以上でございます。
双葉八町村の小中学校の児童生徒の状況につきましては、平成三十一年四月現在で、浪江町が十八人、震災前の二%、それから、葛尾村が十四人で震災前の一三%、双葉町が四十七人で震災前の八%、大熊町が十五人で震災前の一%、富岡町が四十五人で震災前の三%、川内村が六十五人で震災前の三九%、楢葉町が百九人で震災前の一六%、広野町が二百三十六人で震災前の四四%となっており、八町村を合わせますと五百四十九名となりますので
例えば、今回、双葉町が解除されますが、立入り規制緩和した区域の防犯体制を整えるということも一つの課題になっているというふうに伺っておりますが、このような新たな課題についてはどのように対応されますか、大臣。
発災以来、町全体の避難が続いていた双葉町では一部で避難指示が解除され、ようやく本格的な復興に向けて大きな一歩が踏み出されました。 復興・創生期間は最終年を迎えますが、福島が復興を成し遂げるその日まで国が前面に立ち、全力を尽くしてまいります。
先月、福島県飯舘村、双葉町及び大熊町を訪問し、このうち飯舘村では、長泥地区での除去土壌の再生利用実証事業の現場を訪れ、菅野村長や住民の方々と意見交換を行い、これまで九年間のさまざまな思いを伺いました。 実証事業の中で地元の方々の御協力によって栽培され、美しく咲いているトルコギキョウなどの花が、これまでは使われることなく処分されていたと聞き、もったいない、何かできることはないかと考えました。
今月には、双葉町、大熊町、富岡町において、帰還困難区域とされてきた一部地域の避難指示を初めて解除します。また、双葉町の避難指示解除準備区域も解除しました。これにより、全ての居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されました。
また、福島における原子力災害被災地域でも、今月には、常磐線の全線開通に加え、双葉町、大熊町、富岡町の特定復興再生拠点区域の一部において、帰還困難区域としては初めてとなる避難指示解除が行われるなど、復興再生に向けた動きが本格的に始まっております。 一方、長期にわたり、いまだ不自由な生活を送られている方々もいらっしゃいます。
今月末には、双葉町、大熊町、富岡町において、帰還困難区域とされてきた一部地域の避難指示を初めて解除します。また、双葉町の避難指示解除準備区域も解除します。これにより、全ての居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除されます。
ことし三月には、双葉町、大熊町、富岡町において、帰還困難区域とされてきた一部地域の避難指示を初めて解除します。また、双葉町の避難指示解除準備区域も解除します。これにより、全ての居住制限区域と避難指示解除準備区域が解除をされます。
結びといたしまして、本県では三月に、双葉町、大熊町、富岡町において、震災と原発事故から九年もの年月を経過して初めて、帰還困難区域で避難指示の先行解除が予定されております。しかし、これはあくまで一部地域にとどまっており、住民の帰還や除染、インフラ復旧など、課題は山積しております。本県の復興は道半ばでありますが、我々も懸命に取り組んでまいりますので、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
私は、原発災害発生直後に、福島県の復興ビジョン、それから引き続いて浪江町の復興ビジョン、さらには双葉町の復興計画の策定にかかわってきました。現在は、住まいやまちづくりの専門家として、双葉町の特定復興再生拠点整備、このプロジェクトにかかわっています。困難をきわめていますけれども、その計画にかかわっています。
同じように、自治体の町外コミュニティーというのをたくさん考えましたけれども、浪江町でも双葉町でも町外拠点、町外コミュニティーをつくりました。浪江町が町外拠点を、コミュニティーをつくろうとした瞬間に、避難指示が解除されて、浪江町はふるさとの復興一本やりになったために、二本松の町外コミュニティーの整備をすることが途中で中断してしまうんです。
建設予定地である大熊町、双葉町とは徹底した意見交換を重ね、その必要性を誠意を尽くして訴えられ、建設受入れを判断していただくに至りました。しかしながら、実際に除去土壌等を搬入することについては大変厳しい意見があり、こうした中、先生は、町のみならず、幅広い関係者との膝詰めの調整を進められ、搬入開始を現実のものとされたのであります。