1949-05-13 第5回国会 衆議院 文部委員会 第17号
この点において、教育大学という名前を冠しましても、私の考えでは、眞學、熟烈、教育そのものに生涯を打込む人間の魂をつくらなくてはうそであると思うのです。
この点において、教育大学という名前を冠しましても、私の考えでは、眞學、熟烈、教育そのものに生涯を打込む人間の魂をつくらなくてはうそであると思うのです。
実際それが見通されているにもかかわらず、今の官廳の人間は多過ぎるから、こいつを首にしなければならぬという。どうもここのところがはつきりしない。この点がはなはだ矛盾に富んでおると思う。それから高級官僚というのは、大分ぶらぶらしているのがあるかもしれませんけれども、今度各法案に出ておりまする審議会が、そういう人たちの隠居仕事にあてはまるのじやないかと私は考えるのであります。
これは特別な教育機関なり講習なりをいたしまして、その基幹となるべき人間をつくり、さらにその人たちから教えを受けて、その下の階級の方をつくるといつたぐあいに、まず教育機関を整備する必要があると考えられます。
証劵の保管に携わつておる人間は、二十四年度の予算におきましては二千二百九十七人認められております。それで実際の配置人員は、三千五百名、もしくはそれ以上に相なるかと存じます。
そういたしますと、歩行者は勿論、申上げるまでもなく人間は前から参ります交通に対しましては眼と耳と双方の機関を以ちましてこれを認識し、これを警戒することができるわけでありますが、後から來るものに対しましては耳で聞くしかないわけであります。殊に頭巾を被つておるとか、その外いろいろなことのために耳の方だけでありますと、非常に後から追い越します車馬の警笛が聞こえないという場合がございます。
それから八條の第二項ですね、「三人をこえない範囲において」という文句を削除したらいいじやないか、前段において公定委員会の許可を得た場合には三人に限定しなくてもいいじやないか、又三人より少くてもいいじやないかということで、今日の経済事情から考えると、本当に働く人間ならば余程儲からないと三人以上置けないから、おのずからその方の制限も受けるから、ここの文句の衆議院において拔くのではないかしらと考えておりますが
(「その通り」と呼ぶ者あり)かかる意味において今我が國の実情を見まするならば、すでに先程本多さんがこの議場で説明をいたしましたが、定員法一つをとつて見ましても、その定員は幾ら要るのであるかというこの数字を出すところの根拠、仕事の量、質、そういうものを考慮するのでなく、人間の主観で十数万の官公吏を今首切ろうとしておるのでありまして、かかる納得の行かないところの政治を行う他面においては、首切らるる人の人格
(「自由を與えろ」と呼ぶ者あり)若し人間が多過ぎるから家族の数を減らす。人口が多過ぎるから人口を減らせばいい。それは食糧のために人間が存在しているということになる。人間のための食糧です。人間のための國土なんです。食糧の奴隷に人間はなつてはいかん。それが人格の尊嚴のためであるということを、(拍手)私はこの際断乎として主張して、この法律案に反対するものであります。(拍手)
具体的に例えて申しますと、出炭計画を立てるために切羽の選定をし、切羽を計画して採鉱、採掘計画を立てるに当りましても、その切羽を立てるのには、結局切羽を立てるということは、何トンの石炭を出すということになりますが、又その何トンの石炭を出すというためにはどれだけのガスの発生量があり、そこにどれだけの人間を作業させるかというようなことで、これは全く保安の計画になるわけでございます。
中小企業廳が九十四名の人間で何をするのか。何もできない。いよいよこれは兒戯に類する。これは中小企業廳でなくて欺瞞廳である、こういう形をとつて來ておる。そうして二十億の資金を要求しておる。いよいよますます中小企業に対してはあとは野となれ山となれ、お前らはどうなつてもいいんだという形になりつつあることは明らかである。私はまとめて質問しますが、別々に御答弁願いたい。
この組織法によつて百三十三名が九十四名になつて、これだけの人間で一体中小企業の仕事はやつて行けないじやないか、これは欺瞞廳である、こういうお話でありますが、私は決して欺瞞廳とは思わない。なぜかというと、中小企業廳は初めから資材の割当、あるいは資金の割当の仕事をやつておらないことは御承知の通りであります。これはみな現局でやつておるのであります。
○波多野政府委員 大体公團の配炭局の人間は、業務縮小の関係で公團から離れて行くことになると思いますが、現在のところ六千人以上はおると思うのですが、現在その配炭局の人間は、配炭局をかりに縮小いたしましても、現地における販賣業者に対する荷渡しの関係、それから代金の取立てその他いろいろ事務の連絡等がありますので、その関係で担当の人間を除いて考えなくてはならぬのじやないかというふうに考えております。
どちらかと言うと或る程度人間ができ或いは技能等も熟練された船長出身の方がよいのでありまして、まあ今のところ五十前後というのが一番よいのじやないかと思つております。
いは療養所において御世話になつて來たのでありますけれども、一昨年來有料と申しても從來と変りはないようにする、こう申したのが、昨年春よりは強制的と申しますか、自殺者まで出したところの恐慌まで來しまして、種々の有料制度が実施され、生活保護法の枠にも入らない、或いは又到底暴騰するところの医療費を拂い切れなくて退院を止むなくされ、同時に日ならずして非常な惡化状態に陥り、結論的に見まして社会へ出ましても完全な人間
そこであとの人間は、あとの兄弟三人は十万円というものを目標にして、十八万円は我々の中から吐出しておるんだということがちやんとはつきり分る。それを今度は第十二條の規定によつて請求があつたらお返しする。借りる方も貸す方も非常に明瞭である。相続分は各自十万円であるということが非常に明瞭なのですね。十八万円がこの特別相続分である。だから自分達は十万円貰える筈であつた。
尤もこの法案は、前に申しましたように憲法の精神に從い、被相続人又は共同相続人の自発的意思を尊重し、國家権力による干渉は、極力これを避けるとともに一子相続制のような極端な例外を設けることなく、共同相続人間の平等を維持することに努めたのであります。
而して農業資産相続人の決定につきまましては、先ず第一に被相続人の指定した者があるときはその者、被指定者がなければ共同相続人間の話合いによつて選定された者が相続人になることとし、又この話合がまとまらない場合は共同相続人の申出によつて家庭裁判所で決定する。ことになるのであります。
現在の食糧事務所の職員にこれをやらすのでなくして、資材を取扱うところの人間と仕事をこの食糧事務所の中に設ける。こういう考え方で漸次これは整理して行きたいと、かように考えているわけであります。
にも拘わらずこの際食糧事務所の職員を二割切る、大体全國で六千人以上の人間が整理されることになりますが、こうなりますと、現在農村で、一ケ村に例えば一人おるという所は、二ケ村を一人が受持つということになる。
そのほか畜産関係におきまして、濃厚飼料、とうもろこし、あるいはふすまとか、その他コプラかすというようなものでありますが、そういつたようなものが年々百万トン入つておりますが、これも現在におきましてはきわめてこれは寥々たるものでございますので、從いまして國内におきまして、家畜の食うものと人間の食うものとがお互いに食い合いをする。
ですから盜まれた人間の方を保護して、最初に不注意であつたかもしれない、あるいは知つておつたかもしれないけれども、その盜んだ人から物を買つた人の方に負担をさせたらいいだろうという考えであります。今のお説のように、業者を轉々として参りまして、最後に品物を引上げて参りましたという場合には、純然たる求償権がありますので請求ができる。
○野村委員 大体政府の考えておられることはよくわかるのですが、二十一條の問題は、私も数回にわたつて盜難に合つたことはあるのですが、これはとられたものですから、無償で回復したいことは人間である限り人情であります。しかしその品物そのものをほしい。
○木村(榮)委員 これはむろん職員だということによつて入つて参りますが、職員をやめたからといつて人間をやめたわけではありません、やはり住居権はあるわけであります。
簡單に中小企業廳の問題について伺いますが、定員法を見ますとわずかに九十四名ですが、縣廳なんかの一官署もこのくらいの人間はおる。
人間をやめたとはたれも言いません。これは人間全部の住宅ではないのです。公務員に限つて入る宿舍ですから、人間たれでも入つてよいというわけのものではないのであります。そう変な質問はしないでもらいたい。
人間のやるところには、たまにはエラーもあり脱線もある。そこで私は、いろいろ過去のいきさつもあつたようでございますが、過去のいきさつについてはあえて申し上げません。最近において仙台工業專門学校、宮城師範、宮城青年師範等々が心からまとまつて何とか將來ひとつ独立の学藝大学をつくつてほしいという念願に燃えておる。
昔イエーリングという学者が、大体オーストリアの人間というものは、権利の主張に怯懦である。臆病である。もつとこの民主主義の社会においては、権利を主張しなければならんというような議論をしたことがあるのでありますが、今日ではむしろ世間で聞くところでは、権利ばかり主張して義務の履行を忘れているのじやないかというような議論が可なり多いのであります。
そのような労働組合というもの、労働者というものを信頼しない態度、これは曾てイギリスにおいて普通選挙法が実施されようとしたときに政治学者のバジョツトが、普通選挙の実施によつて、これからの政治は今までの優秀な人間による政治から愚衆政治に変つて行くというようなことを申しておりますが、一体普通選挙によつて、あらゆる人民が選挙権を持つ、そうして政治を関與するということは、愚衆政治に轉落するという考え方は、すでに
丁度強盗に対して正当防衞をした人間の行爲は暴力行爲じやないわけであります。ですからその意味を改正法のここに書かれた暴力という意味は、そういうものは当然含まないものと私は思います。有泉先生もおいでになりますから、その点の法律解釈で私が間違つておりましたら直して頂きたいと思いますが、私はそういうふうに解釈します。
でありますからその少数の人間でやります場合に、そういつた大きな事務分量をやるといたしますれば、個人々々が相当の熟練者でなければならぬと思いますが、この從事員の大部分が、まだ法規とか通牒にふなれな未熟練者が大多数を占めております。結局質、量ともに不足の從事員を擁して、相当むずかしい仕事をやつて行かなければならなかつたのでありますが、これに対して積極的な指導監督をしなかつた。監督に徹底を欠いていた。
先ほど來言われましたが、わが國は観光日本として立たなければならない國であり、しかも人間として住む上には、すつきりしたきれいな、いやみのない所に住むということは、人間万人の要望であろと存じます。今かりにこの議場の表門を出てみますと、向う側の壁に廣告がべたべたはりつけてある。一体だれが氣持よく見ましようか。あれをはつきりと、きれいにはつたならば、だれが見ても非常に氣持よく感じましよう。
にまわすというようなやり方をされたのでは、われわれとしてはハンストをしてもこういうやり方に対しては反対するというような、非常にせつぱ詰まつた申出に対しまして、私は極力慰撫いたしまして、これは必ず厚生委員会でもつてこの責任の所在をわれわれから追究するから、あなた方が病躯を押してそういう暴挙をすることはぜひ待つてもらいたいということで、私どもなだめておるわけですもこれはだれが聞きましても、そんなに六四%のロスを出す事人間
なぜかと申しますれば、不正がないと言えば、この黒田事務官は、一生懸命自分が職務に精励しても、このようにはなはだしき不経済をしなければならないほど、事務的の才能のない人間だと断ぜざるを得ないのであります。こういう人物をいかに他に轉職いたしましても、非常にきちようめんな事務を必要とする会計課にまわして、これがうまくやつて行けるというお考えは非常におかしいと私は思います。
それで農地の買上げ費渡しといものは、実際買つた人間の方から金が入りまして、ただそれが國を通して土地を失つたものの方に流れて行くという形だけになつておつたわけでありますが、そういう制度を実行して行きます行政費というものは、全部一般会計でまかなわれておるわけであります。