1950-02-28 第7回国会 衆議院 本会議 第20号
現に日本では、警察とその武装はますます増強され、明らかに警察軍の方向に発展しているのであります。海上保安庁その他あらゆる軍事組織へ転換し得る官庁が強化されています。これは明らかにポツダム宣言に禁止された非軍事化に反するものであります。吉田首相は、この軍事的強化を一体とまかすつもりであるかどうか。
現に日本では、警察とその武装はますます増強され、明らかに警察軍の方向に発展しているのであります。海上保安庁その他あらゆる軍事組織へ転換し得る官庁が強化されています。これは明らかにポツダム宣言に禁止された非軍事化に反するものであります。吉田首相は、この軍事的強化を一体とまかすつもりであるかどうか。
刑務所には武装された警備隊がつくられました。かつて勇敢に戰争と闘つた進歩的分子に対して、迫害とテロルで死の彈圧を加えた張本人らが、再びわが物顔にのさばり出て来ています。イエス・サー以外に何も言えない人々の手で、日本人の利益を無視して憲法蹂躪、人民彈圧が露骨に行われているのを、だれよりも皆さんが一番よく御存じと思います。
ポツダム宣言によれば、日本国民は武装を解除せられれば、一日も早く平和で精神的な生活に復帰することがうたわれておりまして、われわれ国民もそれを無條件に受諾しておるのであります。
あれを見ますと、十分なる武装をして、相当なる訓練をされた保安官が、活発に日本近海の保安の任に当つているように見える。どこにねらいがあつたか知りませんが、一応国民に対して安堵を與える映画でありました。しかし事実は映画とはまるきり反対で、武器は持たないのである。今申し上げましたように、保安官というものは船乗りにひとしきものである。またそうした取締りの立場に立つてもまつたく取締りができていない。
日本の中立性やその将来の安全保障が明らかになると思われる講和條約調印後までは、それらは論議するのは欲しないといつておるが――これからタイムズ紙の評でありますが、天皇と財閥を以前の権力まで復活させることが、現政府の目的であることは周知のことであり、そして過去における演説から料断するに、多分武装兵力に身をやつした軍隊の要求がおそらくそれに続くであろうということが言われております。
九時から警察に連絡しておつたのに、十一時半にやつと警察官が、しかも武装もせずにまる腰でやつて来た。その来たときにはすでに殺人が行われたあとであつたという始末でありまして、こういつた癩患者の凶行に対しては、警察に手を下してもらえない。それからなお五名惨殺されたうちの三名は、警察官が現場に到着して、私どもから保護を願つたその面前で、朝鮮人の患者の一団がなぐり殺しておるという次第であります。
われわれは新憲法によりまして一切の軍備を放棄いたしまして、身に寸鉄を帯びざるところの非武装の国家として、かおり高い文化国家として国際社会の仲間入りをいたしたいと考えております際に、中ソ両国におきまして、当然日本が侵略国として帝国主義的な再起をするであろうということを予想されまして、かような同盟が結ばれておることは、国民を代表するそして外務委員の一人として、国会を通じて私はきわめて遺憾の意を表明したいと
現在この進駐軍の力に対して、日本国内で武装してこれと戰うというようなものはまずゼロに近いわけであります。国内の治安維持、国内の民主化、非軍事化という意味では、それほど問題になるような軍事基地というものはあり得ないと思うのであります。一般の国民が軍事基地を問題にしてるのは、それ以上のものがつくられつつあるのじやないか、この点であります。
又自衛権に対しましては武力を持たないことを賢明とする首相の考え方に対しましては、一応の賛意を表しますが、廃刀令の引例は、周囲に武装した国々が控えておるのでありますからどうも当嵌まらないのではないかと思います。自衛権とは自分の力で自分を守ることだろうと思うのでありますが、ソ連や中共が攻めて来たときのことを考えるとナンセンスのように思います。
○星野芳樹君 私は、今日吉田首相が金子委員の質問に答えて、日本が飽くまで軍隊を持たず、武装を持たずして守つていけるという確信を披瀝されたことは甚だ欣快に堪えないのでありますが、ところがですね、 〔理事伊東隆治君退席、委員長著席〕 曾て去年でありますか、衆議院の外務委員会で以て西村條約局長がこの戰争放棄のことに関して、戰争放棄と言つても、火急止むを得ざる場合に実力を以てこれを排除することを否定
更にポツダム宣言九條によりますと、武装解除後におきましては、連合軍といたしましては、武装解除をしたところの日本の軍隊は直ちに返還させなければならんという義務がある。こう書いてあるのでありますから、それに基いて日本といたしましては、中共並びにソヴェト・ロシアに向つて返還の要求をする権利があると思うのです。その御見解をお尋ねしたい。
ポツダム宣言の精神は、日本の非軍事化、非武装化を要求しているのであつて、恒久的軍事基地の設定などは、宣言のどこに現われているであろうか。まして、政府が沖縄における軍事基地の強化のために莫大なる物資と多数の人員を動員するごときは、明らかにポツダム宣言違反である。(拍手)この点に関して、内閣総理大臣のはつきりとした御所見を伺いたい。
途中終戦になりまして、二十年の八月二十日、夜中に公主嶺に帰つて参りまして武装を解除されました。爾後千五百名川臨時編成の大隊に改編されまして、同年十二月一日、プラゴエスチェンスクに到着、爾後シベリア本線によりまして南下し、十二月八日外蒙古のスフハートルホト、国境でございます。に到着、十五日外蒙の首府ウランバートルに着きました。
この黒河八四部隊は四十五年の七月に国境を撤退し、ここに装置しておりましたところの武装、それから兵器、弾薬、これを後方に下げまして、第二戰、つまり都市防衛という名目の下にチチハルまで行軍で下りました。
この時代遅れであるという横田先生の考えに対して田岡先生は、そうじやない、何となれば、日本は憲法によつて交戰権を放棄し、また武装も持たないという独特の国家がここに現われておる。それからもう一つはいわゆる連盟、ことに今日国際連合というものはできたけれども、しからばそれによつて現実的に国際の平和と安全が確保されるという自信われわれは持ち得ない。
○西村(熊)政府委員 戰争と武装を放棄いたしました日本の将来の安全を確保する道は、平和愛好国の輿論を背景として、戰争放棄の趣旨に徹することにあるということは、総理が施政演説で述べられておる通りでございますが、この戰争放棄の立場は、決して自衛権をも放棄するものでないということは、総理が前国会におきましても、また憲法制定議会におきましても、繰返し述べておられる次第であります。
○証人(荒井正文君) もうこれは海は広いものでございますから……日本あたり武装できないときであつて、少しぐらいの監視船を出しても、韓国に反省して貰わねばそういうことは防止できないと思います。
○証人(荒井正文君) 先程申しましたように、無燈で参りまして、船尾に突然武装兵を乗せて、あとは劍銃を擬して皆船の機能を止めました。
武士の廃刀は自分だけが武装していた武士の廃刀であり、従つて廃刀によつて何の脅威も受けるものではない。然るに今日の日本は、資本主義諸国の国際軍備拡張概走場裡で、軍備を持たない裸の姿である。従つて平和愛好諸国家の安全保障がなかつたら一日も安心しておることはできない。況んやその裸の日本が他国の軍事基地になつた場合、日本人にして戰争の恐怖が感ぜられないとすれば、その人物は余程好戰的な人物である。
結局癩患者ということがわかりましたので、警察官が武装警官の護衛の上で、長島愛生園に他の患者とともに送られて参りました。そのときにも、大和は非常な乱暴を働いて、なかなか入所しようといたしませんので、長島愛生園の所員数十名と武装警官が拳銃を擬しながら、ようやく部屋の中に押し込んだというのであります。
そうして、日本の現実に既して生徒を教育しようという教師に対してはいろいろなレツテルを貼つて、東京では武装警官を配置して、この首切りを決定している。何のために政府はそれ程にまでして日本民族の歴史、日本族の現状を、国の未来を背負うべき青少年の眼から隠そうとしているのか。
(拍手)しかし、もしこれらの文書に規定された條項について完全な履行を怠つている者があるならば、それはポツダム宣言の第九項にある「日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的托且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルペシ」、この義務、これは日本に対する義務でなく、連合国間の約束で、連合国が世界に対して公約したるものであります。
平和主義に一貫するわが国の基本的性格は、憲法に明らかであるごとく、無武装、戰争放棄ということである。欧州もアジアも、冷たい戰争の余波を食つて分裂していることは事実でありますが、これが第三次世界大戦をもたらすとは思わないし、また起さしめてはならないが、しかし、万一最悪の事態が起つた場合、日本は一体いかなる立場をとらんとするのであるか。
最後に自衛権の問題についてでありますが、一たび首相の口から自衛権ありとの言明がなされました以上、内外に疑惑を與えざるため、武装なき日本の持つ自衛権の意義について、さらに明確なる意思表示の必要ありと考えるものであります。
現在急速に進行している警察の武装強化とともに、これら一切の武力は、一体どこに向けられるのであるか、決して国外にだけ向けられるのではありません。日本国内にも向けられて、民族解放の運動や勤労大衆の運動を弾圧するために必ず使われるのであります。(拍手)これは過去の歴史が明らかに証明している。