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森本真治君
立憲民主・社民の
森本真治です。
私は、ただいま議題となりました
内閣委員長森屋宏君
解任決議案につき、
発議者を代表して、その趣旨を御
説明いたします。
森屋委員長は、昨年の就任時、「本
委員会は、
内閣の
重要政策及び
警察等、国政の基本に関わる事項を所管しておりまして、
委員長としてその
責任の重大さを痛感をいたしております。
委員会の運営に当たりましては、
委員各位の御指導、御協力を賜りまして、公正かつ円滑に行われますよう努めてまいりたいと存じます。」と御挨拶をされました。
内閣委員会は、まさに
常任委員会の要として国政の基本に関わる事項を所管し、多くの
法案を審査してまいりました。今
国会でも、
内閣提出法案六十三本のうち十三本が付託され、
委員会の
開会回数は既に二十七回、
連合審査も三回実施しております。
参考人質疑、
連合審査等、
与野党の話合いにより、
審議をできる限り充実させるべく、よって立つ立場は異なりつつも、お互いに知恵を絞り、一丸となって
国民の負託に応えるべく進めてきたと承知しております。そして、その中心にあり、公正かつ円滑に
委員会を運営してこられたのが
森屋委員長、あなたでした。
森屋委員長は円満なお人柄で、かつ、非常に勉強熱心であり、各
法案に常に真剣に向き合っておられ、
委員会中も常に全ての
委員席、
答弁席の隅々にまで目配りを絶やさず、何事にも最大限の情熱を注ぎ、真摯な態度で臨まれており、党派を超えて一同、心から尊敬の念を抱いていたと聞いています。
このような人格円満な
委員長の采配があったからこそ多くの問題が指摘され、
衆議院から
荷崩れ状態で送付されてきたいわゆる
土地利用規制法案についても、
衆議院では受け入れられなかった
連合審査、
参考人質疑を行い、
参議院らしい質疑が重ねられてきたのです。立場の違いはありつつも、誰もが円満に運営されていくと思っていました。
しかし、昨日、状況は一変しました。まさに君子豹変す、
森屋委員長は、昨日、
参考人質疑が終わった後に
理事会を再開し、
野党理事が抗議する中、一方的に職権で
委員会立てを決定しました。それまでの
委員長の誠実な人柄を知っているだけに、取り付く島がない状態に唖然とするばかりだったと聞いています。
森屋委員長、国政の最も基本となるものは何でしょうか。国家は、領域、
国民、主権の三要素から成り立つとされています。いずれもおろそかにできない重要な要素であり、これらに関わる立法については、特に民主的な手続を踏まえ
審議を尽くすことが求められます。
我が国では、物事は多数で決定され、その結果には
少数者も従うことになります。その前提は、約束したルールが守られ、議論が尽くされているということです。つまり、内容には納得できなくても、少なくとも手続が守られるということが何より重要であります。
与野党間の
信頼関係は、手続が適正になされるという
紳士協定が守られることに支えられているのです。あなたの行為は、その
信頼関係を踏みにじるものでした。この後、何を信頼すればいいのか、谷底に突き落とされた
絶望感があなたには分かりますか。
民主的プロセスを大事にしない
委員長は
委員長に値せず、ここに断固抗議の意味を込めて
解任決議案を
提出したものであります。
森屋委員長、あなたがここまで追い詰められたのは、この
土地利用規制法案の
担当大臣である
小此木大臣、そして
菅内閣総理大臣の
責任が大きいと確信しています。
小此木大臣の
責任は、第一に、
問題点の余りにも多い
生煮えの
法律案を提案した、まさにそのことであります。
この
土地利用規制法案が
我が国の
安全保障等に寄与することを目的としている趣旨は理解でき、適切な
法制度を設ける
必要性も否定はしません。かつての
民主党政権下でも、
外国資本等による
森林買収の増加に対応する
法改正がなされているところです。しかしながら、今回の
法案の内容にはとても賛成できません。理由は、大きく二つです。
第一は、まず、
法案の目的に対して講じられている手段という点から全くもって不十分であり、
土地等の
利用規制の
実効性の確保ができていない点です。農地や水源が入っていない点、
経済社会への影響という観点から、最重要である市ケ谷が
規制対象に入るか入らないのかあやふやな点、
事前届出では
取得そのものは止められない点は看過できません。
契約そのものは有効に成立し
取得自体はできてしまうという点で
実効性が低いことに反し、調査や
勧告命令により
権利侵害が甚だしい点で、
バランスを失っていることを強く指摘いたします。
土地利用規制法案の
問題点として、
国会を唯一の
立法機関と規定する憲法の趣旨に反する典型的な
包括委任規定が含まれている点は看過できません。刑罰が科せられたり、行動の自由や表現の自由などの
行為規制、
財産権の制約などを伴うような法律については、法律でできる限り規定し、委任する場合でも、その内容に応じて法律の段階で対象を限定し、基準を明確化し、具体的な例を示さなければ
明確性の原則に反し、違憲の疑いすら出てきます。
規制の対象となる区域や
調査対象、調査で収集される
個人情報、
調査手法、
刑事罰の対象となり得る行為など、行政府の裁量で変更できる政令や
基本方針に委ねられた事項が余りに多く、恣意的な行使で正当な活動である
住民運動が
規制されかねないことは認めるわけにはいきません。
規制法案の目的、
必要性を理解するからこそ、
目的達成に必要かつ十分な内容で、条文に明記すべき項目は明記した
法案を出すべきという、
担当大臣としてのイロハのイともいうべき責務を放棄したと断ぜざるを得ません。
小此木大臣の第二の
責任は、
法案の
提出時期であります。
この
法案の
提出は三月二十六日、この時点で既に
内閣委員会に付託が見込まれる
法案が既に十一本
提出されていました。その中には、
デジタル改革関連法案のような重要な議案も複数含まれており、しかも、その後に
国家公務員法改正案も追加されました。そもそも、この
法案は一月十五日の
議院運営委員会理事会で
提出予定とされたものの、
提出遅延議案となった経緯があります。手続が遅れたのは、与党内でも異論があったことの証左です。
過去には、十分な
審議時間が取れないという理由で政府が
法案提出を断念し、次
国会以降で
提出し直し、あるいは
継続審査となった後、次
国会以降で成立した例もある中、なぜ、あえてこの
タイミングで
審議を求める必要があったのですか。混雑する
内閣委員会で
審議時間をできるだけ短くして通そうという意図を持っていたとしか思えません。
小此木大臣の第三の
責任は、答弁が不安定であり、質疑の内容とかみ合っていないこともしばしばで、国権の
最高機関、国の唯一の
立法機関である
国会に対して不誠実極まりないことであります。
政府参考人の答弁も
法的安定性を欠き、耳を疑うような
迷走ぶりです。
そもそも、
施設リストはあるのかないのか、立法事実があったのかないのか、どのような行為が
規制対象となるのかならないのか。後から
会議録を読み返しても、さきの答弁と後の答弁の
相違点が目に付き疑問は深まるばかりです。我々は、
国民の代表として
法案の疑義についてただしているのです。大臣には誠意を持って答弁していただきたい。
安全保障上の理由と言えば何でも通ると思っているのですか。
国会軽視も甚だしいと断ぜざるを得ません。
第四の理由は、
参議院軽視の
姿勢です。
会期末が迫る中、
参議院における十分な
審議時間が確保されないことが明らかな状況で、言わば
荷崩れの
法案として六月一日に送付されたことについて、
内閣、
政権与党の一員である
小此木大臣の
責任を問うものです。
衆議院内閣委員会で、
立憲民主党が
法案には
問題点があると
慎重審議を要求したにもかかわらず、
委員長発議により質疑が終局され、強行採決されたことは言語道断であります。その際、
参議院に
審議時間を確保するという
大義名分があったと仄聞しておりますが、笑止千万であります。
確かに、従来から、
衆議院に対し二十日間の
参議院の
審議時間の確保についての
配慮方を申し入れてきています。これはあくまでも平穏な状態で送付されることが前提であることは言わずもがなです。不正常な中で議決されたとなると、
参議院での
審議にはより時間が掛かるのは自明の理です。特に、本
法案は、与党内でも協議が難航したために
閣議付議期限に間に合わず、
提出遅延となったといういわく付きの
法案です。それを二週間足らずでどのように
審議しろというのでしょうか。
二院制の意義を没却するものであり、
参議院軽視も甚だしく、怒りを覚えるものであります。そもそも、
参議院での
審議時間を確保しようというのであれば、全ての元凶が
法案が未成熟なまま
提出時期が遅れたことにあることは看過できません。
本
法案は、
提出、成立を急ぐ余り、入念な検討が不足していることは明らかです。だからこそ、
審議時間が長引くにつれて綻びが出てくるのです。
提出が遅れた理由は、与党内での調整に手間取ったからだけなのですか。
審議をそこそこに切り抜け、何としても成立させるために、わざわざ遅い
タイミングで
提出し、
参議院での
審議時間を確保するためという
大義名分で
衆議院の
審議を切り上げようとしたのが実態ではありませんか。そして、その
しわ寄せが人格円満な
森屋委員長を追い詰めた。断じて許せないものであります。
このような
国会運営を強いているのは、
菅内閣総理大臣にほかなりません。
その第一の理由は、
国民の命と生活を守るという
内閣総理大臣の最大の責務を怠り危機にさらしてきたこと、第二に、巨大な権力を背景に恫喝的な手法で
行政プロセスをゆがめてきたこと、そして第三に、自らの判断について
国民への
説明責任を果たそうとしない
政治姿勢にあります。
第一の理由、
国民の命と生活を守るという
内閣総理大臣の最大の責務を怠り危機にさらしてきたこと、これは、現下の
コロナ禍への対応の不手際、
東京オリンピック・パラリンピックを強行しようという
姿勢に現れていることは言うまでもありません。
世論調査でも、圧倒的多数の
国民が
東京オリパラの中止、延期を支持し、この夏の開催に反対していることは明らかです。それでも
総理は開催に固執、強行する
姿勢を崩していません。中止や延期という選択肢は全く存在しないようです。
国民が今最も心配しているのは、
新型コロナの更なる拡大です。出入国をセーブしている現状でも、強力な
感染力を持つ
変異株の拡散は防げていません。ましてや選手、
関係者という大きな人の波が動けば
感染拡大の懸念が広がることは、誰が考えても分かることです。
医療体制が
危機的状況にあり、負担が過大になっていることは誰の目にも明らかです。しかし、
国民が納得できるような対策の
説明もありません。現在設けられている
待機期間についても、
関係者には大幅に緩和する
方向性が示されています。そして、一旦入国してしまえば、国内での
行動監視、
移動制限は、
相手方の善意に期待する
仕組みでしかありません。選手はまだ
行動把握ができても、その他の
事務局関係者、
報道機関等までどうやってコントロールできるというのですか。
専門家からの度重なる警告を無視して強行し、感染が爆発した場合、誰が
責任を取るのか。ぎりぎりで持ちこたえ、
ワクチン接種すら満足に進められない中、
オリンピックに協力する余裕がどこにあるというのか。
感染が拡大すれば、救える命も救えなくなります。
国民の命と生活を守るのが
総理大臣という発言がありました。その
国民とは誰ですか。自分のお友達だけが
国民だと思っているのではありませんか。
総理が守るべきは、一億二千万の
国民です。それが分かっていないあなたに、
菅総理、その資格はありません。
第二に、巨大な権力を背景に恫喝的な手法、そんたくを強いる手法で
行政プロセスをゆがめてきたことであります。
かつて
安倍総理は、森友学園問題で、自分や妻が関係していたら
総理、議員を辞めると発言しました。その発言があったがために、財務省が全省を挙げて関係がなかったことにすべく、改ざんに走るまでに追い込まれました。
安倍総理本人には当時は自覚がなかったかもしれませんが、
総理の一言は大変な重みを持ちます。うそにうそを重ね、後戻りできない状態にまで周囲を巻き込み、職員の自殺まで引き起こしました。今、
菅総理の下でも同じ構図が描かれています。
総理の一声で
グリーンイノベーション基金が二兆円となるなど、規模ばかり膨らませた令和二年度第三次補正、令和三年度当初予算では
コロナ予備費五兆円を計上しました。
予備費は、不測の事態に備えるために設けられた例外的な
仕組みです。財政の
基本原則を無視し、破壊しているのが
菅総理です。かつてであれば、このような政策には官僚が全力で抵抗したでしょうが、
人事権を背景に脅し、強権的に言うことを聞かせてきた
総理の実績の前ではなすすべもありません。
総務省の接待問題も同じです。
総理は、長男を別人格と主張しましたが、
総理の影響があるかないかは
総理の側から決めるものではありません。
客観的状況から
相手方が判断するものです。
相手方が
総理の
影響力を恐れ、不興を買うことを恐れて誘いに応じたというのであれば、別人格という言い訳はできようがありません。
折しも、
選挙違反で当選無効となった
国会議員の
歳費返還を可能とする
歳費法の改正が今
国会では見送られました。広島を地元とし、
国民の
政治不信の払拭と
再発防止を重視してきた私としては、
菅総理が
歳費法の改正に距離を置く発信をしてきたことがこの見送りに大きく影響したのではないかと非常に残念に思っております。
そして第三に、自らの判断について
国民への
説明責任を果たそうとしない
政治姿勢、
説明責任の放棄であります。
まず、
党首討論での
責任放棄には心底失望しました。
総理は過去の思い出を熱く語るだけで、現在の国難に真摯に取り組む
姿勢は全く見られず、
党首討論の意義を完全に形骸化させました。そして、
総理は、
記者会見の
説明を軽視する
姿勢が目に付きます。
総理が質問に答えないのはなぜでしょうか。
説明しないのか、
説明できないのか。周りの者は自分に従うのが当然で、
説明の必要すらないと思っているからとしか思えません。
イエスマンで固めた
総理の周りからは耳に痛い言葉は入ってこないでしょう。
かつて日本では、強力なリーダーシップを発揮した
政治家は、そろって
国民への
説明力、
説得力に優れていました。そして、勉強熱心、広く人々の意見に耳を傾けました。決断は自分の
責任で行う、だからこそ支持を集めたのです。
総理を見ていると、まず自分の判断があり、それに都合のよい
専門家の意見だけ、裏付け、いえ、
責任転換先として使っているように思えてなりません。自分に都合の悪い意見は異論として切り捨てる、これはいまだに尾を引いている
日本学術会議の
委員の選考問題にも共通するものです。
総理を取り巻く状況を見ると、上行えば下効うの悪例で、
末期症状の感があります。
平井デジタル担当大臣が
オリパラ向けの
アプリ開発を受注した企業に、脅しておいた方がいい、完全に干すと発言したり、
武田総務大臣が
予算委員会のときに記憶にないと言えと
電波部長に声を掛けたりする、こうした行動はおごり以外の何物でもありません。
それが
小此木大臣の差配に影響し、
しわ寄せが
森屋委員長に来た。全ての根源は
菅総理の
政治姿勢にある、このことを強く糾弾し、
趣旨説明といたします。
御清聴、誠にありがとうございました。(拍手)
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