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佐藤参考人 ただいま御
紹介いただきました、大分県から参りました
佐藤悦子と申します。
きょうは、このような場所で
意見陳述をさせていただきますこと、心からありがたく思っています。ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
私の息子、
佐藤隆陸は、
平成十五年十一月十六日未明、仕事のため赴任していた鹿児島県奄美市において、
飲酒運転の車にひき逃げされ、一週間後の十一月二十三日に亡くなりました。二十四年と二十六日しか生きることができなかった息子が、
自分の命にかえて大きな社会問題として提起した
飲酒ひき逃げの
逃げ得という問題に答えを出すために、九年間という長きにわたり、
法改正を強く求め、全国各地で
署名活動を展開し、世論に強く訴え続けてきた者として、きょうは
意見を述べさせていただきます。
今から九年と七カ月前になります。奄美本土復帰五十周年の記念行事が盛大に行われたその日に事件は起きました。
息子をはねて逃げていった当時十九歳の少年は、夕方五時から友人
たちと約六時間かけて六リットル以上のビールや焼酎、ワインなどを飲み、また、息子をはねる八分前には車を
運転しながら三百五十ミリリットルの缶ビールを飲み干し、空になった缶を海に投げ捨てていました。その少年の車は、蛇行してセンターラインを越え右側車線に進入し、交差点内をほぼ渡り終えた息子を七メートルはね飛ばし、一旦は車をとめて倒れている息子を確認して逃げていきました。
少年は、やばい、今捕まったら
飲酒運転がばれてしまう、酔いがさめてから出頭しようと考えて逃げたと調書には書かれています。少年は、一人の人間の命より
自分の身を守ることを優先しました。
そして、裁判が始まります。
過失として起訴された少年が初公判で論告求刑四年が出されたことを掲載した地元紙を読んだ息子の上司からの知らせで、初めて裁判が始まっていたことを知りました。
飲酒運転の上、はね飛ばされて身動きできない息子を見殺しにして逃げていった少年が過失として裁かれるなんて、私
たち夫婦には到底理解できるものではありませんでした。何とかして
危険運転致死罪の
適用を求めたい旨を初めて弁護士に相談すると、
意見陳述があることを教えてくれました。
その
意見陳述のために奄美大島の裁判所に行くことになるのですが、そこで検察官は、私
たちの顔を見るなり、
自分が出した求刑に文句を言われたことは今までに一度もない、
逃げ得と言うのであれば、
署名活動でもして
法律を変えなさい、これが検察官の第一声でした。その言葉は今も忘れることはありません。
その後、私は、
意見陳述のために法廷に立ちました。
過失のない息子が死亡しているにもかかわらず、右側車線での
飲酒ひき逃げという非道徳な
行為をした
加害者がどうして業務上過失として裁かれるのでしょうか、
事故後の重大な
救護義務違反を犯しておきながら、逃げたことにより、
飲酒による
影響がわからず刑が軽くなる、何と
加害者に都合のよい
法律でしょうか、どうか過失では終わらせないでください、そのことが日本全国から
飲酒運転をなくす根源になると確信しますというような
意見陳述をしたのが、
事故から三カ月後の
平成十六年二月二十五日でした。
当時、精いっぱいの私の
意見陳述は、何の
意味をなすこともなく、その二週間後、
飲酒ひき逃げ犯には、業務上過失致死、
道路交通法違反(ひき逃げ、酒気帯び)の罪で、懲役三年の刑が言い渡されたのです。
危険運転致死罪が
適用されなかった理由として、検察官は、少年が息子をはねるまで
事故を起こすことなく、また信号無視をすることもなく、また車を傷つけることもなく
運転ができていた、
事故を起こした後も狭い道を四キロも走り、神社に車を隠すことができていた、だから、この少年は正常な
運転が困難であったとは言えない、息子に衝突したときはたまたま脇見をしていただけだ、また、一合の酒を飲んでも酔っぱらう人もいれば、一升の酒を飲んでも平気な人もいるという理由を挙げていました。
少年が逃げることなく救急車を呼んでくれていたら、息子は助かっていたかもしれません。そして、
事故後すぐに逮捕されていれば、
アルコールの
影響により正常な
運転が困難な
状態だったことがその酩酊
状態から容易に立証され、
危険運転致死罪が
適用されていたかもしれないのです。
判決が出された後、控訴の依頼もしたのですが、素人のお母さんに幾ら説明しても無駄です、控訴したら無罪になるかもしれませんよ、それでもいいのですかと検察官に言われ、泣く泣く息子の刑事裁判は終わってしまいました。
このように、裁判の何もかもに納得できなかった私は、裁判のやり直しをしてほしいと懇願しましたが、同じ人間を二度裁くことはできないという理由から、それは到底できることではありませんでした。
そんなとき、インターネットで、十五歳の拓那君を
飲酒ひき逃げで亡くされた北海道の高石弘さん、洋子さん御夫妻と知り合うことができました。高石さんは、
逃げ得をなくすための
法改正を求めて既に
署名活動を始め、当時の野沢
法務大臣に一度
署名簿を提出されていました。
今はまだ何もできませんが、いつかきっと私も
署名活動をします、そのときまでどうか待っていてくださいというようなファクスを送りました。北海道と大分、北と南から攻めて東京で会いましょうを合い言葉に、面識のない私
たち二
家族は強いきずなで結ばれ、それぞれの地域で
署名活動に奔走しました。
署名活動の回を重ねるごとに、次から次へと同じ境遇の仲間がふえていきました。
署名活動のノウハウを教えてくれ、その後、私
たち飲酒ひき逃げの
遺族をまとめていくことになる千葉県の井上保孝、郁美御夫妻との出会い、東
京都の岩嵜元紀君のお母さん、神奈川県の祝部悟君の御両親、福岡県の松原和明君の御両親、東
京都の秦野真弓さんのお母さん、栃木県の和気由香さんの御両親など、ほかのたくさんの御
遺族と会うことになりました。
井上御夫妻の提案で、
逃げ得をなくすための
飲酒ひき逃げに
厳罰を求めた個人的な活動を、より一層大きなうねりとして国に訴えていこうと二〇〇五年に結成されたのが、
飲酒・
ひき逃げ事犯に
厳罰を求める
遺族・
関係者全国連絡協議会でした。
お手元のチラシと
署名用紙を使い、集められた
署名と
要望書は、協議会のメンバーや支援者とともに、これまで九年間で歴代九人の
法務大臣に提出し、面談させていただきました。一昨日も午後四時から、二十人のメンバーや支援者と一緒に、
法務大臣室で谷垣
法務大臣と面談し、一万二千八百八十一筆の
署名簿と
要望書を提出させていただきました。
そして、今まさに、全国から集まった累計六十万三千八十筆の
署名を書いてくださった多くの国民の
皆さん方の、
飲酒ひき逃げは殺人だよ、殺人と同じだよという声に背中を押され、今、大きく国が動き、高石さんと私は、たくさんの仲間
たちと一緒に、夢にまで見た東京の、この夢舞台に立たせていただいています。この場所に立つために闘った九年、私の人生のおおよそ七分の一を費やした闘いです。
飲酒ひき逃げで司法の厚い壁に苦しめられているのは、私
たち遺族だけではありません。
二〇〇六年八月二十六日の朝、私
たち飲酒・ひき逃げに
厳罰を求める
遺族・
関係者全国連絡協議会のメンバーが、北海道札幌市で街頭
署名活動をしているときのことです。
道路を挟んだ先の三越デパートに備えつけられた大型スクリーンに映し出された映像を見て、血の気が引く
思いがいたしました。クレーンによりRV車が水を垂らしながら海中から引き揚げられる映像、そして幼い三人のきょうだいのあどけない笑顔。一体これは何、何があったのと、私
たちメンバーはスクリーンにくぎづけになりました。
それは、元福岡市の職員による
飲酒ひき逃げ三児死亡事件でした。
事故の後、
被害者を救護することなく現場から逃走し、友人に持ってこさせた大量の水をがぶ飲みしたことで、酒気量はごまかされてしまいました。
元市職員は、
危険運転致死傷罪で起訴され、懲役二十五年が求刑されたにもかかわらず、一審では、
事故は脇見が原因として、業務上過失致死罪と
道交法の併合で懲役七年半の判決が言い渡されました。控訴審で高裁は、被告が酒に酔っていたことを自覚していたと判断し、一審とは逆の判断を示し、
危険運転致死罪が
適用され、最高裁も二審を支持し、懲役二十年が確定したのです。
一つの事実について、このように判断が大きく分かれてしまい二転三転することに、三きょうだいの両親初め私
たちは、
危険運転致死罪のあり方について戸惑うばかりでした。
お手元の資料の最後につけています会員
家族を
対象にしたアンケートですが、昨年、
法制審議会に参考資料として提出するために行ったものです。危険
運転が
適用されなかった例として九名を挙げています。その全ての裁判は、
飲酒運転で人身
事故を起こしたら逃げなさい、逃げて酔いがさめて出頭したり、
事故後にさらに追い酒をして
事故当時の
アルコール量がわからないようにすることで罪が軽くなってしまいますという誤ったメッセージを国が国民に知らしめた結果となっています。
今も、
飲酒運転の上、人身
事故を起こした
加害者たちは、救急車を呼ぶことより、
自己保身のために逃走してしまうケースが後を絶ちません。私
たちの活動は、このような
加害者も
被害者も出さないためのものだったのですが、
飲酒運転をする者の何とも身勝手な行動は悪質化の一途をたどっています。それは、国が、直接命にかかわる
法律の不備、抜け穴を見逃してきた結果にほかならないと思っています。
今回、国会に上程された、
自動車の
運転により人を
死傷させる
事故、第二条、
危険運転致死傷罪に逆走が追加され、第三条として、
危険運転致死傷罪と
自動車運転過失致死傷罪の格差をなくすための罪が新たにでき、第四条として、
逃げ得をなくすための
過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪が新設されています。
過失運転致死傷アルコール等影響発覚免脱罪が新設されることは、長年私
たちが訴え続けてきたものが実を結んだものと考え、とてもありがたく思っています。
この新しい罪について、幾つか思うところを述べさせていただきます。
まず、
規定の中で、「その
運転の時の
アルコール又は
薬物の
影響の有無又は
程度が発覚することを免れる目的で、」とうたわれています。その目的を限定してしまうと、例えば、怖くなって逃げたとか、ぶつかったのは人間だとは思わなかったなどと
加害者が供述することで、免脱罪の
適用はなくなり、過失
運転致死罪で裁かれることになるのではないかと懸念されます。
また、幾つかの
規定が似通っているために、複雑過ぎて私
たち一般人にはわかりにくくなっているように思われます。
危険運転致死傷罪は、
アルコールまたは
薬物の
影響により正常な
運転が困難な
状態で
自動車を
走行させる
行為、その
進行を制御することが困難な
速度で
自動車を
走行させる
行為、また、その
進行を制御する
技能を有しないで
自動車を
運転する
行為などが
規定されています。
最初のものについては、
改正される第三条
関係の中に、「その
走行中に正常な
運転に
支障が生じるおそれがある
状態で、
自動車を
運転し、」とあります。正常な
運転が困難な
状態での
走行と、正常な
運転に
支障が生じるおそれがある
状態での
運転との差は、どのようにして見きわめるのでしょうか。具体的な基準が今後の国会の答弁の中で政府より示されてほしいと
思います。
また、第三条の準
危険運転致死傷罪、これは通称ですが、新設されたことにより、ハードルの高い最高刑二十年の第二条の立証を避けて、ワンランク下の第三条、最高刑十五年の罪が
適用されるケースが多くなってしまわないかということも心配です。上限に限りなく近い判決が言い渡されることが減ることにより、
危険運転致死罪が持つ悪質な
交通犯罪の抑止力を損なうことになるのではないかと懸念されます。
より根本的なことなのですが、
飲酒運転で正常な
運転が困難な
状態に陥り
死傷事故を起こした人が現場にとどまれば、
法定刑が懲役二十年の第二条や同懲役十五年の第三条が
適用される
可能性がある一方で、
アルコールなどの
影響の発覚を免れるために現場から逃走して、数時間あるいは数日たってから出頭したり逮捕されたりした人は、第四条が
適用されて懲役十二年どまりとなるというようにも読めます。
逃げ得を防止する目的で設立された罪が、ほかの罪より
法定刑が低いことにより、やはり逃げた方が軽い刑罰で済まされる
可能性があることを示唆していないでしょうか。
本音を申し上げますと、
飲酒運転で人を
死傷させ、救護せずに、保身のために
証拠を
隠滅するような
行為をする悪質なドライバーについては、懲役二十年を超える
法定刑にしていただけた方が、逃げても得にはならないというメッセージがより明確に伝わるのではないかと
思います。
飲酒ひき逃げ事犯による新たな犠牲者が生まれないように、どうか
逃げ得をなくす
法律の早期成立に向けてより一層御尽力を賜りますようお願いいたします。
そして、この
法律が成立した暁には、理不尽に命を絶たれる者がなくなるように、また
被害者や
被害者遺族の命の尊厳が守られるように、そして
加害者を出さないように、
現行法や
改正法を広くわかりやすい名称で国民に周知し、全国各地の裁判所で地域格差のない公平な裁判が行われるように、適材適所でうまく運用していただきたいと
思います。
以上で私の
意見陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)