○中曽根康弘君 私は、
地方自治と
行政改革の問題に関しまして、
警察制度の改革はいかにあるべきか、具体的の方策を論じて見たいと思います。
御
承知のように終戰以來の
日本の治安状態は、
敗戰國といたしましてはかなり良好に推移いたしておるのであります。これは一方においては当局のなみなみならぬ苦心もあると思いますが、占領軍側におけるところの陰ながらのいろいろな御苦心や、あるいは陰ながらの権威に頼るところが甚大であると考えます。殊に近く講和
会議が開かれましても、もし一本立ちに
なつた場合は、自分で自分たちをまとめ治める力を養わなければならない。そういう事態に立至
つております。もしこの改革の方向において適期を失するならば、われわれはまた過去のある
警察國家時代のような、権力のもとに
國民が呻吟しなければならない旧時代を現出するかもしれない。しかしながらまた、われわれの改革が急進的にして現実的でないならば、あるいはまた現在の憲法の保障する
政治的秩序を破壊するような事態を起すかもしれない。
警察制度の改革というものは、
國民生活の
基盤になる問題であるだけに、きわめて愼重を要する問題であるだろうと思うのであります。
現在におきましては、憲法発布によりまして
警察権も多分に変り、また
内務省の解体によ
つて公安廳の設置が論議されております。しかしこれは一時的であり、かつ現状維持を前提とした
制度であります。私はこの際、
國家百年の本である
警察制度の方向というものは、どの程度に
地方分権と
中央集権とを調和しなければならないかという限界点について申し上げてみたいと思うのであります。
まづ終戰以來の経緯を反省してみますと、占領軍が上陸しまして、まず目をつけられましたのは、
日本の特高
警察であります。この特高
警察は十月四日に解体された。そして十二月には、労働
行政あるいは社会保健
行政というものが他に移管され、翌年一月には御
承知のように戰時中にできました警備隊というものが廃止されました。そうしてそれ以來適切なる指導によ
つて、管轄
機構の強化であるとか、あるいは青少年保護の徹底であるとか、あるいは
警察事務の純粋化——たとえば建築であるとか、交通
行政であるとか、そういうものの一部が他に移管されるようにな
つたのであります。そうしてその間において、去年の六月においてはアメリカよりニユーヨーク警視総監であ
つたバレンタイン氏が來朝されまして、都市
警察権に関する有益なる意見の開陳があり、またその後一箇月にしてオランダ氏から、特に
地方警察を近代的
國家警察に改造するという有益なる意見の開陳がありました。暮にいたりましては、
警察制度審
議会の答申があ
つて、その後本年五月三日の新憲法の施行以來
警察権も多分に変りまして、
知事のもとに
警察部長がおりますが、
知事は
警察権を行使する場合は、
警察部長の助言によ
つてやらなければならない。あるいは
警察事務の管理は、
警察部長を通してでなければならない。
知事以下の
地方の役人は
公吏でありますが、
警察官は
官吏である。そうして
地方の
警察部長以下は
中央の任命に基く。こういうことにな
つて、純
國家警察的の状態に落ちついております。これが最近
内務省の廃止に伴いまして、公安廳の設置という方向に動いておるところであります。
以上の経過及び
日本の過去を考えてみて、私は
日本の
警察には確かに統一性と、実に強力な
機構があ
つたと思うのであります。しかし惡い面がずいぶんあ
つた。それはまずどういう点であるかというと、民主的でない。つまり
地方分権をもつと徹底させなければならない。それと同時に、
警察の内部において
民主主義が実行されなければならない。これが第一であるだろうと思うのであります。御
承知のように過去の
警察というものは
政治の侍女であ
つて、政権の動くままに駆使されていた。そうして、たとえば内務大臣の眉がぴりつと動けば、一日後には
北海道の巡査の眉がぴりつと動くような
機構であ
つた。これが多分に惡用されて、非常に
日本國民のためにならなか
つたということは周知の事実であります。その
意味において、もつと
民主化と
地方分権というものが実行されなければならないと思うのであります。
それと同時に、一方またこういうような
警察というものが、他の政派の影響によ
つて腐敗堕落しないような考慮をなす必要がある。つまり
國民的なコントロールを
警察に対して與えるような
制度が欲しいということが考えられます。
三番目には、
警察をもつと
簡素化して、
警察事務を純粋化しなければならない。こういう点から考えますと、
警察の
事務というものは、犯罪の予防制圧、公安の保持、犯人の捜査逮捕、あるいは令状の執行であるとか、あるいは
國民に対する一般的なサービス、たとえば地理指導であるとか、交通上の事実上の取締りであるとか、そういうことに限定して純粋化する必要があるだろうと思います。
それから最後に、
警察力をもつと強化するために、
施設と技術をもう少し拡充改善しなければならない点があると思います。
以上の四つの点に関しまして、
日本警察の欠点があると思うのでありますが、しかしまた一面においては、
警察制度を分権化すると同時に、ある程度の最低の
國家的な統一性を保つということも必要であります。それは現在においては占領軍の陰ながらの権力によ
つて実施されておるのでありますが、もしその手を一旦離れるという場合には、どうしても
國家のまとまりをつけるという最後の力がなくてはならないからであります。つまり
國家的の治安を維持するという点において、
國家としての統一を最後の線において確保する必要がある。
具体的に申し上げますれば、たとえば徹底的な
地方分権をや
つてしま
つて、
大阪府、
京都府が独立しておる。こういう状態になりますと、たとえば
大阪府に暴動が起きたとする。その場合に
京都府から警官の應援を求めるという場合にしても、完全なる自治体
警察である場合には、片方の
知事も暴動が起る危險がありますから、應援をやるということは躊躇いたします。また働く
警察官にしても、
京都府なら
京都府の自治体に忠誠を盡す人間であるから、
大阪府に出動して身命を賭して働くという勇氣がなくなる。つまり
國家的に
國民のために挺身するという栄誉を
警察官に與える必要もある。また徹底的な分権をや
つてしまうと、たとえば治安が乱れたという場合に、國権の
最高機関であるところの
國会に対して直接責任をもつ
國務大臣なりその他のものが
政府におらぬということがあります。これは國政運用上ゆゆしい事態であります。
そういう点からしまして、ぜひとも最低限の
國家的統一性というものは保たなければならないという理論が出てくると思います。この点から反省しまして、最近の事態はかなり憂慮すべきものがあります。新憲法実施以來、刑事訴訟法の應急措置法が実施されまして、犯罪の検挙率はおそらく憲法実施前に比してずいぶん落ちていると思います。特にわれわれが心配するのは、青少年犯罪が非常に殖えてきたのではないかということも考えられます。それからまた、それに関連してわれわれが心配しなければならないことは、ただいま申し上げましたような理窟から、少くとも
國会に対して責任をとる大臣が公安廳の長官にならなければならないと思うのであります。以上の最近の犯罪の傾向、青少年犯罪、あるいは公安廳の長官の地位に関して、内務大臣にお尋ねしたいと思います。
それから、
國家的統一を保たなければならぬというもう
一つの理窟は、
警察事務から起るものであります。たとえば、天皇は
日本國の象徴でありますが、この天皇を警衛する
事務は、
地方自治体に任すべき問題ではなくて、
國家としてやらなければならない問題であろうと思います。あるいは外國使臣の警護についても同樣である。あるいは國際條約上のいろいろな
義務を
日本は負
つておりますが、これらを履行するのも、外國に対して
國家としてなさなければならない
義務だろうと思います。もう
一つは、仕事の性質上自治体に任せるのを適当と認めないということである。
一つは、たとえば國際的犯罪であるとか、あるいは密輸入、あるいは密入國とか暴動とか、そういうことに対する処置であります。
最後にもう
一つ國家的最低限の統一を保たなければならないという理窟は、これは
経済統制を実施する上からであります。アメリカのように大きい所は、州が
一つの市場の單位なしておりますが、
日本は遺憾ながら
日本全体が
一つの市場としての單位をなしておる。
從つて、もし完全に
府縣が独立してばらばらに
なつた場合には
経済統制は実質的にうまくいかぬのではないか。ある縣はゆるいが、ある縣はきついということになると、どんどんゆるめてしま
つて、実質上においては、三月二十五日吉田首相あてのマツカーサー元帥の書簡にありましたような、ああいう
方面に沿
つた政策はやれないのではないかと考えられるのであります。現在においても、
府縣によ
つて警察の緩嚴がずいぶん違うようであります。ある縣ではやみにならないけれ
ども、ある縣ではやみにな
つて泣いている
國民が非常に多い。この点に対して、内務大臣はいかなる
態度と所信でや
つておるか、どういうふうに改善するか、お尋ねいたしたいと思います。以上の点から見て、最低限の
國家的統一は保たなければならないと私は考えます。
もう
一つ考えますのは、
警察内部の
民主化であります。御
承知のように労調法は
警察官には認めていない。しかしながら、
警察官といえ
ども生活をも
つておるものであ
つて、何らか彼らの内部において
自主的に意見を上申するなり、意思を上司に表明するような組織をつく
つてやらなければ、はなばた片手落ちではないかと思うのであります。こういう点は、
警察内部の
民主化という点であ
つて、また重大な点であろうと思います。こういう点についても当局の意見を聽きたいと思います。
もう
一つは、
司法警察と
行政警察の分離の問題であります。
先ほど発言者の意見があ
つたと思いますが、私は分離は適当でないと思います。というのは、実績を考えて見ましても、犯罪の検挙の七〇%は、駐在所の巡査やその他がや
つておる。つまり毎日々々戸口調査やその他の面倒をみておるから、犯罪の
状況もわかるし、犯人の目星もつくわけであ
つて、もしこれが切り離された場合には、なかなか目星がつきにくいということも考えられる。それは実績あるいは外國における例、そういう面を考えてみても、
日本の場合は
司法警察と
行政警察を分離することは適当でない。特に
司法警察が
司法省にはいる場合になれば、
司法省自体は非常に強力な
官廳にな
つてしま
つて、これがまた
日本國家の
民主化の上に芳しからぬものになりはしないか、こういう危惧をもつからであります。
以上の
警察の改革の方向について考うべき
條件を考えまして、私は次のような
警察改革のアウトラインを考えております。まず第一は、
地方分権化するという要請にこたえて、二十万以上の都市には、自治体
警察となして完全な
警察事務を行わせる。但し
先ほど申し上げました程度の
國家的
事務に関しては、これは
國家警察の手を入れる共管とする、こういう組織にします。二十万以上としました理由は、
一つは現在の自治体には、まだ自治
能力がはなはだ欠如しておる、それが徹底されるまでは早過ぎはしないか、こういう考えから、二十万ぐらいならば適当であると考えるゆえんであります。もう
一つは、現在の都市は大部分戰災にやられて、非常に過重な財政負担に悩んでおります。これに自治体
警察を與えても、財政上維持できないということが考えられます。この二つの点から二十万以上を適当とする。但し、警視廳だけは例外としなければならないと思います。
というのは、首都の
警察は
地方自治体の
警察とは違う要素がある。つまり東
京都における
警察事務は、東
京都の
地方的利益に関するもの以外に、
國家的利益に関するものが大部分あるわけであります。たとえばこの
國会を守るのは、東
京都としての自治体の任務ではなくして、
國家としての利益であります。あるいは高官の保護であるとか、あるいは天皇の警衛であるとか、そのほかいろいろあります。そういう点から考えてみて、東
京都の自治体でこの
國家的利益を保護することは間接的であると考えられます。もう
一つは、たとえば内閣と東
京都長官の属しておる政党が違
つたという場合も考えられます。その場合においては、内閣は自分の保護をやらやくてはならぬけれ
ども、他の政党の長官が東
京都の
警察を握
つておるということになると、なかなかうまくいかない、こういうことも考えられる。そのほか外國の例を見ましても、いずれの國においても首都におきます
警察というものは
國家がみずからや
つております。こういう点から考えて、例外として
國家警察としてやる、こういうのが適当であろうと思います。
以上の点から考えてみると、自治体
警察を増設するということは、定員をもつと殖やさなければならぬということになると思います。現在は大体において九万三千人ぐらいの
警察官が働いておりますが、私は、このために十五万人ぐらいに殖やさなくてはいかぬ、そういうふうに考えます。特にもう
一つ、最近において労働基準法が施行されますが、これが
警察に適用されることになると、現在の三部制は、四部制、五部制にならなければ実施できません。そういう点について、増員が必要だろうと思うのであります。この定員の件、あるいは労働基準法を施行した場合それに対する対策、また警視廳の地位、こういうことについて内務大臣にお尋ねしたいと思います。
第二は、全國を八つの地区に分け——たとえば、
北海道、東北、関東、中部、近畿、中國、四國、九州、この八つの地区に分けてその地区に
地方警察廳というものを設ける。これは
國家機関であります。
地方警察廳には、普通の
警察部と水上
警察部と二つ設けまして、そうしてもつと裝備を強化する。たとえば現在
日本においては、ピストルの
状況はどうであるかというと、
警察官四人に対して一挺しかも
つておらぬ、あるいは海上の警備についてもはなばた手薄であります。こういう点から考えて、少くとも機関銃ぐらいはもたなければならぬ、事によ
つては火砲ぐらいも必要ではないかと考えております。
特に大事なのは水上
警察であります。最近において密輸入や密入國が非常に多いということも考えておりますが、これらについても、実際の
状況について大臣からお聽きしたい。今朝の新聞を皆さんごらんにな
つておわかりと思いますが、北九州において、國籍不明機によ
つて日本の船が爆撃されたという報道が載
つております。われわれは、今月の十五日に貿易が再開されてやれやれと思
つてほつとした。しかるにそのやさき、通商航海を制限された
範囲ではあるけれ
ども、こういうものが危殆に瀕するという事態が來ることは、まことにわれわれ
日本國民の心を悲しくするものであると思います。こういう点から考えてみても、沿岸警備をやる者の苦労はなみなみならぬものがあると思います。そのためにある程度の対抗力もなくてはならぬと思います。この水上
警察、特に今回の爆撃の眞相及び將來に対する当局の方策についてお伺いいたしたいと思います。
第三番目は、その八つの地区に
地方警務委員会というものを設ける。
地方警務委員会は、都市
警察の
警察部長、これは長官が任命しますが、あるいは
地方警察廳の部長クラス、こういうものを任命する場合にアグレマンを與える機関であります。そのほか
警察事務に関する調査、重要事項の審議あるいは監察、こういうことを行う機関であります。そうしてその構成員は、
地方議会の議員、職能代表、学識経驗者あるいは公務員、こういうようなものにいたしまして、任期は四年として、公安廳長官がこれを任命する。こういうことが適当であろうと考えます。これは要するに
警察に対して民衆がコントロールを與える機関、こういうふうになさしめたいのであります。
第四番目には、
地方警察廳の長官は公安廳長官が任命しますが、これは
中央警務委員会のアグレマンによ
つて任命する。
中央警務委員会の構成は大体前に準じますが、当然これには
國会議員がはいらなければならぬと考えております。
最後に、
中央に公安廳長官をおく。これは現在と同じでありますが、これは内閣に属して
國務大臣をも
つて充てることに関してはいろいろ議論があろうと思いますが、
先ほど申し上げましたように、常に輿論を反映しなければいかぬ。
警察部の執行は輿論を反映する、こういう必要性と、もう
一つは、
國会に対して
政府側において全國の治安について責任を負う人がいなければならない、こういう要請からであります。そして
中央地方の警務委員会に公聽室というものを設ける——パブリック・ヒヤリング・チエンバーというものを設ける。
警察事務の運営、
警察の公務員の
機構、そういうものを審査したり、あるいは罷免の請求を審査して実施させる。こういう機関にする必要があるだろうと思います。
以上、
地方自治と
行政改革の問題に関しまして、
日本の
國民生活の
基盤をなすわれわれの
警察の改革をどの方向にしなければならないか、これに関しまする私の愚見を申し上げまして、皆さんの御批判を仰ぎ、かつ当局の意見を聽きたいと思います。