○畑野
委員 そうですよ。
大臣が認めるように、望ましいことじゃないですよ。だめですよ。これはしっかりやっていただかないといけないというふうに私は強く申し上げておきます。
ですから、こうやって進んだわけですよ。こうやって始めて進んだ結果が、
大臣も
英語民間試験の導入を延期する、こういう事態にまで発展したわけじゃありませんか。
私は、この
東大の問題にかかわって、後で申し上げようと思うんですけれども、きょう資料につけましたけれども、きょうの各紙、もうすごいですよ。
毎日
新聞。「
記述式「廃止を」
高校七割」、こういうアンケート結果が出ております。なぜか。理由は、「
自己採点が難しい」が七六・二%で最多です。「思考力・判断力・表現力を測れない」が三九・一%と続いたということです。
きょうの朝日。「
国語記述式 利用五割弱」というふうに述べています。
その次、日本経済
新聞。「
記述式の利用 私立は四割」とあります。その中には、
記述式を巡っては
採点の公平性に疑問の声があり、
大学が消極的になっている可能性がある。五十万人規模の解答を約二十日間で
採点するため、
採点者は一万人
程度になるとみられ、
採点にブレが出るとの懸念は消えない。正答の
条件を踏まえた
自己採点が難しく、
出願先選びに影響するとの声もある。
明治大は
共通テストを利用するが、
国語記述式は使わない。「
受験生ファーストの観点から、
採点の質と公平性が担保されていないのではないかと考え、採用しない判断に至った」としている。
予備校
関係者からは「国立大は横並びで「使う」としているのだろう。一部
大学では
記述式を使うと
受験生から敬遠され、
受験者数が減るとの懸念もあるのではないか」との
指摘も出ている。
次、きょうの読売。
採点の
信頼性も揺らいでいる。本番は、約二十日間でアルバイトの
大学生を含む、約一万人が約五十万人分の
採点を行うとされる。これに対し、
受験生は「
信頼できるのか」と不信感を募らせている。
また、同機構は本番前に問題や正答例を見て
採点マニュアルを作るため、
情報の漏えいも懸念されている。
記述式を巡っては、以前から
自己採点の難しさも課題とされていた。昨年の
試行調査(
プレテスト)では、約三割の
受験生が
国語の
記述式で
自己採点と実際の
評価が一致しなかった。
ということですね。
私、問題をやってみました。私も
国語に少しかかわっていたので、やってみました。難しいです。
資料の次のところ、東京
新聞の十一月十四日付ですけれども、
高校生たちが
自己採点の再現実施をしたということです。
これはどういう問題かということなんですが、
皆さん、この大きな資料七を見ていただきたいんですけれども、こういう問題です。「第一問 問一 文章一の傍線部A「指差しが魔法のような力を発揮する」とは、どういうことか。三十字以内で書け(句読点を含む)。」、前略になっていますが、「ことばのまったく通じない国に行って、相手になにかを頼んだり尋ねたりする状況を考えてみよう。この時には、指差しが魔法のような力を発揮するはずだ。なんと言っても、指差しはコミュニケーションの基本なのだ。」こういうふうに言っている問題ですね。これで、
高校生たちが再現実験をしてみたわけです。
その結果について、いろいろ書かれております。十一月九日から十一日までインターネットで呼びかけて、
高校生八百五十人、中学生二十人、大人六百十人の計千四百四十五人が参加した。大人のうち八十六人は現職の教員、予備校講師やその経験者だったということです。
それで、資料の五の
新聞の左の方に、三つの答えがあるんですね。これが何点かというのを
皆さんで
採点してみましょうということです。
生徒A、「ことばを用いずに、自己を表現することができること。」これは一応、こういう
採点基準があるんですよということがその上に書かれています。一つは、「「ことばを用いない」または「指差しによる」ことが書かれている」、もう一つは、「「コミュニケーションがとれる」または「相手に注意を向けさせる」ことが書かれている」これを両方とも満たしていると
評価が高いんですが、どちらかだと
評価が低くなる。両方ともだめだと更に
評価が低いというふうになっているんです。
では、この生徒Aの解答例を何点というふうにつけたかというと、中高生もあるいは教師たちの八十六人の方たちも、大体二割台で、よいと満点をしているんですね。七割が半分だねというふうに言っているんです。
では、次、生徒Bの答え。「指差しによってことばが通じるということ。」この
採点については、中高生と教師らの
採点結果というのは、ずれが出るんです。いいというのは中高生は二割なんだけれども、教員は四割に上るんです。
さらに、私が問題だと思うのは生徒Cの答え。「人間の身体性は言語の壁を超えるということ。」これは、
大学入試センターが示した
条件に当てはまらないんですね。ですから、こういう答えを書きますと、中高生の
自己採点は、いいというのはゼロなんです。教師らも一〇・六%。よくないねという
評価が中高生も教師らも五〇%を超えて、一番問題なのは、判定不能というのが二五%以上出ているんです。
つまり、
大学入試センターがこういう基準で
採点してくださいねというふうに基準をつくりますと、それに合わない人は判定不能あるいは最も悪い
評価になってしまう。だけれども、人間の身体性は言語の壁を超えることというのは、抽象的ではあるけれども、私はすばらしい答えだというふうに思いました。
このように、
記述式というのはいろいろな問題を私ははらんでいると思うんです。
資料の六枚目、次を見ていただきたいんです。高大接続システム改革
会議の第十一回
配付資料、五神真
委員が高大接続システム改革についての意見を二〇一六年二月十七日に述べられている、その
発言の抜粋をさせていただきました。このように述べられています。
記述式試験は、
大学と
受験生との出題、解答、
採点を通じた「対話」であるということを強調したい。その対話を成り立たせるためには、作問者には解答者の学力を的確に測れる問題の作成能力が求められ、
採点者には解答の論理を読み込み、解答者の学力を測る能力が必要である。これらの能力の育成には、
大学教員といえども一朝一夕にはいかないということを実感している。入学
試験という場面において、公平性と公正性を担保することの重要性は論を俟たない。その中で
記述式試験の機能を発揮させるためには、作問、
採点において十分な能力を有する教員を一定数確保することが必要であり、受験者が九千名弱の
東京大学の二次
試験の実施においても、研究所を含む全学すべての部局の協力によって何とか確保している状況である。
中略いたしまして、
しかし、五十万人以上を対象とする規模の選抜
試験において、
記述式問題の特長を活かして「出題者と解答者の対話を実現すること」と「公平性と公正性を担保すること」を両立させることは、過去に世界でも例のない難題であり、大変野心的な社会実験となることを良く了解しておかねばならない。成功させるためには、十分な人的財政的資源を国民の広い理解のもとで準備することが必須の前提となる。
このように、既に高大接続システム改革
会議でおっしゃっておられるんですね。このことを聞いてきたのかということが私は問われると思います。
バイト学生が
記述式の問題を
採点するなんてもう考えられない、こういう声を言っているのは東京都の
高校一年生です。このままだと
採点の質や
採点者によって
点数にばらつきが出ることに不安を感じていますと、もう率直にこういう声を上げているわけです。
私、伺いたいんですが、
記述式の
採点というのは、
大学と
受験生との間の対話でなくてはいけない、だから
大学教授でも十分な能力が必要だと述べておられるんです。
もう一人だけ御紹介します。二〇一九年、ことしの十一月十九日の参議院の文教科学
委員会の
参考人質疑において、
参考人である日本
大学文理学部教授の紅野謙介氏も同様に、
記述式試験は対話だと述べているんです。
さまざまな解答を想定して正解の
採点基準を作成
委員はつくるでしょうが、しかしそれを、必ず想定を超えた解答が出てきます、それを見詰めながらみんなで考える、これを正解にすべきか、減点するにはどうするか、かんかんがくがくの
議論になると思います、あれこれ考え、意見の異なる
委員たちが
議論を重ねて、
評価を決めて、納得のいく
評価になっていくわけです、
記述式試験というのは問題作成者と受験者の対話だと言える、こうおっしゃっているんですね。
大臣、こういう意見について、どのように思われますか。
記述式の
採点は
大学と
受験生の対話であるというふうにおっしゃっているんですが、いかがでしょうか。