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参考人(
児美川孝一郎君)
法政大学の
児美川と申します。
教育学を
専門にしておりまして、主として
若者たちの
学校から
職業への移行というところを
研究の焦点にしております。本日は、そういう
研究者としての
立場及び
大学人でもありますので、そういう
観点から
意見を述べさせていただきます。このような
機会をいただきましてありがとうございます。
私の
発言については、
発言の要旨をお手元の資料で用意させていただいておりますので、そちらの方が正確だということで、多少付け加えながらお話をさせていただきます。
一点目が、大前提の
認識でございますが、
日本の
教育においては
職業教育が極めて脆弱であるというところはかなりネックになってきておりまして、例えば
後期中等教育、
高校段階で
職業教育の
教育課程を受けている生徒の
割合は諸外国と比べてもはるかに少ない。あるいは
大学も、
日本の
大学のマジョリティーな
ゾーン、
ボリュームゾーンは
私学の文系ということになりますので、やはり
専門性が強い
教育を受けている
部分が少ないということがあります。
もちろん、今まではそれでも済んできたのはなぜかというと、基本的には、若い
人たちが
学校から
職業世界に渡っていく際には
職業能力形成が必要となるわけですが、ただしその大
部分が
企業内教育によって担われてきたからだというふうに考えられます。
ただ、その
企業内教育に関しましても、九〇年代以降現在に至るまで確実に盤石ではだんだんなくなってきておりまして、現在では
新卒就職を経て
企業内教育できちんと
職業教育を受けられるという層が
一定の
割合に絞られてきている、むしろそこからはみ出る層も出てきているという問題もあります。
更に申し上げますと、働く者にとって、そもそも自らの
職業能力形成を
企業内教育に全面的に委ねるということが必ずしも
労働者にとって都合がいいことだけではないということがございますので、そういうことも含めまして、現在の
日本の
教育において、とりわけ
高等教育段階における
教育において
職業教育を
充実強化するということはもちろん必要なことであると思いますし、そのための
政策が出されることは大いに歓迎したいというふうに考えております。
ただ、同時に、今回の
専門職大学・
短期大学の
構想を拝見いたしますと、少なくとも
高等教育段階における
職業教育がそのまま
充実するというよりは、むしろ懸念される点も少なくないというふうに考えておりまして、その点について三点述べさせていただきます。
そのまず前提ですが、現時点では
設置基準等の具体的な
制度設計がまだ明らかになっておりませんので、判断に苦しむところも正直ございます。ただ、
中教審答申等々伝えられてきていることもございますので、そこから考えますと、以下の三点ほどのことについて懸念がございますということです。
一点目ですが、
既存の
大学、
短大、あるいは
職業訓練系の
職業能力開発
大学校・
短大、あるいは高専、
専修学校専門課程、特に
専門学校に関しては二〇一三年度より
職業専門実践課程というものも
職業教育強化の目的でできておりますので、そういうものにおいて
職業教育を
充実強化していくということではなくて、なぜ新たにまた新しい
高等教育機関をつくらなければいけないのかという、そこのところの根拠がいまいちよく、明確ではないのではないかというふうに思います。
新しい
制度の創設によって期待されているということは何点かあるかと思いますが、
専門職業人の養成にしても、あるいは
産業界等との
連携にしても
社会人の
学び直しということにしても、今、上で挙げましたような
既存の
制度を使っても十分可能なことですので、何ゆえに新たな
制度でなければならないのかというところが問われてくるのかもしれないということです。
二点目になりますが、
専門職大学の
制度、
設置基準等まだ具体的な
制度設計は明らかではないのですが、少なくともこれまでの
大学とは異なるというか独自の
設置基準、独自の
認証評価の仕組み等々を用いてやるということは、場合によっては
大学という
制度のある
意味での必要な
統一性というものを損ねてしまう
危険性もあるのではないかという。もちろん、
日本には
大学、七百七十を超えてございますので、その中で
機能別分化ということは当然必要ですし、
職業教育に
かなり力を入れる
大学ももっともっと出てきてよいというふうに思っておりますが、それは今の
大学制度の中でも十分できることですので、あえてこれをつくるということはどういうことなのだろうかということでもあります。
教育基本法は、二〇〇六年に改正された際に、第七条というところで、
大学についての条文が新たに加えられました。そこでは、
大学は
学術の
中心として高い
教養と
専門的能力を培うという、そういうことが目的規定されているわけですが、今回の
専門職大学の
構想をいろいろ見ている限りでは、ここで言うところの
学術であるとか高い
教養という
部分がどのように
位置付けられ、どのように担保されているのか、その辺のところが甚だ心もとないというか、そういうふうに感じざるを得ないところもございます。
もちろん、
専門職大学・
短期大学の
設置基準等、これから明らかになっていくところですので、それが当然、
既存の
大学の水準は守った上で更に独自性を出すということも当然あり得ると思います。当然あり得るとは思いますが、もしそういう形になるとすると、今度は現状の
専門学校、
専修学校の
専門課程、いわゆる
専門学校からの転換ということを考える場合にはかなり障壁が高くなるということも考えられますし、
既存の
大学が
専門職大学に移るという場合でも、
大学としての基準を守った上で更にプラスアルファの基準があるわけですので、そこも余り進まないということもあるのではないかと。そうだとすると、せっかくつくっても、それって何のためにあったんだろうということも決して生じないわけではないだろうという、そんなふうにも思う次第です。
三点目です。懸念される三点目ですが、先ほどの
教育基本法第七条は、第二項におきまして、
大学においては何よりも自主性、自律性が尊重されなければならないということを規定しております。この点から考えますと、
専門職大学の現在の、
短大の方もそうですが、
構想におきまして、この自主性、自律性というものがもしかすると損ねられてしまうのではないかということも危惧されます。とりわけ、実務経験のある教員が、
中教審の
答申では四割以上でしょうか、あるいは長期の
企業実習も年間何時間以上という形でやるというところだけではなく、
大学の
教育課程の編成・実施、まあ開発ということも入っておりましたが、そこに
産業界との
連携が想定されるということは、先ほども申し上げた
教育基本法の
大学の自主性、自律性の原則というところに照らしますと、果たしていかがなものなんだろうか、どうだろうかというところが感じざるを得ないというところもございます。
今回の法案を目にして強く、私が
大学人であるからということもございますが、強く感じることがありまして、それは、
大学というのは改めて何なのかというところが問われているというところかと思っています。もちろん、
大学がいつまでも象牙の塔であってよいはずはありませんので、
社会の変化にきちんと
対応し、そして
産業界の要請にもきちんと責任持って応答していくということは当然必要です。当然必要ですが、その根底には、先ほどの
教育基本法ありましたように、
大学側の自主性、自律性ということがきちんと担保されて据えられていなくてはいけないというふうに考えるわけです。
ですから、
大学に求められるものは何だろうかというふうに考えたときに、
産業界からの要請はもちろんお受けしなきゃいけないと思いますし、対話はしなきゃいけないと思いますが、それはただ単にそこに従うということでもないですし、一体になることともちょっと違うかもしれない。むしろ、距離を取って独立性を持っているからこそできることというのが
大学教育にはあるはずですので、学問、
研究の自由を前提として、そして独立性を重要視しながら、もちろん
産業界や
社会とも対話をし、自主的、自律的に内側からそういう要請に応答していくことがふさわしいと、そのことが
大学にしかできない形での
社会とのつながり方であるし、
社会貢献の仕方ではないのだろうかというふうに考えております。
私の方で
意見申し上げたいと思いましたのは以上でございます。どうもありがとうございます。