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田城郁君 着々と鉄路での復旧が進んでいるという御報告だったと思います。
さて、私は当時、二〇一一年ですが、発災から八日目に仙台に、そして九日目に釜石に入りまして、緊急援助物資の支援と港や鉄道、市街地の被災状況の現地調査を始めました。そこで、あめのように曲がりくねった
山田線の線路を前にして、市民の方々から、
山田線を元に戻してほしいと、私ら、東京から遠く離れた釜石で生活していても線路をたどりたどれば
日本の中央につながっている、だから頑張れるんだ、
山田線が元に戻らなければ見放されたも同然だという言葉を聞きました。
その
山田線は、国からの町づくり部分の援助、あるいはJR東
日本が残りの復旧費と当面の保守管理の負担をするという中で三陸鉄道に移管をするということが決まったということでありますが、鉄路で復旧できるという
目的は達成されつつあります。被災地の皆さんは大変喜んでおります。自治体の負担、すなわち被災地の負担が増えるというわけですから手放しで喜んでいいものかどうかというものもありますが、しかし、国とJR東
日本、そして地元がしっかりと協力をして、あるいは努力をして、
山田線を鉄路での復旧に向けて努力していることに改めて敬意を表したいと思います。是非実現をしていただきたいと思います。
一方で、現在、東
日本大震災で被災した気仙沼線と大船渡線は、バス高速輸送
システム、BRTによる仮復旧がなされた後、鉄路での復旧議論が停滞している状況にあります。確かに、BRTにも運行本数の
増加による利便性の
向上というメリットがありますが、鉄道の存在というものは地域や地域住民にそれ以上の価値をもたらすと私は考えます。
例えば、リダンダンシーの観点からは、同一規格の線路が国土全体に行き渡っていることで、地震などの災害が発生したときに、一度に大量の燃料や物資を被災地に届けることが可能です。
事実、三・一一の震災時には、お手元の
資料一の写真にあるように、JR貨物の労使が、ふだん走らない線区を想定し、訓練メニューまで準備をして、JR東
日本と協力をして、計画停電で電力不足の中、私が当時、電力をJRに優先的に回していただけないだろうかということを民主党の震災対策本部を通じて国交省とエネルギー庁にお伝えをし、それらの連携の下に、根岸から
日本海を通り、青森回りで盛岡へ、あるいは、燃料を十八両のタンク貨車に積んで運んだということを皮切りに、磐越西線を通して郡山へも連日大量の燃料や物資が鉄道貨物によって運ばれました。そして、一気に東北の燃料不足、物資不足というものが解消していくわけですけれども。
資料二は、そのときの絵本「はしれディーゼルきかんしゃデーデ」ということで、磐越西線を走ったデーデがタンク貨車を引っ張っている、そういうところのエピソードなどが紹介されている絵本なんですけれども、このようなものが発刊もされております。
これは、磐越西線での石油列車のエピソードの一部を紹介した絵本なんですが、それが先日、三月十五日の日曜日にNHKでも放送されました。「ガソリン不足を救え!臨時石油列車」という番組の舞台になった磐越西線、ふだんは旅客列車の運行のみで、貨物列車は運行はされておりませんでした。
震災直後、石油を関東から新潟経由で運ぶ計画が立てられましたが、磐越西線は急勾配、カーブがきつく、タンク貨車の運行には困難が伴うことが予想されました。さらに、震災後、線路の補修がされていなく、タンク貨車の計画が立てられてから僅か四日間で七十八か所の線路を補修する、そういう必要がありました。その保線の係員も不足し、福島などから応援を依頼し、通常の七倍の七十名
体制で線路の復旧に
当たりました。機関車の機関士も、ディーゼル機関車の運転訓練をする必要があり、JR貨物の
会社は、経験者を中心に運転士を選び、愛知県の稲沢機関区で臨時の訓練を行いました。
様々な困難を乗り越えて発車した一番列車は、途中の急勾配の区間で止まってしまいました。長時間放置された線路のさびと雪のため、車輪が空転をしたわけです。その事態を予想していたJR東
日本は、あらかじめ別のディーゼル機関車を準備していたので、直ちに救援列車を発車させました。停車してしまったタンク貨車の後ろに、機関車、ちなみにDE10と言いますが、を連結をし、合計三台の機関車で急勾配を登り、峠を越えました。郡山に到着した貨車は、一回でタンクローリー三十台分、二十二日間で合計千台分の石油を運ぶことができました。
列車を目撃した人は、これでみんなが助かると感じ、また別の方は、希望と一筋の光が差し伸べられたと述べられております。ある日、機関車を運転していた運転士が沿線に目をやると、ありがとうというボードを掲げた女性が立っていることに気付いたと、運転士は鳥肌が立ったような感覚になったと、そのように言っています。
起こってほしくはありませんが、仮に今
日本海側で同様の事態が起きたとき、BRTでは仮復旧のために線路がつながっていませんから、太平洋回りでは
日本海側に燃料や物資を送るということはできないのが現状です。これは国土の設計上、早急に克服すべきだと考えます。
また、手元の
資料三と三の一の新聞報道でも、気仙沼から仙台間が鉄道で二時間のところ、BRTでは四時間、なおかつ、一部で一般道を走るため渋滞に巻き込まれることから、定時性も鉄道に比較し著しく落ちるということです。
私も、昨年秋、気仙沼線、大船渡線の状況を視察し、被災線区の復活を目指す市民の会の方々と意見交換をしてまいりましたが、同様の思いを述べられておりました。地元の首長さんは、とにかく早く復旧してもらわないと人口が流出して町づくりどころの話ではなくなるというふうにも訴えられております。
鉄道の駅は、地方の生活や
経済の拠点ともなり得るとともに、これはBRTの簡易な停留所ではなし得ないものであります。地元のタクシー業界からも、鉄道の駅でないとタクシーの拠点にはなり得ないという声が上がっております。さらに、岩手県立大の
研究グループが気仙沼市民を対象に実施したアンケートでは、気仙沼線について鉄道復旧を望む意見が八割を超えており、重視するべき地元の方々の御意見も、鉄道での復旧という方向になっております。
一方で、鉄道への復旧が進まない理由として、莫大な復旧費用を要することが挙げられます。JR東
日本は、安全が確保された鉄道の復旧費用として、気仙沼線で七百億、大船渡線四百億の概算工事費を示し、この通常の復旧費を超える分の費用それぞれ四百億、二百七十億を公的資金でということを求めております。
このような状況について、国による支援スキームの創設など財政支援が必要だと考えますが、
国土交通大臣、そして
財務大臣、それぞれにお伺いいたします。