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清澤俊英君 それは考えてみたってだめなことです。二町五反では、
一つの固定生産ですからね。二町五反では、これはおさまりがつかぬのです。次の段階に入っていく。そこで問題になりまするのは、この間からいろいろそれを緩和するための信託問題、
農地の一部買い上げというようなことも言われておりますが、その中で問題として私は考えてみたいことは、われわれは長い間
農民運動をしております際に、
農民のひょうたん生活というようなことを言うのです。そういうことを、あなた方考えたことがあるかどうか知らぬけれ
ども、これは
農業経営上に非常な重要性を持つのです。昔の藩主の搾取にあってきた時代でも、ことにこのひょうたん生活というものが影響してくるのです。それは、固定せられたる経営
面積と、その家族成員の問題になるわけです。耕地は不変であって、変わりがありません。それを耕作していく自立経
営農家の労働構成というものは、これはしじゅう変わっているのです。その変わり方に
一つの定率ともみるものがありまして、その定率をさして、
農民のひょうたん生活というのです。定率というのは、どういうのかというと、かりに私ぐらいの年配のものがあったとすれば、そうするとせがれは五十ぐらいです。私や
藤野さんだというと、五十近くのせがれがある。孫はもう三十近くになっている。まごまごいたしますと、私や
藤野さんはろくに百姓はできない。病気をやったり、おだぶつになったり、いろいろなことをやっていきます。わしらまだ大丈夫かもしらぬけれ
ども、大体の形はそういう形になっていく。そうして、その間において、今の主人の弟であるとか、あるいは娘な
ども嫁にやったりして、非常に金を使っている。借金を残している。ところが、おやじも五十くらいになると、そろそろ百パーセントの労働ができない。そうなると、三十ぐらいの者が
中心になっていく。これから手の指を並べたような子供がずっと並んできている。四、五年もたちますと、これが一番食い盛りになってくる。働かせるのにはまだ四、五年の手間がかかる。こういう時期には、もう農村の家庭というものは最も窮迫したる形に入ってくる。それが五年か七年たちますと、われわれのような者はみんな片づいてしまう。おやじも片づいてしまうと、今指を並べて困った手合いは、初めから労働に従事せられる完全な清新はつらつたる大鵬や柏戸のようなやつがばかばか出てくる。こうなってくると、その
農業経営というものはふくらんでくる。ふくらんだり縮んだり、縮んだりふくらんだりする形を持つ。こういう形の際に、昔ならこれはある
程度まで私は維持できたと思うのです。非常に低い生産性であったし、激しい経済の中にもまれておらなかったが、今日のような生産手段が近代化されて、機械は使う、その機械も三年か四年たったら次の新しい機械ができ上がる、こういう問題が出てくる、農薬な
ども出てくる、肥料もだんだん変わってくる、こういったふうに投資がだんだん激しくなり、また技術な
ども高度に出てくる、土地の改良もしなければならない、
負担金はうんと借金を残していかなければならぬ、こういうところでそういうつぼんだ形になりましたときは、私はもう自立
農家というものはもたないのじゃないかと思う。私はこの選挙に古い友人のところに頭を下げに行きました、正直に言いますがね。ところが、選挙が済んで十一月の下旬にそこのうちに行きましたら、おばあさんとお嫁さんと十六になる中学校だか高校の一年だかの子供が畳を上げて米作りをしていた。それだから、これは何という騒ぎをしているのだと聞きますと、おやじはあなたが知っている
通りもう七、八年前に死にました、これは十六の子供から見れば、おじいさんですよ、またその大事なせがれさんがことしの春死にました。それでだれもおらぬから、ことしは近所隣りから手助けを受けてようやくここで米を見ることができましたが、手おくれになってこの
通りです。私はそのときつくづく思いました。来年はだめだろう、そうしてこれほど激しい今の農耕に従事しているとき、これはこのままで二、三年いったら必ず没落しちゃうのじゃないか、追いつかないのじゃないか、昔なら何とかもっていくけれ
ども、と、こういう
感じを深くしているのです。だから、自立経営というものを考えてみますときに、そうあなた方が考えるような簡単なものではなかなかいかないと思うのです、これが
一つです。
それからその二つには、まあだんだんとそういう機械な
ども使って手もすくのだから、豚を飼ったらよかろうとか、鶏を飼ったらよかろうとか、牛を飼ったらよかろうとか、いろいろなことを考えられて、多角経営的な生産体系をとるようなことをいろいろ言われる。言われるけれ
ども農繁期になれば人手が足らない、こういう時期が何べんもあるのです。だから、一年を通じて、家族経営でありましたならば、他の多角経営をやっていく労力の調整というものができません。一番重大なのは、私は、その労力を調整して、そうして農閑期といえ
どもこれを余らして多角経営に入っていくという形をとるには、共同経営が最もふさわしい形であると、こう私は考える、これが第二番目です。
第三番目には、これは一番問題になりますのは、そういった形がいいのだ、しかもそれどころではなく、これからの
農業生産を進めるには、もう一軒ではだめだという
考え方が強くなっているのです。これは北陸
農業の方向というので、北陸三県か四県でいろいろ相談せられたらしいのですが、そこで出た結論というのは、もうブロック的な、五県とか大県が
中心になって、そうして
計画的な生産体系を立てるだけの大きな規模を持たなければならぬこれぐらいの形になっているときに、どうも自立経営というようなことで、それが
中心になって将来行くのであるならば、もうそこまで来ているにかかわらず、そんなことを言うているのはおかしいじゃないか、これが第三点です。
それから第四点としましては、これにも
指摘してありますが、そういうことをやっていく場合、一番困りますのは、
農民の意識が低くあって、そうして生産外に土地の所有欲というものを持っていて、生産というものとはずれた別な執着を土地に持っている。だから、
農民が土地がほしいということは、生産の手段のために土地がほしいということと、また別の
目的を持って土地がほしい。これは長い歴史の過程におけるところの、
農民が土地を持たないで、小作人として、あるいは農奴として、もうたたかれてたたかれた潜在意識がまだ残っているのだと思う。私が
農民運動に入ったのは、自分の最も信頼する小作人がたまたま自分の親類に行きましたときに、その小作人が受けた侮辱であります。この小作人は、非常な忠実な、まじめな、よい、私としてはもう小作人とかなんとかという考えじゃない、出入りの大工さんということは極端ですが、それがたまたま少し酒に酔いまして口が過ぎた。そうしますると、何か村の区長か何かをやっている人が、何だ貴様居敷下も持たないでなまいきなことを言うなと頭からたたいてしまった。これが土地を持たない
農民の悲哀です。こういうようなものがからんで、そうして土地に非常な間違った執着を持って今日おる際に、自作農を、自立
農家を作るのだ、それを中核として、その次に彼らが考える次の段階に行くことが正しいのだと、それじゃこのテンポの早い現代の
農業生産体系の変革期に私は間に合わないと思うが、大臣どうなんですか。私はやはり、最高の目標を掲げて
指導誘掖をして行かれるのが、役所の、あるいは農林省の持たれる一番の役目じゃないかと思うが、役目が逆になっているのではないかと思われる。