1947-09-16 第1回国会 衆議院 通信委員会 第11号
特に東海道線につきましては、別にさしたる被害はありませんが、ただ中央線を通つてまいります關西向けのケーブルが大月、甲府間において土砂の崩壊によつて斷線いたしたために、そこを通つております囘線か不通になりました。その結果大阪・東京間の囘線も半分不通になりましたし、その他個々の場所について不通の箇所が生じました。
特に東海道線につきましては、別にさしたる被害はありませんが、ただ中央線を通つてまいります關西向けのケーブルが大月、甲府間において土砂の崩壊によつて斷線いたしたために、そこを通つております囘線か不通になりました。その結果大阪・東京間の囘線も半分不通になりましたし、その他個々の場所について不通の箇所が生じました。
その新聞につきましても、あそこで古いやつを五百部、新しいやつを五百部程入れておりますけれども、でき得れば東北或いは關西地方を人間天皇が行幸されたというような姿、或いは曲がりなりにもとにかく日本の動きつつあるニュース、そういうようなものを先ず映畫によつて見せるというようなことも非常に望ましいことじやないかと思うのであります。
この兩發電所の復興が、關西六十サイクル系の電力の安定の鍵を握つておるということがいえると思う。以上の二點を現地視察によりましてその實情を詳かにし、問題解決の足掛りを掴むのが、この視察の要點ではなかつたかと、こう考えるのであります。
それからこの黒部川の特殊性を簡單に申上げますと、この附近が私感じました所は非常にこの水力發電に惠まれた地點で勾配が急なことと雨量が多い、それから關東と關西に殊ど等距離近くにあつてそうして五十サイクル六十サイクルに切替えが非常に便利だ。五十サイクルから六十サイクルに切替え、或いは六十サイクルを五十サイクルに切替えるのは僅か三四十分間で切替えるのが可能である。こういうふうな説明を聽きました。
殊に文化國家、平和國家として日本が再建せられるこの一般的な趨勢の上において、殊に和歌山縣は、御承知の通り繊維産業の關西における古くからの中心地帯でありますし、そのほか木材加工業、あるいは化學薬品工業、皮革工業等の工業が、それぞれ相当な發展基盤をもつておるのであります。
六月上旬の關西行幸の節、京都に滞在してつぶさに實情を見聞した私は、多くのことを考えさせられた、今だに天皇をかさにきる連中の多いことだ。中央地方を通じて何百か何千かの大官や高官が大名行列よろしくやつて來るが、彼らの長い道中に、外食券や主食を携帶して來たとは聞いていない、それどころか地元官民も交つて結構な白飯に豪華料理が毎日無料である。これは一體どこから出るのか、人民は何十日も米の顔を拜んでいない。
○鈴木政府委員 東北地方の水害に對する衣料關係の手配でございますが、これに對しましては先般關西地方を襲いました水害對策の應急措置と同樣の措置をとりまして、とりあえず應急救濟用の物資として——實は被害地のところによつて相當遺うようでありますが、大部分は秋田縣と宮城縣であつたと思すますが、この兩縣からは被害状況について詳細な御連絡があり、またそれに伴う救濟用物資の申請もあつたわけでありまして、この兩縣を
それ以外の有償配給で濟むものは有償配給をするということで、これは先般の關西地方の對策にも同樣の措置をとりましたが、おそらくその措置は、厚生省といたしましてはほんとうに無償配給をすべき對象人口もどのくらいかということを決定されて、その措置をとられるものと存じます。
だから薪炭の配給ということは勿論餘れば廻して頂くことは望むところでありますけれども、資材の少い日本においてはそう薪炭を電力會社はかりに廻す、瓦斯會社、電力會社のために緩和するということはなかなかむずかしいじやないか、これはお任せしますが、私の言うのはそういうことでなく、大きく狙つて欲しいということ、もう一つ我々心配しておりますのは、發送電は今尚關西の餘剩電力を關東に廻し、關東に餘剩がある時には關西に
○説明員(進藤武左衞門君) 今お尋ねの關東で關西に融通できるかどうか、これは融通できることになつております。現に今日あたりも送つております。それから冬關東が困る時は向うから來ることになつております。尚關西から九州まで今日は二萬キロ送つております。尚日本で初めての二十二萬ボルトの設備を考えまして建設中であります。そうすると中部の餘剩電力が中國、九州まで行きます。
これは實にもつたいない線でありまして、現在關西の實庫と言われておるところの伊豫や伊佐の物資は、殘念ながら輸送の不備のための一分、活用されていないのであります。現在四國線は宇野、高松、また戰時中にできました廣島縣に仁方と伊豫の堀江間の連絡があだけであります。これらは四國の一端に連絡がついておるだけであつて、あとはふん詰まりの状況でありまして、四國と九州との連絡はとれておりません。
○委員長(千田正君) それでは參議院の水産常任委員會におきましては、現下の緊急問題たる食糧對策について我が水産常任委員會として水産物集出荷及び配給制度に關する小委員會を設けまして、現地調査に當ることになりまして十四名を二班に分ちまして、第一班は東北、北海道、第二班は關西、九州と、各七名宛が八月六日に出發をしまして、それぞれ現地調査に參つたわけであります。
去る四日の本會議の席上、水産物の集出荷及び配給制度に關する調査のため議員派遣の件が決定されましたが、不肖私も關西と九州方面擔當を命ぜられまして、田中、遠山、三好議員等七名の驥尾に附しまして、生産、集荷、出荷、配給の全般を通じまして、京都、大阪、神戸、下關、福岡の各地につきまして十日間、つぶさに施設なり或いは設備の視察と關係者の忌彈のない意見、希望等を一應調査いたして参つた次第でございます。
たとえて申しますならば、私は關西の人間でございますが、關西では、家督相續をした場合その相續した人を本家とする。それから、おもにこれはその人の弟の場合でございますが、これは分家とか新宅さんとかいう名がついて、新宅は本家と從屬關係になりまして、何かにつけて、殊に親類づきあいの場合には差別待遇がはなはだしいのであります。その差別待遇たるやこれは先天的に運命づけられた差別待遇なのですあります。
○井上政府委員 今囘承りますと、北海道には再び東北の水害に匹敵するがごとき水害をこうむりまして、耕作農民を初め、關係各道民の方が非常な罹災を受けられて、この善後處置に對して日夜いろいろ御努力を賜つておることを承つたのでありますが、政府といたしましては、さきに東北及び關西の一部に起りました水害に對して、早くから現地の實地調査を行い、總合的な對策を根本的に立てるとともに、當面の應急處置といたしましては、
私は關西出身の代議士でありまして、關西方面では、特に硫化鑛がないために、非常に困つておる現状を、私は目撃してまいつたのであります。この點について單に大いにやるというお言葉だけでなく、いつごろまでに大體の成案をこしらえて當委員會に報告するという日にちを、お聽かせ願いたいと思います。
とかく東京とか、關東地方とか、或いは關西地方のような都合地の近い所では、相當な施策が行われておりまするが、こういう東北地方のような所に參りまするというと、どうもとかくそういう施策が十分に行われていないということを、誠に遺憾に存じたのであります。私誠に不備でございますが、大體御報告申上げまして、大山さんから足りないところを御補足願いたいと思います。
さらに今囘の被害がもし關東あるいは關西地方にあつたならば、もつと大きな問題として取上げられたであろうと私は思うのであります。私どもは今日まで久しい間、戰爭のときは人一倍よけいに人的資源の負擔をこうむらされて、戰爭中、戰爭後を通じて私どもは物質の面において、米あるいは林産資源その他の面において、非常な不利な條件において、國家のために奉仕しておつた。
たとえば東海道線の平塚、小田原までの電車運轉の延伸、常磐線の我孫子、土浦までの延伸、また關西地區における電車化の延伸等につきましてもいろいろと準備を進めておりまするが、何分にも電車の製造がモーターその他の關係から意のごとくなりませんで、戰時中約六百輛近い電車を燒失いたしまして、これが復舊にも非常に困難を感じております矢先、新製車輛を急速に増備いたしまして、新たな電車運轉區間を設定するというところまでには
このことは東京附近における電氣運轉と、關西の電氣運轉とを比べますときに、ややその關係がはつきりしてまいります。しかしながらこれは最小限度の電氣運轉でありまして、もちろん鐵道全部の電氣を自營電力によつて賄うものであるというような原則を私ども決して立てているものではございません。
自家用發電の問題につきましても、ただいま信濃川の三期、四期の計畫のほかに、天龍川につきまして計畫を進めております、また關西地方におきましては、十津川につきまして自家發電の計畫を進め、さらに山口縣廳におきましては山口縣における電力開發の問題も進めておられるやに伺つておりますので、私どもはそういう方面を鐵道電化にもぜひとも利用させていただきたいということで、現在のわれわれの力ででき得まする限りの電力開發
しかしながら、これを最近もう少し大きい電力を中國から送ることになりますには、中國の送電幹線を全面的に強化する必要があるのでありまして、これについては關西から山口縣に至る送電線を二十萬ボルトで架空いたしまして、關門で約十萬キロの電力を送ろうという計畫がございますが、これは相當資材、資金を要する計畫でございます。
過般、關西に旅行いたしますときに、いろいろ汽車の中で考えました結果、實は貿易もいよいよ八月十五日から再開をせられる。平和条約の締結も、あまり遠くないというようなときにおいては、わが國に旅行せられる外客の數は、よほど殖えてまいるであろうと私は考えたのであります。
それで終戰以來、戰時中の擔保の移動につきましては、外債を發行し、それを負擔しております會社、すなわち日本發送電、關東配電、中部配電、關西配電等が同一歩調でその報告をいたしておるような次第であります。
あとからこれをよく檢討して見たわけでありますが、確かお話のように昭和九年に若干の値下りはあるようでありますけれども、併しながら昭和九年には關西が非常に旱魃でありまして、それで米價はもつと下るべきところが下らずに、相當のところで止つておるという風に考えられるようであります。その後はずつと上昇をして來ておるのであります。