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63件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1947-09-16 第1回国会 衆議院 通信委員会 第11号

特に東海道線につきましては、別にさしたる被害はありませんが、ただ中央線を通つてまいります關西向けのケーブルが大月、甲府間において土砂の崩壊によつて斷線いたしたために、そこを通つております囘線不通になりました。その結果大阪東京間の囘線も半分不通になりましたし、その他個々の場所について不通の箇所が生じました。

中山次郎

1947-08-30 第1回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第7号

その新聞につきましても、あそこで古いやつを五百部、新しいやつを五百部程入れておりますけれども、でき得れば東北或いは關西地方人間天皇が行幸されたというような姿、或いは曲がりなりにもとにかく日本の動きつつあるニュース、そういうようなものを先ず映畫によつて見せるというようなことも非常に望ましいことじやないかと思うのであります。  

淺岡信夫

1947-08-29 第1回国会 参議院 電気委員会 第4号

それからこの黒部川の特殊性を簡單に申上げますと、この附近が私感じました所は非常にこの水力發電に惠まれた地點で勾配が急なことと雨量が多い、それから關東關西に殊ど等距離近くにあつてそうして五十サイクル六十サイクルに切替えが非常に便利だ。五十サイクルから六十サイクルに切替え、或いは六十サイクルを五十サイクルに切替えるのは僅か三四十分間で切替えるのが可能である。こういうふうな説明を聽きました。

原口忠次郎

1947-08-27 第1回国会 参議院 皇室経済法施行法案特別委員会 第3号

六月上旬の關西行幸の節、京都に滞在してつぶさに實情を見聞した私は、多くのことを考えさせられた、今だに天皇をかさにきる連中の多いことだ。中央地方を通じて何百か何千かの大官や高官が大名行列よろしくやつて來るが、彼らの長い道中に、外食券や主食を携帶して來たとは聞いていない、それどころか地元官民も交つて結構な白飯豪華料理が毎日無料である。これは一體どこから出るのか、人民は何十日も米の顔を拜んでいない。

岡本愛祐

1947-08-27 第1回国会 衆議院 水害地対策特別委員会 第5号

鈴木政府委員 東北地方水害に對する衣料關係の手配でございますが、これに對しましては先般關西地方を襲いました水害對策應急措置と同樣の措置をとりまして、とりあえず應急救濟用物資として——實被害地のところによつて相當遺うようでありますが、大部分は秋田縣宮城縣であつたと思すますが、この兩縣からは被害状況について詳細な御連絡があり、またそれに伴う救濟用物資の申請もあつたわけでありまして、この兩縣

鈴木重郎

1947-08-25 第1回国会 参議院 電気委員会 第3号

だから薪炭配給ということは勿論餘れば廻して頂くことは望むところでありますけれども、資材の少い日本においてはそう薪炭電力會社はかりに廻す、瓦斯會社電力會社のために緩和するということはなかなかむずかしいじやないか、これはお任せしますが、私の言うのはそういうことでなく、大きく狙つて欲しいということ、もう一つ我々心配しておりますのは、發送電は今尚關西餘剩電力關東に廻し、關東に餘剩がある時には關西

松嶋喜作

1947-08-25 第1回国会 参議院 電気委員会 第3号

説明員進藤武左衞門君) 今お尋ねの關東關西に融通できるかどうか、これは融通できることになつております。現に今日あたりも送つております。それから冬關東が困る時は向うから來ることになつております。尚關西から九州まで今日は二萬キロつております。尚日本で初めての二十二萬ボルト設備を考えまして建設中であります。そうすると中部餘剩電力が中國、九州まで行きます。

進藤武左衞門

1947-08-23 第1回国会 衆議院 運輸及び交通委員会 第13号

これは實にもつたいない線でありまして、現在關西實庫と言われておるところの伊豫や伊佐の物資は、殘念ながら輸送の不備のための一分、活用されていないのであります。現在四國線は宇野、高松、また戰時中にできました廣島縣に仁方と伊豫の堀江間の連絡があだけであります。これらは四國の一端に連絡がついておるだけであつてあとふん詰まり状況でありまして、四國と九州との連絡はとれておりません。

井谷正吉

1947-08-23 第1回国会 参議院 水産委員会水産物集出荷及び配給制度に関する小委員会 第2号

委員長千田正君) それでは參議院の水産常任委員會におきましては、現下の緊急問題たる食糧對策について我が水産常任委員會として水産物集出荷及び配給制度に關する小委員會を設けまして、現地調査に當ることになりまして十四名を二班に分ちまして、第一班は東北北海道、第二班は關西、九州と、各七名宛が八月六日に出發をしまして、それぞれ現地調査に參つたわけであります。

千田正

1947-08-23 第1回国会 参議院 水産委員会 第6号

去る四日の本會議の席上、水産物集出荷及び配給制度に關する調査のため議員派遣の件が決定されましたが、不肖私も關西九州方面擔當を命ぜられまして、田中、遠山、三好議員等七名の驥尾に附しまして、生産、集荷、出荷配給の全般を通じまして、京都大阪、神戸、下關、福岡の各地につきまして十日間、つぶさに施設なり或いは設備視察關係者の忌彈のない意見、希望等を一應調査いたして参つた次第でございます。

青山正一

1947-08-21 第1回国会 衆議院 司法委員会公聴会 第2号

たとえて申しますならば、私は關西人間でございますが、關西では、家督相續をした場合その相續した人を本家とする。それから、おもにこれはその人の弟の場合でございますが、これは分家とか新宅さんとかいう名がついて、新宅本家從屬關係になりまして、何かにつけて、殊に親類づきあいの場合には差別待遇がはなはだしいのであります。その差別待遇たるやこれは先天的に運命づけられた差別待遇なのですあります。

酒井進太郎

1947-08-21 第1回国会 衆議院 農林委員会 第13号

井上政府委員 今囘承りますと、北海道には再び東北水害に匹敵するがごとき水害をこうむりまして、耕作農民を初め、關係各道民の方が非常な罹災を受けられて、この善後處置に對して日夜いろいろ御努力を賜つておることを承つたのでありますが、政府といたしましては、さきに東北及び關西の一部に起りました水害に對して、早くから現地實地調査を行い、總合的な對策を根本的に立てるとともに、當面の應急處置といたしましては、

井上良次

1947-08-19 第1回国会 参議院 国土計画委員会 第3号

とかく東京とか、關東地方とか、或いは關西地方のような都合地の近い所では、相當な施策が行われておりまするが、こういう東北地方のような所に參りまするというと、どうもとかくそういう施策が十分に行われていないということを、誠に遺憾に存じたのであります。私誠に不備でございますが、大體御報告申上げまして、大山さんから足りないところを御補足願いたいと思います。

島津忠彦

1947-08-18 第1回国会 衆議院 水害地対策特別委員会 第2号

さらに今囘の被害がもし關東あるいは關西地方にあつたならば、もつと大きな問題として取上げられたであろうと私は思うのであります。私どもは今日まで久しい間、戰爭のときは人一倍よけいに人的資源の負擔をこうむらされて、戰爭中、戰爭後を通じて私どもは物質の面において、米あるいは林産資源その他の面において、非常な不利な條件において、國家のために奉仕しておつた。

石田博英

1947-08-08 第1回国会 衆議院 電気委員会 第5号

たとえば東海道線の平塚、小田原までの電車運轉延伸常磐線の我孫子、土浦までの延伸、また關西地區における電車化延伸等につきましてもいろいろと準備を進めておりまするが、何分にも電車の製造がモーターその他の關係から意のごとくなりませんで、戰時中約六百輛近い電車を燒失いたしまして、これが復舊にも非常に困難を感じております矢先、新製車輛を急速に増備いたしまして、新たな電車運轉區間を設定するというところまでには

伊能繁次郎

1947-08-08 第1回国会 衆議院 電気委員会 第5号

自家用發電の問題につきましても、ただいま信濃川の三期、四期の計畫のほかに、天龍川につきまして計畫を進めております、また關西地方におきましては、十津川につきまして自家發電の計畫を進め、さらに山口縣廳におきましては山口縣における電力開發の問題も進めておられるやに伺つておりますので、私どもはそういう方面鐵道電化にもぜひとも利用させていただきたいということで、現在のわれわれの力ででき得まする限りの電力開發

伊能繁次郎

1947-08-07 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第5号

しかしながら、これを最近もう少し大きい電力を中國から送ることになりますには、中國の送電幹線を全面的に強化する必要があるのでありまして、これについては關西から山口縣に至る送電線を二十萬ボルトで架空いたしまして、關門で約十萬キロ電力を送ろうという計畫がございますが、これは相當資材、資金を要する計畫でございます。

中川哲郎

1947-08-07 第1回国会 衆議院 文化委員会 第4号

過般、關西に旅行いたしますときに、いろいろ汽車の中で考えました結果、實は貿易もいよいよ八月十五日から再開をせられる。平和条約の締結も、あまり遠くないというようなときにおいては、わが國に旅行せられる外客の數は、よほど殖えてまいるであろうと私は考えたのであります。

一松定吉

1947-08-06 第1回国会 参議院 農林委員会 第4号

あとからこれをよく檢討して見たわけでありますが、確かお話のように昭和九年に若干の値下りはあるようでありますけれども、併しながら昭和九年には關西が非常に旱魃でありまして、それで米價はもつと下るべきところが下らずに、相當のところで止つておるという風に考えられるようであります。その後はずつと上昇をして來ておるのであります。

長谷川清