1947-10-22 第1回国会 衆議院 水産委員会 第24号
〔馬越委員長代理退席、委員長著席〕 また一般漁獲高の増加と養鰻事業の復活は、水産加工事業の振興となり、特に輸出カン詰等いわゆる見返品が生産せられまして、外國貿易をも助長することと相なると思うのであります。
〔馬越委員長代理退席、委員長著席〕 また一般漁獲高の増加と養鰻事業の復活は、水産加工事業の振興となり、特に輸出カン詰等いわゆる見返品が生産せられまして、外國貿易をも助長することと相なると思うのであります。
それから今まで北海道、樺太方面からはいつておりました魚類は二千二百トン、それにこの町は單に漁港というだけではなしに、地域的ないろいろな關係から、農産物であります米も、最近までは約二萬六千トン、それからわら工品が一萬五千トンといつたような輸出もこの港からやつておるのであります。
請願外三件(野溝勝君紹介)(第四七〇 號) 二三 肥料配給是正の請願(佐竹晴記君紹介)( 第四八一號) 二四 澱粉等菓子原料品の配給機構改善その他に 關する請願(大石倫治君紹介)(第四六九 號) 二五 北海道の甜菜糖業助成の請願(永井勝次郎 君外三名紹介)(第四八四號) 二六 青果物の統制是正に關する請願(本多市郎 君紹介)(第四九七號) 二七 鹿兒島縣産百合根輸出取扱
○平井(富)政府委員 ただいまお讀上げになりました昨日の委員會で私の申し上げましたのはその通りでありますが、現在のところ、安定本部におきましても、來年度の計畫を立てますについて、三千三百萬トンの配炭計畫をまず設定して、各物資の供給力を算定いたし、その際にあるいは輸出の關係がどうなるか、あるいは輸入の關係がどうなるかというような觀點からいたしまして、大體において全部の計畫がおそらく同時に決定してくる相關連
こういう手でいくのだというお話でございますが、私の見解をもつていたしますれば、なるほど中小工業の方は輸出産業と結び合わせて伸ばす余地は十分あると思います。しかしながら國内における中小商業者をいかように金を使われましても、これが扱うべき商品のない時代において、これをいかように伸ばそうということをおつしやいましても、それは空論でございまして、實際に即した問題ではないと思うのであります。
あるいは輸出産業の振興と結びつけるとか、あるいは國内必需物資の生産と結びつけるとかいうぐあいに結びつきやすいのでありますが、仰せの通り中小商業ということになると、その扱う商品が絶對に少いという場合におきましては、ざつくばらんに申し上げますと、中小工業の対策のようにはつきりした対策を立てることができないということは皆様もお認めにならうと思います。
にもかかわらず、そのときには商品が國内に充満していた、輸出もどんどん振興していた、そういう緩慢な時代にさえも百貨店の進出にたえ得られなくて、必然的の自衞の方法としていろいろの施策が生れたのであります。そういう場合にこれが制定されたのであります。このことをよく大臣もお考えになつていただき、関係の係りの方も認識を新たにしてもらう必要があると思います。
本港は戰爭中以來、倉庫その他の設備は輸出港にふさわしい施設があるのでございますし、さらに戰爭中以後の内務省の國土局の統計によりましても、昭和十六年における輸入出の貨物の數量は百三十四萬トンを算しまして、全國港灣の二百五十港の中第二十八位に位しておるのでありますし、さらにその價格におきましては、全國第十二位の三億一千四百萬圓に達しておるし、入港船舶といたしましては七百二十三萬トンで、全國の第六位となつておるのであります
一面には輸出産業の問題も考えなければならぬ。輸出が殆まりますれば、資材もますます逼迫してくることは、申すまでもないのであります。しかるにここでは、政府みずから發注を調整するということになつております。
最後に輸出産業を家内工業として戰爭犠牲者團体に資材を配給せよというのでございますが、家内工業の振興には、関係各省とも連絡をいたしまして、善処いたしますが、戰爭犠牲者のみを特別扱いはできませんが、個々の実情に應じまして、保護、更生に向うことができますよう努力をいたすつもりでございます。
第十三が、輸出産業を家内工業として戰爭犠牲者團体にその資材を配給する方途を講じて貰いたい。これがその大要であります。以上御報告申し上げます。
米材を輸入するということについては、戰後もいろいろ方法が講ぜられておりますが、例えばこの八月十五日貿易再開になりまして、アメリカで以て既成品の組立住宅を日本に輸出したいという話を申し込んだという方もあるというように聞いておりますが、一方において全然別の方面から聞きますと、アメリカも戰爭中住宅を建てることを止めておつたので、アメリカにおいての住宅不足も相当の数に上つておるので、戰後のアメリカはアメリカ
御案内の通り、牧ノ原の茶園の開拓ということは、現在日本の輸出産業上の重要な地位を占めております。この地域がどういうふうに酸性土壌を克服したかということを調べてみますと、非常な長い歴史と傳統を有しております。
水産加工物の輸出につきましては、年々五、六千トンございますし、その他果實、雑穀等の移出も年一萬トンくらいに達しております。しかもこれは從來は朝鮮に移出しておりましたが、今後は朝鮮が外國になりましたので、今後における關係といたしましては、満鮮に對する輸出港として、あるいは輸入港として、最短距離にあるということが、非常にこの港の将來を認めさせているものと考えております。
ただこれに対しまする資材の配当計画、見込につきましては、御承知の通り、現在のところ、國内の衣料に関する原料計画と申しますか、こういうものにつきまして相当強力な関係方面の指示を受けておるのでございまして、主といたしまして御承知の通り綿花にいたしましても、僅かにその二割が國内消費に許されておる分でございまして、他は全部輸出をいたしておるのでございます。
從つて、この乏しい原料・資材を外國から求め、輸入した原料・資材によりましてこれを加工いたし、再輸出に振り向け、貿易を通じまして日本の産業を振興しなければならないことは、御存じの通りであるのであります。 このためには、國際的経済の基準、いわゆる國際経済の規模を前提としなければならないのでございます。
御承知のように輸出もしておつた。こういう生活をしておつたために、洋傘は古くなれば捨ててしまう。これが一般の國民の観念になつておつたのであります。併の洋傘の古くなつたものを何も捨てなくても、これを張替えをすれば、立派に洋傘として役立つのであります。新らしい洋傘を作れば、それだけ資材も掛かる。古に洋傘を修理すれば、張替えによつて立派に國民生活を確保されて行く。こういうことが考えられるのであります。
それから商業委員長から先日輸出産業施設現地調査について、前は一班、二班おのおの六名というのを保留してあつたのですが、やはり産業施設現地調査ということで、同じく一班、二班とわけ、場所も同じで、一班は京都、大阪、神戸、二班は靜岡、愛知、期間も六日と四日、人數は半減して第一班は三名、笹口晃、岡野繁藏、辻寛一、第二班も三名で佃良一、松原喜之次、松崎朝治という申出があります。
殊に輸出品の価格が低減いたしまするために、将来に向つて輸出の進展が期待されるのであります。今日の情勢を以て推し移つて行きましても、半年や一年の間に、前途に楽観すべき曙光を認めることは到底できないことは、殆んど疑いがないのであります。最近、進駐軍の一員が警告を与えられました。
更に貿易の各商品の價格政策についてどういう処置をとらんとするか、又從來いろいろ悪評を受けておるところの粗製濫造を避けるためには、いかなる処置をとらんとするかとの質問に対しましては、政府は、今後文化国家として生きて行く上の貿易の重要性ということから見ても、限られたる資材中より最大限に良心的な品物を作るため、檢査制度その他種々な点に関して嚴重な檢査を行い、粗悪品は一品も外國に輸出されないように準備しておるということであります
そうして、九月並びに十月の両月におきまして輸出貿易品の買入れ等のために要しまする資金といたしまして、九十六億五千二百余万円を要し、又賣拂代金の資金の回収をされまするものが四十七億六千五百余万円であります。差引資金の不足しまするものが約三十九億五千余万円と相成ることに推定されるのであります。
また一歩進んで、これを輸出にもつていくべき工業の形態を備えせしむべきであるかどうかということを併せ考えまして、一定の標準を置いて、漸進的なる手段によつて、この自動車を健全なる合理的な企業のもとに成育せしめていきたいと考えて、目下その調査をいたして對策を立てつつある状態であります。
そこでたとえて申しますならば、われわれは今日の食糧問題の場合を考えてみましても、國内の産額ではどうしても勞働者の必要な生活物資を全部自給することはむずかしいのでありまして、どうしても經濟を復興することによつて輸出するということがなければ、勞働者の生活資材というようなものも十分に入手することができない状態であります。
それで自動車工業の状態につきましては、只今大臣より詳細御説明を申上げたのでありますがこれに関しましても國内資材におきまして國内において適合せる製作を行いますと同時に、尚その一部は生産が増強いたしますならば輸出に振向けて行くということを考えて行かなければならんのでございまして、現にその筋から許可されましたる極く少数の車輛でございますが、これもバイヤーとの間に一時サンプル的な輸出のようなことも今話をいたしているようなこともございます
ひとたびこれが築港なりますならば、この良港を得て、十勝を初め日高、上川、網走管内の各種産物は、急速かつ経済的に移輸出されまして、東北海道のあらゆる重要な資源は容易に入手され、かつ新日本建設のために、北海道の使命達成上及ぼす影響はきわめて重大なることを確信する次第であります。
そしてそれが私どもが使う一つのコツプでも何でも、生活に必要なものが美しくなつてきますと、日本の藝術が自然高められまして、日本の輸出品へもそれが響いてくると思うのであります。世界にも通用するりつばな美術工藝、また藝術品が現われてくると思いますから、藝術と生活との結びつきを、ぜひもつと深く考えていただきたいということを最後に希望しておきます。