1947-08-18 第1回国会 衆議院 水害地対策特別委員会 第2号
七月二十日から二十三日にかけまして、また八月二、三日の豪雨によります東北五縣の被害の状況は、かいつまんで申しますれば、次のごとく相なつておるのであります。
七月二十日から二十三日にかけまして、また八月二、三日の豪雨によります東北五縣の被害の状況は、かいつまんで申しますれば、次のごとく相なつておるのであります。
これは十五日の豪雨によつて空知、上川方面に豪雨があつたと書いてありますが、何か詳しい報告は來ていないですか。實は北海道廳の出張所へ電話をかけましたけれども、さつぱり通じないものですかてお聽きします。
七月二十二から二十三日までと、八月二日、三日のこの二回にわたりますところの豪雨によつて、東北の青森縣、岩手縣、宮城縣、秋田縣、山形懸のこの五縣において、流失、埋没いたしましたる面積は、一万二百六十八町歩であります。被害面積といたしまして、水田十一万二千九百九十五町歩、畑五万九十八町歩、合計十六万三千九十三町歩、これが東北におきまする大体の被害の今日まで到達いたしておる面積の概況であります。
岩手縣の水害は大體北上川を中心として、この川の濫亂による水害が例でありますが、今囘の豪雨はやはり七月二十二日、二十三日にわたつておりましたが、北上川の氾濫というよりも、山津浪の被害が多かつたのであります。
出發にあたりましては、私どもは七月二十一日から二十四日の間にわたりまする第一囘の水害の状況を調査すべくまいつたのでありましたが、中途で、八月二日三日に思わざる豪雨、洪水に遭遇いたしました。私どもみずから慘憺たる水害の状況に遭遇したのでありまして、そうしたみずからの體驗を織入れまして、御報告申し上げたいと存じます。
前夜來の豪雨にて宮城岩手をつなぐ北上川の増水殊にはなはだしく、委員一行を乘せた東北本線は一の關以北運転中止となりました。三日午後一時半一の關驛下車各種公共機關と連絡をとることにいたしました。たまたま水害視察のため帰省中の岩手選出淺利代議士の應援を得て、岩手縣庁と電話連絡に努めましたが、困難でありました。
その原因を申上げますと、これらの水害は平地に降つたところの降雨によつて起つたのではなくして、奧羽背梁山脈に降つたところの豪雨が出水となつて北上川、雄物川及び最上川に出水したということなのであります。大體この平地に降りました水量は、約百ミリ内外であるのでありますが、山地帶即ち奧羽脊梁山脈に降りましたのは、今まで報告を得たのでは三百八十ミリに達する降雨量に相成つております。
次に戸栗川でありますが、延長九・五キロの急流河川でありまして、砂防工事未著手でありましたために、昭和二十年十月の豪雨に大氾濫を起し、いまだにその名殘りを殘留しておりますが、逐次上流より堰堤工事等施行中でありまして、これが完成は地元民一同の待望するところであります。